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五・招待状と苦い思い③
しおりを挟むそれから数日後。痛めた腰を抑えながら、レインは街中で開催されている市場で買い物をしていると、背後から見知った男が肩をぽんと叩いてくる。気配を消して距離を詰められたせいで、一瞬驚いたが顔を見てホッとした。
「たまの休みになにしてるんだろーって思ったら、買い物か。暇だし俺も付き合うぜ」
グウェンソードも非番らしく、シャツにコットンパンツとラフな恰好をしていた。
ハワード公爵の邸宅で一泊してから、首都グランハリストに戻ったのは昨日。小麦粉や卵などの食材が切れてしまったので、新鮮な素材を調達していた。持参した大きめのバスケットにはバターや牛乳などが詰められている。ラクセルが好んでレインお手製の菓子を食べていたので、遠征先にも持参している。だから、一昨日侵入して来た子供に渡すことができたのだ。
荷物が重かったわけではないが、グウェンソードがひょいと持ってくれた。
「ありがとう。グウェンソードはお昼どうするの? ちなみにリオールにリクエストされたから、カレーとライスの予定だよ」
王妃が不在だったのでリオールに誘われ、今朝はテラスで食事を取ったのだが、昼は肉料理以外が食べたいと漏らしていた。
朝はシェフがかりかりに焼いたベーコンにソーセージ、オムレツ、ポークチョップにマトンチョップ、カツレツ、ステーキと肉中心で、野菜と言えばマッシュポテトとマッシュルームだ。
王族の食事は朝昼晩いつでも豪勢で、昼はローストチキンにビーフ、魚のソテーにコンソメやオニオンスープ、アイスやゼリー、オレンジなどで構成され、夕食はさらに品数が増える。朝昼に出たものに追加して林檎、ケーキ、プディングなどが並ぶ。
王族の食事に飽きたリオールがリクエストしてくれるので、レインは休暇になると、菓子だけではなく料理をしていた。
「ああ、いいな俺も食う。それよか腰は大丈夫か? あいつは十代でまだまだ若いし、おまえも相手するのは辛いだろう。娼館に行かないしな」
街外れにある、人通りの少ない大衆酒場の近くに、異性や同性専門の娼館がある。お金を払えば性欲を発散することができる。αは、自分の種を残すために性的欲求が強いとされており、そんなαは、Ωのヒートに影響されてラットになることも珍しくない。娼館はαだけでなく、Ωやβも利用可能だ。
存在自体はレインでも知っているが、リオールと肉体関係を持っているため、任務で出動命令が出ない限り自から足を運ぶような場所ではなかった。強制的にヒートを引き起こしてしまうフリーのΩでありながら、今まで一度も利用せずに済んでいるのは奇跡的だろう。
「…………αって、みんなそうなんじゃないの? グウェンソードは?」
「俺は今年で三十だぞ。……まぁ、リオールほど、性欲があるわけじゃねーけどな。たまに娼館にも行って発散してるぜ?」
「アキさんは?」
「あー……アキさんは抑制剤が効かなかったときだけだな。普段は気が向かなきゃ抱かせてくれない」
爽やかな二枚目として人知れず人気のあるグウェンソードも、本命には見向きもされていないという。アキは高嶺の花とも呼ばれているため、百戦錬磨の男前でも落とすのは至難の業らしい。それなりに苦労している男に、内心で同情しながらも、アキのように自由奔放に生きられる人を羨ましく思う。
レインは、養子という立場でありながら第一王子の肩書があるため、義母である王妃から「役立たずの穀潰し」と陰口を叩かれている。レイン・グランケットとしての肩身は城内にいる限りは狭くなる。ラクセルが憧れていた職業に就けていることは誇りになっても、やはり素性を隠しているのでやり辛いこともあった。
「リオールがしつこかったら、ちゃんとしつけるんだぞ? 本業に差支えたら困るだろ」
「うん……そうだよね。ただ、抵抗されれば抵抗されるだけ、その、燃えるみたいで……」
「ああ、そんな感じの性格してるよな」
「だから、体力がどんどんなくなってくよ……鍛えなくちゃ。さあ帰って台所を借りなくちゃ」
日中だというのに、弟の性欲の強さを相談してしまったことを内心で反省する。本人に知られれば当然ながら激怒するだろう。人々が行き交う市場で話しているという後ろめたさもあるので、急いで立ち去ることにした。
レインが菓子作りに興味を持ち始めたのは八歳の頃で、同級生であるルーンの母親からドーナツを分けてもらったことがきっかけだった。素朴で美味しいドーナツを弟のラクセルにも食べさせると、破顔させて喜んだため、手作りをもっと食べさせたいとレインは挑戦するようになった。母親が他界しているので、作ってあげられるのはレインしかいない。
ドーナツではなくクッキーだったのは初心者だったからだ。菓子作りは、食堂で忙しく働くおばさんから習った。
料理はその延長線上だ。十歳のリオールとラクセルを連れて、街で開かれるお祭りに遊びに行った際、食に無頓着だったリオールは、珍しく屋台で並ぶジェリード・イールに興味を示したことがあった。ジェリード・イールとは、ウナギをぶつ切りにして煮込み、少量のゼラチンで固めた労働者の定番料理だ。どんな味がするのか聞いてきたのだ。
けれど、外での飲食は王妃から禁じられていたため、護衛に止められてしまった。だからレインは、リオールに食べてほしくて料理も教わるようになった。二人の弟を喜ばせたい一心で作るようになったのだ。
ちなみに、現在のルーンは国家騎士団の二番隊副隊長でレインの部下であり、グウェンソードの妹、リグジェットの夫でもある。結婚してから五年になる。
「ねえ、グウェンソード。煮込んでいる間に、リオール呼んできてもらっていい?」
「ああ。その代わりに、カレーにチーズをつけてくれ」
「うん、いいよ」
鶏肉、いも、人参、玉ねぎを炒めてから水を入れ、ぐつぐつ煮込んでいる間は竈から離れられないので、暇そうにしていたグウェンソードに頼むことにした。香辛料を加えればカレーは完成する。二人には出来立てを味わってほしい。快く引き受けたグウェンソードが腰を上げた瞬間、台所の扉を勢いよく開けた何者かが飛び込んできた。
「──見つけた!」
呼びに行ってもらおうとしていたリオールだ。あちらこちら探し回ったのか、足を踏み入れるなり呼吸を整えている。
「え、どうしたの? リオール。今、呼びに行ってもらおうと思ってたのに」
「それはこっちのセリフだ!」
心なしか怒っているようにも見える。
「買い物には午後から付き合うと言ったのに、グウェンソードと行っただろ」
「カレーの材料がなかったんだよ。それに、隣国の国王が来訪したんだから仕方ないでしょ。おれが『案内するの手伝おうか?』って聞いたのに、『平気だ!』って追い返したのは誰だっけ?」
事前連絡もなしに、アルトハウゼン王国の国王陛下であるアルフォンス・アルトハウゼンが、近場に用事があったからと顔を出したのが午前中。本来ならばリオールではなく、首都グランハリストの国王が応対するべきだが、不在のためにリオールが借り出されていた。あまり愛想のよくないリオール一人では心配だったので、レインも駆けつけたのだが、アルフォンス国王に挨拶しようとした義兄を背に隠したのは、他でもないリオールだ。挨拶させてもらえなかったレインは、隣国の国王に会わせてもらえないことに酷くショックを受けた。
弟から頼られずいじけたレインは、『午後になったら買いに行こう』と言った弟を無視して街へと繰り出した。そのことを咎められた。
「一緒にアルフォンス国王を案内していたら、終わった足で市場に行けたのにね?」
「……いきなり訪問する方が悪い」
譲る気はないようだ。険悪な雰囲気になりかねない兄弟の様子に、グウェンソードはやれやれと苦笑しながら、また椅子に腰を落ち着けて仲裁に入った。
「はいはい、ケンカはそのくらいにして、好い加減、腹も減ったし飯食おうぜ。俺の休みは無限じゃないからな」
「……わかったよ。これでおしまいね」
器を用意し、カレーとライスをそれぞれ盛りつけ三人分並べた。
「それで、アルフォンス国王とはどんな話をしたの? 確か、今年で三十歳になるんだよね。グウェンソードと同い年で王様なんて、すごいよね」
アルフォンス国王と視線が合うなりウィンクされたので、気さくな人なんだろうなというのがレインの第一印象だった。
「別に……なにも。単なる世間話だ」
「え? でも、おれの方を指さしてなかった? 失礼があったんじゃないかって、内心焦ったんだけど」
ウィンクされた直後に指をさされたので、粗相でもしたのかと気になっていた。リオールの背後に隠されたのはその後だ。素直に伝えると、リオールは先ほどよりもあからさまに不機嫌になった。どうして仏頂面になるのかレインには理解できなかった。おかしなことでも質問しただろうかと首を傾げるも、理由がわからない。
「だから、世間話をしただけで、レインのことはなにも言っていない!」
「リオール。どうしてそんなにムキになるの?」
「………………なっていない。明日まで滞在するようだから、不必要に近寄るな」
「ええっ? 一応、おれも表面上は王子だから、挨拶するつもりだったのに」
「不要だ。話がややこしくなるから、余計なことはするな」
なにか隠していることは明白なのに、問い詰めても口を割ろうとはしなかった。ここまで必死に誤魔化されたことは今まで一度もない。不思議で堪らない。頑固なリオールの考えを探ろうにも、一度決心したことは揺らぐことなく貫き通す性分をしているので、引っかかってしまうが受け入れるしかなかった。
「おまえら兄弟は難儀だなぁ」
口を挟まず食欲を満たしていた男が、どこか他人事のように突っ込みを入れたので、隣に座っていたリオールがわき腹めがけて肘鉄を食らわせた。不意打ちを食らい苦しそうに突っ伏している。じゃれ合う二人を咎めたりせず、レインはスプーンを握りながらぐるぐる考えていた。
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