元悪女は、本に埋もれて暮らしたい

瀬尾優梨

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番外編

侍女マリィとちょっとした心配事 1

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 マリィは、ブラックフォード公爵家に仕える侍女である。
 彼女が公爵家でのおつとめを始めたのは、公爵令嬢タリカがまだ可愛らしい幼女だった頃のこと。当時は公爵夫人も健在で、十代半ばだったマリィは、名門と名高い公爵家にお仕えできたことの誇りを胸に、一生懸命頑張ろうと胸に誓った。

 ……のだが。

 公爵夫人がやまいによって帰らぬ人となってから、公爵家は少しずつ崩れていった。

 公爵は仕事に没頭し、滅多に屋敷に戻らないようになった。
 タリカは「母親を亡くしたかわいそうなお嬢様」ということで、皆に蝶よ花よと愛でられた。

 そうして十年ほど経った頃には、タリカ・ブラックフォードという名のとてつもない悪女が爆誕していたのであった。

 マリィがタリカ付きの侍女になったのは、五年ほど前のこと。そのときには既にお嬢様は「完成」していて、有能なマリィでも矯正は不可能だった。

 お嬢様の不満を買えば、首を刎ねられる。
 お嬢様の機嫌を損ねたら、鞭で叩かれる。
 お嬢様に物申せば、家族にまで累が及ぶ。

 だからマリィもぐっと堪え、日々のおつとめを果たしていた。
 タリカの暴行により侍女仲間たちは疲弊していき、お嬢様付きの侍女もマリィ以外は長続きしなかった。
 いつしか、お嬢様の我が儘におびえる年少者たちを守るのが、マリィの役目の一つになっていた。

 そうこうしているうちにマリィは婚期を逃し、二十代半ばになってもブラックフォード家から逃げられない状況となっていた。

 ……いつか、心身共に疲弊して倒れるかもしれない。
 でもそうしたら、後輩たちがお嬢様にいじめられてしまう。




 いつまでこんな日が続くのだろう、と思っていたマリィだが、お嬢様が十八歳になった年、いろいろなことが起きた。

 まず、我らがお嬢様がとうとう王太子殿下に愛想を尽かされ、婚約破棄を言い渡された。
 お嬢様は激昂し、王太子殿下を呪い殺そうとした。
 逆らえば命がないと分かったマリィは、良心の呵責と、己のふがいなさに締め付けられながら呪術の道具を買い集めた。

 ……だがその結果、呪術は失敗し、お嬢様は昏倒した。

 そうして目覚めたときには、お嬢様は豹変していたのだった。












「それじゃ、今日もよろしくね、キース」
「ああ。まずはこっちの原稿を……」

 マリィが見つめている中、タリカが侯爵子息キースと言葉を交わしている。

 タリカが目を覚まし、キース・ラトクリフの助手になって、早二ヶ月。
 かつては犬猿の仲だった二人は今、ソファに向かい合って座り、真摯な表情で原稿を見つめていた。

 お嬢様が小説好きになったのも驚きだが、「生意気な格下」と呼んでいたキースの秘密を知ってもなお隠し通し、協力するようになるなんて思ってもいなかった。

 どうやら小説の内容で、何かタリカが意見を述べたようだ。
 彼女が顔を上げて原稿を示しながら指摘をすると、キースは驚いたように目を丸くした。彼が「なるほど……あんた、いい目を持っているな」と感心したように言うと、タリカは嬉しそうに微笑んだ。キースもまた、彼女の微笑みを見てつられたように口元をほころばせる。

 すん、とマリィは小さく鼻を鳴らし、ちょうど空になっていたポットに新しい茶を注ぐという名目で、部屋を辞した。

 そして狭い廊下に出ると深呼吸し、ポットを持ったままその場にしゃがみ込む。

 お嬢様が。
 あのお嬢様が。
 キース・ラトクリフと、笑顔を交わしているなんて!

 目覚めてから、タリカは以前よりずっと人当たりがよくなり、使用人たちも改心したお嬢様のことを受け入れ、好きになっていた。
 もちろんマリィも、きらきらと輝くような笑顔を見せ、マリィたちにも優しい言葉を掛けてくれるようになった今のお嬢様が大好きだ。

 そして――マリィの本能がミンミンと訴えているのだが……どうも、お嬢様はキース・ラトクリフのことを憎からず思っているようなのだ。

 同じ趣味を持つ者同士という共通点もあるのだろうが、それにしてもキース・ラトクリフと話しているときのタリカは本当に生き生きとしている。
 そして気難しい少年だとばかり思っていたキース・ラトクリフもまた、コロコロと表情を変えてお嬢様とやりとりをしている。

 これは……脈ありなのだろうか?
 もしそうなら――二人がお互いに対して恋心を抱いているのならば、タリカの侍女として主君の恋を応援するべきであろう。

 キースは、ラトクリフ侯爵家の次男だ。タリカと並べると少々身分は劣るが、彼にならお嬢様を託してもいいとマリィは考えている。
 ブラックフォード公爵は娘の交際に関して渋い顔をするかもしれないが、お似合いの二人を引き離すなんて、恋愛大好きなマリィには考えられなかった。

 ……しかし、である。
 目下、マリィには少々気になっている事項があった。

「……あら、マリィ様。どうかなさいましたか」

 涼しげな声がして、マリィははっと顔を上げた。

 廊下を挟んで反対側、簡易キッチンのドアを閉めてこちらにやってきたのは、すらっとした体躯を持つ若い女性――ラトクリフ侯爵家の侍女であるジゼル。

 そう、彼女こそまさに、マリィが「気にしている」人なのだった。
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