いじっぱりなシークレットムーン

奏多

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  Fighting Moon 6

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 ***


 見合いの前夜、あたしは朱羽といたかった。

 だけど、力になってくれるという名取川文乃の言葉を信じ、名取川家で朝を迎えたが、ろくに眠ることが出来なかったのは、朱羽も同じだったようだ。

 寝ている杏奈を残して洗面に出ると、丁度朱羽が顔を洗い終わった時だった。

 おはようよりもまず朱羽は言う。

「……約束。今晩、うちに来て」

 まるで迷い子が母親を探しているかのように、朱羽の顔は、彼が隠そうとしても隠しきれぬ不安があった。

「そのことだけを考えて俺、やりきるから」

「うん……」

 言葉数が少なく、絡む視線は強く長く。

「陽菜……」

 朱羽が切ない顔で手を伸ばし、あたしの頬を触ろうとした。

 だが、朱羽はその手を丸め、触れるのをやめた。

「……願掛けにする。今日が終わって、あなたに触れるために」

 茶色い瞳が揺れて、静かに細められた。

「あなたを永遠に傍におくために」

 それは苦しげながら強い語気で放たれ、思わずあたしが泣きそうになった時、複数の給仕さん達の声が聞こえてあたし達は離れた。

 すれ違いざま、微かに触れた小指と小指。

 それが偶然なのか故意的なのかわからずして、朱羽の温もりが消えた。

 彼の温もりを長く感じるために、戦おう。

 なにがあっても、たとえ蔑まれてもあたしは朱羽を取り返す。

 ……そんな決意と、感傷的な気分を吹き飛ばしたのは、朝食のマナーから始まった、名取川文乃の猛レッスン。

 昨晩の夕食は洋食、今朝は和食。

 なにも気にしたことがなかった箸が難問だった。

「忍月当主は、箸でひとを判断するところがあるの。箸の持ち上げ方から、見られています。木島さん、がっと上から鷲づかみにしてはいけません! 三上さん一本ずつでもいけません。鹿沼さん、下からそんなに箸先を掴まないの!」

 OH、お腹がすいているから普通の癖が出てしまったよ。

「右手で箸の中央あたりを上から摘まむように少し取り上げ、次に左手を下から添えて、右手を右端に滑らせ箸の下に添え、そして持つ。置くときは、それを逆に。はい、やって見て下さい」

 逆、逆……。

 頭がこんがらがってくる。

 アメリカ帰りの朱羽の方が、お箸歴が長いあたしよりも、所作が自然で上品だ。

 まさかハンバーガーを、お箸で食べていたとか?
 
「はい、では箸置きに箸を置いて。その状態でお椀をお箸で頂いて下さい」

 ええと、お箸は両手から持って……、そうするとお椀のふたは左手で開けないといけないの? 汁もので重いお椀を左手で持ち上げるのも、なにか苦しいぞ。

 ふたがついたお椀、どうやって飲むんだ!?
 あれ、どちらの手が箸? お椀?

 誰もがパニックになり、お椀を持てない。

 朱羽は?

「はい、香月さん合格。そう、臨機応変よ」

 なにをやったのか見ていなかったあたし達に、名取川文乃は実演してくれた。

 両手でお椀の蓋を取り、そのまま両手で持ち上げた。箸を右手だけで掴むとお椀を持つ左手の指に挟んで箸を持ち上げ、右手を下から滑らせ箸をを持つ。鮮やかなるその所作、あっぱれだ。

 お椀を持つ時、持たない時と何度もやり直しをされて、なんとか指が攣りそうになりながら出来るようになった時、食べてみなさいと言われる。

 見られていると箸がうまく動かず、ばってんになる。

 お豆が取れない。煮っ転がしが掴めない。

 ぐさりとさしてしまうと、名取川文乃の目がつり上がり、慌てて箸を抜いた。

 ひぃぃぃっ、ごめんなさい!!

 木島くんがお椀に箸を入れてずずっと飲むと、そちらを見た彼女の頬がひくひくと動く。

 やはり取れないにっころがしを、杏奈が箸を揃えて掬って食べれば、さらに反対側の頬がひくひくと動いた。

 なにか怖くて、箸先を噛んでしまえば、さらにぎろっと怖い目が寄越された。

 なにをやっても怒られてしまう身の上は、どうやって箸を使って朝食が食べられるのかがわからない。

 木島くんから空腹を知らせる音が鳴り響く。彼も迂闊には食べられなくなってしまったらしい。

 その中で朱羽が食べている。
 黙々とお腹に入れている。

 ……彼女に注意されない。
 
「課長、お箸の使い方も習っていたっすか?」

 木島くんの問いに、朱羽は頭を横に振る。

「渉さんが、昔教えてくれて。今、普段通りにしていたんだけど……」

 ああ、さすがは本家育ちの宮坂専務。

 彼が朱羽に仕込めるということは、彼もまた本家でそう教育されていたのだろう。つまり、当主も箸さばきを注視するんだ。

「ふぅ……。そんな彼に引き替え、あなた達はやってはいけない食べ方を、すべて網羅してしまっているとは」

 名取川文乃が頭を抱えて、ふらりとよろけた。

「いいですか。食べ物を突き刺してはいけません。お箸についたご飯を口でとってはいけません。料理に箸を伸ばしてとりかけてやめて、他の料理に移ってはいけません。汁を垂らして食べてはいけません。箸を持った手で器をとってはいけません。おかずばかりを食べてはいけません。器に口をつけてかき込んではいけません……」

 その他たくさん言われたが、これ以外の食べ方ってどんなものがあるのか、逆にわからなくなってしまう。

「鹿沼さん!! せめてあなただけでも、頭に叩き込みなさい!!」

 ……朝ご飯が食べれたのは、それから三十分後のことだった。

 いかに庶民は、自由にがっついて食べられるか、それを思い知りながら、そういえば衣里姫は食べ方が綺麗だったことを思い出す。

 やはり生まれや育ちが、箸の使い方に出てしまうのなら、もっと頑張って上品に食べれるようになりたい。

 当主対策というより、あたしのなけなしの女子力がそう訴えた。
 あたしは、女子力も知識もなさすぎるようだ。
 
 ご飯が食べ終えれば、茶室に行き昨日のおさらいが始まる。

 お茶だけではなく、お花もひと通り習った。

 あたしが活けるお花のセンスだけは、なんとか及第点を貰っている。
 色や配置のセンスを求められるWEB部での経験値が、ようやく役だってくれたようだ。
 

 ……なぜ、朱羽を財閥から遠ざけようとしているあたしが、財閥に近づくための猛特訓をしているのか。

 それは昨日の、心頭滅却からの話に隠されていると思う。

 忍月財閥当主や、朱羽の義理の母親(美幸さんというらしい)の懐に入るためには、彼らと同化しないといけない。そこで初めて、話が出来る土俵に上がれる。

 作法だけではなく、最低限持たねばならないといけない知識も習った。

 現代日本に居座る、忍月や向島などを含めた五大財閥の成り立ち、財界・政界・経済界の誰が誰と手を組んで、それらが過去の歴史においてどういう力を持つものか。

 朱羽が足を踏み入れている世界は、本当に頭が痛いものだ。

 人間がひとり生きていくのに、そんな知識は要らないが、話の場につくための試験として、わからないことを前提で聞いてくるのが当主だと教えられれば、ムーン入社時の月代会長を思い出してしまう。

 実際はそこまで必要としない知識でも、それを選考の基準とされたことに、なにかやりきれない理不尽なものを感じながら、あの時もなんとか必死で覚えて乗り越えた。今は朱羽以外にも杏奈も木島くんも、あたしにクイズを出す形、或いはわからないことを積極的に名取川文乃に質問する形で、あたしに覚えさせようと協力してくれるから、その思いに応えるためにもあたしは頑張った。

 根性だけは誰にも負けない。

「人間が一番力が発揮出来るのは、一夜漬。とにかくも鹿沼さんは、記憶が薄れる前の今日、恐らくはテストをされるはず」

「て、テストですか!?」

「さあ、一夜漬のお嬢様を作り上げるわよ!」

 青ざめて慌てるあたしとは対照的に、なにやら名取川文乃は興奮したように嬉しそうだった。

  
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