サイコパスハンター零

戸影絵麻

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第5章 百合はまだ世界を知らない

#36 対決②

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 雨戸を叩く激しい雨の音に目を覚ますと、非常灯の明かりの下、血にまみれた布団が目に飛び込んできた。

 布団から突き出た白い腕。

 空をつかむように指を折り曲げたそれは、まぎれもなく母の手だ。
 
 雨戸の隙間で稲妻が走り、部屋の中が一瞬真昼のように明るくなった。

 青白い光が照らし出したのは、布団の上に折り重なって息絶えた父と母の姿だった。

 杏里は懸命に這った。

 闇の奥で何かが動いている。
 
 本能的に、次は自分の番だ、と思った。

 感情がマヒしてしまったのか、両親を失った悲しみよりも、原初の恐怖が杏里の全身を支配してしまっていた。

 黒い影が膨れ上がった。
 
 部屋の片隅に蹲った杏里の元に、銀色に光る刃が迫る。

 両縁がギザギザになった、脂と血にまみれたおぞましい凶器が近づいてくる。

 声にならぬ声を上げ、その後ろで、丸い口が嗤っている。

 まるで闇そのものが、心の底から嬉しそうに笑っているかのように。

 次の瞬間、右の脇腹に焼けるような激痛を覚え、杏里は喉も枯れよとばかりに絶叫した。


「大丈夫か?」
 声がした。
 額に温かい感触。
 うっすらと目を開くと、アーモンド形のふたつの眸が、逆さまに杏里をのぞき込んでいた。
「ひどくうなされていたが」
 杏里の頬を手のひらでなぞり、零が言った。
「夢…?」
 杏里は物憂げにソファの上に身を起こした。
 久しぶりに見てしまった。
 幼い頃の、あの封印したはずの記憶。
 父と母の最期の姿…。
 どうしてだろう?
 なぜ、今頃?
 ごしごしと両手で顔をこすった。
 眠る前に見ていたものが、潜在意識の奥の何かを刺激したのだろうか。
 智慧の蛇教団、来栖重人の来歴が…。
 でも、あの短い記録の中に、私に関連する要素が含まれていたとは、とても思えない。
 だいいち私は、今回の事件が起こるまで、来栖重人はおろか、智慧の蛇教団の存在すら知らなかったのだ…。
「大丈夫か? 何か私にできることはあるか?」
 もう一度、零が訊いた。
 月半ばで月齢の高いこの時期は、零もやさしくなる。
「ううん、なんでもない。でも、何か飲み物がほしいかな」
 ソファに座り直すと、杏里はゆるゆるとかぶりを振った。
「あの時の夢か」
 冷蔵庫からペットボトルを手に戻ってきて、零が訊く。
 その時になって初めて、杏里は零があの”戦闘服”を着ていることに気づいて、ぎょっとなった。
 黒地に木の葉の模様を散らした、あの丈の短い着物である。
 浴衣に似ているが、手足が長くスタイルのいい零が着ると、ひどくセクシーに見える。
「まあね。どうしてだか、久しぶりに見ちゃったよ」
「これのせいだろう」
 零が顎で示したのは、テーブルの上のPCの画面である。
 どうやらつけっ放しで眠ってしまったらしい。
「どういうこと?」
 興味をそそられ、杏里は身を乗り出した。
「この男の出身地、三重県のT郡は、海女で有名な土地柄だ。そして、八百比丘尼伝説の残る漁村でもある」
「八百比丘尼?」
「おまえが知らないはずないだろう? 人魚だよ」
 杏里は答えず、そっと肩を腕で抱きしめた。
 そう来たか…。
 杏里に幼少時の記憶は、あの夢以外、ほとんどない。
 自分がどこで生まれたのかも、もちろん知らない。
 物心つく頃には、神戸の施設にいた。
 そこで中学生時代まで過ごし、高校進学とともに、養子を求めてやってきた養母に引き取られた。
 その養母も他界して久しい今、自分の過去をさかのぼる手掛かりは何もない。
 でもまさか、私の原点が栗栖重人とリンクしているなんて…。
 そんなこと、あるはずがない。
「そういう零こそ、どこに行ってたの?」
 零から渡されたスポーツドリンクを一気に3分の1ほど飲み干すと、小さくげっぷを漏らして杏里はたずねた。
 是が非でも、話題を、変えたかったからである。
「マヨヒガ」
 杏里の顔を正面から見つめ、零が答えた。
「お館さまの蔵書を見せてもらってきた。あそこには、日本全国の伝承が記録されているから」
「それで…八百比丘尼?」
「そうだ。どうやらおまえと興味の方向が、偶然一致したらしい」
 結局、矛先はそこに戻ってきてしまうようだ。
「だとすると、どういうことになるの?」 
「事件なんだろう?」
 それには答えず、零が訊き返してきた。
「だからこんな時間に家にいる。私を呼んで来いと、おっさんに言われたか」
「うん。途中で寝ちゃったけど」
「起こったのは、いつだ」
「ゆうべ遅くから今朝にかけて。被害者は女子中学生。静香さんと同じく、1か月前に陣内摩耶の心臓移植手術を受けてるわ」
「死体の状況は?」
「それも静香さんの時と同じ。きれいさっぱり、内蔵がなくなっていた。ヤチカさんは、死体のおなかは内側から喰い破られたんじゃないかって」
「あの女、なかなかの切れ者だな」
 零が珍しく他人を褒めた。
 人間嫌いの零には稀有のことだ。
「そろそろ日が暮れる。おまえの準備が整ったら、出かけよう」
「署まで来てくれるの?」
「そんな暇はない」
 カーテンからのぞく宵闇を眺めながら、零が言った。
「決まってるだろう? 犯人を捕まえに行くんだよ」
 






 
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