いじっぱりなシークレットムーン

奏多

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  Final Moon 19

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 朱羽の怜悧な瞳は、まっすぐにシゲさんに向いていた。

 確かに、タエさんのような老女は悲鳴のような奇声をあげて怒りとおびえの狭間で揺れ、美幸夫人のような美しい顔をして一番新しく部屋に入っていた女は、そんな異常な空気に揺れずに、好色そうな眼差しを沙紀さんだけではなく、専務や朱羽にも向けている。渦中に己がいるとは思っていない、興味のないものには冷ややかな他人顔。

 困惑したような表情を浮かべるシゲさんだけが、この場における正常だ。

「シゲさん。俺の推測は、どうですか?」

 シゲさんの目が揺れている。
 拒絶の言葉が出てこない、これは――。

「ほ、本当なんですか?」

 あたしの喉の奥からは、驚愕と動揺にひりついた声しか出てこない。

 まるで、老女のような嗄れた声。 

「シゲさん! あたしが見合いの席で見た美幸夫人が本当のタエさんで、そしてあたしが今日見たタエさん……シゲさんの横にいるタエさんが、本当の美幸夫人なんですか!?」

 自分の言葉で言うと、頭がぐらぐらして吐き出す息が荒くなってくる。

 美幸夫人がふたり居る――。

 それだけで混乱して今にも過呼吸を引き起こしそうなあたしを、隣に来た朱羽が肩を抱いてくれた。肩を抱きながら朱羽の大きな手のひらが、あたしの後頭部を優しく支えてくれる。

 あたし達の視線を浴びたシゲさんは――、

「……はい。朱羽さまと陽菜さまのご指摘通りです」

 項垂れるようにして頷いた。 

「美幸は、整形とストレスで……外貌が変わってしまいました。渉さまが本家をいらっしゃった頃からその兆候が現われ、渉さまが本家を出られた後、かなり深刻な問題となり、美幸と瓜二つの姿態を持つタエを、美幸に仕立てました。これは、私の発案です」

 いまだ奇声を揚げ続けるタエさんこと、それが真実の美幸さんのなれの果てだとシゲさんは告げる。

「では、俺と渉さんの母を殺した美幸さんは……」

「はい。この美幸です」

 シゲさんは、老女を哀れんだ眼差しで見た。

「この美幸は人前に出れなくなってしまった。だから近年タエが美幸の代わりをしていました。朱羽さまの見合いの席についていたのもあそこにいるタエ。声をお聞きになればわかると思いますが、美幸は声帯も弱まり、もう嗄れた声しか出ません。声と顔が人前で必要な席においては、すべてタエが出ておりました。ですので、渉さまが本家にいらっしゃった時は、まだかろうじて美幸本人でしたが、出て行かれてからはタエが少しずつ美幸のふりを」

「俺が一人暮らしを始めたのは、アメリカから帰ってきた時だ。では、俺が弟達に会った時は、朱羽の母親が死んだ時は」

「……その頃までが美幸で、渉様が帰国された時は既に、すべてとは言えませんが、人前ではタエが主流でございました」

「それは当主はご存知なんですか?」

 朱羽が尋ねると、シゲさんはゆっくりと頷いた。

「ご存知です。ご当主の許可なくては、こんなこと何年も続けてこれませんから」

 確かにそうだ。

 当主は最初から、美幸夫人に対しては言葉を濁らせていた。
 追い出せない理由があるとか、当主の権限ではなにも出来ないとか。
 
「当然よ」

 そう言ったのは、美幸夫人の姿をしたタエさん。

「あの男が、美幸にしたことを思えば、お役御免と追放すること出来ないでしょうよ。美幸はあの男が裏でしていたことを知っているし、幾らひとでなしとはいえ、あの男が美幸に受けた恩を忘れてはいけないわ」

 そう勝ち誇ったように笑うタエさんとは対照的に、老女は怯えたようにしてシゲさんに縋っている。

「あの男に狂わされたのは、美幸だけではない。シゲも私もそう。今更被害者面して、美幸を追い出させるわけにはいかない!」

 それは見合い会場で見せていたような、強い眼差し。

「シゲが高校二年、私と美幸が高校一年の時、親が借金を作って蒸発した。毎日のように借金取りのヤクザが押しかけてきて、三人でバイトしようとも高校生が貰えるお金はたかが知れていた。そしてヤクザはこう言ったの」

――お前達のうちひとり、俺達のところに来い。年齢を誤魔化して高額バイトをさせてやろう。こんな借金くらい、二年あれば返済出来る。

 シゲさんは、老女を宥めながら言った。

「……私達三姉妹のうち、ひとりを犠牲にすればこんな借金地獄から逃れられる。長女の私が行くべきところを美幸が笑いながら言った」

――私が行くわ。私が一番、汚れてもいい身体をしているし。シゲは優等生なんだから、エリートの道を目指してよ。

「美幸は派手で、男遊びも激しかった。大人の男性から身体で小遣いを稼いでいた……そんな子でした」

「いつも面倒を見てくれていたシゲとは違い、美幸は遊んでばかりいた素行がいいとは言えない子だったけれど、それでも誰が喜んで借金取りの言う場所に行ける?」

 シゲさんとタエさんは、目に涙を浮かべた。

「美幸は接客がうまかったから、風俗から、やがて銀座のホステスにまで格上げされた。その時は借金も返済出来るほど人気だったらしいけど、借金が終わっても美幸は戻ってこなかった。美幸はそういう世界にしか生きられない身体となり、そして稼いだお金で私達を養ってくれたの。たまに家に帰ってきたりして、平和になった古い家で笑い声も再びするようになった」

――姉さん、私ね、この世界で頑張って頂点目指そうと思うんだ。私に、向いているのよ。だからこれは私が選んだ道だから、心苦しく思わないで。

「美幸は姉思いの優しい子なのよ。それを、あの男がっ!!」
 
 タエさんが言った"あの男"、きっとそれは――。

「銀座のホステスで№2までに上った美幸を、忍月の当主が無理矢理!」

 タエさんは怒りを滲ませ、シゲさんが代わりに言った。

「美幸が言っていたのですが、銀座のクラブに来る本当の金持ちは、いいカモにされないように警戒しているのか、そう簡単に高い装飾品を身につけたり、金持ちだと自慢しないそうです。ただ成金だけは、自分がいかに金持ちなのかと自慢したがり、バッグの中に札束を詰めたり、何百万と使っていくようで。その中に、ご当主がいたそうです」

 当主は確か、名取川文乃と別れたあと、壊れていったと言っていた。

「丁度美幸は、結婚を意識していた男性がいたせいもあり、強引で金をばらまいて言うことをきかせようとする彼が、いかに美幸に金をかけても靡かなかった。そこで、恫喝や嫌がらせが始まり、美幸はクラブにいれなくなってしまった。その上に、結婚相手が自殺し、美幸を恨む遺書を残していたそうです。そこには、金に目がくらんで愛人になるから、もう彼は必要ないと、伝言を頼まれた男が来たということについて書かれてました。忍月の当主が裏でなにをしていたのか、それでわかりました」

「あの男は、愛人を沢山作っていたくせに、美幸を愛人にするために、美幸の人生を壊した。妻がいるくせに、至るところでレイプした。美幸が子供を産めなくなったのも、当主のせいよ! それなのに、子供が産めない身体だとわかった途端、今度は忌々しくも荷物扱いした!」

 場は静まりかえっていた。

 美幸夫人の顔をしたタエさんが、美幸夫人の心情を語っている。

 ねぇ、なんか……ねぇ……。

「ここに美幸を連れて来てもいい性処理の道具!! 所構わず犯した。息子の妻となっても。それで美幸が孕んだら、息子の子供だということにする気だったのよ。そして息子は息子で手当たり次第に女に手を出し、美幸のことは子供が産めないのなら無意味で無価値だと、女と一緒に嘲笑った。勝手に連れてきて、なにそれ!」

 うまく言えないんだけれど……、なんであたしの心に来ないのだろう。
 なんでこう、録音を再生している気分になるのだろう。
 
 悪いけど最近、あたしは自分を含めて、虐げられてきた人間達の心の叫びを聞いてきた。言葉にならない想いに、心を震わせてきた。

 だが、それがないのだ。
 美幸夫人がなされたことを語るタエさんには。

 彼女は第三者のはずなのに、被害者の家族という立場であるはずなのに、ここまで被害者当人のように熱くなっているから、そこに温度差が生まれてしまっている気がする。

 なぜだろう。
 美幸夫人は悪い女だという先入観が固定されてしまっていたから?

 確かに当主は、罪悪感を覚えるなにかを、美幸夫人にしていたのだろう。
 財閥に入った当主は、向島専務のように壊れていき、そして使用人達の態度、朱羽や専務が受けた傷に伝染する元凶となったのも確かだ。

 だけど――。

「使用人達が美幸をどう蔑んだのかご存知? 渉さんや朱羽さんは母親を持ち出すけれど、彼女達が美幸になにをしたか! たかだか忍月の住人とセックスをして、子供が出来たことを、子供が出来ない美幸に勝ち誇ったように自慢して、そして老いていく彼女に笑って言った」

――愛される要素なんて、なにもないわよね。

 ……そこだけは、狂気のような怒りを感じた。

 "愛される要素"

「それはあなたの言葉なんじゃありませんか、タエさん」

 朱羽が冷ややかに言った。

 美幸夫人の顔をしたタエさんは、不愉快そうに目を細める。

 それでも朱羽は続けた。

「"美幸ではなく、私が愛されたいのに"、"私が夫人の座に居たいのに"」

「違っ」

 否定しながらも、明白な動揺をしている。

「結構な熱弁、どこまで続くのかと思わず聞き入ってしまいましたが、もうそろそろよろしいですか?」

 朱羽も……冷めている。
 杏奈のことには、あれほど向島専務に怒声をあげた男が。

「お姉さんはそれで情で流されるのかもしれませんが、生憎私も……陽菜も、修羅場をくぐり抜けてきているので、傷つけられる者の痛みというものには特に敏感なんです」

 うっすらと口元に笑いを乗せて、朱羽があたしを見る。
 あたしもタエさんの言葉に疑問を感じていたのを、感じ取っていたのか。
 
「美幸さんへの同情を誘い、陽菜に有利な決断をさせようとしたのでしょうが、申し訳ありませんが陽菜は空々しく感じていたようです」

「な……っ」

 タエさんが怒りの眼差しを向けてくる。

「なによりあなたは怒りなど感じていないでしょう。あなたは恐らくは、愛する男に愛されるために、この本家に来たくせに。決して美幸さんのためなんかじゃない。むしろ美幸さんは邪魔だったはずだ、あなたの愛にとっては」

 朱羽の断言。

 あたし達は思わず、静かな口調の朱羽を見つめた。

「どういうことですか?」

 シゲさんが怪訝な顔をした。

「当主も亡き父も、同じ女を取り合っていたのかと思ってましたが、どうやらそれは違うようです」

「え?」

 あたしは朱羽を見上げた。
 
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