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王都ルミエラ編

14話 私の名はオリヴィエ・ボーヴォワールという。

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 私の名はオリヴィエ・ボーヴォワールという。アウスリゼ王国にて宰相職をいただいている。

 幼少期から、この国のために身を捧げるのだ、と考えて生きてきた。それはかつて財務官であり、ことのほか私のことを可愛がってくれていた亡き叔父の影響によるものだと思う。
 彼は繰り返し王国とその義について語り、平和と安寧がいかにもろく崩れやすいか、そして崩すのは易く建てるのには万の努力が必要であることを私に説いた。私はその言葉を幼い心に刻んだ。
 しかし、それと思い立って現職を望んだのは、十四のときだ。
 叔父が、死んだ。

 叔父はまるで酒を嗜まない人だったが、寒い冬のある日、街の暗がりで凍えて亡くなっている姿で見つかった。近くには度数の高い空の酒瓶が落ちてあり、周囲の状況に不審な点もないとみなされ、自殺、と処理された。

 納得が行かなかった。

 次の月に博物館へ行こうと約束していた。外国から珍しい展示物がやってくるからだ。それに、新しく家の近くにできた菓子屋の限定品が食べたいが、なかなか手に入らない、いつか食べてやるとぼやいていた。楽しみにしている推理小説の新刊も予約していたはずだ。なによりも。奥方は? 身重の奥方がいらした。彼女とまだ見ぬ子どもを残して、なぜ、なぜ自ら命を断つというのだ。あり得ない。私は声高に抗議したが、誰も彼も痛まし気に首を振るだけだった。
 そう、私の声に力などなかった。

 産み月のあるとき、叔母は私を呼びつけ、一冊の分厚い帳面を手渡してきた。

「あの人の、仇を取って」

 叔母もまた、夫の死の理由を納得などしていなかった。そして、確信していた。他殺だと。
 彼女は産褥で亡くなった。どこかしらそれを予期していたようにも思う。残された男の子は叔父の名を取ってテオフィルと呼ばれ、戸籍上では私の弟として引き取られた。可愛かった。

 私は託された帳面を紐解いた。叔父の筆跡で、日々のとりとめのないことが綴られていて、たびたび自分の名が出てくることに泣いた。
 そして、ある日からそれは、よくわからない数字の書付けへと変わっていった。直感的に、それは叔父が関わった職務上の数字ではないかと思った。子どもの私が閲覧可能な資料に照合すると、叔父の所管ではない軍事省の、前年度特別会計に似通っているように思えた。
 最後の書付けは、『戦わなければ』。
 私は、その言葉の意味を見出すため、国立行政学院へ入校し、やがて高級官僚になった。

 そして、あるだろうと睨んでいた不正を見つけたのは、私が二十三のとき。折しもリシャール殿下が遊学を終えて帰国したころだった。
 当時軍部は神聖視され、私のような根っからの文人はいくらか劣ったもののように思われていた。アウスリゼは、その王国建国記の中に残る軍事記録に見るように、武によって成った歴史があるからだ。男であれば剣を持て。そうあるように教えられ、実際に私の兄は騎士として国に登録されている。

「僕さあ、ああいう汗臭いの嫌いなんだよねえ」

 そうリシャール殿下が私にささやいた。そして静かに付け加える。

「もう少し、待ちなよ。どうせなら派手にやろう?」

 そして、二年を費やして告発の準備をした。リシャール殿下は私を祀り上げ、本当に派手な舞台を用意し、私の積年の無念を晴らさせてくれた。

 リシャール殿下の立太子の儀という、おおよそ似つかわしくない場。
 今でも語り草になっているが、殿下の前口上、そしてそれに続く私の口によってつまびらかにされた、当時の将軍による積年の不正会計に端を発する様々な罪状。
 まるで演劇を見ているようだった、と言われたものだ。たしかに、多少の演技力は必要だった。

 叔父を殺害した者も自白により直にあきらかになり、処罰された。叔父に誓うように一切口にしていなかった酒を、その日は飲んだ。

 軍部は、変わった。リシャール殿下がそれを為したが、主導したのは私ということにされてしまった。そして、わたしは最年少宰相と呼ばれるに至った。

「君に、恩を売りたくて」

 理由を聞いたら、そうあっさりと白状したものだ。不覚にも笑ってしまったが、その目が真剣なものであることはわかっていた。

「僕を、裏切るな」

 そのとき、私は仕える主をリシャール殿下と定めた。それからもう三年になる。

 王杯が、それまでと異なる様相を見せたのは、半年ほど前だった。
 祭事を扱う典礼省から急使がやって来た。王杯が『色』を変えたというのだ。
 それが意味するところは、次代の選定。アウスリゼ王国が成立したときに用いられた杯は、その血筋の中で誰が王にふさわしい者かを見極める神器だ。
 急ぎ、リシャール殿下をはじめ、アウスリゼ王国の血の濃い者が集められ、内々の儀式が執り行われた。
 もちろん私はその場に居合わせなかったが、届けられた報せは耳を疑うものだった。

 ――王杯は、リシャール殿下と、マディア公クロヴィス・ジャルベールを指した、というのだ。

 一笑に付して、私はリシャール殿下の元へ行った。しかし言葉より雄弁に、その蒼白な顔が事実を告げていた。リシャール殿下は笑った。そして私に告げる。

「僕を、裏切るな」

 その場で膝を着き、私は忠誠を誓った。あなたこそ私の王です、と。

「ヘタなセリフだね。君もうちょっと三文小説とか読んだ方がいいよ」

 二度目の主従の盃を交わした。生きている限り、何度でも交わそう。そう思っている。

 情勢は、良くはない。国内が二分されてしまった。内乱になることがないよう、水面下での微妙な調整が日々行われている。
 マディア公は、王杯の指した者のひとりとして、自分の義を主張している。数年前の軍部の大改革を良くは思っていない者も多くいて、それらの人々がそちらに耳を傾けているのが現状だ。

 群衆は私たちを、両陣営を観察している。なにを為し、なにを叫ぶかを。
 私は、変わらない。私は、リシャール殿下を裏切らない。――たとえ実の兄が、マディア公の元に下ったとしても。

「ねえ、オリヴィエ。これ読んでみてよ」

 先週、実に楽しそうに、けれど全く笑っていない瞳でリシャール殿下が私に差し出したのは、十六枚からなる便箋。子どものような筆跡による『反省文』と題された書類だった。

 一読し、私は言葉を失った。

 三年前に大々的に編成され直し、今もまだ細かな調整がなされている軍の、部隊の数に言及されていたのだ。
 こうして国内が分かたれている中で、機密事項でも最重要とされるものだ。

「なんだか異国人みたいなんだけどさあ。とりあえず呼びつけてみたー。僕が尋問するねー」
「危険です、なぜあなたが!」
「いやあ、クロヴィスの手の内の者としてはお粗末すぎでしょ? なんか女の子らしいし、会ってみようかなあって」
「こんなときにあなたは……」
「外国からの支援の申し出かもしれないじゃん? まどろっこしいけど、おまえらの手の内はこんだけ見え見えだぞって、忠告してくれたのかも」
「だからといってあなたが出る必要はない!」
「だってさー、バルテレミー将軍なんか殺る気まんまんだったよ? 僕の扱いにしなきゃ、話聞く前に即断頭だって。今この時期に、僕の印象悪くしたくないんですけどー」

 言いくるめられた。そして、私もその場に踏み込み、当該人物が倒れるところを目撃した。

 最初は自害したのかと思ったが、持病の発作らしい。怪しいところだらけで、けれどなにも出てこない人物で、私の強い要請により、諜報員を張り付けることになった。必ず定期的に報告させているが、今のところ尻尾を掴ませないようだ。

「宰相殿ー、今日の報告でっす」

 夜半に私の自宅の部屋に音もなく現れたのは、リシャール殿下が帰国時に連れ帰ってきた腕利きの諜報員だ。殿下にお仕えしているのが私より長く、信頼の置ける人物だが、軽薄な性格はいただけない。

「ソノコちゃんですねー、明日からバイトすることになりましたー。交通量調査。中央区の三十六号地区のアルシェ通り。俺もついていってきまーす」

 へらへらとした男の言葉が飲み込めなくて、「もう一度言ってくれ」と私は述べた。
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