いじっぱりなシークレットムーン

奏多

文字の大きさ
156 / 165

  Secret Moon 2

しおりを挟む

 ***



 名取川邸――。

 
「まあ、衣里さんとともに酷い顔」

 名取川文乃が、ころころと声をたてて笑った。

「ま、結果はわかっておりましたけれど。なんといっても我が娘ですから」

 親ばかになってしまったように、当主に言う。

「それで、渉さんはいいとして、美幸さんの姿が見えないのは? 誠意がございませんことね」

「美幸は……出て行った。自分で」

「……そう」

 彼女は顔から笑みを消して、神妙な顔つきとなった。

「……ワシにとってなにが一番なのかということを、陽菜さんを始めとした孫達に教えて貰ったわ。お前にも迷惑をかけた。ようやくワシは、欲しかったものを手にできそうな気がする」

「あら、忍月財閥ではなくて?」

「違う。ワシが欲しかったのは、笑い合える家族だ。孫が……可愛いと思うのだ、もっと懐いて欲しいと思うのだ」

 切実な声。

 遡ればあの時、あたしが初めて中華もどきの夕飯を作った時に、スマホを見てよかったと思う。
 あの時、食堂で当主がスマホに食いつかねば、当主は孫達と雑談することもなく、孫と会話する楽しさを感じなかっただろうから。

 あたしに反発した使用人達が意地悪をしてくれたから、孫と祖父を引き合わせることが出来た。
 悪さをしようとした使用人が、その仲を取り持ったのだ。

「あらま。随分と溺愛なされていらっしゃること。前にうちに来た時は、まったくそんな素振りはなかったのに」

「す、すまぬ……」

「謝ればすむとお思い? 陽菜を散々苦しめて」

「ワ、ワシが悪かった。許してくれ……陽菜さん、文乃」
 
 ……当主を小さくさせられるのは、名取川文乃しかいない。

 彼女と似た美幸夫人ですら、当主は優位にいたのだ。
 それが名取川文乃にかかっては、第三者が口を挟む間もなく、完全に彼女に当主は翻弄されている。

 美幸夫人が似ているなんて、名取川文乃に申し訳ない。
 役者が違う。生まれ持った素質が違う。

 当主が、彼女と添い遂げていたら、また忍月の歴史は変わっていただろう。

 名取川文乃がいるから、満たされた当主は浮気をしようとも思わなかっただろうし、そんな親を見ている子供も、妻を苦しめることもなく。

 ほんの僅かな捻れが、子供達を不幸にしていく――。
 
「しかし、あなたとはとうのとっくにきっちりと別れたはずなのに、こうもご縁が出来てしまうのは、正直なところ複雑ですわね」

 すると当主は途端に口籠もるようにして言う。

「あ、ああ……。え、縁があるのなら……っ」

 え、まさかの復縁!?

「私は主人がいます! まだ直らないんですか、浮気癖!」

 くわっと目をつり上げて怒る名取川文乃に、冗談だと言いながら縮こまる当主は、どう見ても落胆しているように思えて、あたし達は笑ってしまった。

 一通り談笑して、あたしはまた日を改めて挨拶に来ると、彼女に告げた。
 当主にはつーんとしていた彼女だったが、あたしを見て満足そうに笑うと、あたしの手を取り、

「よく頑張ったわね。よくここまで頑張りました。母はあなたを誇りに思います」

 そう言ったから。

「ふぇぇ……」

「……また酷い顔になるわよ、朱羽さんに嫌われたいの!?」

 あたしは泣きたいのを、ぎりぎりで踏みとどまった。

「あなたはまだ子供のところがあるのね。……朱羽さん、こんな陽菜ですが、これからも愛してやって下さいね」

「はい。然るべき時が来ましたら、その時は改めてご挨拶にお伺いさせて頂きます」

「まあっ、おほほほ。その時はその金魚のフンは要らないわ。あなただけがいらしてね、おほほほほ!」

「金魚のフン……」

「なんのことじゃ?」

 渉さんと当主が顔を見合わせているのは、勝手に進められている話の意味するところがわかり、真っ赤な顔になってしまったあたしには見えていなかった。
 
「では、その"然るべき時"を楽しみにしています。その時にならなくても、またお茶を飲みに来なさい。社員をつれて」

「「はいっ!!」」

「では恒例の蘊蓄を申しましょう。

千利休の『利休道歌 (りきゅうどうか)』 のひとつに『規矩(きく)作法 守り尽くして破るとも 離るるとても本を忘るな』と言う歌があります。これは『守破離(しゅはり)』、日本での茶道、武道に留まらず、すべての作業においていえる、師弟関係のあり方のひとつを表わしています」

 今まで彼女の言葉を聞いたことがない渉さんと当主に比べ、あたしと衣里と朱羽は至って真剣だ。

「『守』の段階は、ひたすら師の教えを守り、『破』は、よりよい型を作るために今まで学んだ型を破り、アレンジする段階。『離』の段階では、従来の型から離れて、新たに自分の型を創造し進化出来る段階とされています」

 ああ、これは……。

「ご家族との関係、そして忍月財閥について。今あなた達はどこの段階に来ているのか、どこに進めばいいのか。道を間違えず、より強い絆で結ばれて下さい」

 当主は思うところがあるのか、憂い顔で考えていた。

 忍月で言うのなら。

 『守』しかできなかった当主。
 『破』をしようとしている渉さん。

 そこからふたりで、あるいは朱羽が『離』を遂行できた時、忍月財閥は不動のものとなるだろう。

 言葉で言えば容易く、そこに行き着くまでは難しい。
 それでも言葉は、指針になる。

「ご拝聴、ありがとうございました」

 あたしの師匠である名取川文乃は、あたしには真似出来ないほど素晴らしいお辞儀をして、場をしめた。



 ***


 
 東大付属病院――。

 衣里は姫のプライドにかけてか、名取川文乃が言った「酷い顔」を気にして顔を整えてあとから来るということで、あたしは酷い泣き顔のまま、朱羽と渉さんと当主と共に病院に来た。

 うん、衣里との違いは女子力の違いとも言えるね。

 いつものように社員の何人かは病室にいると思ったが、なんと会長ひとりきり。それでも看護師とすれ違ったから、きちんと会長の体調チェックはしていてくれるのだろうが、皆どうしちゃったのだろう。

「月代会長。鹿沼、ただいま戻りました!」

 元気よく挨拶するあたしの顔を見るなり、会長は破顔して「来たのか、カワウソ~」と大きな声を出した。

 会長にはスマホから逐一報告していたから特に質問攻めにされることはなかったけれど、社長はあたしと朱羽を手招いて呼び寄せ、頭をぐしゃぐしゃと撫でて喜び、

「よく戻って来たな、お前達」

 そう涙声で笑い、当主に頭を下げた。まるで実の父親のように。

「ありがとうございます忍月さん。そして渉も、よく決心したな」

「月代さん、俺……やれるところまでやってみます。俺はひとりじゃないですし。朱羽が沙紀が、カバがいてくれますから。わからないところは祖父もカバーしてくれるそうなので」

「そうか。……うん、そうか。……渉、頑張れよ。俺もシークレットムーンの社員達も、お前を支える。あいつら、お前にずっと感謝をしていたからな。むっちゃんが頼りなかったら、扱いていいぞ?」

「はは。わかりました。……月代さん。シークレットムーンを、お借りします。守って貰いながら、俺も守ります。あなたのムーンを、結城と共に」

「ん」

 手招く会長の腕の中に、もうひとり加わった。

「……っ」

 それを当主は、羨ましそうに見ているのを感じた。

 こうやって、渉さんや朱羽にも懐いて貰いたいのだろう。他人の方が血よりも濃い繋がりがあるのは明らかだ。

 ……会長は、朱羽の父親に可愛がられたと言っていた。

 子供子供とナーバスに言う前の彼は、会長にどんなことをしたのだろう。
 会長が、ここまで懐の大きい男となり、あたし達を救うようになるまで、どんなことをしたのだろう。

 すべてが繋がっているのなら、どこに起点があるというのだろう。
 
「会長、衣里戻って来ますよ」

「そうか。むっちゃん喜ぶぞ」

 自身はどうなのか、会長は感想を避ける。
 
 あくまであたし達に平等な"親"の顔で、彼の中の真情を隠す。
 それでも、嬉しそうな顔はしているから、なにも言わないことにした。

「正直、結城が動くと思ってませんでした」

「なんだ、むっちゃん動いたのか!」

「あれ、なにも言わないで結城ひとりで動いたんですか?」

「ああ、突然なにも言わないでふら~っといなくなって、ふら~っと帰ってきて。お前から聞くとはな」

 意外にも会長に話してなかったようで、会長も純粋に驚いていた。彼もまた、結城はひとりで衣里奪還に動かない、と思っていたのだろうか。

「あたしまたてっきり、皆でそう話し合って結城が代表したのかと。だったら結城、ひとりで動いたんですか? 衣里のために」

「ああ、そうなるな」

 あたし達は同期で仲がいいとはいえ、結城と衣里ふたりでどうこうということはなかった。必ずあたしが間に介在していたような感じで、いつも結城は衣里の毒舌から逃げているフシがあったのに。

「……あたしと連絡とってたのに、なにも言わないで、結城……」

 悔しいが、そういうところが結城のよさだ。

 決して自分の株を上げるためには動かない。
 彼にあるのは見栄というより、優しさから生まれた誠意なのだ。

 同期として社長として、衣里を犠牲にしたことに責任を感じて?

 それとも――。

 眉を潜めたあたしを察したのか、朱羽は笑って言った。

「……意識的か無意識的かわからないけど、彼もまた、過去を『守』る段階から、『破』る段階にきたのかもしれないね」

「なんだ、香月。守るとか破るとか」

「いえ、独り言です」
 
 ……あたしが望むのは間違いかもしれないけれど、それでも結城も、また新しい道をと願ってしまう。

 どうなんだろうね、結城は。

 持ち前の責任感からなのか、それとも男として衣里を奪いにいったのか。

 正直、結城と衣里の間に恋愛感情があるのかと問われれば、答えに苦しむ。結城はひとあたりがいい上に、やはり同期の結束は固いから、ひとよりは衣里に接するのは特別で。あたしと比べれば、あっさりしてはいる関係だけれど、それでも……、少しずつだけれど、ふたりの距離は近づいているようには思える。

 同期よりももっと固い絆というか。
 その正体がなんなのかは、あたしには見えない。

 病室のテーブルを雑巾で拭いてあれこれ考えていると、朱羽があたしの下げていた頭を人差し指でノックする。

「陽菜の浮気者」

「はああ!?」

「結城さんのことばっかり考えていただろう」

 コンコン、コンコン!

「そ、そんなことは……」

 痛くはないけど、音が響く。
 どうせ脳みそ少ないですよ。

 会長と、渉さんと当主が話している。

 帝王ホテルで相対したような、そんな緊張感や物々しさはなく、普通ににこやかに会話しているように思える。

 当主も、渉さんや朱羽を理解したくて必死なのだろう。
 ……金魚のフンになるほどに。

 朱羽は言った。

「もうそろそろ、行こうか」

「……うん」

「俺達の戻るべき場所に」


 シークレットムーンに。


 
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...