いじっぱりなシークレットムーン

奏多

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  Final Moon 18

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――シゲ。美幸の部屋を開けよ。

 当主の部屋から、呼ばれてきたシゲさんとともに出て、向かい側にある小応接室に入り、あたしと朱羽、専務と沙紀さんは、戦闘前の準備としてシゲさんと話をした。

 あたしは皆を代表して、美幸夫人についてどう思うのかという質問をしてみた。

「皆さまは奥様のことを悪く思われているようですが、私には……」
 
 無表情で、命を下した当主の部屋から出たシゲさんは、僅かに表情を崩しながら言った。

「奥様がああなったのも、よくわかる気がします」

 ……美幸夫人の側近としての感想か。

「それはなぜ?」

 専務が訪ねると、シゲさんはどもるようにしながら答えた。

「忍月の呪いのため」

「それはどんなものなの?」

 あたしはシゲさんに聞いた。

「それは奥様だけではありません。使用人だろうと忍月の方々だろうと、大それた夢を心に描き、いつしか傲慢になり、ひとの心を失っていく。きっとそれは、渉さまが一番ご存知のはずです」

「……ああ。でも当主は今は、昔より落ち着いてはいないか? 正直、昔の方がもっと酷い、横暴君主だったように思うが」

 それはあたしも思う。
 名取川文乃に散々脅されるように注意されたほど、当主も冷酷ではない。

「それは……、年のためです」

 シゲさんは、顔を俯き加減にして言う。

「年って年齢のことですか?」

「はい、朱羽さま。年齢です。年齢が彼らを変えて行く。一方では身体を患い気弱になっても、老人として話を聞き、どうにか孫に囲まれるように画策してくれる、第三者に恵まれ」

 あたしは沙紀さんと顔を見合わせた。

「一方では孤立して、子供もなく鬼だ悪魔だと言われて、人前にも出てこれない。同じく年を取ったというのに、奥様を追い詰めた当主がなぜ幸せになり、忍月に染まった……被害者とも言える奥様だけが、なぜこんな惨めな人生を歩まねばならないのか」

 それは、美幸夫人を擁護しているようにも聞こえる。
 彼女は、忍月の被害者であり、ひととしての根底が悪いものではないのだと。
 
「色々なご意見がございましょう。これもひとつの見方。彼女はしていけないことをしてしまっているから、同情の余地もないと言われればそれまでです」

 それにしても潔い。
 もっと感情的に美幸夫人を擁護して終わるかと思いきや、それでも客観的姿勢を貫こうとする。

 だけどそのおかげで、美幸夫人もまた被害者になりえるだけのものがあったことを加味して、理解しないといけないだろう。

「シゲさん。あなたはいつからここにいたっけ?」

 専務が訪ねると、シゲさんは口元に薄く笑みを浮かべた。

「奥様と同じ時にここにきました。私には妹がふたりおりますが、貧しい家のため、タエさんと同じく、奥様の紹介でここにきました。……渉さまが本家に住み始められた時には、私はもうここにおりました」

 専務は明らかに不審そうな顔をして考え込む。

「記憶ねぇぞ、俺」

「かもしれませんね。前はこんな眼鏡も、こんな髪型もしておりませんでしたし、もっと使用人は多くおりましたから。私は、その他大勢のひとりであり、新人でしたので」

「何歳なんだ、シゲさん」

「私、今年49歳になります」

「ということは、俺より15年上か」

 ということは、専務は35歳なのか。

 杏奈より年上だろうとは思っていたけれど、年齢を聞くのは初めてだったりする。

「20代前半なら、あの時確かに山といたなあ」

「はい。今では私が長老のようになってしまいましたが」

 シゲさんは素っ気ない。

「いやいや、タエさんがいるでしょう」

「彼女は……まあいいでしょう。恐らくお話することになるかと思いますので。あの……奥様の言葉が間違った解釈をされないために、そして奥様の精神の安定のために、私も同席してもよろしいでしょうか。お話の邪魔にならぬよう、後ろに立っておりますので」

「まあいいけどよ。確かにあのひとの言うことは信じられないことばかりだが、あんたはあのひとのことを、良い悪い言えるようだから。お前らもいいか?」

 あたし達も頷いた。
 
「では参りましょうか」

 シゲさんがドアを促すと、朱羽が少し強張った顔をした。

 朱羽は、専務のようにうまく立ち振る舞えるほど、美幸夫人にも女にも慣れていない。今まで言い寄る女には、彼は冷たく突き放すことしかしていなかったのだ。受容か拒絶かしかない。

 だからきっと見合いの時も、美幸夫人にいいように触られたままでいたのだろう。彼の振るまいの如何が、彼の未来を決定するように思えば、拒絶が出来ないのなら受容するしかないから。

「朱羽、あたし頑張れるよ?」

「そうだよ、朱羽くん。あたしも陽菜ちゃんも、渉と朱羽くんがされた過酷な過去はないから、任せてくれれば……」

 しかし朱羽は、静かに首を振った。
 そして、戦いを決意した眼差しであたし達に言った。

「いいえ。これは俺の戦いでもあります。確かに当主は丸くなったように思えますが、だからといって俺は、見捨てられた時のことを忘れるわけにはいかない。それと同じように彼女がしたことで、母が死んだことを思えば許すことも出来ません。だけど……きっとそれが呪いなのでしょう」

 朱羽は真剣な顔で専務を見た。

「渉さんも、忍月の呪いにかかっている。沙紀さんがそれを解こうとしてくれたけれど、やはりしこりは残っている。これはきっと、俺達忍月の者達が自分でなんとかしないと、前に進めない。……この財閥を継ぐことも出来ない。当主を哀れんだ妥協案を、現実化するために」

「ああ、そうだな。一番顔を背けていたい呪いの元凶へと足を進めようか。俺達には、呪いすら跳ね返す頼もしい恋人がいるんだから」

「はい、そうです。俺達は忍月の闇に取り込まれることはない。もし迷い込んでしまったとしても、陽菜が沙紀さんが、きっと探し出して手を引いてくれますから」

 専務と朱羽は、各々沙紀さんとあたしの手をとった。

「陽菜、弱い俺でごめん。だけど俺もなんとかするから。今まで傷んで膿んでいた傷口を、見据えるよ。真っ向から」

「うん。泣きたくなったり辛くなったら、あたしの手をぎゅっと握ってね。あたしが呪いを跳ね返すから」

「私も跳ね返すよ、投げ飛ばしてやる」

「はははは」

 シゲさんがつり上げられた口元が、微笑みなのか嘲笑なのかわからないまま、あたし達は美幸夫人の部屋の前に行く。

 コンコンコン。

「美幸さま、シゲです。お話があって参りました」

 中から返事が聞こえる。

 シゲさんが鍵を回し、ドアが開いた。
 それとも共に、規則正しかったあたしの呼吸が緊張に止まった。
 
 明度を落とした部屋の中、飾り棚の上に置かれた箱のようなところの扉が開いており、一筋の白煙が靡いている。

 これは、線香?

「話とは、なに……出ていけ!!」

 隣室から顔を覗かせた美幸夫人。

 会いたくても今まで会えなかったそのひとは、確かに彼女の声を嗄れたものにさせて、さらに暗く照明を落とした。

 風邪でもひいて、そのやつれた姿を見せたくないとか?

 よくいるよね、美人さんなのに、いつの時も美人であるために頑張るひと。結婚しても化粧を落とせない美人さん。

 ……化粧を落としたら、別人かと思えるくらいに凄いんだろうか。
 
「奥様、ご当主に言われたのです」

「そんなはずっ」

「奥様。もう、夢見る時間は終わったのです」

「シゲ!!」

「だから私も、この姿をやめます」

 シゲさんは、眼鏡をとってあたし達を見た。
 そこにある顔は――。


「……私には、妹がふたりおります。年子の妹が、美幸です」


 そこにあったのは、美幸夫人と同じ眼差し。
 
 ただメイドだからか、化粧はされていないが綺麗だ。
 だったら美幸夫人だって綺麗な顔立ちをしている。

「美幸。もうわかっているんでしょう? もうタイムリミットよ」」

「違う、違う――っ!!」

 あたしが見た美幸夫人と相似した、くっきりと整った顔をしているシゲさんが、声をかけながら、隣室に歩いていく。

 まさかあのシゲさんが、こんな綺麗な顔をした美幸夫人の姉だったなんて。あたしは言葉も出ずに朱羽を見ると、唖然としている専務や沙紀さんとは違い、朱羽だけは動揺もしないで厳しい目で見ている。

「美幸、私……覚悟を決めなさいって話していたでしょう。美幸は今までしたことについてツケを払わなきゃ」

「なんで私が! 悪いのはあいつらだっ!! 私を、この私を!!」

「美幸!」

「嫌よ、見せたくないっ!! やめて、やめろっ!!」
 
 彼女がどんな嫌がっても、話をしない限りはあたし達も終わらない。具合悪いのなら、救急車でも呼べばいい。

 あたしは足を踏み出した。
 そして隣室の前で座って、床に手をついて頭を下げる。

「美幸夫人。お願いです、お話をさせて下さい」

「嫌よ、出ていって、出ていけっ!!」

「具合悪いならお医者さんをお呼びします。もしお化粧をしたいのなら、お化粧の間待たせて下さい」

「うるさい、黙れ、黙れ、黙れ――っ!!」


 半狂乱の声。


「ここから出ていけ――っ!! 出ていくのだ――っ!!」


 薄暗い空間から、ものが飛んで来る。

 当たる!!

 見えずに勘だけでそう思い、思わず目を瞑ったあたしだが、鈍い音がしたものの、あたしの顔に命中するものはなかった。

 朱羽が、あたしを庇うようにして、背中に受けていたのだった。

「朱羽!! 大丈夫? どこぶつけた?」

「大丈夫だ。俺は全然平気。あなたは?」

「あたしは大丈夫。でも朱羽が……」

「渉さん!!」

 その時、朱羽が専務を呼んだ。

「壁の照明をつけて下さい」

「あ、あ?」


「やめろ、点けるなっ!!」

「早く!!」


 パチッ。

 急に明度が戻った室内で、しばし暗さに慣れていた目がチカチカした。

 そして。


「え……」


 シゲさんの横に居た女性。
 それは――。

 
「見ないで、見るな、見るな、見るな――っ!!」


 それは――。


「美幸、もう楽になろう? かなり具合が悪いんでしょう? もういい加減、治療を受けないと!」


 そこに居たのは――。


「タエさん!?」


 あたしに威嚇してきた、推定70歳の老女。

 だけど、待って。

「おかしいよ、そんなの! だって見合いの席にはもっと……っ」

「そ、そうよ。私だって、毎夜意識を落としていたのは、このひとじゃないわ!」

 あたしと沙紀さんが、悲鳴のような声をあげた時、カチャリとドアが開く音がして、中に誰かが入って来た。

「シゲ、鍵あいてたわよ。やっぱりここのシャワーより、下のお風呂が気持ちいいわ。で、久しぶりの風呂の後の話ってなに? 私、ここに閉じこもってなくていいの? 美幸みたいに、もううろついてもよくなったの?」

 入って来たのは――。

「み、美幸夫人……っ」

 そう、見合いの席に居た美幸夫人で。
 シゲさんのように似ている、というより美幸夫人そのもので、声も嗄れていない。

 頭が混乱した。

 あたしは、誰を美幸夫人としていたの?
 本物は誰?

 朱羽が言った。

「……美容整形が崩れたのか、遺伝性の病気かストレスからなのかはよくわかりません。ですが恐らく」

 朱羽の眼鏡のレンズが青白く光る。

「美幸さんは、昔のような若さも美しさも維持できなくなった。だから近年美幸さんの姉妹であるタエさんを呼び寄せ、美幸さんのふりをさせ、そしてあなたはタエさんのふりをして、美幸さんにかかる悪い噂を消していた。違いますか?」

――一方では孤立して、子供もなく鬼だ悪魔だと言われて、人前にも出てこれない。同じく年を取ったというのに、奥様を追い詰めた当主がなぜ幸せになり、忍月に染まった……被害者とも言える奥様だけが、なぜこんな惨めな人生を歩まねばならないのか。


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