僕の忘れられない夏

碧島 唯

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第七章 夏の終り

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 ルークさんたちのコミュニティから出て、しばらくの間は、驚くほどZが少なかった。
 ほとんど、といっていいほど出会うことはなく、僕たちは廃ビルの屋上で夜を過ごしていた。
「綺麗ですね……。
 私、ニューヨークでこんなに綺麗な星空を見たことありません」
 マリアが小さく笑う声がして、僕も空を見上げる。
「そうだね……ニューヨークって眠らない街って言うんだよね?
 いつも電気があちこちについていて、こんな真っ暗で星が見えてた事ってなかったんだろうね。
 ……いや、大停電があった時はやっぱりこんな風に星が見えてたんじゃないかなぁ」
 綺麗な、まるで降るように見える星を見ていると、こんな…なんだろう、災害じゃないし人災っていうのもおかしいし……。
 そう、こんな、死体が動く地獄みたいな中にいるんだってことが、嘘のように感じられた。
 空が青くて綺麗だった時にも、そんな事を思ったっけ。
 ……地上がどんなに酷いことになったって、空は相変わらず綺麗なままって事なのかも知れないな。
「シュウ、帰りましょうね。
 私たち、絶対に家に帰りましょう」
 空を見上げながらマリアが言った。
 その顔を見ると、頬に涙が伝っていた。
「うん……絶対に帰ろう」
 夜空の下で、二人だけの約束をする。
 生きて、家族の下に帰ろう、必ず。
 空を見ながら、二人で、ただ寄り添って眠った。

 ──夢を見た。
 いつかの、金色の麦の穂が揺れて風が吹いている夢。
 ──ああ、じゃあここにアリスもいるのかな。
 アリスが遠くを指差している。
 少し厳しい顔で遠くを見ているアリス。
 ふいに僕に気付いたのか、僕に笑いかけて何かを言っているように唇が動く。
 ──聞こえないよ、アリス。
 風が強く吹いて、麦が揺れてアリスの姿を隠す。
 ──待って、待ってアリス。
 風が止んで、アリスは消えて、麦だけが金色の穂を揺らす。

 目が覚めた時に、夢をうっすらと覚えていて、アリスは何を指差していたんだろうと考える。
 何かを僕に言っていたような気もするのに、それも覚えてなくて、それが何を意味しているのかも分からなかった。
 ただ、アリスが笑いかけてくれたその笑顔をずっと覚えておこう、と思った。
 まだ空に星が残る、時間。
 太陽が昇って、マリアが起きるまで、ほんの少し、夢のではなく、生きていた頃のアリスを、僕は思い出していた。

 太陽が昇り、空が明るくなってきて、マリアが目を覚ます。
 リュックから水を出していると、固い物に手が触れて、取り出すと折りたたんだ地図が入っていた。
 入れた覚えのない地図、多分ルークさんの心遣いのひとつだろう。
 地図に大きく○が付けられていて、そこに文字が書かれていた。
「えっと、“私たちはここにいる”、でよかったかな……」
 正直に言えば、会話は出来ても読み書きにはあまり自信がないんだけど、短いその文章の意味は多分、そういうことだろう。
「シュウ、ここにも。
 “幸運を”って書いてあります」
「……ルークさんって結構、見た目よりもお茶目な人なのかな」
 幸運をって言葉は飾り文字というかレタリングっていうのか、そんな感じの文字になっていて、本当にルークさんがこれを書いたのか、と首を傾げてしまう。
「本当に何でも出来る人なんですね…」
「うん……なんていうか……すごい人だよね」
 地図をマリアにも見てもらうものの、マリアもあまり詳しくないということで、結局あまり参考にはならなかった。
胸のポケットに小さくたたんだ地図を入れて、向こう側に行けたら、この場所に救助に行ってくれと渡すことにしよう。
そして、いつかルークさんに再会したら、その時は友人になってもらいたいなとか、そんな事を考えていた。
 きっと、僕の両親もルークさんを気に入るに違いない。
 そこまで考えて、まだ僕はここにいて、それはまだずっと先のことだとため息をつく。
「マリア、ここから川が見える?」
 方向だけでもこのビルの屋上から分かれば、と太陽の方角に目を向ける。
 ハドソン川に沿って公園があったはず、と緑色が見えないかと目を凝らすものの、このビルよりも高いビルとか、太陽が眩しすぎてはっきりとは見えなかった。
「うーん……、とりあえず島の端に向かえばハドソン川だったよね」
 マリアも見るのを諦めたのか、僕に苦笑する。
 方角を見ながら、今日のルートを決めようと周りを眺める。
 隣のビルに屋上から渡るのは、こっちのビルとの高さの差がありすぎて無理。
 せめて、Zが少ないルートを取りたいとあちこち眺めるものの、朝早いせいなのか、それとも他の理由か、Zの姿を見かける事はなかった。
「とりあえず、今の内に距離をかせぐかな……」
 Zが居ないなら普段よりも早く進めるな、と考えを纏めるとマリアに行こうと声をかける。
 廃ビルを、用心しつつ降りて、銃を手にしながら小走りで道を進む。
 自分たちの足音と呼吸の音しかしないのを不思議に思いながらも、今のうちにと足を急がせる。
 数が少なかったらサイレンサーをとポケットに突っ込んであったサイレンサーを取り出して、ライフルの銃口に差し込む。
 数が少ないなら、音を出してわざわざ引き寄せることをすることはない。
 太陽が昇りきらないうちは、太陽に向かって道を急ぐ。
 真上に太陽が来て、昼になった事を知る。
 足も手もそろそろ限界だと、休めそうな所を歩きながら物色する。
 物音ひとつなく、静かだ。
 静かすぎないだろうか。
 ライフルを構えたまま、道路を横切って次の通りに入ろうとした時、ちらりと動く影が見えた気がして、その方向に視線を向ける。
 しばらくそのまま注意して見ていると、影が動くのが数個、はっきりと見えた。
 ──嫌な予感がする。
「マリア、走れる?」
 小声で訊ねる。
 まずい、このままではまずいぞ鳴海修一。
 首筋がちりっとするような、危険を目の前にしたような感覚。
頷くマリアを横目で確認すると、影の見えた場所と平行した通りに走り出した。
走っている前方に、Zの姿が表れてライフルで狙い、撃ち放つ。
 静かに倒れていくZ、けれどその横からまたZの姿が現れて、ライフルを連射することになった。
 平行した通りにも複数のZの影を見た。
 そしてこの通りにも、こうして次々と奴等が姿を現してくる。
 僕たちはひょっしたら、Zの多い地域に踏み込んでしまったんだろうか。
 ライフルは腰だめに構えて、走りながら撃てるようにする。
 奴等の姿を見た瞬間に引き金を引けるように。
 一気に走り抜けようとおもったのに、撃てば次のがひょいっとばかりに姿を見せ、また撃っての繰り返しで、ライフルでは弾の装填数が少なく、弾切れを心配するばかりになってきた。
 しかし、ショットガンに変えるとしたら音がするのに奴等が更に増えるだろうとわかっていて、どうしようかと迷ってしまう。
 ところが、漸く通りを抜けて何気なく振り返ると後ろからぞろぞろとZが出て来て僕たちの方に歩いて来るのが見えてしまった。
 平行した通りからも、Zがこちらに向かって歩いて来るのが見えて、もうライフルではダメだとショットガンに持ち替えて撃ちながら走り出した。
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