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第5章 百合はまだ世界を知らない
#37 対決⓷
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「おっさんが色々言ってくるだろうが、携帯には出るな。すべて終わるまで放っておけ」
杏里の愛車、ココアの助手席に滑り込むと、高く足を組んで零が言った。
「そんなこと言ったって…」
裏の駐車場から表通りに車を回し、慎重に左右の安全を確認すると、杏里はアクセルを踏み込んだ。
時刻は夜の7時すぎ。
国道を突っ走ってくる対向車のライトがまぶしい。
「現場は団地なんだろう? そんなところにむさくるしい男たちがわんさと集まってきてみろ。警戒して犯人は出てこないに決まってる」
車が揺れるたびに、零の浴衣型戦闘服の袂で金属音がする。
苦無をそこに忍ばせているからだろう。
「じゃあ、零は、犯人が犯行現場に戻ってくると、そう思ってるわけ?」
「ああ。前の事件の時もそうだっただろ? だいたい、それを目撃したのは杏里じゃないか」
「え? 私が?」
もしかして、と思う。
零が言っているのは、あの公園の人影のことだろうか?
子犬を入れる籐の箱みたいなものを抱えた、黒い影…。
「来るとしたら、今晩だ。間に合ってくれるといいが」
零は腕組みして、半眼になった眼で対向車のヘッドライトの渦を見つめている。
「どうしてそんなことがわかるの?」
若い女が運転している軽自動車をからかうのが面白いのか、大型車が次々にあおり運転をしかけてくる。
こんな時でなければ、停車を命じて逮捕してやるんだけど。
歯を食いしばって、後続車をやり過ごしながら、杏里はたずねた。
「回収する必要があるからさ」
さも当然といった口調で、零が答える。
「あれは独力ではそう遠くへは行けまい。ならば保護する者がいるはずだ」
「あれって? やっぱり、犯人は外道?」
人間社会に潜む、人にあらざる者たち。
ここのところ、杏里の遭遇する事件は、外道の絡むものばかりだ。
「さあ、どうだかな」
零はそれ以上答える気はないようだ。
「それより、さっきPCで調べてたあの男のことだけど」
すぐに話題を変えてきた。
「里の書庫で古文書を漁ってたら、グノーシスとのつながりが見えてきた」
零は杏里が倉田家から借りてきた智慧の蛇教団の本を読んでいる。
グノーシス主義についても、話してあった。
「古文書? 重人のグノーシス思想は、大学を中退して、ヨーロッパを放浪した時に身につけたものでしょう?」
「いや、むしろ逆だと思う。重人の故郷、三重県のT郡は、江戸時代以降、『語り衆』と呼ばれる隠れキリシタンの潜伏地だったらしい。1637年の島原・天草一揆。その残党が長崎から三重まで落ちのびてきたというわけだ」
「隠れキリシタン? 語り衆?」
きょうの零は、いつになく博学である。
どちらかというと、身体能力で勝負といった感の強い零にしては、珍しいことだ。
「かたりしゅう、と聞いて、何か思い浮かばないか? 教団の本にも出ていたぞ」
「うーん、あんまりバカバカしいから、あの本、しっかり読んでないんだよね」
それどころか、すでにタイトルすら忘れてしまっている。
「しょうがないな。それじゃ、刑事失格だろ」
「んもう、言わないでよ。こっちも色々忙しかったんだから! で、その語り衆がどうしたの?」
「中世南フランスを拠点としたキリスト教異端に、カタリ派というのがあったのさ。この世はサタンがつくったと信じる、グノーシスの流れを汲む一派だ。キリスト教伝来とともに、そうした異端も日本に渡ってきていた。その可能性は十分にある」
「つまり、語り衆とは、カタリ派のこと…?」
「そう。だから、重人は幼い頃からグノーシスの教えになじんでいた。ヨーロッパに行ったのは、そのルーツをたどるためだったんじゃないかな。向こうで出会ったのではなく、その教義についてより深く知るための渡航だったとすれば…」
「この世は、サタンによって、つくられた…」
ぞっとしない教義である。
だとすれば、外道たちは文字通りサタンの申し子ということになる。
杏里は、ネットに出ていた来栖重人の肖像写真を脳裏に思い浮かべた。
非暴力・非服従運動で有名な、インドの指導者ガンジーを連想させる、どこか悲しそうな顔をした、痩せさばらえた老人だった。
「そして、もうひとつ大きな謎がある」
考え込んでいると、唐突に零が言った。
「T郡は人魚伝説の土地でもある。もし重人が、杏里、おまえのように、人魚の血を引く不死者だったのだとしたら、1年前になぜ死んだのかということだ。人魚の子孫は死にたくても死ねない。それは杏里、おまえが一番よく知っているはずだ。なのに死んだ。これはいったい、どういうことだ?」
杏里の愛車、ココアの助手席に滑り込むと、高く足を組んで零が言った。
「そんなこと言ったって…」
裏の駐車場から表通りに車を回し、慎重に左右の安全を確認すると、杏里はアクセルを踏み込んだ。
時刻は夜の7時すぎ。
国道を突っ走ってくる対向車のライトがまぶしい。
「現場は団地なんだろう? そんなところにむさくるしい男たちがわんさと集まってきてみろ。警戒して犯人は出てこないに決まってる」
車が揺れるたびに、零の浴衣型戦闘服の袂で金属音がする。
苦無をそこに忍ばせているからだろう。
「じゃあ、零は、犯人が犯行現場に戻ってくると、そう思ってるわけ?」
「ああ。前の事件の時もそうだっただろ? だいたい、それを目撃したのは杏里じゃないか」
「え? 私が?」
もしかして、と思う。
零が言っているのは、あの公園の人影のことだろうか?
子犬を入れる籐の箱みたいなものを抱えた、黒い影…。
「来るとしたら、今晩だ。間に合ってくれるといいが」
零は腕組みして、半眼になった眼で対向車のヘッドライトの渦を見つめている。
「どうしてそんなことがわかるの?」
若い女が運転している軽自動車をからかうのが面白いのか、大型車が次々にあおり運転をしかけてくる。
こんな時でなければ、停車を命じて逮捕してやるんだけど。
歯を食いしばって、後続車をやり過ごしながら、杏里はたずねた。
「回収する必要があるからさ」
さも当然といった口調で、零が答える。
「あれは独力ではそう遠くへは行けまい。ならば保護する者がいるはずだ」
「あれって? やっぱり、犯人は外道?」
人間社会に潜む、人にあらざる者たち。
ここのところ、杏里の遭遇する事件は、外道の絡むものばかりだ。
「さあ、どうだかな」
零はそれ以上答える気はないようだ。
「それより、さっきPCで調べてたあの男のことだけど」
すぐに話題を変えてきた。
「里の書庫で古文書を漁ってたら、グノーシスとのつながりが見えてきた」
零は杏里が倉田家から借りてきた智慧の蛇教団の本を読んでいる。
グノーシス主義についても、話してあった。
「古文書? 重人のグノーシス思想は、大学を中退して、ヨーロッパを放浪した時に身につけたものでしょう?」
「いや、むしろ逆だと思う。重人の故郷、三重県のT郡は、江戸時代以降、『語り衆』と呼ばれる隠れキリシタンの潜伏地だったらしい。1637年の島原・天草一揆。その残党が長崎から三重まで落ちのびてきたというわけだ」
「隠れキリシタン? 語り衆?」
きょうの零は、いつになく博学である。
どちらかというと、身体能力で勝負といった感の強い零にしては、珍しいことだ。
「かたりしゅう、と聞いて、何か思い浮かばないか? 教団の本にも出ていたぞ」
「うーん、あんまりバカバカしいから、あの本、しっかり読んでないんだよね」
それどころか、すでにタイトルすら忘れてしまっている。
「しょうがないな。それじゃ、刑事失格だろ」
「んもう、言わないでよ。こっちも色々忙しかったんだから! で、その語り衆がどうしたの?」
「中世南フランスを拠点としたキリスト教異端に、カタリ派というのがあったのさ。この世はサタンがつくったと信じる、グノーシスの流れを汲む一派だ。キリスト教伝来とともに、そうした異端も日本に渡ってきていた。その可能性は十分にある」
「つまり、語り衆とは、カタリ派のこと…?」
「そう。だから、重人は幼い頃からグノーシスの教えになじんでいた。ヨーロッパに行ったのは、そのルーツをたどるためだったんじゃないかな。向こうで出会ったのではなく、その教義についてより深く知るための渡航だったとすれば…」
「この世は、サタンによって、つくられた…」
ぞっとしない教義である。
だとすれば、外道たちは文字通りサタンの申し子ということになる。
杏里は、ネットに出ていた来栖重人の肖像写真を脳裏に思い浮かべた。
非暴力・非服従運動で有名な、インドの指導者ガンジーを連想させる、どこか悲しそうな顔をした、痩せさばらえた老人だった。
「そして、もうひとつ大きな謎がある」
考え込んでいると、唐突に零が言った。
「T郡は人魚伝説の土地でもある。もし重人が、杏里、おまえのように、人魚の血を引く不死者だったのだとしたら、1年前になぜ死んだのかということだ。人魚の子孫は死にたくても死ねない。それは杏里、おまえが一番よく知っているはずだ。なのに死んだ。これはいったい、どういうことだ?」
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