上 下
207 / 307
第八章 暗雲

14.似たり寄ったりの三択

しおりを挟む
 とにかく、急いで宮中に戻り対応を協議する、と主上は従者やその他の随行の人々を呼んだ。
 慌ただしく帰る準備が始まる。
 
 「大丈夫だ、東宮だって本心で言ったわけではない。
 左大弁と左近衛中将の兄弟もいる。
 月子姫はお心を乱さず安らかにしていてくださいね」
 
 まだ状況が上手く呑み込めずにボーっとしているあたしを、どさくさに紛れてきつく抱きしめ唇にキスして主上は牛車に乗り込んだ。

 「弟を、頼みます」
 見送りに出たあたしに最後にそう言うと、御簾が下げられて牛車は動き出した。

 部屋の中に戻り東宮の居る一隅の几帳を動かして中に入る。
 東宮は仰向けに横たわったまま、顔を両手で覆っていた。

 食いしばった歯の間から嗚咽が漏れる。
 顔を覆った指の間から涙が零れる。

 「東宮様…」
 あたしは居たたまれなくなって東宮の枕元に座って、溢れる涙を木綿の布で拭う。

 「私は…いつも兄上に迷惑をかけてばかりなんだ。
 慈悲深く寛容で、怒りも困惑も悲哀も裡《うち》に秘めて、表立って感情を乱すことが殆ど無い。
 兄上の大きな包容力に甘えてばかりで…私はいつまで経ってもガキのままだ」

 絞り出すように吐く言葉に主上への愛情が溢れていて、あたしも思わず一緒に泣いてしまった。
 主上も、東宮の気持ちは判っているから、そんなに自分を責めなくても大丈夫だよ。

 東宮は顔から手を離すと、あたしの手から布を取り、あたしの涙を拭いてくれる。
 「兄上が心底、月子姫を愛していることを知って、私は意地になってしまった…
 兄上に貴女を譲るべきなんだろう、と頭では理解している。
 だけどどうしても感情が…それは嫌だ!と声高に主張する」

 そう言うと、あたしの首の後ろに手を回して抱き寄せる。
 「月子姫…私は先ほどの暴言を関白の間者に聞かれてしまった。
 関白から断罪され、廃嫡になるだろう。
 遠島とおとしまになるかもしれない」

 手を離して、顔を上げたあたしの髪を愛しそうに撫でて悪戯っぽく笑う。
 「月子姫、私と一緒に、地獄を観に行きませんか。
 ああそういえば、月子姫は一度ご覧になっているんでしたね、地獄を。
 里帰りのつもりでもう一度いかがです」

 み、て、ねーよっ!
 地獄なんてっっ

 いや、でも、うーん。
 令和日本は、あたしにとっては結構地獄だったかな。
 自ら死を選ぶほどではなかったけれど、生きていても何も良いことがなかったな。

 しかし…
 あたしは思わず苦笑する。

 元信様を選べば、主上と東宮・左大臣の怒りを買って右大臣おとのさまもろともどこかへ流刑になっちゃうかもしれなくて。

 主上を選べば、東宮に遠慮して、都を離れてどこかの田舎で暮らすことになるかもで。

 東宮を選べば、主上に楯突いた罪でこれまたどこかへ流刑になるかもしれなくて。

 どの人を選んでも、あたしは京の都からは遠ざかるわけね。
 田舎暮らしバンザイ!みたいな。

 仕方ないな。
 それもいいか。
しおりを挟む

処理中です...