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1:Nostalgic Moon 1
しおりを挟む忍月財閥――。
技術者であった忍月善助が、個人的に交流があった石油資源国の王族の力を借りて開業し、戦後、重工業産業を中心に飛躍的に発展。近年、製紙業や機械産業、化学産業らにも手を伸ばす、日本屈指の巨大財閥である。
本家は東京都港区白金台にあり、すべての傘下企業を統括する母体企業は、東京都江東区木場に在する。
《忍月に関する噂》
一、忍月の後継者は正妻の子供はおらず、妾腹の男子4人がいるらしい。
一、木場のビルに同時期に入った大きな4つの会社には、母方の姓を名乗る後継者候補がそれぞれひとりずつ勤務しているらしい。
一、現在後継者争いが勃発し、彼らがそれまで勤務していた会社ごと、忍月本社のあるビルに招集され、各社には本社からの監視役が派遣されているらしい。
一、後継者候補の兄弟達はすべてイケメンらしいが、女嫌いらしい。
一、もしその後継者候補が誰かわかっても、口外した瞬間、忍月お抱えの黒服に拉致されて、東京湾に沈められるらしい。
***
『どうしても地元に帰りたくないんです。会社が一流でなくても大きくなくてもいいから、東京で福利厚生がある正社員にならせて下さい。どんな悲惨な丁稚奉公でも、文句言わずにやり、そこにずっと勤めます』
就職困難さを身に染みて感じた、大学4年。毎日神様に切実にお願いしたせいなのか、卒業間近にようやく新卒採用されたのが、社長以外に12人の社員を抱える、IT会社「ムーン」だった。
といっても、これは大学時代の友人、結城睦月(男)が入った会社であり、あまりに日々やつれるあたしを見兼ねて、会社に相談してみたそうだ。
すると、ふたり採用した女子のうち、ひとり採用を取り消した女子がいたから、代わりにどうかと面接を受けることになったあたしは、ITというものはパソコンを使えたらいいとしか認識していなかったことが甘かったことに気づく。
ITproってなんですか?
LAN? VLAN?
RAID? FireWall?
Dreamweaver? Illustrator?
Wordpress? PHP? Javascript?
悔しいことに、結城はそれをすべてわかるということだ。営業で入っているくせに、英語大嫌いのくせに、なぜあいつは知っている?
そこであたしは、もう一度テストして貰うことにして、受験生の如く単語帳にして必死に覚えた。
だがわかったのは単語の意味だけで、この会社が、具体的になにをしている会社なのかわからない。パソコンのネットワークと言われても、ピントこない。
危うく不採用になりそうなところを、またもや結城があたしを教育するからと社長を説得してくれて、採用に至ったのだ。
これから一緒に入る同じ新卒のくせに、社長に口をきけるあたしの教育係ってなんだろうと思ったけれど、奴はなかなかに機械オタクで、あたしは飲み込みのいい生徒だったようだ。
なんとかパソコン内部のことだけではなく、パソコン同士のつながり方も飲み込めてきた頃は後輩も多く出来、あたしは上の立場になっていった。
二年前のある日、一介の中小企業だったムーンが、突如、忍月財閥が母体の一流大企業である「忍月コーポレーション本社」が上階にある、八階建てのOSHIZUKIビルディングに引っ越すことになった。
そのビルは、巨大な敷地面積に建つ、ありふれたただの長方形の箱ではない。有名ブティックの店舗のような、鏡張りの洒落たデザインの外観で、内観も、一面に広がるのは紫外線や赤外線を遮る特殊な窓。そこから見える見晴らしは絶景で、ワンフロアごとにあるらしい階段を使えば、実質二階分使用できる上、ビル全体として使用できる共有階に300円で食べれる食堂まであるという、贅を凝らした超高級ビルでもある。
まるで縁のない場所に引っ越すとはどういう理由なのか。社員全員の給料を遙かに超えていそうな家賃を、どこから毎月捻出するのか。
まさか、社員ただ働きせよと!?
若き社長曰く、忍月コーポレーショングループにならないかと、向こうから打診があったようだ。忍月コーポレーションの下請けとなれば、広大なワンフロアの費用はただ同然で、さらには今まで貰っていた給料を上乗せしたものを社員に、年二回ボーナスというものまで滞りなく、忍月コーポレーションが支払ってくれると。
たとえばこちらが株を上場しているような大企業ならまだわかるが、向こうにメリットがなにもない。そんな胡散臭い話に意気揚々と乗ってしまった社長は、いとも簡単にムーンを手放し、三日後に引っ越すと事後報告を受けた社員は、あたしを抜かして拍手喝采。
そして。
東京都江東区木場――。
現代美術館がある木場公園にほど近い、都内にしては緑に包まれた閑静な地域にある都会的なビル三階に、「シークレットムーン株式会社」と名を変え、新たに社員を増やして大企業もどきに変身した……、あたし、鹿沼陽菜(かぬま ひな)が勤める会社がある。
「だから!! 顧客の誰もが、木島くんの感性に賛同するものではないの!! どんなに自信があったって、顧客が気に入らなければただの自己満足の域を出ないのよ!!」
あたしは平行線の話に苛立ち、ばん!と資料が置かれた机を叩いた。
28歳とは微妙なお年頃で、実力的には中堅からベテランの域に達していなければならない。
なにが"仕事が出来る"になるのかは、いまだわからないけれど、あたしはいかに顧客のニーズに応えられるのか、だと思っている。
かつてパソコンに関する何でも屋状態でいたあたしは、WEBに関すること全般が担当となった。いわゆるインターネットで見れる、パソコンやスマホのホームページに関するものだ。
あたしは一年前から主任として、デザイン課とシステム課の双方に指示して、営業部がとってきた仕事をとりまとめる立場にいる。
主任といえば偉そうだけど、木場に移ってから新たに設けられたWEB部担当になったものの、主任の下がヒラで、上がいないために、体裁のためにつけられた役職だろうと思っている。
「だけど、鹿沼主任。これだけで、絶対いけると思うっす! ほらこのピンク、このふわふわ感! 可愛らしい、まさにお嫁さんにしたいそんな女性のサイトっす。いいっす!いけるっす!」
目の前の部下、社会人二年目の木島武士は、尖らせた口をひん曲げているのに、主張を曲げない。
大学時代ラグビーをしていたらしく、童顔でムキムキの体格はミスマッチ。短く髪を刈っているその男らしい頭とは裏腹に、彼の趣向は乙女に偏りすぎている。
女性陣は別の案件にとりかかっているために、若者らしい発想が欲しくて、彼に「OLへの情報サイト」のイメージ案を頼んだのが悪かったのか。
自信満々の木島くんが見せたイメージ資料は、甘すぎる色合いとモチーフで、眠くなってきそうだ。
「ピンクとゆるふわ好きばかりが"女性"じゃないし、別に立ち上げるサイトは結婚情報ではなくて、"働く女性"がテーマ!! いい年してそんな甘ったるいピンクにふりふりを着たOLなんて、今時いないから!」
すると木島くんは、黙ってひとつの場所を指さした。
そこにいるのは、パソコンを見ている女性――、まさに甘ったるいピンクのふりふりのワンピを着て、縦巻き髪をピンクのリボンで留めた女性、三上杏奈がいた。
自称永遠の16歳だが、人事課の後輩に聞けば32歳だとか。
正直見た目は、十代にも思える。
「なになに~? 杏奈のことなに話してるの~?」
強烈な格好から予想を裏切らない舌っ足らずな言葉遣い。
「杏奈ちゃんは可愛いなって、こいつが」
「え、俺そこまでは…」
木島くんが青ざめた。
「お嫁さん候補になっているみたいよ、こいつの」
「へえええ!?」
木島くんが変な声を出した。
「きゃ~!! 木島ちゃん、でーとしようね~」
「主任、主任!!」
「じゃ、違う案もよろしく! おっと休憩時間だね、頭をクリアにしてかえってきてね、いってらっしゃい!」
「鹿沼ちゃん、いってきまーす!!」
「主任――っ!!」
杏奈が、幾多もの賞を総舐めにする凄腕プログラマーでなければ、絶対この会社……、否どこの会社にも居られないだろう。
会社は風紀より、益をとったらしい。
まあ確かに、彼女が作るものは素晴らしく、金になる。
前に彼女が作ったゲームの企画に参加したことがあったけれど、文句なしのものだった。
なぜあんな格好をしているか不明。
だれか、突っ込めよ……。
そう思うけれど、あたしも言い出せない人間のひとりだ。
***
同フロアにある休憩室は、半透明のガラスで出来たパーティーションに仕切られ、簡易テーブルと椅子、自販機が用意されている。その隣には、喫煙室まで用意されている。
「ああ、なんか疲れた。……きゃあ」
頬に冷たいものがあたってびっくりしていると、それは缶コーヒーを持った焦げ茶のスーツを着た結城睦月だった。タバコの匂いがすることから、奴は喫煙所から出てすぐ缶コーヒーを買ったのか。
「ほら、やる。お前の怒鳴り声と、木島の悲鳴が聞こえていたぞ」
「ありがとう。木島くんが、ピンクのひらひらをWEBデザインにしてきたから。しかもその一点張り。代案を作ろうとしないから、思わず」
あたしはプルタブを引き上げて、カフェオレ珈琲を飲む。
あたしは普段ブラックだが、昔から興奮状態の時だけ、甘ったるい珈琲が落ち着くこと、この男はよく知っている。
「ああ、お前は選ばせるものな」
「もち。選んでいる最中に、また顧客も別のアイデアがわいたりするしね。一緒に作った感をあげたいのよ。あたしはデザイナーではないし、木島くんの方がよっぽど専門的に勉強しているから能力はあるけれど、その分アイデアは顧客目線でいきたいわ」
「はは。よりによってお前にピンクのふりふりを、あいつ…」
口に軽く手の甲をあて、くくっと結城は笑う。
それもそのはず、女を強調する色を敬遠していたおかげで、あたしは無難なモノトーン大好き人間になってしまったからだ。
あたしの部屋は色がない。それを結城は知っている。
「そう、あたしにそれを出してきたから、可愛い可愛いリアルピンクのふりふりに、木島くんをお渡ししたの」
「可愛い? お前もう老眼か?」
結城がどっと笑った。
男らしく整った顔をしているのに、笑うとあどけない。
サイドを短めにした少し茶色の髪は、奴の地毛で、昔から脱色していると先生に怒られていたそうだ。
「なんだよ、じろじろと。その老眼で俺がなにに見える?」
「スーツ萌え」
「は?」
「イケメン度、1.4%アップ!」
ウインクして親指をびっと立てると、結城はげんなりとした顔をする。
「せめて微妙な数値はやめろ」
「いいじゃない、マイナスじゃないんだから。スーツにしたら、大学時代よりさらにモテモテ度が上がったじゃない? 今月入って、また告白されたんでしょう? 受付の三橋さん、経理の由利ちゃん、それと……」
「なんでお前が知ってるんだよ!?」
「え、勿論、衣里」
「真下め!!」
真下衣里というのは、あたしと結城と同期でムーンに入った女の子。彼女はさばさばした性格で、やけに結城に対抗心を燃やした同じ営業課だけれど、この春晴れて結城が課長になったから悔しがっている。
大手企業からの契約をとりつけるやり手の子で、常に結城と共に飛び抜けた営業成績を残しているとか。
冷たい印象のお姉様系の美人だ。
「それより」
「そんな程度かよ!」
結城の突っ込みは聞いていないふりをして、あたしは聞いてみる。
「そういえば結城、席に大分いなかったね。なんか顔色悪いけど、もしかして、ピーゴロゴロ? 正露丸いる?」
「そんなわけねぇだろ! 専務に呼び出されてたんだ」
「ああ、なにかやらかしたの?」
珈琲を飲みながら、上目遣いで結城を見る。
「う」
「う?」
短い奇声。頭を下げると結城は頭をがしがし掻いた。
「なんでもねぇけど、今日お前のところに中途採用した"課長"が来るって」
「え、二年空白の?」
「そう、しかもそいつ年下だって」
「あたし聞いてないよ、なんで結城が専務から聞くのよ。普通、あたしの上司なんだから、あたしに言わない?」
「俺もそう思った。だけどまあ、俺も営業課長だしな」
「ああ、嬉しそう。結城課長!」
「よせって」
「なに赤くなっているのよ、課長課長!」
「あ~はいはい。課長です」
結城は照れながら、右手を上げた。
「なあ、鹿沼」
「なに?」
あたしは――、
「満月近いけど、身体大丈夫か?」
……真実を知る、結城の存在に救われている。
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