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第十章 裁きと除目と薫物合わせ

18.薫物合わせ・5

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 あたしは持ってきた練香を取り出し、火取母の中へ入れた。
 炭団で程よく温まった香皿の上に置いて、祈るような気持ちで火取籠を被せる。

 几帳の布の間から、火取母を載せたお盆を女房さんに渡す。
 
 「まあ…なんて珍しい香りなのでしょう…」
 宝鏡殿の女御様が、驚いたように言ってあたしを見る。

 まあね、普通はお香の材料としてはどうなの?というものを使ってるからね。
 あたしは宝鏡殿の女御様に曖昧に笑ってみせた。

 このイレギュラーな素材が、吉と出るか凶と出るか。

 お盆を捧げ持った女房さんが通るそばから、見物人のささやきがざわめきに変わる。
 女房さんは主上の居る場所の、巻き上げられた御簾から中へお盆を差し入れる。

 「ふうむ…」
 主上はそう言ったきり、声を失くしている様子。
 
 「まあ…これは、」と中宮様も言葉が続かない。

 「月子姫、この珍しい芳香は、何の香りですか」
 主上が訊いてくる。

 あたしは一呼吸置いて、心を落ち着かせて口を開いた。
 「基本となる薫りは『菊花』でございます。
 『晩秋の夕暮れ』を表現するため、丁子の配合を減らし、薫陸を増やしております」

 「そして『わずかに寂しい、涼やかな薫り』を表現するために使用したものは『薄荷』でございます」
 座がどよめく。

 「夏に、左近衛中将様(義光)と蚊よけの製作いたしまして、その時にたくさんの薄荷液を抽出いたしました。
 それを蜂蜜で練香にし香壺に保存しておりましたのです」

 試しに焚いてみた日の夜に、元信様が酔っ払って訪ねて来て「いい薫りですね…爽やかで、少し寂しい」と言ってくれたのがヒントになった。

 混ぜ合わせてから寝かせる時間が足りなかったので心配だったけど、却って短時間の方が仄かな薫りが消えなくて良かったかもしれない。

 「なるほど…」
 主上は唸るように言う。
 「確かに『涼やかな薫り』だ」

 「そして、後に『わずかに寂しい』感じが残りますわ。
 …素晴らしいですわね…」
 中宮様が感心したようにため息をついた。

 なかなかざわめきが収まらず、進行役の人は困ったように声を張り上げた。
 「それでは、最後に宝鏡殿の女御様、お願い申し上げます!」

 「伊都子姫様の後では、やりにくいですわね…」
 苦笑しながら、宝鏡殿の女御様は練香を取り出して、細くきれいな指で火取母に入れた。

 宝鏡殿の女御様の薫物のベースは、やはり『侍従』だった。
 麝香を使ってあって、なまめかしい感じのする薫りがした。

 美人で色っぽい、宝鏡殿の女御様そのもの、みたいな薫り。

 「暫時、休憩いたします。
 審判員の方々には投票用紙をお配りいたします。
 用紙にお名前をお書きください」
 進行役が言い、場は弛緩した。
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