上 下
137 / 307
第六章 運命の歯車

2.釣殿で・1

しおりを挟む
 釣殿へ上がる階はさすがにお姫様抱っこでは登れなかったので、手を引いてもらいながら自分で上がる。
 座布団が用意してある先端に行くと、夕刻の風が渡って涼しい。

 「わあ…眺めが良いね!」
 あたしは両手を打ち合わせて喜ぶ。
 
 広い広い庭が一望できる、最高のロケーションだった。
 こんなふうになってたんだ。

 「やっと少しお元気におなりあそばした」
 義光が微笑んで言う。
 
 二人で並んで座り、義光の従者さんが準備してくれたエサのついた釣り竿を垂れる。
 リールとか当然ないし、単に竹の棒の先っちょに糸がついているだけのシロモノで、どれくらい釣れるのか疑問。

 「右大臣家の家人の話では、先日の宴であらかた釣り尽くしてしまったのではないかと…」
 申し訳なさそうに、従者の實時さねときさんが言う。

 「ああ、それは良いよ。月子姫と二人で話がしたかっただけだから。
 用があれば呼ぶから、下がっていろ」
 義光は實時さんに言って、他の人も皆人払いする。

 「なんだ…釣れないのか…」
 あたしがガッカリして言うと
 「まあ、また何度でもやりましょう」
 と笑って言う。

 二人で夕暮れの空を見ながら、ぼんやりとただ竿を持っている。
 風が吹き抜けて、時折、糸を揺らす。
 なんか、こんな時間、良いなあ。

「こんなふうに、二人でゆっくり話す機会が持てたのは初めてですね。
 月子姫はいつでも熱心にせわしなく、何かに没頭なさって居られる」

 「昨夜の庚申待では、姫の創造のあまりの飛ばしっぷりに、右近衛大将様や権中納言様から疑問が出てしまいましたね。
 なんとも上手い言い訳をなさったなあと感心いたしましたよ。
 見事に皆の口も封じられた。
 でもその後から、めっきりお元気がなくなって…とても心配でした」

 「姫は…私と二人で居る時のぞんざいな仕草・雑駁な口調から察するに、貴族のご出身ではないですね。
 私たちには常識なことをご存じなかったり、私たちが想像もしたことがないような物を易々と扱ったり非常に広範囲にわたる深い知識をお持ちだ」

 ゆっくりと首を傾けて、あたしを見る。
 色素の薄い綺麗な瞳には、好奇心もなく猜疑心もなく、ただあたしを守ろうとする優しい光があった。

 「貴女は、どこのどういう方なのですか」

 あたしは、うつむいて釣竿を両手で握りしめた。
 言ってしまおうか…
 
 今まで、義光は誰一人にも本当のことを話していない。
 東宮に疑われたときも上手くはぐらかして言わなかった。
 口は堅い、と思う。
 
 「おひとりで秘密を抱え、耐えて居られるのを見るのは私がつらいのです。
 貴女の秘密を知っているのは私ひとりです。それは一生、守り通します。
 だから、教えてください。
 二人で分かち合えば、少し楽になれるかもしれない」

しおりを挟む

処理中です...