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  Crazy Moon 11

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 ***


 ウォータースライダーはかなり人気のアトラクションらしい。整理券での案内だというのに、ウォータースライダー乗り場まで上がる階段は、まるでバーゲンのように混み合っている。

 あたしは結城と共に係員にパーカーを預けてしまい、水着姿だ。

 だけどまあここまで人で込んでいるのなら、男の視線を奪うモデル体型の美女衣里と女の視線を奪う義理の親子の連れとは周囲から思われず、哀れまれることもないだろう。

 あたし達は横一列に並び、右から衣里、あたし、結城、社長となっている。出来るのなら衣里と社長を並ばせて上げたかったが、衣里がすっとあたしの横に来たのと、社長が可愛いむっちゃんの隣に並んでしまったため、こんな配置になってしまった。

 ウォータースライダーは、ふたりひと組だ。

 四列のうち左ふたりが先に出る。あたしは衣里と滑るのは嬉しいけど、衣里は本当は社長と滑り落ちたいんじゃないんだろうか。

 どうにかしてふたりで滑らせて上げたいなどと考えているあたしに、衣里があたしの耳に囁いた。

「あいつ、男達の目から守ろうと威嚇してる。なんかおかしい、番犬かって言うのよね」

 そう言われると、結城の険しい目がきょろきょろと動いている。

 今度はあたしが結城の耳に囁いた。

「結城、衣里を社長との間に挟む?」

「なんで?」

「だってその方が衣里、男から狙われないし。そこまで番犬しなくても」

「だれが真下だよ!」

「は?」

 きょとんとしたあたしの横で衣里が吹き出した時、乗り場がよく見える位置に来た。

 なにこれ、いちゃいちゃカップル専用?

 ひとつの大きなタイヤにふたりが前後に抱き合うようにして滑り落ちるらしい。
 その密着度合いは同性でも異性の組み合わせでも、ちょっと恥ずかしくなるくらいだ。

 今のカップルなんか、巨乳の女の子の胸が潰れるまで彼氏に抱きついているよ。ああ、前の男の子嬉しそう。背中に乳がめり込んでないのかしら。

 駄目かな、衣里と社長組み合わせるの。
 衣里に思い出作って上げられないかな。これも駄目なのかな。

「陽菜。変なこと考えないでね。私は陽菜と滑る」

 さすがは営業課のホープ。あたしの考えなどお見通しか。

「お、次だぞ。むっちゃん、行くぞ」

 先に歩いた社長の背中にぶつかるようにして足を進めたのは――。

「ちょっ、結城なにすんのよ!!」

 結城に腕を取られてほっぽられた衣里だった。
 そして結城はあたしを後ろから抱きしめて言う。

「俺はこいつとがいいの! なにが嬉しくて野郎ふたりで滑らなきゃなんねーんだよ。ほら、係員が困ってるぞ。さっさと行け!」

「結城、見てなさいよ!!」

 衣里が係員に聞かれている。

「こちらの方と滑られるんですよね?」

「わ、私は……」

「ほら、真下早く来い。迷惑になるから」

「……あ、あの、わ、私でもいいんですか?」

「勿論」

「……っ、じゃあよろしくお願いします」

 社長の身体に後ろから抱きついた衣里の顔はちょっと赤くなっていて、まるで乙女のように可愛かった。

 凄く幸せそう……。

「あいつジジ専だったとはな」

「衣里と社長が結婚したら、衣里は結城のお母さんになるのかな」

「冗談じゃねぇ!!」

 もしものことを言い合いながら、次はあたし達の番。
 結城の方が身体が大きいため、結城はあたしの後ろに座ることになる。

「はい、前の方に抱きつくようにして下さい」

 すると両脇から伸びた結城の大きな手が、あたしのお腹あたりに巻き付いて、あたしの背中は結城の熱い肌を感じ取った。

 結城の匂いが鼻腔を擽る。

 そう、イランイランではない、別の男の匂い――。

「はい、OKです!」

 係員があたし達のタイヤを前に手で押すと、緩やかに水の上をあたし達を乗せたタイヤが動いていく。ゆっくり、ゆっくりと。

「お前さ、香月と寝てないんだよな?」

「な、なによいきなり!」

「香月熱出していたんだよな、それでヤレるはずはねぇとは思うんだけど、お前さ……、胸にキスマークつけられていただろ」

「!!!!!」

 そうなのだ。

 一週間たってもキスマークがまだ胸元中心に残っていたため、念のために防水のコンシーラーをつけて誤魔化してきたのだ。皆がなにも言わないから、完全に誤魔化せたのだと思っていた。
 まさかそれを、無防備に背中を向けているこんな時に言われるとは。

「あんな涼しい顔して、すげぇ独占欲。お前かわす気あるの? こんなにつけられてて」

「いや、その……」

「俺だってつけてぇの我慢してたのに。お前嫌がるから……嫌がるから、俺なにひとつしていないのに」

 結城のやるせなさそうな声が耳に響いて、うなじあたりに熱いものが吸い付いてきた。

「ちょ、結城!!」

「数には負けるけど、心は込めた。……俺の印だ」

 結城の唇があたしの耳を捕らえて、あたしは身を震わせる。

「刺激が欲しいくらいのものなら、許してやる。だけどあいつに、最後までは抱かれるなよ」

「……っ」

「この身体を隅々まで知るのは俺だけだ。すげぇ俺のドストライクな水着着てきたから、想像しちまったよ。お前がどこを触れば、どう反応するのか」

 結城の手があたしの肌を這う。

「脱がしたい」

「結城、やめっ」

 拒むと結城の手の動きが止まり、代わりにぎゅっと力強く抱きしめられた。

「陽菜」

 苦しいほど、結城の熱に染まる。

「俺の……陽菜。俺だけの」

 震えるような熱い声が届いた。

 どうしていいのかわからず、ただ胸が苦しい――そう思った時だ。


「GO!」


「え、ゴー……きゃあああああああ!!」


 結城のかけ声と共に落下したのは。

 凄まじい速度でぐるんぐるん回る。


「きゃあああああ!!」

「あはははははは!!」


 あたしの叫びと結城の笑い声が重なる。


「陽菜――っ、すげぇ好き――っ!!」

「え、なに聞こえな……ぎゃああああああ!!」


 あたしは自分に精一杯で聞いていなかった。


「落ちるのは俺にしろよっ!! 俺は、同じことを繰り返したくねぇんだよっ! お前をもう傷つけたくないんだ――っ!!」


 ……謎めいた結城の言葉を。


 どっぽーんと温かい水に潜って意識蘇生。

 な に が 起 き た?

 もがくようにして水面から顔を出したら、結城があたしの腰に手をあて、そのままあたしごと衣里や社長がいるところへと運んでくれた。

「あはははは陽菜、なに死にそうになってるのよ!!」

 衣里さん、溌剌とした美しさと、その大きなお胸ときゅっとした腰が眩しいです。
 アトラクションではないところでもお楽しみ下さったようで、お幸せそうでなにより。キラキラ度が凄いです。

「カワウソ~。川から出た顔は凄かったぞ! 口から水をざばぁ! がはははは」

 衣里を幸せにさせた社長の声は、あたしを不幸にさせる。

「あんな怖いものにいい顔なんて出来ませんから! あたしWEB担当なんです、そこまで営業モード出来ませんから!」

 その時、声をかけてきたお姉さんが居る。

 手には防水のポラロイドを持って、服装はなんだかよくわからない、温泉マークみたいなキャラクターが印刷されたTシャツを着ているが、はっきり言って可愛くない。ゆるキャラのなり損ない、みたいな。

 そんなTシャツにはここの施設の名前が入っていて、周りを見れば同じ格好の人達がいるから、きっとここのスタッフなんだろう。

「滑って降りられているところを映しました。以前まではホテル宿泊者のみのサービスとなっていましたが、実は今日は"ゆ~ちゃんDAY"なので、特別なゆ~ちゃんフレームでのお写真を、ホテル宿泊とは関係なく全員対象です。写真いかがですか? 500円です」

 衣里に渡されたポラロイド写真は、周りにぎっしりとTシャツのキャラがひしめき合っている。センスがないこれが"ゆ~ちゃん"フレームなのか。

 写真の方を覗き込むと、社長を抱きしめて嬉しそうな衣里と、両手を挙げてアトラクションを楽しむ社長。なんだか衣里に抱きつかれて顔が緩んでいるような気がするけれど、これは気のせいなのだろか。

 社長、結城のお母さんのことは中々忘れられないかもしれないけれど、衣里のこと意識しているのかな……。

「わ、私買います。そ、その……記念だし、ね、陽菜!! 買うよね!?」

 あたしに振るか!!
 やだよ、こんな気味悪いフレーム。だけど、衣里の目が切実だから。

「そ、そうそう! 買わなきゃ、せっかく撮ってくれたんだし。あたしのありますか?」

 仕方ないから合せてあげることにした。
 ひとりでは買えないらしい、このツンデレめ!

「ありがとうございます!」

 ここの施設では金銭を持ち歩けない代わりに、ひとりひとりに最初に受付で渡されて今も腕にしているたゴムの腕輪に、お店の機械を通して都度支払い金額が加算され、出る時に支払うことになるらしい。

「ではお客様は、こちらでーす」

 あたしに渡されたのは――。

「うはははは! カワウソ~が川に溺れてる!!」

 どう見ても人間界には住んでいなさそうな生き物。カワウソというよりカバだ。後ろの結城はイケメンのままなのに、あたしはあまりに醜すぎる。

 なにこれ、なんでこんなに差が。
 衣里も社長も綺麗に撮れてるのにひどいや、美男美女は綺麗に撮れてるのに、ひどいのあたしだけじゃんか!

 500円出してこんなもの買いたくない、やだ!!

「あ、俺が買うから。家に飾っとこ。なかなかアウトドアっぽいし。カワウソ捕獲~って」

「結城っ!!」

「あ、お客様はいい方ですよ。私、ちょっと前に凄いの撮りましたから」

「凄い?」

「ええ、ここでの話、心霊写真みたいなもので。お連れ様の男性がまた、見事に爽やかで。どれもこれもがホラーだと、女性の方は落ち込んでました。こちらの写真らは買われないと、あちらのボードで飾って見る方にも楽しんで頂けるようにしているのですが、その写真もあそこのボードで飾ってます」

「飾ってますって、飾られるの?」

「あ、買われなかったものは」

「買います!」

 こんなの絶対ひとに見られたくない!

「俺が買うって言っただろ!」

「駄目、あたしが買うから! お姉さん、あたしに」

「俺に!!」


「カワウソ写真人気だなぁ~」

「うふふふ、これ飾っておこ」

 ……結局あたしが競り勝った。こんな写真処分しなきゃ!


 ボードでその酷い写真を探してみた。

 本当にあたしより酷く写真に映った可哀想な女の子がいるものなのか。
 四人で探して満場一致。

「これだな」

「これだね」

「これだ」

「これよね」

 幽霊というより、白目を剥いたゾンビにしか思えない、髪の長い女性の後ろで、黒髪眼鏡の若くて格好いい男性がカメラ目線でピースしてる。

 この顔……。


「「「「香月課長……?」」」」
 

 いや、まさかね。だって右下の日付、今年のものだし。

 どう考えても若すぎでしょう。
 それによく見れば、そっくりというわけではないような気もする。黒髪眼鏡が似たように思えるのか?

「なんだぁ? ボードに貼り付いている奇妙な集団がいると思ったら……あれ、こいつ……なんだ女いるじゃん。こんなゾンビに童貞やるとは、あいつ末恐ろしいな」

 聞いたことがある声に上を見遣れば――、


「おお~、渉!」


 先に反応した社長が、宮坂専務に声をかけた。
  

「お久しぶりです、月代さん。まだまだ若いっすね~」

 パチパチと社長の腹筋を手で叩く宮坂専務。

「お前もな。還暦過ぎたんだっけ?」

 社長も専務の割れた腹筋を手で叩いている。

 これがこのふたりの挨拶なんだろうか。

「俺、月代さんより若いんですよ!? 俺の新人指導したの月代さんじゃないですか!」

 確か社長は忍月コーポレーション時代、上司だったんだっけ。

 うっはぁ、専務いい身体してるなぁ、おい!
 ワイルドだね~、こりゃあ身体から入る女もいるでしょうね。

 そんな視線に気づいたのか、専務があたしに斜め上からの流し目を寄越した。裸でこの目線はないでしょうが。

「よぅ、エロカバ。俺の裸に欲情するほど、男日照りなのか?」

「なっ! あたしはエロカバでもなければ欲情もしてないし、男日照りでもないです!」

「へぇ、じゃあ最後にセックスしたのは? 男日照りじゃなきゃ答えられるだろう? ほら言ってみろよ」

「それくらい答えられますよ! 最後にしたのは、き……」

 やっば。馬鹿正直に金曜日って答えそうになったよ。

「……カバ。昨日の"き"か? それともの金曜の"き"か? 誰と?」

 OH!結城からの視線も痛いよ。好奇心にキラキラの衣里と社長の目も痛いよ。

 昨日課長の家にお泊まりしたけれど、キスマークもつけられて色々お触りとかあったけれど、最後までしてるのは金曜の結城とは言えない。

「こら、カバ。この胸についたのと、うなじにある真新しいキスマークは誰がつけたんだ! カバにこんなことする奇特な奴は誰だ!!」

 やばいよ、そこまで見るか、この専務。

「俺が言ってやろうか~?」

 にやにやして誰を想像してるんだよ。

 嫌な予感しかないから、ここはさらりと逃げるのが大人のスキル!!

「そ、そんなもんどうでもいいでしょうが! そんなことを専務に話す義理はありませんから!」

「ほぉ、義理はねぇか。そうか、そうか……。あんな真夜中電話一本で俺を寸止めさせておいて、義理がねぇだと!? このエロカバ!!」

 宮坂専務はあたしの首に腕を巻き付けて締め上げてきた。とはいっても本気ではなくて、すぐに離してくれた。

「宮坂専務、なんでここにいるんですか!? まさかイケなくてあたしに復讐しに来たとか」

「イッたよ、がっつりイキまくったよ! 俺はイケねぇ年じゃねぇんだよ、おかしな目をするな、このエロカバ!」

「イキまくったならよかったです。……は!? もしや絶倫モンスターだから、あれだけでも飽き足らず、まさか食い物にする女の子物色に来てるとか!?」

「ぶはっはっは! 絶倫モンスター!! 間違ってはいねぇけど、絶倫モンスター!!」

「だってそんな感じじゃないですか。まさか衣里を狙って!? 衣里を食べないで下さいよ、衣里になにかしたら、許しませんからね!」

「おお~怖いなぁ。その衣里って言うのが、ムーンで有名な男を滅多打ちにするクールな美女衣里さんか。うちの社員も返り討ちにしたとか? 今度お相手して貰いたいものだ、夜の方も」

「専務っ!!」

 あたしがいきりたつと、衣里があたしを制して言う。

「ああ、あなたが忍月コーポレーションで有名な宮坂専務ですか。初めまして、真下衣里です。おたくの社員に伝えておいて下さいませ。来るなら、樽で3つぐらいは平気で飲めるようになってから来いと。弱い人間は相手になりませんわ、夜もつまらなくて」

 衣里の営業モード。にっこり笑って辛辣な毒の矢だ。

「こりゃあ手強い。さすがはあの、やり手の真下現当主の娘さんだ」

 真下現当主……。

 あたしが知らない衣里のことを、衣里にとっては初めて会ったはずの専務が知っているというのか。

 営業用の衣里の仮面がみるみるうちに崩れている。

「お前が逃げ出したせいで、真下家がどうなっているのか、わかっているのかな? ……それにお前、まだ処女だろ」


「――お黙り!!」


 専務を諫めたのは、衣里でもあたしでも、結城でも社長でもなく、


「野次馬根性でひとの家を好き勝手言うんじゃないの! いまだバージンキラー貫いているのか、この女の敵! 反省するまで口利かないから!」


 手に持つコーラを逆さまにして、専務の頭からぶっ掛けたつま先立ちの女性だった。

 専務は頭上に逆さまになった紙コップを置いて、見事に茶色い液体がだらだらとこぼれ落ちている。

 コーラが滴る男は、イケメン度が下がるこの不思議。

 ここまでしたのに、それでもまだ、手を拳にしてそれを振り上げようとするまでにぷりぷり憤る女性を制したのは、社長だった。

「おおっと、吾川(あがわ)! そのへんにしろよ、人の目があるんだから! 一応こんな男でも一流企業の専務だ。こいつのせいで会社の株価が下がったら、僕が困る! 無理矢理買わせられた身になれ」

「あれ~、月代部長!? なんでここに!?」

「僕は社長だ! ここに来たのは偶然、渉に絡まれてさ~」

「あ、今はシークレットムーンの社長でしたよね、失礼しました。部長の方が呼びやすくて、つい。……もうこの女にドSになるこの男を、部長から叱って下さいよ!」

「だから部長じゃないって。渉、吾川にはドMになるじゃないか。吾川相手じゃなかったら、こんな格好で呆然としたままじゃないぞ。ぶちギレだぞ? 公開レイプだぞ? こんな野獣みたいの、よぉく懐柔したなあ」

「ふふふ、愛の調教です」

 黙っていたら、どこまでも続く社長と女性の会話。

 女性は社長が忍月コーポレーションに居た時、部下だったのだろう。専務もまた。

 可愛らしいお人形みたいな顔立ちと、オリーブ色のショートカット。
 一応ビキニではあるけれど、巨乳というよりはあたしよりないと思う……膨らみがちょっと足りない胸。

 肌も艶やかで高校生のようにも思える若い姿態だが、彼女はOL出来る年齢なのだ。もしかするとあたしと同じぐらいの年齢なのかもしれない。

 あどけなさ残る顔なのに、彼女の目は大人顔負けの鋭いもので、口から出るのは毒だとは。
 
 彼女は会話を終えても専務をほったらかしにしたまま、衣里の元に赴き、衣里の手を握って頭を下げた。

「渉がごめんね、気分悪くしたでしょう? 私が後で叱っておくし、もうこんなことは冗談でも言わせないようにするから。だから気分直してね」

 すると固まったままだった衣里は笑い出した。

「ここまでして下さるとは! すっきり以上に気分爽快です。私がするより、見事すぎる派手な反撃でした。ありがとうございます!」

 ぽたぽたぽた……。

 専務はコーラを垂らしながら、まだ動かない。かなりショックなのか、泣きそうな表情をしているようにも見える。

 ショックなのは、コーラをかけられたからか。それともこの女性に口を利かないと言われたからか。
 なにか言いたげだが、彼女は専務を完全無視だ。
 ……専務、なんだか可愛いです。

「そう? 本当にごめんなさいね」

 食堂で女性からちやほやされていた専務に、堂々とこんなことをして、だけど専務が怒らないこの女性――。

 あたしは、聞いてみた。

「あの……、あなたが"沙紀"さん? 先週、電話でお話した……」

 女性があたしを見た。

「まさか……あなたがヒナちゃん?」

 そうだ、彼女は吾川沙紀と名乗っていた。

 電話で課長の電話番号を教えてくれた女性だ。

「うわあ、偶然ね! 今日たまたま遊びに来たのよ! よかったわ~、まだ帰らないで! 渉より私の勘を信じてよかったわ!」

 にこにこと可愛い沙紀さん。

「やぁぁぁん、可愛い! ヒナちゃん想像以上に可愛い!! いいなあ、なにカップ? 私貧乳だから羨ましいわ~。あなたも凄いわ! ねぇ何歳なの? ええええ!? 私とタメ? 嘘でしょう!?」

 あたしと衣里の胸に言及する沙紀さんが、あたしと同じ年とは。
 顔は年下だけど、物言いはあたしより年上に思えたから驚きだ。

 意外だ。専務がこういう系を選ぶとは。

 だけど考えがはっきりしていて、悪いものは悪いと人前でも言える、パワフルな彼女に好感を持った。
 こういう女性だから、専務を懐柔できるのか。
 
「――で、ヒナちゃん。朱羽くんはどこ? 朱羽くんと一緒に来たんでしょう? しばらく会ってないから挨拶したいわ」

「あ、あの課長は別に……」

 沙紀さんは純粋な笑顔で聞いてくる。

「あれ? ヒナちゃん、朱羽くんと付き合ったんじゃないの?」

「いいえ。付き合うとかそういうのではなくて……」

「朱羽くんからなにも言われなかったの? あなたになにもしなかったの? ヒナちゃん家に行ったんでしょう?」

「ね、熱を出していたので……」

 なんか嫌だこの話題。
 あちこちから飛ぶ視線が痛すぎる。

 あたしが罪悪感を感じるは誰に対してなのか。
 
「てっきり朱羽くん、なにかアクション起こしたと思っていたわ。なんでもたもたしてるのかしら。ヒナちゃんと朱羽くん、美男美女でお似合いだと思うのに。それに朱羽くん一途――」

「すみません、俺達離脱します」

 あたしの腕を引いたのは、機嫌が悪そうな結城だった。

「社長、真下。俺達はもうちょっと遊んでから帰りますんで、気をつけて帰って下さい。ええと、宮坂専務と吾川さん、俺は陽菜と八年の付き合いがある同期で、同じ会社で営業している結城と申します。香月課長をご存知で随分推されているようですが、俺しぶとさには自信がありますので、引き下がる気はないです。俺も正念場なんで。では」

 どこから突っ込んでいいのかわからない。
 わからないけど。

「結城――っ!!」

 肩に担ぎ上げられたまま歩き出した結城に、あたしは叫ぶしか出来なかった。笑う結城の背中をバンバン手で叩いて。

「あはははは! 香月推しの女にむかついて、初対面なのについ宣言しちまった! 真下をあの専務から守ってくれたのに、俺にそんなことさせるなんて、お前も相当悪だよな」

「なにが悪……下ろしてよっ」

「このまま俺のものとして周りに見せつけるのと、ここで思いっきりディープかますのと、どっちがいい?」

「どっちも嫌――っ」

「だったらこのままな。これからは俺の告白タイムその1」

「そ、その1って何回もあるの?」

「当然だろうが。あんなに深く身体に刻みつけても、現れたばかりの違う男に刻み込まれる方を意識するアホ女だ。何度も脳みそに刻みつけて縛りつけねぇと。ええと、どこがいいかな」

「なんか怖い。怖いからまた今度」

「駄目だ。お前だって覚悟してきたんだろ? 俺だって覚悟して言うんだ。だから……聞けよ、俺から逃げないで。怖がるな」

「……っ」

 哀願するような顔を向けられて、あたしは頷くことしか出来なかった。

 その頃、我に返った専務が、にやりと笑って悪だくみを企てているとは知らずに――。
 
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