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32:海辺の町へ

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ニルダは馬車の窓から外を眺めた。今日はよく晴れていて、馬車の窓から入ってくる風が心地いい。今日も朝から日差しが強くて暑いので、移動している馬車内の方が過ごしやすいくらいだ。ニルダは機嫌よく小さく口角を上げ、チラッと向かい側の座席で項垂れているセベリノを見た。


「このクソ暑いのに窓なんて閉めたら死んじゃうじゃないか……盲点だった……」


馬車乗り場で予約していた馬車に乗り込むまでは、なにやら緊張して挙動不審だったのに、馬車に乗り込んで小半時もすれば、セベリノは無言で窓を開けて項垂れ始めた。聞けば、この馬車は防音性が高く、有り体に言えば、移動中にセックスをしてもいいという代物らしい。しかし、その防音性も窓を閉めてカーテンをしていることが前提だ。窓を開けたら、声が外に丸聞こえになる。何より、今日は朝から本当に暑い。馬車自体は然程広くもないので、窓から風が入ってきていても普通に暑い。こんな暑い空間でセックスなんてしたら、間違いなく倒れそうだ。せめてニルダの隣に座ってくっつく……と、最初はセベリノがニルダのすぐ隣に座っていたが、やはりこれも少し前に暑すぎて諦めていた。セベリノは、今は大人しく向かい側の座席に座っている。セベリノはそんなに暑さに強い方じゃない。セベリノは予想していなかった事態に、ギリギリと悔しそうな顔をしている。そんなに馬車内でセックスがしたかったのかと聞けば、『ニーとひたすらイチャイチャしたかっただけです』と言われた。恥ずかしがり屋なところがあるセベリノのストレートな願望に、ニルダは嬉しくなって、セベリノの頭を撫で回した。

項垂れていたセベリノが顔を上げ、パァンッと自分の頬を両手で叩いた。


「よし。切り替えます。馬車でイチャイチャ大作戦は頓挫しましたが、旅行は始まったばかりです」

「あぁ」

「レモン水を飲みますか。風が多少はありますけど、暑いですし。ちゃんと水筒を用意してますよ」

「ん」

「お昼過ぎには到着予定ですから、着いたら、まずは町の観光案内所に行きましょうか。飲食店や土産物屋のパンフレットが貰えるらしいです。折角ですから、一緒に美味しいものを食べましょうね」

「ん。セーベ」

「はい?」


頭を切り替えたのか、楽しそうな笑みを浮かべたセベリノを手招きして、きょとんとしながらも素直に身体を前に倒して近寄ってきたセベリノの手を握り、ニルダも身体を前に倒して、セベリノの唇に触れるだけのキスをした。
セベリノがパチパチと瞬きをした後、一瞬で真っ赤になった。


「ニ、ニー!此処は外です!」

「馬車の中」

「ま、窓全開じゃないですか」

「問題ない」

「問題ありまくりですよ」


何故だか、ものすごく照れ始めたセベリノに、ニルダは首を傾げた。その馬車の中でセックスをするつもりだったのはセベリノなのだが、何故キスでこんなに顔を赤くするのだろうか。もしや、馬車内が暑すぎるのだろうか。ニルダは少し心配になって、右手はセベリノの手を握ったまま、左手でセベリノの額や頬を撫でた。かなり熱いが、本当に大丈夫なのだろうか。一度馬車を止めて休憩した方がいいのではないだろうか。


「セーベ」

「……はい」

「休憩」

「ん?」

「熱い」

「……誰のせいだと……んんっ。大丈夫です。問題ありません」

「本当か」

「本当です。体調に変化があれば、ちゃんと言います」

「ん」

「……もう一回……」

「ん?」

「も、もう一回、キスしてくれたら、すごく元気になります」


セベリノがニルダから目を逸らしながら、早口で言い切った。ニルダはきょとんとしてから、小さく吹き出し、笑いながらセベリノの唇に自分の唇を重ね、セベリノの下唇を優しい吸った。


「セックスは夜」

「……はい」


セベリノが照れたようにはにかんで笑った。隣にくっついて座るのは流石に暑いが、手を繋ぐくらいなら全然大丈夫だ。お互いに手にも汗をかいているが、別に気にならない。ニルダはセベリノとポツポツ喋りながら、ナルントートに到着するまで、ずっと手を繋いでいた。







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馬車を降りると初めて嗅ぐ香りがして、柔らかい湿った風が頬を撫でた。ナルントートに到着した。町の入り口からは、流石に海は見えない。しかし、風の匂いがガランドラとは全然違う。本当に海がある町に来たのだと、ニルダは小さく口角を上げた。ニルダは旅行なんて生まれて初めてだ。聞けば、セベリノも初めてらしい。愛想よく馬車の馭者にお礼を言って支払いをしているセベリノを鞄片手に眺めていると、何気なく目が合った馭者がビクッと身体を震わせ、そっとニルダから視線を逸した。慣れた反応である。普段なら少し凹むが、今は然程気にならなかった。セベリノと2人で初旅行ということでテンションが上がっているのと、セベリノがすぐにうきうきとした様子で、ニルダの側に来てくれたからだと思う。
ニルダが持っていたセベリノの鞄を自分で持つと、セベリノがするりとニルダの腕に自分の腕を絡めた。


「ニー。行きましょうか」

「あぁ」


すごく嬉しそうなセベリノの笑顔につられて、ニルダも笑みを浮かべた。2人で腕を組んで外を歩くなんてしたことがない。少し恥ずかしい気もするが、セベリノが嬉しそうで大変可愛いので問題ない。
ニルダは軽やかな足取りで、町の入り口から見える観光案内所の看板が立っている建物へと向かった。

観光案内所内にいた子供全員にギャン泣きされるという小さな騒動はあったが、ニルダ達は無事にナルントートの観光パンフレットを手に入れた。大通りの隅っこで立ち止まり、セベリノと一緒に観光パンフレットを眺めている。大通りを歩く人々が、ニルダを見て怯えたように顔を引き攣らせたり、小さな子供が泣き出したりしているが、今は全く気にならない。あれも食べたい、これも食べたい、此処にも行きたいと、はしゃいでいる可愛いセベリノに全意識を集中させているからだろう。
普段よりも少し幼さを感じる無邪気な笑みを浮かべたセベリノと腕を組んで、セベリノ希望の魚料理の種類が豊富な店へと向かい、歩き始めた。まずは昼食を食べてから、水着を買って、海を眺めに行き、町外れの宿へと向かう予定だ。夕食はコテージタイプの宿に、わざわざ料理人が来てくれるらしい。すごく贅沢な宿だ。
昼を少し過ぎた時間帯なので、目当ての飲食店は空いていた。それでも疎らにいた他の客や店員が、ニルダを見て驚いた後で怯えた顔をしたが、隣のセベリノがニコニコと上機嫌に笑っているので、特に気にならない。旅行先ということで、もしかしたらニルダも開放的な気分になっているのかもしれない。普段なら気になることが、今日は全然気にならない。セベリノを愛でつつ、セベリノと初めて訪れる町を楽しむことが最優先だ。
ニルダはビクビクと怯えたように声をかけてきた店員に案内されてテーブル席に座り、メニュー表を見てはしゃぐセベリノに頬をゆるめた。

何種類も違う魚介類の料理を2人で食べ、腹が膨れたら、次は水着を買いにいく。幼い子供の頃に街の中を流れる川で泳いだことはあるが、海で遊ぶなんて初めてだ。当時は、水着なんて着ずに、薄いシャツとズボンだけの姿で遊んでいた。水着というものの存在は知っていたが、実際に着るのは初めてである。宿の近くの海辺は他に人が来ないらしいので、ニルダも抵抗なく水着を着ることができる。
時折、露天を覗きながら、セベリノと水着が売っているという服屋に入った。ニルダは折角なので、セベリノに水着を選んでもらった。セベリノが楽しそうに選んだ水着は、徐々に下にいく程濃くなる赤いグラデーションの水着で、セベリノは同じデザインの黄色の水着を選んだ。セベリノとお揃いは気分が上がる。少しだけ照れたように頬を赤らめて楽しそうに笑っているセベリノが可愛くて、ニルダは思わずセベリノの頭を撫で回した。

観光パンフレットに載っている地図を見ながら、賑やかな通りを抜け、海へと向かう。潮の匂いというものがどんどん濃くなっていき、町を抜けると、目の前に白い砂浜と真っ青な海が広がっていた。ニルダは思わず、ほぅと感嘆の溜め息を吐いた。初めて生で見る海は、ニルダの想像をはるかに超える美しさだ。キラキラと輝く白い波も、青い水面も、遠い水平線も、白い砂浜も、どれも美しい。まるで絵画のような光景に、ニルダは暫しの間、無言で見惚れた。
腕を組んでいるセベリノがニルダにもっとくっつき、ニルダを見上げて、楽しそうに微笑んだ。


「すごくキレイですね」

「あぁ」

「これを見れただけで来た甲斐がありますね。あ、でも。朝日が昇るところや夕日が沈むところもすごくキレイらしいですよ。夕日は今日見ましょうよ。朝日は明日の朝」

「ん」

「サンダルに履き替えて、少しだけ波打ち際に行ってみます?」

「あぁ」

「ズボンの裾は一応捲っておきますか」


するりとセベリノが腕を離したので、ニルダは持っていた買い物袋から、水着と一緒に買ったサンダルを取り出した。大きさが違う二足のサンダルを地面に並べ、靴と靴下を脱いで、買い物袋に入れる。サンダルというものを履いたことがない。素足で靴を履くのは初めてだ。スリッパのようだが、足首のところにベルトがあり、しっかりと足に固定できるようになっている。お揃いのサンダルを履いたセベリノが、不思議そうな顔で、自分の足元を見下ろした。


「なんか不思議な感じですね。外で足を出すなんて」

「あぁ」

「子供の頃以来かなぁ。子供の頃は川で遊んだりしてましたけど。何度か靴と靴下を履いたまま川に入って、川から出た後、靴の中が水でがっぽがぽの状態で歩いて帰りましたよ。これなら靴を履いたまま水に浸かっても、後が楽ですね」

「あぁ」

「裾ってどれくらい捲ればいいんですかね。膝下くらいで大丈夫かな……大人になって脛を出すことって、ガランドラじゃ無いですよねぇ」

「ん」

「うーん。若干恥ずかしい……まぁいいですけど」


ズボンの裾を膝下すぐまで捲り上げたセベリノが、恥ずかしそうに笑った。ガランドラでは、小さな子供はともかく、10代半ばくらいから、男も女も脛を出したりしない。靴下を履いて靴を履くのが普通だ。ニルダも少し恥ずかしい気がしたが、セベリノを真似してズボンの裾を折って捲り上げた。セベリノのようにもじゃっとは脛毛が生えていない脛が丸見えになる。2人とも顔や腕は日に焼けているが、脛や足の甲は肌の色が白い。
セベリノに手を握られたので、ニルダはセベリノと一緒に砂浜へと歩き始めた。初めて歩く砂浜は、なんだか足が沈みこむような感じがして、不思議な感覚が地味に楽しい。足の指にかかる細かい砂の感触も、少し擽ったくて面白い。波打ち際に行き、海に少しだけ入る。ざざーっと音を立てている波が、ニルダとセベリノの足を撫でる。寄せては引いていく水の流れが楽しくて、ニルダは小さく声を上げて笑った。セベリノも本当に楽しそうに笑っている。
セベリノがニルダを見上げて、繋いだ手を引いた。ニルダは少し屈んで、セベリノの唇に触れるだけのキスをした。セベリノが目元を淡く赤く染めて、ふふっと嬉しそうに笑った。


「ニー。楽しいね」

「ん」

「折角だし、このまま海に沿って宿に向かいますか?あっちの道に戻らずに。このまま海に沿って南に進めばいいみたいですから」

「ん。セーベ」

「はい」

「楽しい」

「はいっ!」


ニルダが笑うと、セベリノも嬉しそうに笑った。
ニルダはセベリノと手を繋いで、海から出て、波打ち際を歩き始めた。時折、海の水に足を浸けたりして2人で遊びながら、のんびりと歩き、思っていたよりも町から離れていた宿に着く頃には、夕日が沈みかけていた。
水平線へと沈んでいく太陽の美しさを2人で楽しんでから、ニルダはセベリノと共に、コテージタイプの宿に入った。
宿の受付は、町にあったコテージの持ち主の別の宿屋で済ませてある。鍵を預かっているので、それを使って、コテージの中に入る。玄関を抜ければ、明るいのに上品な雰囲気の内装に出迎えられ、ニルダはセベリノと2階建てのコテージの中を全て見て回った。驚くことに、2階の寝室の壁の一面が全部ガラス張りで、海が一望できた。まだ微かに水平線から顔を覗かせている太陽が見えて、セベリノが歓声を上げて喜んだ。これはすごいと、ニルダは感心しながら、ガラス越しに見える外の景色を堪能した。

寝室に荷物を置き、階下の食堂へと向かうと、既に美味しそうな豪華な料理がテーブルに並んでおり、壮年の料理人が部屋の隅に控えていた。挨拶をしてくれるらしい。料理人がニルダを見るなり、ピシッと固まったが、ぎこちない笑みを浮かべて、歓迎の言葉を口にしてくれた。プロ根性が素晴らしい。料理はどれも本当に美味しくて、ナルントートで好まれているという酒も美味しく、ニルダはセベリノと共に、豪華な夕食を楽しんだ。

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