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Final Moon 17
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午後八時――。
沙紀さんから指示された紅茶葉にて抽出した、三人分の紅茶を入れたティーポットと、ティーカップをお盆に載せたあたしの後ろで、沙紀さんは嫌がる専務と朱羽を両手で引き摺るようにして部屋に向かう。
「もう忘れているって。ボケ老人だから」
「当主はしゃんとしてるわよ、ほら観念なさい」
駄々っ子のような専務と、憂鬱そうな顔をしている朱羽。
いやあ、兄弟だね。白いニットのシャツがお揃いだよ。
お顔は反対のタイプだけれどね。やはりあたしは、専務は格好いいと思うけれど、それでおしまい。
コンコンコン。
返事があって部屋を開けると、朱羽の部屋より大きい、応接のソファに当主が座っており、椅子まで手前に用意して、やる気満々だ。
もし専務と朱羽の心情を優先して訪問を諦めていたら、当主はずっと座って、来ない待ち人を待っていたのだろうか。
どうみても、孫と戯れたい様子だ。
老犬、尻尾を振る。
あたしと沙紀さんが紅茶をテーブルに置いて立っていたら、当主にパートナーと一緒に座るように指示され、当主が一人用の椅子に腰掛けた。皆がそちらに座ると立ち上がるが、当主はどうしても二人組にさせたいらしい。
「その、す、すま、すま……ふぉ!の使い方だが」
すました顔で、言いにくそうに当主が言う。
最後のふぉの部分で白いヒゲが勢いよく揺れたから、沙紀さんと失笑してしまった。
あたしと沙紀さんのスマホしかないため、レクチャー用にそれを出した。
「渉、朱羽。お前達はないのか?」
「取り上げられましたよ、シゲさんに」
「私もそうです」
「私は知らないぞ?」
「だったら美幸さんでしょうね」
当主は知らなかったのか。
美幸夫人に牛耳られた忍月の体質が問われる。
だからこそ、専務も朱羽も苦しめられてきたのだから、それをなんとかしないといけない。当主もまた。
スマホ講義が始まる。
沙紀さんは、iPhoneだったために、音声ナビのSiriを動かしてみせたり、あたしは指で大きくさせたり移動させたりなどを当主にレクチャーする。
専務と朱羽は、機械についてスマホについて、時代はどうでありどこに向かっていくのかを話すと、当主は驚いたようにして聞き入った。
なんでも知っていると思われた当主も、やはり寄る年波には勝てないのか、機械についていけずにいたらしく(説明してくれるひともいなかったのか?)、なんとかガラケーをようやく使えるようになった矢先のスマホ登場に、なにをどう使うものかわからずに、辟易していたらしい。
熟年を過ぎた世代の、機械に対する質問は子供が考えるように面白く、そこは老いた顧客相手に慣れているあたしや、秘書歴が長い沙紀さんもフォローした。
朱羽が作った、タブレットで見れるシークレットムーンの情報は、スマホでも見れる。シークレットムーンがどんな仕事をしているのか、その一例としてシステムを動かすと、新たなページが作られていて、社長に就任した結城が取引先に挨拶がてら、契約の続行を確約出来たところが印がついており、従来の新規開拓の営業も皆頑張っているらしく、軒並み印がついている。
「うわ、結城が社長になった途端、結城だけじゃなく、皆も頑張ってる」
この場がどこかも忘れて、朱羽の腕を引いて喜んでしまった。
「忍月の副社長が手を出した時より、130%契約増だって! なんとか穴はカバー出来たね。凄いよ、うちのチームワーク!!」
専務の咳払いで、あたしは身を小さくさせた。
「副社長……、ああ栄一郎か」
おお、初めて聞いた副社長の名前。
誰もが名前を呼ばなかった、ただの副社長。
「あやつ、そこまでちょっかいかけたのか、朱羽の会社に」
「ちょっかいなんてもんじゃないですよ」
専務が説明した。その説明を聞いていると、よくもまあシークレットムーンは社員で力を合わせて乗り切って来れたと思う。なんだか涙がでちゃう。
専務の言葉を、目を閉じて聞いていた当主は大きなため息をついた。
「……美幸と組んで動いていたのは知っておったが」
少し表情に苛立ったようにも見えた。
専務は、当主が暗躍して副社長のバックにいるかもしれないと言ったことがあったが、当主ではなく美幸夫人が裏に居た。
しかも、次期当主に副社長を据えようと計画していた。
好き勝手な行動をとる美幸夫人に、どう制裁が加えられるのか。
「結城くんも、大変じゃったんだな……」
結城より孫!
「結城くんの失いたくない友達が、朱羽だったとはな……」
だから孫! 孫を中心に考えようよ!
そこらへん、孫想いだということを認めたくない天邪鬼さを出しているのか、しばし結城の名前ばかりが出た。
「結城くんも、ここに呼ぶといい」
「結城に財閥を継がせますか?」
苦笑して専務が言うと、そこは断固否定。
仲良しと次期当主は別物らしい。
……しかし結城、どんなトークをしたんだろう。
それが不思議で仕方がない。
「あの、こちらにいらっしゃるタエさんとはどんな方なんですか?」
沈黙が続いたから、あたしが切り出すと、当主は途端に固い顔をする。
「なぜ?」
「いえ、ご病気だと聞いていたので。皆さん70歳くらいだと仰られるんですが、実際どういう素性の方なのかなと」
あたしはあくまで、無邪気さを装った。
「会ったのか?」
「はい。すぐいなくなったり、俯いたりしてしまいますが」
「……美幸の知り合いだ」
すると専務が驚いた。
「え? そんなメイドがいたの、俺、初めて聞きました」
「お前がここを出てから、連れてきたからな」
「俺、見てねぇぞ。お前達は?」
朱羽も沙紀さんも頭を横に振った。
「病気でいつもいなくなってしまうみたいなの」
「70歳のメイド……」
朱羽が唖然とした。
……色々想像しているんだろうな。
「お香のいい匂いがして、背筋は曲がってないよ。あたし、皆が70歳とは言ってたけれど、もっと若い気もするんだ。美幸夫人の噂がたたないように動いているみたい。……やっぱり知り合いだったんだ、皆知らないよきっと。怖がってたし」
朱羽は目を細めた。
「そのほかに何か聞いたか?」
当主があたしを見る。
その眼差しに、どことなく怯懦の色が混ざっている気がした。そしてそれに、皆も気づいた。
「なにも聞いてません。美幸夫人を理解するために、彼女の話を聞くことが出来ません。箝口令が出ているらしくて。それならば、やはり直にお話をお伺いしたいと思います。彼女の部屋に行ってもよろしいですか?」
「……陽菜さんの結論で、朱羽と渉は……」
「それを考えずに、ベストを尽くします。結果を気にしていたら、いつまでたっても理解が出来ません。あたしにはまず、美幸夫人の情報が足りなさすぎます。箝口令はどうしたら解けますか?」
箝口令とは呪いのこと。
呪いを解くためににはどうすればいい?
「それは美幸自身が解かねばならぬ。こればかりは、ワシの力が及ばぬ。ワシはなにも言えぬ。そしてその箝口令は呪いとなり、屋敷を覆っておる」
"呪い"
「それは、破戒無慙の報い……だ」
なにやら重い言葉に、場は静まり返った。
だがあたしが首を捻るのは、ハカイムザンとはなんぞや?
説明を求めるあたしの視線に気づいた朱羽は言う。
「破戒無慙とは、僧が守るべき、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒の五つの戒律を破りながら恥と思わないことですよね? しかし忍月は僧の世界ではない。だからたとえだと考えます。そうしたものが忍月にあり、それは美幸さんが関係していながら恥だと思っていない、と」
当主は渋い顔をしたまま、なにも答えなかった。
答えがないのが、答えなのだろう。
罪を罪だと思わない美幸夫人には、罪悪感が欠如しているのか、冷酷なのか。
……それとも、恥じないのには理由があるのか。
「ひとつお願いがあります」
朱羽が、涼やかな声で当主に言った。
「俺と渉さんも、陽菜と美幸さんの場に立ち会わせて頂いてもよろしいでしょうか。出来れば沙紀さんも」
「朱羽?」
さらさらとした漆黒の前髪を眼鏡のフレームに零して、その怜悧な目で当主を見据える。
「俺達も知るべきだと思います。この屋敷の"呪い"がなんであるのか。俺の母親も渉さんの母親も、なんで殺されたのか」
朱羽は……なにかに勘づいている。
「あなたが、この屋敷で自由にさせた理由はなにか。なぜあなたが俺達に美幸さんのことを言えないのか。俺達も陽菜と共に、そこにたどり着いて、美幸さんを考えてみたいと思います」
たどり着く先に、なにがあるのか。
当主の顔を覆っているのは、悲哀の情。
それは美幸夫人を知ろうとしているあたし達に対して? それとも美幸夫人に対して?
悲哀の中に混ざっているのは――。
「……。シゲを呼べ。美幸の鍵を開くようにワシが言おう」
開かずの間が、開く。
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