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「あら?」

 ふと、ミネグブは声を溢した。じっと外を見詰める。視線をずらせば、まだジェリアがエリオードをあやしているのが見えた。ひとまず、御者台に顔だけ出す。ギルヴィアが「どうした」と目も向けず声を飛ばしてくる。

「さっきの小屋から嫌な気配がするわ」
「何だって?」
「この子の体質で分かるのかも。亡霊よ、きっと」

 ギルヴィアは息を呑むと、「エリオードに見させてくれ」と返してくる。ミネグブは頷いた。
 馬車の内部に戻る。その気配に気付いたのか、エリオードは顔を上げた。

「小屋の方、貴方にも見てほしいの」
「小屋?」

 もう立ち直ったのか、エリオードの言葉は普段通りに戻っていた。エリオードはジェリアの頭をひと撫ですると、窓に顔を向けた。そして、目を見開く。

「何だあれは……!」

 声が強張っている。ジェリアが戸惑ったように「どうしたの」とエリオードに問うと、彼は御者台へ駆けつけた。勢いよく顔を出す。

「姉貴、まずい! 小屋でとんでもない質量の亡霊が喚ばれてる!」
「あー、やっぱりな。んなこったろうと思った」

 ギルヴィアは極めて冷静だった。
 小屋が丸ごと、大きな靄に覆われていた。それも、かなり色が濃い。強い亡霊だ。

「クソガキと居た男、十中八九ネクロマンサーだ。あいつの手技だろうな」
「あそこで止めを刺しておけば……!」

 エリオードが悔しげに歯噛みする。そんな彼に、ギルヴィアが「馬鹿たれ」と声を飛ばす。

「それが最善策なら、逃亡提案の時点で私が止めてるわ」

 そう言えば、そうだ。あの時一番狼狽していたはずのエリオードの指示に、彼女は何も言っていなかった。
 そこで、気付く。馬の速度がかなり上げられている。ギルヴィアは集中を切らせないためか、一切こちらを見ない。

「麻酔針を打ってから逃げればいいって事に気付いたのはあの後だけど、それはまあ仕方ないとして。あいつらにはここまででかい事やってもらう必要があったんだよ」
「どういう事だ」
「あの場で眠らせて、その間に止めを刺すのなんざ猿でも出来る。だけどな、そんな事してみろ。あの子がどうなる」

 ハッとする。頭の中に浮かんだのは……あの日、エリオードの嘘を知って泣き咽んでいたジェリアだった。
 ギルヴィアは続ける。その横顔は、暗かった。

「……もうこれ以上、人の目の前で大切な存在を奪うのはキツいんだよ」

 完全に、ギルヴィアの我儘だった。事実、亡霊の召喚という最悪の事態に陥っている。それでもエリオードは「ありがとう」と呟かざるを得なかった。
 南部はとうに通過している。都市部の先に入った。

「中央教会と合流するのか」

 エリオードの言葉に、ギルヴィアは頷く。

「ああ、こっちに向かってくるように言っておいた。しかし黒たわしの奴準備に手間取り過ぎだろ、私の脳内計算じゃ1時間前には合流出来てるぞ!」

 ギルヴィアの怒鳴りには、確かに同意だった。
 ギルヴィアは南部アーネハイトに手紙を届けた鳩にそのまま緊急要請を括り付けたと言っていた。鳩は馬車よりも圧倒的に速い。まさか道に迷っているという事もないだろう。届けば戦慣れしているモシェロイの事だ、迅速に対応してくれるはずなのに。まさか、何かあったのだろうか。

「よし、内部道路に入る。最速ルートで飛ばす、この猛スピードは禁止だが緊急事態だ」

 都市部の中を豪速で進んでいく。街の道路は広く、すいすいと進んでいった。
 ……だが、様子がおかしい。人が、一人も出歩いていない。それどころか。

「っ、何でだよ!」

 エリオードは即座に反応し、弓を構えた。瞬時に矢を放つ。無事……向かってきていた亡霊を中央から裂いた。
 都市部の空気が、痛い。亡霊が傍にいる時の気配だ。目視出来る亡霊に、片っ端から矢を放っていく。
 とんでもない数だ。こちらが仕掛けるまで気付かないという事は、そこまで知性も残っていないのだろう。しかし危険性は変わりない。

「これもラルネス氏の手配か!」
「あーそうだわ、あいつ教会にスパイ潜らせてたんだったわ……徹底的に叩く気だな。ドでかいの用意出来たからタイミング合わせたのか」

 げんなりとしたギルヴィアの言葉に、エリオードは舌打ちした。そして、怒鳴る。

「蹴散らす、あんたはそのまま突っ切ってくれ!」
「あいよっ!」

 エリオードは御者台に足を踏み上げる。そのまま目に入る亡霊がこちらに気付く前に矢を撃ち続けた。
 しかし、数が多すぎる。人気が無いのも、恐らく教会が避難勧告を出したのか。
 やがて、最初の人影が見えた。鎖を振るっている、あの男は。

「あ、黒たわし轢くかも」
「こら!!!!」

 エリオードの叫びよりも先に、馬を止める努力はしてくれたらしい。しかしモシェロイもギリギリに気付いてしまったのか「うお!!」と声を上げて飛び退いた。
 ギギギギギギ、と耳を塞ぎたくなるような馬車の停車音。モシェロイはギッ、と力強くギルヴィアを睨み上げた。

「なぁあああにをするんだこの性悪童顔熟女めが!!!!」
「お前と同い年だぞ私。しかし今の面白かったな、ぴょん! って。ぴょん! って」
「し、師匠! この状況は」

 エリオードの言葉にモシェロイは冷静さを取り戻したのか、「見ての通りだ」と呟く。

「アーネハイト本邸から亡霊の気配があったという事で、様子を見に行ったんだ。すると亡霊がわんさか沸いててな、急遽結界を張り直したが……遅かった。結構な量が漏れ出してしまった」
「何で……今アーネハイト本邸には見張りを付けているはずだ、それを掻い潜るなんて」
「それが、結界を張った奴が見つけたんだが」

 モシェロイは懐から、ひとつの丸い石を取り出した。黒く、艶がある。大きさで言えば、親指程もない小さなものだ。

「これがアーネハイト本邸の墓地全体に大量に仕込まれていたらしい。その数、五百以上だ」
「それ、召喚石か? 随分小さいな」

 御者台から覗き込むギルヴィアに、モシェロイは頷く。

「この程度の大きさじゃ、召喚するのに時間がかかる。だが、解体に回した結果分かったんだが……どうやら、それが狙いだったらしい。逆算すれば、アーネハイト当主夫妻が殺害された時に仕込まれたと見てまず間違いはない」

 その時からもう作戦を立てていたのか。完全に、ラルネスの掌の上だ。
 モシェロイが鎖を振るう。弧を描きながら空を掻いた鎖は、寄ってきていた亡霊を一網打尽にした。

「手紙は読んだが、何せこんな状況だ。身動きが取れなかった」
「まあこういう事なら仕方ない、それより怪我人がいるんだ。教会に預けたい」
「いや、今教会は完全に無人だ。ラルネス・アーネハイトの件があってから下女たち全員に休みを言い渡しただろう、更にエクソシストも全員周辺警戒に出ている」

 エリオードは、馬車の中に目線を移した。ミネグブが顔を出す。話は聞こえていたはずだ。

「血も止まったし、飲んだ分の痛み止めも一応効いてるみたい。大丈夫って本人は言ってる」
「でも……」
「いや、連れて行く方がいいなこれなら。それに、いざという時……使えるかもしれない」

 ギルヴィアの言葉にエリオードは一瞬悩んだが、「わかった」と答えた。

「教会の中にある痛み止めを下さい。それを持ったら、もう一度あっちに戻ります」
「あっち?」

 モシェロイに、ラルネスと接触した事と大規模な亡霊の召喚が行われた事を説明する。すると彼は「最悪じゃないか」と呻いた。そして、周囲を見渡す。また鎖を振るった。亡霊が煩わしく寄ってくる。

「こんな状況じゃなければ、俺も手伝いに行けるんだが……っ」

 その瞬間だった。大きな車輪の音が聞こえてくる。そちらに目をやると、見覚えの無い馬車が全速力でやって来ていた。御者台には、見慣れた顔がいる。
 馬車が勢いよく止まった。御者台の男が、馬車の中へ声をとばす。

「お嬢様、到着いたしました」
「シャイネ!」

 エリオードの叫びに、シャイネは「数日ぶりですね」と冷静に返す。彼は御者台から飛び降りると、馬車の扉を開けた。すると、しっかりと頭にこぶをこさえたラチカがよろめきながら降りてくる。

「あのさあ……私言ったよね。止まる時は……一応……言ってって……」
「お嬢様は本当に、頭部の損傷に御縁がありますね」
「これで知能指数下がったら、全部あんたのせいにしてやる……」
「ラチカ、なんで!」

 エリオードの叫びに、ラチカは力無く笑った。

「いやー、本当は全然違う用事で国境付近まで来てて。そしたら、ロドハルトに高速鳩が来たって旦那から転送されたんだよね。で来てみたわけ。遅かったかな」
「いや、上出来だ。助かる」

 モシェロイは「よし」と改めて向き直る。

「ラチカとシャイネはエリオード達と行ってくれ、お前達が来てくれたなら、俺はここの警護に専念出来る」
「ん? なに、都市部の外に出るの?」

 きょとんとしたラチカの言葉に、エリオードはうなずく。

「詳しい事は馬車の中で話す、こっちの方が広いから乗ってくれ。ミネグブ、頼む。俺はすぐに戻るから」
「分かったわ」

 ミネグブが頷いたのを確認すると、エリオードは駆け出した。
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