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50.止まらない、止められない。枷が割れた。

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「ん、くっ……」
「ちゃんと飲めたわね、えらいえらい」

 痛み止めがジェリアの喉を通過していくのを確認し、ミネグブは微笑んだ。その様子を、向かいに座るラチカが不思議そうに眺めている。
 エリオードが合流し、馬車は走り出していた。朝日が眩しいが、どこか空気が翳っているような感覚がした。エリオードは御者台で馬車に迫る亡霊を露払いしている。
 ミネグブが先程、自らの事を含めて状況をすべて説明した。エクソシストに亡霊が憑依、という事象にラチカは大変驚いていたもののすんなり呑み込んでくれていた。

「で、要はラルネス氏をとっ捕まえればいいのね。殺さずに」

 ラチカの言葉に、ミネグブは頷く。

「ええ。出来そう?」
「うん。シャイネがやるし」
「いやまあ、やりますけども……」

 シャイネは少し苦い顔をしながらラチカを見る。そして、ジェリアに視線を移した。

「……申し訳ございませんが、抵抗されれば瀕死程度にはしてしまうかもしれません。そちらだけは、ご了承を」
「ええ」

 そう答えるしかない。そもそも、彼は即刻殺されてもおかしくない事をしているのだ。すべて……ジェリアのための温情なのだと、理解出来ている。
 自分は、本当に何も出来ていない。

「ラルネス、移動していないかしら。こうやって向かってはいるけれど」
「召喚が完成してるなら有り得るけど、無いんじゃないかな。だってエリオードとギルヴィアを殺したいわけでしょ、それなら待ち構えてると思う」

 それもそうだ。
 少しずつ、近付いてくる。空がどんどん暗くなりだした。亡霊の影響によるのかは分からない。
 ラチカは御者台に乗り上げた。エリオードは落ち着いているのか、視線だけ彼女に向けてくる。

「どう?」
「目視出来る範囲に、ラルネス氏はいない。一緒に居たネクロマンサーがいる。召喚詠唱中だ」
「え、まだ完全体じゃないって事? あれで?」

 ジェリアには見えない。そしてそれはシャイネも同じだったらしいが、ミネグブは「結構すごいわよ」と呟いた。

「その、奥さん殺されたのついさっきなんだよね。言ってたやつ? 新鮮な遺体程強い亡霊になる説」
「それもある。だが、それ以上に……」

 エリオードは苦しげに、目を細めた。絞り出すように、呟く。

「……未練や恨み。全部が爆発した瞬間、あいつは殺された。言わば、強い亡霊になるには絶好の条件だったんだ」

 仕組まれていたのかは分からない。しかし、ラルネスの事だ。仮に予定はしていなくてもうまく利用しただけかもしれない。どこまでも頭がいい。
 ラチカは一度、強くエリオードの背を叩いた。声を上げてよろめくエリオードに「やるんでしょ」と声を掛ける。エリオードは、強く頷いた。

「ジェリアにはシャイネを付けててくれ、頼む。前回のことがあったのに言うのも何だが」
「いいよ、あれは。役割分担って事で」
「ああ。作戦通りで頼む、姉貴も」

 エリオードの言葉に、ギルヴィアも「ああ」と返す。

「私の首なんざ、獲る権利あってもそうそう簡単にやる気は無いよ」
「……頼もしいな」
「元凶が言うのも何だけどな」

 ぼそり、とした呟きにはもう誰も何も言わなかった。
 小屋が近付く。靄に隠された小屋よりだいぶ手前にネクロマンサー……パーソッグは胡座をかいて座っていた。馬車は、見るだけだった。すぐ側で停める。パーソッグは御者台のギルヴィアとエリオードを見上げた。

「降りてこいよ」

 ギルヴィアは何も言わず、ただエリオードを見る。彼は頷いて、ギルヴィアを担ぎ上げた。馬車の中に合図を送り、全員降車させる。車椅子も組み立て、ギルヴィアを進ませた。
 全員で、パーソッグに対峙する。彼はジェリアを見た。

「ラルネスは小屋の裏口から行ける部屋にいる。あんたを、待っている」
「……私を?」

 パーソッグは頷く。その額には、かなりの量の汗が伝っていた。亡霊の制御に精神力を削られているらしかった。

「あんただけを通すように言われた。他はここで、皆殺しだ」

 エリオードはシャイネに目配せをした。彼は、気取られないように頷く。
 パーソッグは深く溜息を吐いた。

「……まあ、こいつがいる。すぐに終わるさ」

 靄が、渦巻いた。ラチカが短刀を構える。そして、触手状に伸びてきた靄に対し勢いよく振るった。どうやら、靄を丸ごと動かすのはそう簡単ではないらしい。

「ほう、いい動きだ」
「シャイネ!」
「はい」

 ラチカの号令を待つまでもなく、シャイネはジェリアを担ぎ上げた。そしてミネグブを視線で呼び、揃って駆け出す。

「行かせるか!」

 触手上の靄が、三人を狙う。ミネグブの背後に追い付くより先に、エリオードの矢が靄を裂いた。ミネグブに触れるより先に、先端が消滅する。
 ギルヴィアの車椅子が、麻酔針を吹いた。しかし、突如としてパーソッグの前に回ってきた靄の触手に防がれる。瞬時に腐食され、針がぼろぼろと地に落ちた。

「三体一、いや二か。まあ大丈夫だろう……」

 パーソッグは、笑った。




「大丈夫ですか、アーネハイト様」
「ええ、貴方こそ……」
「俺は鍛えてますから」

 愛想無い口調だが、気遣ってくれているのが分かる。ミネグブも何とかシャイネについて行けている。
 シャイネは走りながら、周囲を見渡す。

「裏口、とは言いましたが。お心あたりは」
「……私が最初にいた部屋だけ、扉が二つあった。多分、そこに繋がってる」
「方向は分かりますか」
「このまま回り込めば、……あれ、同じ形」

 ジェリアが指を指した先に、一つの扉があった。シャイネは立ち止まる。荒い息のまま、ミネグブも止まった。
 ジェリアはシャイネに下ろしてもらうと、ミネグブに「大丈夫?」と声を掛けた。彼女は頷く。

「でも……流石に、そうね。体、六歳だもの……大人と同じには出来ないわね」
「申し訳ありません、逃げるのに必死でした」
「いいのよ。さあ、……行きましょう」

 ミネグブの声は震えていた。きっと走ったから、というだけではないのだろう。その緊張が伝わってきて、何故だかジェリアまで手足が強張ってきた。
 ドアノブに、ジェリアが手を掛ける。ゆっくりと、押し開いた。中はやはり、暗い。朝日が一気に充満する。中から、金髪を輝かせた男が現れた。いつものような微笑みをたたえて。

「……なんだ、君だけではなかったか」
「ラルネス」
「まあいいよ、見たところ冷静な方の子達だ。エリオードくんが来たらどうしようかと思ったけれど……あの女なら尚更だ、冷静でいられる気は一切しない」

 足を踏み出そうとするシャイネを、目線で止める。彼は大人しく従ったが、その目はしっかりとラルネスを見据えている。
 ミネグブは何も言わない。ただ悲しそうに、ラルネスを見ている。ラルネスはその視線が気になったようだが、それについては何も言わなかった。

「ジェリア、君は言ったね。『何で私に何も言わなかった』って。簡単さ、僕は当主になるからだ。弱味を、君にも見せるわけにはいかなかった」
「そんな……」
「僕はいつだって独りだよ。でもそれは、宿命なんだ。皆を護るための」

 一つだけ、彼は息を呑む。

「この世界はいつだって、僕からすべてを奪い続けるんだ。生家も、ジェルテシアも、そして君も。もう飽き飽きなんだ、こんな苦しみは」

 もう彼は笑えていない。

「ミネグブもそうだ。ミネグブまで、神様に奪われたんだ。僕がこう歪んでしまって、すべてを…押し付けてしまったから。だから、奪われたんだ」

 ミネグブは何も言わなかった。ラルネスは、止まらない。

「ミネグブだけだったんだ、本当の意味で……僕と対等にいられたのは。それなのに、それなのに」

 ゆらり、と立ち上がる。ジェリアはびくり、と体を脈打たせた。そんな彼女に、ラルネスは近付いてくる。

「なあ、教えてくれよ……何でこんなにも、世界は僕を、嫌うんだ?」
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