いじっぱりなシークレットムーン

奏多

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  Secret Crush Moon 8

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 あたしは課長と長く話し込んでいたらしい。
 戻れば、社長と衣里しかいなかった。

 帰り支度を整えて、五人でビルを出ると社長がまた労いの言葉をかけて、背広の内ポケットから小冊子を取り出した。

 タクシーチケットだ。

「僕は結城と乗っていくわ。カワウソは真下と香月と……」

 三枚も渡され、衣里がほくほくした顔をしてそれを覗き込む横で、課長が言った。

「社長。私、夜風にあたりたいので、別で帰ります」

「あ、そうか? だったら、お前にチケットやる」

「私は、前に頂いたものが残っていますから、それで。では皆さん、お先に失礼します」 

 呆気ないほどにさっさと後ろ姿を見せた課長。
 さっきのあの、激情のように掴まれた手を思い出した。

 熱い、熱いあの手――。


 ……ん?

 
「じゃあな、また来週! ご苦労さん!!」

 社長が結城を乗せて先にタクシーを走らせた。

「あ、タクシー来たよ。陽菜、乗ろう」

 衣里が手を上げて跳ねているの見て、あたしは衣里に言った。

「衣里、あたしのここ、思い切りぎゅっと掴んで?」

「は? 今タクシー」

「お願い」

 タクシーの近づいてくるランプを見ながら、衣里があたしの上腕を掴んだ。ぎゅっと、課長が掴んだように。

「やっぱり……、熱いわ」

「陽菜? あ、ほら乗ろう?」

 熱に潤んだ目。
 上気した顔と唇。
 汗ばんだ髪。
 熱い手。

 あれは欲情ではなく、課長は本当に高い熱を出している。
 だからとち狂ったように変なことを言い出して、ひとりで帰ろうとしてたんだ。

 ……格好つけ! 倒れたら、どうすんのよ!

「陽菜、早く!」

 タクシーの車内から衣里があたしを呼ぶ。

 あたしは衣里にタクシーチケットを全部押しつけて言った。

「ごめん、ひとりで帰って。あたし、行かないといけないところがあるの」

「は、陽菜!?」

「運転手さん、すみません。あたしは乗らないんで、よろしくお願いします」

 衣里が騒ぐがドアを閉めれば、タクシーが発車した。
 両手を合せて頭を下げたままタクシーを見送り、あたしは課長が向かった方角に走った。

 もしかして、早々にタクシーに乗って帰ったかもしれない。
 だけどあたしには、課長がまだこの付近にいるような気がしたんだ。

「課長!? 香月課長!?」

 暗闇に人影は見えない。
 行き交う車のテールランプがうるさくてたまらない。

「どこにいるのよ!!」

 いない。
 帰ったのか?

 帰ったならいいけれど、倒れていたら?

 あたしは課長の電話番号を知らないことに、今更ながら気づいた。
 電話をかけることもできない。

 今朝の一件でメルアドはわかるから、メールしてみようか。
 多分課長なら、スマホで見れるだろう。

 だけど具合悪いひとが、メールを見て応えられる?

――どうせこのカバは他の女達みたいに俺には媚びねぇし、連絡があるとすればお前のことだろ?

「そうだ、専務なら知ってるわ!!」

 急いでバッグを漁り、名刺の裏に書かれた電話番号に電話をかけた。
 遅い時間だけれど、緊急事態だと許して貰おう。

 なかなか出てくれない。
 寝ているのかしら?

 後で寝ていいから、お願い出て。早く出て。

『――はい』

「もしもし、あたしシークレットムーンの鹿沼と申します。いつもお世話になっております。夜分大変申し訳ありませんが、宮坂専務のお電話でしょうか」

 完全営業モード。

『よう、カバ。まさかこんな夜中に電話来るとはな。俺、イク前だったんだけど』

「……す、すみません。電話終わったら、ゆっくりイッて下さい」

『ぶっ』

 笑い出す専務とはまた違う、不機嫌そうな女の声が聞こえる。

 うわ、本気でセックス中だったのか!?

『あんた誰よ!? また渉の遊び相手!?』

 綺麗な声だけど、怖い。
 後ろで専務の声が聞こえる。

『違う違う。こいつは朱羽のカバだ』

 笑う専務の声は無視して続けた。
 
「まったく専務には関心はありませんので、どうかご心配なく。初めまして。シークレットムーンの鹿沼と申します。本当にこんな夜遅く申し訳ないんですが、緊急事態が発生したので、どうしても専務にお伺いしなければならないことが……」

『どんな?』

 はあ、営業モード疲れた。
 あたしは、専務のプライベートに干渉したいわけではないのだ。

「専務の親戚の香月朱羽課長を探しているんですが、電話番号を教えて貰いたくて。それだけです。電話番号さえ聞いたら……」

『え、朱羽くん行方不明なの?』

「はい。結構熱出していたので、倒れてないか確認したいんです。だから……」

『ちょっと待って。番号、覚えれる?』

「はい、お願いします」

 あたしはスマホから流れてきた番号を、ボールペンで左手の甲に書いた。

「ありがとうございます。お邪魔してしまってすみません。では」

『ねぇ、あなたもしかしてヒナ?』

「え、はい鹿沼陽菜ですけれど」

『そうか、そうか。だったら朱羽くんのことお願いね。あ、私はね、沙紀。吾川沙紀(あがわ さき)って言うの。今度会いましょう』

「はい、沙紀さん。その時はまた」

 ……なんであたしが、専務と寝ているひとと会うんだ?
 なに、専務があたしと浮気をしているの、まだお疑いとか?

 その割には明るく綺麗な声で電話が切れた。

「あ、専務にお礼言ってないけど、まあいいや」

 香月課長の電話番号を知っているのだから、よほど課長とも専務とも親しい間柄なんだろう。専務の婚約者とかかしら。

「どうでもいいや。興味ないし。それより電話電話」

 呼び出し音が聞こえるが、応答がない。
 電話をかけ続けながら、あたしは課長を探して歩く。

 やがて――。


『……はい』


 ほとんどため息のような声が聞こえた。


「香月課長ですか!?」

『……はい』

「……っ」

 いかんいかん、このため息のような声は喘ぎではない。

 だるそうな声だ。

「家ですか!?」

『……い…いえ』

 やはり課長は家に帰ってない。

 まるでYES・NOゲームをしているようだ。
 だったら、それ以外の答え方をさせてやろうじゃないか。

「そこはどこですか!?」

『……さあ』

 そう来たか。

「周りを見て下さい。なにが見えますか!?」

 ややしばらくして聞こえた。

『月』

「起きてますか、寝てますか!?」

『寝て…ます』

 倒れてるのかい!! 

 その時、電話の中から爆音での音楽が聞こえてきた。

 あたしの耳にも聞こえてくるそれは、今あたしの横を通り過ぎた白い車からだ。だということは、もっと行った先に課長がいるはずだ。

『ヒナ……さん』

「はい、なんですか!?」

『ヒナ……会いたい……』

 泣いているような声に、胸がぎゅっと締め付けられる思いになりながら、やがて行き着いたのは街路樹のところで、スマホを持ったまま倒れ込んでいる課長を見つけて走ったらヒールの踵が折れたが、ヒールを投げ捨てて走った。

「課長!! しっかりして下さい!!」

「ん……」

 やばい、かなり熱い。

「寒い……」

「当然です、外で寝ないで下さい」

 背負うようにしてズルズルと引き摺りながら、やっとのことでタクシーを拾う。

「どちらまで?」

「あ、はい」

 課長のご自宅どこですか?

 聞いても返る言葉がない。そこで、仕方がなく……。


『お前、本気で嫌がらせか!? 俺をイカせろよ!!』

 怒りまくる専務から、なんとか課長の住所をゲットして車を進めたのだった。

 
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