いじっぱりなシークレットムーン

奏多

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  Crazy Moon 10

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 ベンチが並ぶ休憩スペースに、あたしと結城、衣里と社長が座っている。目の前には長くて青いチューブを水と共に滑り落ちる巨大なウォータースライダーがあり、喜ぶ利用者の叫び声が反響していた。

 行き交う水着姿の美女達。結城と社長が気になるのか、ちらちらと周囲からの視線を感じる。ここで手を振って応えるのは、年を感じさせない社長のみだ。

「はあ……俺、なんで自分で言っちまうかなあ……」

 若きイケメン結城はベンチで項垂れてぼやいている。
 その横で、なにも知らなかったあたしは叫ばずにはいられない。

「なんで黙ってたのよ、あたし六年も知らずにいたってことじゃない。衣里も知ってるのに!」
 
 そう、結城と社長が親子だったなんて、知らなかった。

 結城と社長は肉親ではなく、義理の親子らしい。それでも親子には変わらないふたりの関係に驚いているのはあたしだけ。衣里は既にわかっていたみたいだ。

「真下はなんで知ってるんだよ」

「え、結城が話していたわけじゃないの?」

「言うわけねーだろ。俺、隠したいのに」

「衣里、衣里はなんで知ってたの? 結城じゃないとしたら……、もしや社長から?」

 衣里は意味ありげに笑うだけだ。
 社長から聞いてたんだな。衣里は社長とよく飲みに行ってるらしいから、酒の肴にでもしたか。

「水くさいなあ、結城。あたしも衣里もあんたの同期なんだから、あんたから話してくれたっていいじゃない。あたし達それを知ってあんたになにをするってさ?」

「別にお前達が信頼できないとかじゃなくて、単純にひとに言いたくなかったんだよ、同期だろうがなかろうが。だってさ、義理でも社長の息子だって言ったら、俺を見る目が変わるだろう? そういうの抜きにして、俺は俺の力でやりたかったんだよ」

 確かに、結城の今の地位は彼の実力だ。彼が最初から社長の息子だと知っていたら、誰もが彼の努力を軽く見ていたかもしれない。社長から可愛がられているのも、当然なのだと。

 だけどさ――。

「付き合い長いあたしですら、結城は努力しない七光りのボンボンだとでも思うって? へー、あたし散々だね、ひっどい女だわ。ね!?」
 
 結城の腕を抓ろうとしたら抓られるだけの贅肉がない。
 腹立たしいからパシンと背中を叩いたら、結構力が入ってしまったらしく、結城が呻いて身体を震わせた。

「だから信用してねぇとかそんなんじゃなく、ひとりにでも言ったら、俺の意固地精神が弱まるんだよ。お前がどうのじゃなく、俺の問題なんだって。そういう副産物が嫌なんだよ、俺は。俺はこの身ひとつで勝負してぇんだよ」

 すると衣里が吹き出した。

「ふっ、筋肉馬鹿」

「うるせぇよ、真下!」

 副産物か。副産物、ねぇ?

 副産物が多い課長はどう思っているのだろう。高学歴であんなマンションとあんな外車を持っているハイスペックな彼は。

 その副産物によって得をしていたのなら、もっと手をかけて活用したりはしないんだろうか。なんだか副産物には無頓着のような気もしたのだ。

 生活感のない家。
 あまり使われていない外車。

 台所も見たけれど、よく使われている形跡もなく、モデルルームにあるものように表面的なものばかりが綺麗すぎた。

 彼の副産物は手をかけているような気がしなかった。

 じゃあなぜそんなものを持っているのだろうか。
 拒否も許容もしないで――。

 色々考えていると、結城は話し始めた。

「……俺に病弱な母親居るって話したろう?」

 結城は項垂れたまま、気怠げな目だけをあたしに寄越した。

「うん」

 タコさんウィンナーのお母さんのことだろう。
 
「俺、父親の顔知らねぇんだわ。入退院を繰り返していたはずの母親が、再婚したいと連れてきたのが社長さ。当時俺はまだ高校生で、社長はまだ二十代で社会人になったばかり。お袋より大分年下で、俺と社長の方が年が近かった。忍月コーポレーションで働きながら、お袋と俺を養ってくれた。だけど俺はそんな環境が気に入らなくてさ、社長に反発した」

 社長は薄く笑い、衣里は俯いていた。

「しばらくしてお袋が社長と籍を入れ、その三日後、お袋が急逝した。……たった三日だぞ、そんなの結婚したうちに入らねぇって。それなのに、その三日のために社長は、お袋が死んだ後にムーンを作りながら、荒れてた俺を更生して大学に行かせてくれた。たった三日のために、俺の面倒を見る羽目になった。俺は、父親とは思ってねぇからいいと言ってるのにさ」

「むっちゃんはそう言うけど、僕の息子なんだよ」

 社長は薄く笑った。

「だから三日だぞ!? お袋はもう居ないんだぞ!?」

「三日だろうが、お母さんがいなくなろうが、生半可な覚悟で籍は入れてないから」

 結城は苛立ったように頭をガシガシ掻いた。

「じゃあムーンに入ったのは?」

「色々俺やお袋に金使っただろうから、そうしたものを俺は全部返したかったんだよ。大学時代にしていたバイト代受け取らないから、社長の会社の給料からなら受け取るだろうと思っても駄目。それなら部下として社長に尽くして、会社利益で返すしかねぇだろう。俺、めちゃ走り回って仕事取ってきたんだぞ。社長がのらりくらりと会社経営するから、途中でムーン潰れそうになるし」

 ひねくれ結城の、父親であり兄でもある社長への温情。

 大学時代、もっといいところも狙えたはずなのに、結城は真っ先にムーンの就職を希望していて、その他の会社を考えていないようだった。バイト代を受け取らないという大学の頃から既に、社長に尽くすことを決めていたんじゃないだろうか。借金返済で終わるような、そんな程度のギブアンドテイクの関係ではない感じていたのは、結城もだろう。
 
 ITに適性がないあたしが結城によってムーンに入れた時も、なんであたしと同じ新入社員であるはずの結城が社長に直談判出来るだけの力があるのかと思ったけれど、結城にはそんな秘密があったからなのか。
 
「ま、そういう繋がりはあるけど、僕は睦月を依怙贔屓はしていないぞ。僕は実力主義だ。カワウソだって飲み込み早いし意地があるから、戦力になるほどに育つと見込んだから採用した。なにも睦月の言葉を鵜呑みにしたわけじゃない」

 あたしの胸の内を読み取ったように、社長は笑った。

「課長になれたのは、むっちゃんの実力。僕はただ、皆の決定に判子押しただけだからさ」

「むっちゃん言うなって」

 結城が可愛いんだろうなと思う。

 他人であるのにきっと近しい存在。それくらい社長は結城のお母さんを愛していたのだろうか。彼女の死後、彼女の遺志を受け継ぐほどに。

「……たった三日」

 その時、ぼそりと衣里が呟いた。

「それでずっと独り身を通すんだ。死んだひとを想い続けて、その息子が成人しても手元に置いて見守って」

「衣里?」

 衣里の上げられた凄惨な表情であたしは、直感的に思った。

 いつも見せない今にも泣きそうなこの表情から、もしかして、衣里は社長のことを……って。

 あたしは別にひとの色恋沙汰に敏感に反応するタイプではないけれど、この時あたしが感じたものは、気のせいではないとあたしは強く思えたのだ。

 今、結城の話で衣里が心が泣いている――そう思ったら、彼女が取り乱す前に、受け止めなきゃと思って立ち上がった。だが、

「真下、ちょーっとこっちに来い。喉渇いたから飲み物買いに付き合え」

「なんで私があんたと……っ」

「いいから! 俺は腕が二本しかねぇんだから、四つも持てねぇんだよ」

「じゃあ足使いなさいよ、四本になるでしょう!?」

 衣里を社長から引きはがしたのは結城で、立ち上がったままのあたしを細めた目で抑えた。
 ここは自分に任せろと、だからあたしは社長を頼むと。
 
 そして結城はいつもの通りに衣里に言う。

「足まで使ってどうやって歩けというんだよ!」

「あんた猿なんだからなんとでも出るでしょう!?」

「俺のどこが猿だ! いいから来い、今ならあのかき氷も食わせてやる。お前さっき欲しがってただろうが。おごりだぞ?」

「……マジですか!?」

 ふたりは背を向けた。

 結城は、衣里が社長を想っているかもしれないことに気づいているのだろう。
 だからあたしのように、取り乱した彼女がいつもの彼女でなくなる前に、社長から離したんだ。クールな衣里が後で困らないように。

 くっそ~、あんたはさりげなくていい男だよ、結城。

 いつから衣里の気持ちに気づいていたんだろう。そして衣里はいつから社長が好きだったのだろう。
 
 思えば、飲み会の時いつも衣里は社長の横に居た。

 相手が社長だから衣里なりの気遣いだと思っていた。さらに言えば衣里と社長はお酒好き仲間だし、あたし達同期は一番社長と仲がいいと思うし。

 社長も衣里と共にここにくるくらいだから、衣里とプライベートでも仲がいいのだろう。あたしはムーンの時から社長に言われて社長の携番スマホには入れてはいるけれど、電話はしたことがない。きっとこれからもしないと思う、よほどの緊急事態がない限りは。

 そうか、衣里は電話しているんだ、社長に。

 思い返せば、衣里は遊び人風社長のことをボロクソに言ったことはない。それなのに結城のことは、実力を認めてはいるのに本人にも辛口だ。

 もしかしたら――結城が、社長が忘れられない女性の息子だから、だったのだろうか。

 あたしは六年も友達をしているというのに、衣里の境遇はおろか衣里の気持ちすら気づけなかった。
 衣里はあたしの些細の変化から、あたしと課長がなにかあったのか、すぐ見抜くというのに。

 ああ、観察眼がどうこうの問題ではない。

 あたしが衣里に対して薄情すぎた。……男の結城ですら気づけたものを、あたしは気づいて力になってあげることが出来なかった。
  

「若いっていうのはいいなぁ、カワウソ」

 しばしの沈黙を経て、社長が言った。

「未来がある」

 自嘲気に笑いながら、遠くを見つめる目を細めて。しみじみとした物言いに、あたしは話題を変えた。

「社長はプライベートでも衣里と仲がいいんですか?」

 暗に、どの程度の仲なのか聞いてみる。勘が鋭い社長なら、あたしがなにを訊きたいのかきっとわかるはずだ。

「真下とは……八年の付き合いになる。抱いたことはないが」

 それは意外な答えで、あたしは数回目を瞬かせた。

「衣里と、入社前からの知り合いなんですか? 結城同様」

「ああ。僕が忍月に居た時の得意先の旧家のお嬢さんで、いつも着物姿で陰鬱な表情をしていた。思ったことも言えずに、いつも笑っていた。笑いしか表情を作れない子だった」

「衣里がですか?」
  
 あたしは衣里の過去は知らない。

 入社した時既に、今にようにはきはきとした男勝りな美女だった。基本クールだけど、喜怒哀楽はしっかりあると思う。

 営業成績がいいのは、自分を偽れるからとでも言うのか。

「ああ。まあそれで僕が色々と面倒を見ることになってな。そうしたら今の衣里が出来上がったというわけだ」

 随分と端折(はしょ)られた気はするが、社長から衣里という単語が出てきただけで、社長と衣里との間には、特別な時間が流れているのだと感じた。

「……社長は、衣里のことどう思われているのですか?」

「僕には睦月という子供がある。その子供と衣里は同い年だ。若いのだから、もっと世界を見ないといけない。こんないつどうなるかわからないおじさんではなく」

 社長はわかっているのだろうか、衣里の想いを。

「年は、関係ないと思います」

 思わずあたしはそう口にしてしまった。

「そうか。お前は同世代がいいというわけでもないんだな。だったら年下の香月でもいいわけか」

「なんでそこに課長が出るんですか」

 意味ありげに笑う社長は、やがて真顔になった。


「鹿沼。衣里と睦月と仲のいいお前を見込んで頼みがある」


 初めて見るような男の顔で――。

「僕にもしものことがあったら、会社は睦月に継がせてくれ。ムーンを立ち上げたのは、睦月にやるためだ。あいつなら社員もついて行く」

 忍月コーポレーションを辞めて会社を作ったのは、結城にやるため?

 確かお母さんが死んでから社長がムーンを作ったと結城は話していた気がするけれど、結城は社長の思惑にきっと気づいていない。
 
「それと、衣里を泣かせないで欲しい。衣里を笑わせてやってくれ……。あいつはお前や結城の元で、本当に楽しそうにしている。それは僕と一緒の時の背伸びしている衣里とは違う、素の顔だと思うから」

 絞るような声で。

「……社長、なにを仰ってるんですか? そんな遺言みたいな……」

 社長は静かに笑って言った。


「僕さ、もう長くないんだよ」


 すべての喧噪が音を消した。

「冗談は……」

「冗談だと思う?」

 いつにない覇気がない顔を見て、あたしの身体が震える。

 寒い――。
 さっきまで暑かった室温が、無性に寒い。

「……僕とお前だけの秘密だ。お前ならきっとあのふたりの支えになると思う。僕の亡き後は……ふたりを頼む。このことは、僕が倒れるまで口外しないでくれ」

「社長……」






「……なぁんてな。騙されたか、カワウソ」



 社長がにやりと笑う。

 あたしはしばらく状況が掴めずにいたが、やがてこれは社長お得意の冗談だったことに気づいた。


「……騙してたんですか!?」

「当然。僕のどこが具合悪く見えるのかなあ、この可愛いカワウソは。また沼に溺れた顔をしてるぞ?」

「ひどっ!! 社長冗談キツすぎますって!! 信じちゃったじゃないですか!」

「あはははははは!!」
 
 社長が大笑いしている間に、結城と衣里は戻ってきた。

 あたしに渡されたものと同じマンゴー味のかき氷を食べる衣里は、あたしの視線に気づいて、にこっと笑った。いつもの笑顔で。

「美味しいね、陽菜」

 衣里があたしの表情に気づかないはずはないだろう。
 それを完璧な笑顔で取り繕うぐらいには、あたしは衣里の真情に触れることを拒まれている。

「むっちゃん、パパにもかき氷!」

「むっちゃん言うなって! だれがパパだ、気色悪い。食いたけりゃ食えばいいだろ。こうやって」

 あたしが自分の口に運ぼうとしたスプーンが、突如方向を変えて結城の口に入った。

「ん、美味しい。もうひとつ、あーん」

 条件反射的に、ひな鳥に餌をやるようにかき氷を掬って結城の口に入れた。スプーンを舐める結城は可愛さを気取ろうとしているけれど、あたしを見る目がなにやら妖しくて、あたしは顔を背けた。

 満月の夜を思い出したから。
 あたしの身体を舐める結城を思い出してしまったから。

 なんという目をしてくるのよ!!

「真下、僕もあーん」

「無理です。あんなバカップルになりたくないです」

「衣里、バ、バカップルってなによ!?」

「あんたと結城。普通人前でそこまで間接キスしないから。そこまでキスしたいなら、どうぞ私の目の届かないところで思う存分ディープでも」

「僕、むっちゃんがカワウソの口の中で舌を動かすところを見たい!!」

「だからむっちゃん言うな! 鹿沼とのディープは絶対見せねーからな! もったいない」

「結城っ!! あたし結城とディープなんてしませんので、あしからず」

「「「ええええ……!?」」」

「結城までもか! あんたはどっちの味方よ!!」

 笑いが絶えないあたし達。
 だけどそれは心の奥を見せたくないからなのか、どことなく空々しくも感じる。
 
 子供のようにはしゃいで、ウォータースライダーの順番待ちの整理券を先にとりにいってくれている衣里と社長を見てため息をついたあたしに、結城は言った。

「真下のこと、知らぬ顔で通せ」

「え、でも……」

「子供じゃねぇんだし、隠したいから話してねぇんだ。真下も社長も、俺が社長の息子だと言いたくないのと同じに」

「………」

「言えばいいってもんじゃない。聞けばいいってもんじゃない。真下が同情を欲しいと思うか?」

「それでも、友達なんだし……なにかしてあげたい」

「だったら」

 結城は言った。

「友達ならなんでもしたいというのなら、俺は?」

「え?」

「俺はまだお前の中では友達なんだろう? だったら俺が、どうしてもお前が欲しいと言ったら、お前は無条件でお前のすべてを俺にくれるのか?」

「……っ」

「そういうことなのさ、真下も。欲しいものは他人から得られるものじゃない。自分の戦いだ」

 結城は険しい目を細めて、手を振る衣里を見つめていた。
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