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美味しいご飯と吸血鬼
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テオは私の血をマズイとけなしてから台所を貸してくれと言って、何やら台所で包丁の音やら冷蔵庫を開ける音とかコンロの音とか、何か作っているような感じで、時折「何であれが冷蔵庫に無いんだ」と声が聞こえる。
そうこうしてる間に、父さんが帰って来た。
「お帰り、父さん。婆ちゃんの知り合いって人が来ててさ……外国の人なんだけど」そう切り出すと、ドアの開いた音に台所からパタパタとスリッパの音がして、テオが玄関に出て来た。
「初めましてっ、あなたが百合子さんの息子ですか、私はテオと言います。
昔、百合子さんにはとてもお世話になりました」
にこにこと挨拶をするテオは、イケメンオーラというのか夜なのに眩しいくらいの笑顔だった。
「母さんの……、ようこそテオ君。私は百合子の息子で明と篤の父の梶木明義だ」
そうテオに答えた父さんは、玄関に来ていた篤に手に持った弁当屋のビニール袋を手渡していた。
「うーん、困ったな三個しか買ってない」
くん、と玄関に漂う匂いを嗅いで、軽く頭を振るテオ。今気が付いたけど、後ろ髪が少し長い。長い髪は後ろで結ばれていて頭を振るのに一緒に揺れていた。
「ご心配なく、勝手ながら私が夕食の用意をさせていただいてます」
「えっ?」
台所でごそごそしてたのは夕食を作ってた? 吸血鬼なのに? それとも吸血鬼でも食べれないことはないって言ってたから一緒に食べるつもりで?
「私の国の料理でお口にあうかどうか……」
父さんに笑顔で言っているのを見て、ちょっとムカッとした。
私にはゲロマズだとかクソマズイとか言っといて、父さんには笑顔、しかも極上の笑顔って、何でよ。
「じゃあ、せっかく作ってくれたんだからいただこうかな、篤それは冷蔵庫に入れて明日の朝食にでもしようか」
何だか、父さんまでうきうきとしてるみたいで、私を除く三人で台所に向かっている。
「姉ちゃん、早くおいでよ」と篤が呼べば。
「――冷めるから早く来い」と、テオが仏頂面で私に向かって言い。
「おお、これは見たことのない料理だな、ほら明早く座りなさい」と、父さんが手招きする。
腹に背は変えられない、不承不承、台所のテーブルに着くと、温かそうな料理が湯気を立てて並んでいた。
「ルーマニアの郷土料理です、材料があまりなかったので少しアレンジしてありますが」
そういえば、冷蔵庫って何かあったっけ、チョコとジュースは入れたけど……と思って、よくテーブルの皿を見ると、どこから持ってきたのか鶏の焼いたのと、薄いホットケーキかパンケーキみたいなものが乗っていた。
「これは小麦粉で薄く焼いたガレットです、簡単に目玉焼きを乗せています」
そう言われて見ると、パンケーキにしては薄いし、薄い茶色に焼けたそのガレットやらの中には目玉焼きが乗っていた。
「で、こちらは冷凍庫に鶏があったのでグラタールにしました」
グラタールってグラタンの事かな? 目の前の更には焼いた鶏が美味しそうな焼き色で乗っていた。
「それと、品数が少なくて本当に申し訳ないのですが、クラティテというデザートです」
全部で三品、最後の皿は砂糖を振ったクレープだ、これは美味しそう。甘いの好きなんだよね、私。
「本当ならメインにミティティでも作りたかったのですが……」
「あ、いや充分だよテオ君。冷蔵庫に食材はなかっただろうし……ありがとう、久しぶりの手作りの夕食だ」
篤は静かだなと思ったら、鶏の皿を凝視している。
「篤、口」
「あ」
涎が出ているのを指摘すると右手の袖でゴシゴシと拭いていた。
「じゃあ、テオ君いただきます」
「いっただきまーす」
「……いただきます」
手を合わせて三人三様にいただきますをして、お箸でガレットを千切って口に入れる。
「う……まい……」
「おいしいっ、卵の黄身がとろっとしてて……おいしいよぉ……」
一口食べて泣いている篤、ああっ、父さんも何か涙ぐんでる。
「……美味し……」
口に入れた黄身がトロリと広がって、香ばしいガレット生地に絡まる。
やだ、美味しい。
ひょっとしてテオって料理上手なのかな、とテオの顔を見ると目が合って、どうよって表情をされた。
何、これがドヤ顔って奴?
ちくしょう、イケメンのくせに、ドヤ顔なんかするなーっ。
「美味しいよ、テオ君っ」
「兄ちゃん、これもこれも美味しいよぉ」
褒める父さんと篤に対しては、にっこり笑っていて、何だかムッとする。何、この差は。
「どうでしょう、私をしばらくここに料理番として置いていただけませんか?」
はい?
今何を――?
「りょうり……ばん?」
聞きなれない言葉に父さんが聞き返している。
「ええ、日々の料理を私が作ります」
「そりゃあうちとしては願ったり叶ったりだが――」
「もちろん、お金はいただきません。ここに置いていただけるだけで十分です」
「しかし、無給と言うわけにも……あまり払えないが……」
「……父さん……」
あんまりお金に関する生々しい話を子供の前でしないで欲しい。
私はまだしも、篤は小学生なんだから。
「そういう話は後にして、今食事中」
「あ、ああすまん、ではテオ君話は後で」
冷凍室にあったという鶏は長く冷凍されてたとは思えないほど汁気もあって、皮はカリカリしてて確かに美味しかった。
これで冷蔵庫にちゃんと色々入ってたら、と思うとまともに食材を買ってなかった事にちょっと後悔した。
テオが用意してくれた夕食のパンだけはコンビニで買った食パンのままだったけど、まだ柔らかかったので鶏を挟んで二つ折りにするとチキンサンドみたいで美味しかった。
「やだ、クレープ美味しい。何、これ砂糖しかかかってないよね、なのにすごい、おかわりしたくらい」
「……姉ちゃん、デザートおかわりなんて普通しないから」
「え、しないの? クレープとか二枚くらい食べるでしょ、そんなに量ないし」
「……普通の女子高生はしないと思うよ」
篤に突っ込まれたが、甘い物は別腹って言うし別にいいじゃない。
「おかわり……あと、一枚くらいなら……」
台所に一度引っ込んで、出て来たテオの手にはフライパンがあり、そこに残ってた一枚をお皿に盛ってくれる。
「あ、ありがとうテオ」
「どうしたしまして、きちんと栄養のある美味しいものを食べて、良い血を作って下さい」
言い返したいことはあるけど、今はともかく目の前のデザートだった。
台所には小麦粉と砂糖はあったけど、それだけでこんなに美味しいクレープが出来るんだろうか。――作ったことがないから他に何がいるのかよく分からないけど。
それにしても、美味しい。
ほんのりと甘くて、砂糖のかかっている表面がうんと甘くて……ちょっとカラメルみたいな味もするから何枚でも食べられそうな感じ。
ちら、とテオを見ると満足気な顔をしてにやついていて、それがちょっと悔しいけど、美味しいのは確かで、見なかったことにする。
「明日の朝――と言いたいところですが、冷蔵庫が空になってしまいました」
ああ、うん。もともとほとんど入ってなかっただろうしね。
「この時間に開いてるスーパーとかありますか?」
「もう夜遅いから商店街は閉まってるし、コンビニくらいかな。ねぇ姉ちゃん」
篤が近所を思い出しながら言い、私に話しかける。
普段買い物なんてしたことないのに、私が知ってるわけないじゃないか。
「……確か……」
父さんがご馳走さまでしたとテオに言いながら席を立ち、新聞やチラシとか紙を重ねてある所でごそごそと何かを探している。
「おお、あった。ここは二十四時間スーパーという奴らしい」
一枚のチラシを手にして嬉しそうにテオに渡す。
「二十四時間営業ディスカウントストア、という奴で一度買い物に行きたいと思っててチラシをおいてあったんだ。このチラシだと生鮮食品も冷凍食品も色々あるらしい」
テオがまじまじとチラシを眺めて、嬉しそうに父さんに笑いかける。
「いいですね、これから言ってきたい気がしますが道はすぐに分かりますか?」
「明、ちょっとお前テオ君と一緒に……」
「僕行きたいっ、いいでしょ?」
「……私別に行きたくな……篤が行くならしょうがないなぁ、行くわよ、行けばいいんじょ?」
正直、こんな夜になってから買い物とか行きたくなかった。でも篤とテオだけ行かせるわけにもなぁって思うとしょうがない。ついでにお菓子でも買って来よう。
「明がいるなら少し余分に買っても大丈夫ですね」
荷物持ちかーっ、女子高生を何だと思ってるんだ。ちょっと……いやかなりイケメンだけど、サイテーよねっ。あ……でも……。
「テオ、お菓子他にも作れる?」
「そうですね、レシピさえあれば大抵のものは何とかなるかと……」
父さんの耳が興味ありげにぴくんと動いたのが見えた。
「本を買えばいい、材料費以外に本代も渡すから、その……」
「なら、チーズケーキ作って頂戴っ」
「僕はホットケーキ!」
「ニンニク醤油のからあげを……」
三人がそれぞれ作って欲しいものを口にする。父さん、それはおやつじゃなくておかず。
「父さん、ニンニクはまずいんじゃあ……」
「え、そうなのか? 私の好物なんだけど……ダメなのかな……」
残念そうにしゅんとなる父さんにテオがにっこり笑う。やっぱりどんな性格でもこの笑顔はいいなぁ、目の保養だ。
「大丈夫ですよ、ニンニク醤油味のからあげですね、明日本を買って来ますから明日の夕食はそれにしましょう」
「本当かい、テオ君。嬉しいなぁ、明日は夕飯が楽しみだよ」
何だかこんなに楽しそうな父さんも篤も見るのは久しぶりだ。
ひょっとしたら、母さんが生きてた時以来かも知れない。
そんな風な家族の団らんといった夕食は進み、父さんとテオが話をしている間にテオの為の部屋を片付けに篤と二人で使ってない一階の部屋に向かった。
部屋に入ると、物置みたいにしていたので段ボールの箱がいくつか積まれていて、箱の名前を見ながらこれは私の、これは篤、こっちは父さんの、といった感じでまずはそれぞれ廊下に積んでいく。
「布団……客用のがあったかな?」
ベットは余分がないからしばらくは布団で我慢してもらおう。
「姉ちゃん、吸血鬼っていっても普通の人とあんまり変わんないんだね」
部屋を片付け――とはいってもダンボール箱を部屋から出してしまえば後は掃除をするだけになっていて――、掃除機を用意しながら篤が言った。
「そうよね、にんにくも平気みたいだし、第一かなりのイケメンだし」
「ん、ああ……姉ちゃんはいい顔の男好きだよねー」
「当然でしょ、女は度胸、男は顔よ」
「……なんか違うような気がするんだけど」
軽口を叩きながら掃除も終わり、準備も出来た。
「父さーん、部屋出来たよー」
キッチンの二人に声をかけると、父さんがソファから立ち上がって、真剣な顔つきでこっちに来た。
「明、篤、テオ君が正式にうちの住み込み家政夫として家の事とかをしてくれる事になった」
「……テオが毎日ご飯作ってくれるんだ……」
今日のテオのありあわせで作ったという夕食に、これからの食生活をすごく期待してるようにキラキラした瞳でテオを見つめる。
「お給料の話とか終わったんだね」
正規の家政夫は今まで雇うことはなかった。
実は父さんの給料はそんなに安くはない、高くもないけど。普通の一般家庭くらいはある、と思う。
ただ、毎日の食費がかかる。朝・昼・晩とコンビニとかスーパーとかで買ったりして外食だったら……そりゃあ育ち盛りを二人も抱える我が家はエンゲル係数高いよね。
たばことかお酒を飲まなくても、そんな余裕はなかったはず。
それでも、母が亡くなってからというもの、まともな家庭料理があった事はない。
何度かは挑戦したものの、結果は散々たるもので……、私たち家族には料理の才能というものが欠片もなかった。
特に、私には料理の才能はない。
学校でやる調理実習でさえ、おまえはじっとしとけ、盛り付けて食べるだけでいいって二回目からは言われるんだ。
料理がすごく嫌いなわけじゃない、けど、出来たものは見かけはちゃんとしててもなぜか味がとてつもなく不味くなる。
レシピ通りに作っても、だ。
世間でいう味見しないからメシマズになるって類じゃない。
まだ見かけは酷いが味はいける、というような料理ならまだマシだったろうに。
それが証拠に実習以外のテストではいい点を取れてる。
「明、聞いてるか?」
「何、父さん?」
「テオ君の給料として月に200ミリリットルの血を分けてくれないか」
「へ?」
「テオ君は吸血鬼ということだから、それで家政夫としてしっかり働いてくれるそうだ。
炊事だけじゃない、洗濯や掃除もやってくれるということだ。もちろん買い物も」
「ええ――っ?」
テオの方を見ると、ちょっと頬を赤らめていて、申し訳なさそうに頭を下げられた。
「その、味も質も私が食事を作ることで改善されると思うし、それより明の血には付加価値があるから月にそれだけもらえればいい」
えーと、どういう意味かな。
「ゲロマズな血だけど月200ミリリットルで我慢してやるって?」
「そう、明の血にはそれだけの価値は十分ある、不味くてもな」
「ふ、ふざけんな――っ!」
「父さん、これでお昼の給食以外の食事もちゃんとしたものが食べられるんだねっ」
「ああ、篤。もうコンビニ弁当や出来合いの弁当からさよならだ。明とテオ君に感謝しような」
篤の嬉しそうな声がして、父さんの声も弾んでいた。
こんなに嬉しそうな二人は母さんが死んでから初めてみる。
「……くっ……し、仕方ないわね、献血を月に一度すると思えば……」
そう、たった200ミリリットル、献血してると思えば何のことはない。最近は400ミリリットルお願いしまーすとか言われるだけに、量的には献血より少ないくらいで大したことはない。
「わ、わかったわよ。月200ミリリットルね、よろしく頼むわ」
「ありがとう、来月の給血日には君の血を今より綺麗にしてみせるよ。それに起きてる間は他にも家の事はするから」
これは、ひょっとしたら、すごくいい買い物をしたのかも知れない。
たった200ミリリットルの血で家の事を全部任せていいなんて……、しかもイケメンだし。
「日よけになるようなものがあれば、買い物も任せてもらっていいよ」
ということは……、スーパーに行く為にダッシュで走って帰らなくてもいいってこと?
「明も篤も、これからは部活動とかしたいものしていいんだよ」
「うわーすごーい、ありがとう父さん、テオ」
憧れのクラブ活動、そういうのも出来るんだ、部に入らなくても友達と学校帰りにカフェに寄ったり、ショッピングしたりも出来るんだ……普通の女子高生としてやってけるんだ。
「これで……コンビニ弁当ばっかりとかじゃよくないって、焦げた炭みたいな野菜炒めとか、芯の固いご飯とかイカ墨でもないのに黒いパスタとかも食べなくてもいいんだね……」
篤が涙声で父さんにしがみ付いていた。
いや、その焦げた野菜炒めは父さん作だったような……。
「明日からがんばりますね」
泣いてる篤の頭を撫でながらテオが優しそうに言う。
そんな優しい瞳で頭を撫でる図って……鼻血が出そうに興奮する。
「テオ君の部屋は……さっき二人に片付けてもらったから」
「カーテンがあって薄暗く出来るならどんな部屋でも大丈夫です」
にこっと笑う顔は本当にイケメンで、ちょっとドキンとした。
「明、遮光カーテンをテオ君の部屋に急いでつけてくれ、じゃあ明日からもテオ君の手料理だ、よかったなぁ」
そんな感じで唐突に家政夫を雇うことになって、私たちは栄養の偏ったコンビニ弁当と外食、父さんの作る不味い食事から解放されることになった。
吸血鬼といったって、毎晩血を吸うのに襲われるということもなさそうだし、イケメンだし、料理の腕はあんなほとんど無いに近い材料から美味しい夕食を作れるぐらいだから、おおいに期待させてもらうことにしよう。
月に200ミリリットルだけという破格の賃金で家政夫を雇えるなんて、ありがとう、ばぁちゃん。
そうやって家族皆で喜んでいると、バタリと倒れる音がした。
「テオ?」
床にテオが突っ伏していた、さっきまで元気そうだったのに。
「あ、そういえば僕からっからに干からびそうなテオを助けたんだっけ」
そういえば篤が淹れた薄い紅茶も口をつけてなかった。
「水でいいのかなぁ……?」
「えっと……やっぱこういう時は血?」
篤が言うや否や、人差し指をテーブルの上に乗った果物ナイフで切った。
ポタポタと少しずつ血が流れてその指をテオの唇の上に持っていくと滴り落ちて、テオの唇が赤く染まる。
赤く染まった唇が動いて篤の指を咥えると、テオの白い喉がこくりと鳴った。
「テオ、大丈夫?」
「何だか……不思議な味がします……処女血ほどではないけど甘い匂いがして……。でもさっきの明の血よりは飲める味でした」
つまりは篤の血も不味いけど、私の血よりはマシって?
「あはは、僕の血でしたー」
指をハンカチで押さえながら篤が笑う、こいつは緊張感のない……。
「……いくらある意味処女血でも、男の血はやっぱりちょっと……」
「ある意味処女血って?」
「篤、聞くな」
父さんが篤を引っ張って聞かせないようにして、傷の手当をする。
「あー……うん、確かにある意味かな……って不潔――っ!」
自分の言った意味が改めて分かってしまって、顔が赤くなってしまう。
「父さん、教育上悪いよ、やっぱりテオは変態だーっ」
「明、格安の家政夫なんだから多少の不具合はあるよ……そこは我慢だ」
「父さん……」
娘と息子が変態と毎日一緒でもいいのかと思うが、そんな多少の不具合で済むんだろうか。
「まぁ、炭みたいな焼肉とかよりはいいか……」
その時は今日の夕食より美味しいといいなぁ、と思ったが、そんな予想を遥かに上回る料理をこれから味わうことになるとは、その時は分からなかった。
そうこうしてる間に、父さんが帰って来た。
「お帰り、父さん。婆ちゃんの知り合いって人が来ててさ……外国の人なんだけど」そう切り出すと、ドアの開いた音に台所からパタパタとスリッパの音がして、テオが玄関に出て来た。
「初めましてっ、あなたが百合子さんの息子ですか、私はテオと言います。
昔、百合子さんにはとてもお世話になりました」
にこにこと挨拶をするテオは、イケメンオーラというのか夜なのに眩しいくらいの笑顔だった。
「母さんの……、ようこそテオ君。私は百合子の息子で明と篤の父の梶木明義だ」
そうテオに答えた父さんは、玄関に来ていた篤に手に持った弁当屋のビニール袋を手渡していた。
「うーん、困ったな三個しか買ってない」
くん、と玄関に漂う匂いを嗅いで、軽く頭を振るテオ。今気が付いたけど、後ろ髪が少し長い。長い髪は後ろで結ばれていて頭を振るのに一緒に揺れていた。
「ご心配なく、勝手ながら私が夕食の用意をさせていただいてます」
「えっ?」
台所でごそごそしてたのは夕食を作ってた? 吸血鬼なのに? それとも吸血鬼でも食べれないことはないって言ってたから一緒に食べるつもりで?
「私の国の料理でお口にあうかどうか……」
父さんに笑顔で言っているのを見て、ちょっとムカッとした。
私にはゲロマズだとかクソマズイとか言っといて、父さんには笑顔、しかも極上の笑顔って、何でよ。
「じゃあ、せっかく作ってくれたんだからいただこうかな、篤それは冷蔵庫に入れて明日の朝食にでもしようか」
何だか、父さんまでうきうきとしてるみたいで、私を除く三人で台所に向かっている。
「姉ちゃん、早くおいでよ」と篤が呼べば。
「――冷めるから早く来い」と、テオが仏頂面で私に向かって言い。
「おお、これは見たことのない料理だな、ほら明早く座りなさい」と、父さんが手招きする。
腹に背は変えられない、不承不承、台所のテーブルに着くと、温かそうな料理が湯気を立てて並んでいた。
「ルーマニアの郷土料理です、材料があまりなかったので少しアレンジしてありますが」
そういえば、冷蔵庫って何かあったっけ、チョコとジュースは入れたけど……と思って、よくテーブルの皿を見ると、どこから持ってきたのか鶏の焼いたのと、薄いホットケーキかパンケーキみたいなものが乗っていた。
「これは小麦粉で薄く焼いたガレットです、簡単に目玉焼きを乗せています」
そう言われて見ると、パンケーキにしては薄いし、薄い茶色に焼けたそのガレットやらの中には目玉焼きが乗っていた。
「で、こちらは冷凍庫に鶏があったのでグラタールにしました」
グラタールってグラタンの事かな? 目の前の更には焼いた鶏が美味しそうな焼き色で乗っていた。
「それと、品数が少なくて本当に申し訳ないのですが、クラティテというデザートです」
全部で三品、最後の皿は砂糖を振ったクレープだ、これは美味しそう。甘いの好きなんだよね、私。
「本当ならメインにミティティでも作りたかったのですが……」
「あ、いや充分だよテオ君。冷蔵庫に食材はなかっただろうし……ありがとう、久しぶりの手作りの夕食だ」
篤は静かだなと思ったら、鶏の皿を凝視している。
「篤、口」
「あ」
涎が出ているのを指摘すると右手の袖でゴシゴシと拭いていた。
「じゃあ、テオ君いただきます」
「いっただきまーす」
「……いただきます」
手を合わせて三人三様にいただきますをして、お箸でガレットを千切って口に入れる。
「う……まい……」
「おいしいっ、卵の黄身がとろっとしてて……おいしいよぉ……」
一口食べて泣いている篤、ああっ、父さんも何か涙ぐんでる。
「……美味し……」
口に入れた黄身がトロリと広がって、香ばしいガレット生地に絡まる。
やだ、美味しい。
ひょっとしてテオって料理上手なのかな、とテオの顔を見ると目が合って、どうよって表情をされた。
何、これがドヤ顔って奴?
ちくしょう、イケメンのくせに、ドヤ顔なんかするなーっ。
「美味しいよ、テオ君っ」
「兄ちゃん、これもこれも美味しいよぉ」
褒める父さんと篤に対しては、にっこり笑っていて、何だかムッとする。何、この差は。
「どうでしょう、私をしばらくここに料理番として置いていただけませんか?」
はい?
今何を――?
「りょうり……ばん?」
聞きなれない言葉に父さんが聞き返している。
「ええ、日々の料理を私が作ります」
「そりゃあうちとしては願ったり叶ったりだが――」
「もちろん、お金はいただきません。ここに置いていただけるだけで十分です」
「しかし、無給と言うわけにも……あまり払えないが……」
「……父さん……」
あんまりお金に関する生々しい話を子供の前でしないで欲しい。
私はまだしも、篤は小学生なんだから。
「そういう話は後にして、今食事中」
「あ、ああすまん、ではテオ君話は後で」
冷凍室にあったという鶏は長く冷凍されてたとは思えないほど汁気もあって、皮はカリカリしてて確かに美味しかった。
これで冷蔵庫にちゃんと色々入ってたら、と思うとまともに食材を買ってなかった事にちょっと後悔した。
テオが用意してくれた夕食のパンだけはコンビニで買った食パンのままだったけど、まだ柔らかかったので鶏を挟んで二つ折りにするとチキンサンドみたいで美味しかった。
「やだ、クレープ美味しい。何、これ砂糖しかかかってないよね、なのにすごい、おかわりしたくらい」
「……姉ちゃん、デザートおかわりなんて普通しないから」
「え、しないの? クレープとか二枚くらい食べるでしょ、そんなに量ないし」
「……普通の女子高生はしないと思うよ」
篤に突っ込まれたが、甘い物は別腹って言うし別にいいじゃない。
「おかわり……あと、一枚くらいなら……」
台所に一度引っ込んで、出て来たテオの手にはフライパンがあり、そこに残ってた一枚をお皿に盛ってくれる。
「あ、ありがとうテオ」
「どうしたしまして、きちんと栄養のある美味しいものを食べて、良い血を作って下さい」
言い返したいことはあるけど、今はともかく目の前のデザートだった。
台所には小麦粉と砂糖はあったけど、それだけでこんなに美味しいクレープが出来るんだろうか。――作ったことがないから他に何がいるのかよく分からないけど。
それにしても、美味しい。
ほんのりと甘くて、砂糖のかかっている表面がうんと甘くて……ちょっとカラメルみたいな味もするから何枚でも食べられそうな感じ。
ちら、とテオを見ると満足気な顔をしてにやついていて、それがちょっと悔しいけど、美味しいのは確かで、見なかったことにする。
「明日の朝――と言いたいところですが、冷蔵庫が空になってしまいました」
ああ、うん。もともとほとんど入ってなかっただろうしね。
「この時間に開いてるスーパーとかありますか?」
「もう夜遅いから商店街は閉まってるし、コンビニくらいかな。ねぇ姉ちゃん」
篤が近所を思い出しながら言い、私に話しかける。
普段買い物なんてしたことないのに、私が知ってるわけないじゃないか。
「……確か……」
父さんがご馳走さまでしたとテオに言いながら席を立ち、新聞やチラシとか紙を重ねてある所でごそごそと何かを探している。
「おお、あった。ここは二十四時間スーパーという奴らしい」
一枚のチラシを手にして嬉しそうにテオに渡す。
「二十四時間営業ディスカウントストア、という奴で一度買い物に行きたいと思っててチラシをおいてあったんだ。このチラシだと生鮮食品も冷凍食品も色々あるらしい」
テオがまじまじとチラシを眺めて、嬉しそうに父さんに笑いかける。
「いいですね、これから言ってきたい気がしますが道はすぐに分かりますか?」
「明、ちょっとお前テオ君と一緒に……」
「僕行きたいっ、いいでしょ?」
「……私別に行きたくな……篤が行くならしょうがないなぁ、行くわよ、行けばいいんじょ?」
正直、こんな夜になってから買い物とか行きたくなかった。でも篤とテオだけ行かせるわけにもなぁって思うとしょうがない。ついでにお菓子でも買って来よう。
「明がいるなら少し余分に買っても大丈夫ですね」
荷物持ちかーっ、女子高生を何だと思ってるんだ。ちょっと……いやかなりイケメンだけど、サイテーよねっ。あ……でも……。
「テオ、お菓子他にも作れる?」
「そうですね、レシピさえあれば大抵のものは何とかなるかと……」
父さんの耳が興味ありげにぴくんと動いたのが見えた。
「本を買えばいい、材料費以外に本代も渡すから、その……」
「なら、チーズケーキ作って頂戴っ」
「僕はホットケーキ!」
「ニンニク醤油のからあげを……」
三人がそれぞれ作って欲しいものを口にする。父さん、それはおやつじゃなくておかず。
「父さん、ニンニクはまずいんじゃあ……」
「え、そうなのか? 私の好物なんだけど……ダメなのかな……」
残念そうにしゅんとなる父さんにテオがにっこり笑う。やっぱりどんな性格でもこの笑顔はいいなぁ、目の保養だ。
「大丈夫ですよ、ニンニク醤油味のからあげですね、明日本を買って来ますから明日の夕食はそれにしましょう」
「本当かい、テオ君。嬉しいなぁ、明日は夕飯が楽しみだよ」
何だかこんなに楽しそうな父さんも篤も見るのは久しぶりだ。
ひょっとしたら、母さんが生きてた時以来かも知れない。
そんな風な家族の団らんといった夕食は進み、父さんとテオが話をしている間にテオの為の部屋を片付けに篤と二人で使ってない一階の部屋に向かった。
部屋に入ると、物置みたいにしていたので段ボールの箱がいくつか積まれていて、箱の名前を見ながらこれは私の、これは篤、こっちは父さんの、といった感じでまずはそれぞれ廊下に積んでいく。
「布団……客用のがあったかな?」
ベットは余分がないからしばらくは布団で我慢してもらおう。
「姉ちゃん、吸血鬼っていっても普通の人とあんまり変わんないんだね」
部屋を片付け――とはいってもダンボール箱を部屋から出してしまえば後は掃除をするだけになっていて――、掃除機を用意しながら篤が言った。
「そうよね、にんにくも平気みたいだし、第一かなりのイケメンだし」
「ん、ああ……姉ちゃんはいい顔の男好きだよねー」
「当然でしょ、女は度胸、男は顔よ」
「……なんか違うような気がするんだけど」
軽口を叩きながら掃除も終わり、準備も出来た。
「父さーん、部屋出来たよー」
キッチンの二人に声をかけると、父さんがソファから立ち上がって、真剣な顔つきでこっちに来た。
「明、篤、テオ君が正式にうちの住み込み家政夫として家の事とかをしてくれる事になった」
「……テオが毎日ご飯作ってくれるんだ……」
今日のテオのありあわせで作ったという夕食に、これからの食生活をすごく期待してるようにキラキラした瞳でテオを見つめる。
「お給料の話とか終わったんだね」
正規の家政夫は今まで雇うことはなかった。
実は父さんの給料はそんなに安くはない、高くもないけど。普通の一般家庭くらいはある、と思う。
ただ、毎日の食費がかかる。朝・昼・晩とコンビニとかスーパーとかで買ったりして外食だったら……そりゃあ育ち盛りを二人も抱える我が家はエンゲル係数高いよね。
たばことかお酒を飲まなくても、そんな余裕はなかったはず。
それでも、母が亡くなってからというもの、まともな家庭料理があった事はない。
何度かは挑戦したものの、結果は散々たるもので……、私たち家族には料理の才能というものが欠片もなかった。
特に、私には料理の才能はない。
学校でやる調理実習でさえ、おまえはじっとしとけ、盛り付けて食べるだけでいいって二回目からは言われるんだ。
料理がすごく嫌いなわけじゃない、けど、出来たものは見かけはちゃんとしててもなぜか味がとてつもなく不味くなる。
レシピ通りに作っても、だ。
世間でいう味見しないからメシマズになるって類じゃない。
まだ見かけは酷いが味はいける、というような料理ならまだマシだったろうに。
それが証拠に実習以外のテストではいい点を取れてる。
「明、聞いてるか?」
「何、父さん?」
「テオ君の給料として月に200ミリリットルの血を分けてくれないか」
「へ?」
「テオ君は吸血鬼ということだから、それで家政夫としてしっかり働いてくれるそうだ。
炊事だけじゃない、洗濯や掃除もやってくれるということだ。もちろん買い物も」
「ええ――っ?」
テオの方を見ると、ちょっと頬を赤らめていて、申し訳なさそうに頭を下げられた。
「その、味も質も私が食事を作ることで改善されると思うし、それより明の血には付加価値があるから月にそれだけもらえればいい」
えーと、どういう意味かな。
「ゲロマズな血だけど月200ミリリットルで我慢してやるって?」
「そう、明の血にはそれだけの価値は十分ある、不味くてもな」
「ふ、ふざけんな――っ!」
「父さん、これでお昼の給食以外の食事もちゃんとしたものが食べられるんだねっ」
「ああ、篤。もうコンビニ弁当や出来合いの弁当からさよならだ。明とテオ君に感謝しような」
篤の嬉しそうな声がして、父さんの声も弾んでいた。
こんなに嬉しそうな二人は母さんが死んでから初めてみる。
「……くっ……し、仕方ないわね、献血を月に一度すると思えば……」
そう、たった200ミリリットル、献血してると思えば何のことはない。最近は400ミリリットルお願いしまーすとか言われるだけに、量的には献血より少ないくらいで大したことはない。
「わ、わかったわよ。月200ミリリットルね、よろしく頼むわ」
「ありがとう、来月の給血日には君の血を今より綺麗にしてみせるよ。それに起きてる間は他にも家の事はするから」
これは、ひょっとしたら、すごくいい買い物をしたのかも知れない。
たった200ミリリットルの血で家の事を全部任せていいなんて……、しかもイケメンだし。
「日よけになるようなものがあれば、買い物も任せてもらっていいよ」
ということは……、スーパーに行く為にダッシュで走って帰らなくてもいいってこと?
「明も篤も、これからは部活動とかしたいものしていいんだよ」
「うわーすごーい、ありがとう父さん、テオ」
憧れのクラブ活動、そういうのも出来るんだ、部に入らなくても友達と学校帰りにカフェに寄ったり、ショッピングしたりも出来るんだ……普通の女子高生としてやってけるんだ。
「これで……コンビニ弁当ばっかりとかじゃよくないって、焦げた炭みたいな野菜炒めとか、芯の固いご飯とかイカ墨でもないのに黒いパスタとかも食べなくてもいいんだね……」
篤が涙声で父さんにしがみ付いていた。
いや、その焦げた野菜炒めは父さん作だったような……。
「明日からがんばりますね」
泣いてる篤の頭を撫でながらテオが優しそうに言う。
そんな優しい瞳で頭を撫でる図って……鼻血が出そうに興奮する。
「テオ君の部屋は……さっき二人に片付けてもらったから」
「カーテンがあって薄暗く出来るならどんな部屋でも大丈夫です」
にこっと笑う顔は本当にイケメンで、ちょっとドキンとした。
「明、遮光カーテンをテオ君の部屋に急いでつけてくれ、じゃあ明日からもテオ君の手料理だ、よかったなぁ」
そんな感じで唐突に家政夫を雇うことになって、私たちは栄養の偏ったコンビニ弁当と外食、父さんの作る不味い食事から解放されることになった。
吸血鬼といったって、毎晩血を吸うのに襲われるということもなさそうだし、イケメンだし、料理の腕はあんなほとんど無いに近い材料から美味しい夕食を作れるぐらいだから、おおいに期待させてもらうことにしよう。
月に200ミリリットルだけという破格の賃金で家政夫を雇えるなんて、ありがとう、ばぁちゃん。
そうやって家族皆で喜んでいると、バタリと倒れる音がした。
「テオ?」
床にテオが突っ伏していた、さっきまで元気そうだったのに。
「あ、そういえば僕からっからに干からびそうなテオを助けたんだっけ」
そういえば篤が淹れた薄い紅茶も口をつけてなかった。
「水でいいのかなぁ……?」
「えっと……やっぱこういう時は血?」
篤が言うや否や、人差し指をテーブルの上に乗った果物ナイフで切った。
ポタポタと少しずつ血が流れてその指をテオの唇の上に持っていくと滴り落ちて、テオの唇が赤く染まる。
赤く染まった唇が動いて篤の指を咥えると、テオの白い喉がこくりと鳴った。
「テオ、大丈夫?」
「何だか……不思議な味がします……処女血ほどではないけど甘い匂いがして……。でもさっきの明の血よりは飲める味でした」
つまりは篤の血も不味いけど、私の血よりはマシって?
「あはは、僕の血でしたー」
指をハンカチで押さえながら篤が笑う、こいつは緊張感のない……。
「……いくらある意味処女血でも、男の血はやっぱりちょっと……」
「ある意味処女血って?」
「篤、聞くな」
父さんが篤を引っ張って聞かせないようにして、傷の手当をする。
「あー……うん、確かにある意味かな……って不潔――っ!」
自分の言った意味が改めて分かってしまって、顔が赤くなってしまう。
「父さん、教育上悪いよ、やっぱりテオは変態だーっ」
「明、格安の家政夫なんだから多少の不具合はあるよ……そこは我慢だ」
「父さん……」
娘と息子が変態と毎日一緒でもいいのかと思うが、そんな多少の不具合で済むんだろうか。
「まぁ、炭みたいな焼肉とかよりはいいか……」
その時は今日の夕食より美味しいといいなぁ、と思ったが、そんな予想を遥かに上回る料理をこれから味わうことになるとは、その時は分からなかった。
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