ドーナツの向こう側には大好きなあなたの笑顔

雨森 千佳

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第三話

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「おはようございます。配達です」

 魔導士養成所は、今日も子供達の声で賑やかだ。食堂の裏手にいた料理人に頭を下げる。
 料理人は、とても綺麗な女性との世間話を切り上げ、リーアに向けて手を上げた。

「ごくろうさん。そこに置いといてくれ。先生、噂のパン屋だよ」

 料理人の隣で、女性が嬉しそうに微笑んだ。まるで大輪の花が咲いたようだ。あまりに綺麗で、同性であるリーアもどぎまぎしてしまう。
 同じ金色の髪のはずなのに、先生と呼ばれた女性の方はドレスに縫われる金糸のように美しい。優しげな目が真っ直ぐリーアを見つめるものだから、リーアの心臓は少し忙しかった。

「いつも生徒達に美味しいパンを届けてくれてありがとう。教師の間でも、よく話題にあがるの。今度、お店に伺いますね」
「あ、ありがとうございます。お待ちしています」

 ありがたくて嬉しい言葉だったが、この女性が店に来ている様子を想像すると、なかなかおかしなものだった。
 大衆向けのパン屋で、所作から髪の一本まで洗練された美人がパンを買う。何ともちぐはぐだ。
 心をほぐすような控えめで上品な花の香りの香水も、パンとドーナツの匂いに吹き飛ばされてしまいそうだ。もし、自分の身に染み込んでいるようなドーナツの匂いがこの女性に染みついたら……とても申し訳ない気持ちになりそうだった。この女性自身と、この女性に癒されている周囲の人々に対して。

「あら、カイ先生」

 女性の声に、リーアはびくりと肩を震わせた。
 なんて間の悪い。
 別世界の住人のようなこの女性と並んだ自分は、一体どんな風に彼の目に映るだろうか。リーアは恥ずかしさで頬が熱くなった。

「この間お裾分けしてくださったドーナツのパン屋さんと、ちょうどお話していたんですよ。次はお店で買いたいと思って」
「そう……なんですか」
「とても美味しかったから、あの味が忘れられなくて。またカイ先生の分を頂いたら、先生も困るでしょう?」

 ふふ、と少女のように可愛らしく笑う女性に、カイは照れたように頬をかいた。
 こんな素敵な女性なのだ。彼女に想いを寄せる男性はきっとたくさんいるだろう。
 カイだってきっと。

 リーアは視線を地面へと落とした。これ以上彼の顔を見たくなかった。
 そして、今の自分の顔も見てほしくなかった。

「し、失礼します」

 一礼して、リーアはそそくさとその場を後にした。カイが名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、きっと幻聴だろう。この状況で、彼が自分を呼び止める理由などないはずだ。
 カイは、あの女性とどんな風にリーアの作ったドーナツを食べたのだろう。
 彼は、いつもサンドイッチとドーナツを一つずつ買っていく。だから、きっとドーナツを二人で分け合ったのだ。
 肩を並べて座りながら、仲良く食べたのだろうか。美味しいね、なんて微笑みあいながら? それとも、難しい魔法の話でもしながら?

(あの人が私のドーナツを気に入ってくれたなら良かったわ。だって、もしかしたら常連さんになってくれるかもしれないもの。そしたら店としては万々歳だわ)

 そう自分に言い聞かせる。
 だが、心は上手く誘導されてくれなかった。
 一日ドーナツを揚げた後の油のように、心が汚くどろどろになってしまった気がした。

 もっと早くにこの想いを捨てるべきだったのだ。リーアは痛感した。
 幼い頃一緒に過ごしていたとはいえ、今では住む世界が違う。彼は魔導士で、教師になれるほど努力家で頭もいいのだ。そんな彼の周りには、素敵な女性がたくさんいる。そして、カイが誰と恋をしようと、リーアには関係ない話だった。家族でもなく、恋人でもなく、今では友人とすら呼べない間柄なのだから。
 いつまでも過去の関係に引きずられ、淡い期待を抱いていたのは愚かだった。自分では何も行動に移さないくせに。
 昔も今も、リーアは臆病だった。はっきり想いを告げて、拒絶されることを恐れている。そして恐れている内に、色んなことが駄目になっていく。
 まるで過発酵のパンのようだ。
 リーアは大きく息を吐き出した。努力しなければ、目から雫が零れ落ちそうだった。

 大きな音を立てて、空っぽになった台車を転がす。
 普段であれば、このまま店へ戻るところだ。だが、到底そんな気にはなれなかった。こんな顔で帰ったら、何かあったのかと両親に無駄な心配をかけてしまうだろう。別に何があったわけでもない。いまさら現実を直視して、一人で勝手に落ち込んでいるだけなのに。

 リーアは店へ続く道を逸れ、近くにある森へと向かった。
 すぐに店へ戻らないのであれば、折角だからジャム用の果物をとって帰ろう。それなら仕事をさぼっていることにもならない。そう考えたのだ。幸い台車もあるので、たくさん持って帰ることができる。

(お祭り用の試作品も作らないといけないし、いつもより多めに貰おうかな)

 石畳の上をガタガタと進んでいた台車の車輪が、土の道に入ると少し大人しくなる。
 ひと気のない道に木漏れ日が差し込んでいる。深呼吸すると、街中より少しひんやりした空気が肺の中を満たして心地よかった。
 リーアは台車を停め、森に分け入った。
 この辺りは子供の頃からよく入っているので、彼女にとっては庭のようなものだ。木の実が生れば、カイの魔法で枝の上によく上げてもらった。

 リーアは首を振った。
 過去のことだと割り切っているならともかく、未練がましく思い出すのはやめるべきだ。

(いい想い出として残して、もう諦めよう。ぐずぐずと何もしなかった私が悪いんだから。カイは悪くないのに、無愛想にしてしまったのもよくなかったわ)

 明日からはちゃんとしようと心に決める。
 低木に生っている赤い実を一つずつもぎながら、リーアは祭りのことを考えた。喫茶店の女店主が言っていたように、ドーナツも祭り用に華やかなものにしよう。食べ歩きのことを考えれば、練り込むのがいいだろうか。それともジャムにしてサンドしようか。
 仕事をしたり、ドーナツのことを考えている時は、余計な感情に捕らわれなくて済む。
 リーアはこの仕事が好きだった。
 冬は水が冷たいし、夏はオーブンや油の前はものすごい熱気だ。時には失敗することもあるし、売れ行きが良くない日もある。それでもきれいに出来上がったものを並べると気分が高揚するし、お客さんの「美味しかった」の一言で満たされるのだ。

(そうよ。もっと仕事に身を入れよう。やれることはいくらでもあるんだから。夏場にも好まれるものを考えたり、雨の日でも美味しく食べられるように工夫したり)

 少しずつ調子が戻ってきた。もう、誰が見てもいつものリーアだろう。
 台車と森の中を何度か行き来して、赤い実も大分集まった。
 そろそろ店へ戻ろう。そう思って台車の中に赤い実を入れていると、ふと動くものが視界の端に映った。
 小動物か、それとも近所の誰かだろうかと思って顔を上げる。そして目にしたものが何か分かって、リーアは小さく息を飲んだ。心臓が一つ跳ねる。

 カイが、周囲をきょろきょろと見回しながら歩いてくる。
 リーアは慌てて森の中へ駆け込んだ。

(偶然よ。別に、私には関係ないわ)

 それなら知らぬふりをして台車を押して帰れば良かったのに、彼女は混乱していて心と体がちぐはぐだった。
 なぜか目は隠れる場所を探し、足が右往左往する。そして血迷ったのか、彼女の体は木登りを始めた。
 木登りなんて、もう十年以上していない。
 高い木の枝の実をとる時は、近所の子供達に手伝ってもらうか、父親に梯子を使ってとってもらっていた。
 だから、ほんの少し登ったところで、リーアは足を滑らせて地面へと逆戻りした。
 尻を強か打つ。
 痛みに呻きながら、立ち上がろうと地面に手をついたところで――青い瞳と目が合った。
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