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1.ゼラニウムは、予期せぬ出会いを誘い寄せる

おもいがけない提案

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 牧瀬は真宮に言う。

「総支配人。MINOWA製品にも、何百万もするハイクラスはあります。それをご紹介しなかったのは、ホテルの仕事を見くびっているからではなく、その機能が必要ないと思われたからです」
「ほう?」
「資料を拝見したところ、恐らくは業種的に不必要だろうと思われる機能がある機械ばかりでした。さらにこれを常時動かしているとなれば、電気代や熱量も相当なもののはず。機械は熱に弱いので、熱が籠もらない環境でなければ、トラブルを起こしやすくもなる」

 牧瀬は真摯な顔でそう言った。

「各部署の仕事内容は教えて頂きましたので、それらに役立つと思われる機能を持つものをご提案させて頂きました。無駄な機能を省いてコンパクトになった分、お安くなりますし、シンプルな操作にストレスなく、設備投資代を楽に回収出来るかと」

 すると真宮はくつくつと喉元で笑って言う。

「つまり、御社でのハイスペックのものはシンプルな操作でもなく、投資分を楽に回収出来るものでもないということですか?」
「そういう意味では……」
「なににどれだけ金をかけるのはこちらの事情。売ろうとしている営業さんに心配されることはない。それに他社さんでは、勧めてくる最上級機種は、投資した分だけの働きをすぐに期待出来ると、太鼓判を押していましたが」

 冷淡にも思えるほどの涼しげな勿忘草の瞳は、牧瀬の誠意を撥ね付ける。

(そりゃあ、高いものを買ってくれそうなら、調子いいことを言うでしょうよ)

 至極単純な打算的な心理を、見抜けない男ではないと思うのに。

 なにより、客のためを思う提案を余計なお世話だと言うのなら。あくまで業者は客が望む通りのものを売るべきだというのなら。こちらを試すようなやり方をしなくても、始めからそう言えばいいのだ。
 客のためにあれこれ考えるのは、無意味だ。助言や指導コンサルタントの意味はない。

(わたしのすべき仕事はない。ならば去る前に、一言言わせて貰う)

 香乃は僅かに乱れる息を整えた後、姿勢を正して真っ直ぐに碧眼を見据えた。

「他社さんがどうであろうと、わたし達MINOWAは、お客様に本当に必要なもののお手伝いをしたいというのが信条。製品を勧める営業課と、それが適切であるかを総合的に監査するコンサルタント課は、バランスが取れて初めて、営業という仕事が成り立つものだと、わたくし共は考えております」

 勿忘草色の瞳が、香乃を見つめている。

「現行で、これだけの優れた設備を整えているのに、一年でさらなる利益を求め、導入していない別のメーカーにお声がけをなさっているのなら、投資に見合うだけの利益がなかったからではないかと推測致します。つまり、実務ではそこまでの機能が必要なかったのか、それとも操作が難しくて使いこなせなかったのか」

 真宮はなにも答えない。ただじっと香乃を見つめて、耳を傾けているだけだ。

「また、この配置図を見るだけでも、従業員の動線を遮り、部屋の広さ的には機械が大きすぎて、皆様はかなりの圧迫感や熱量を感じていらっしゃっているはず。求められている機能からすれば、スリムな省エネタイプでも、十分に満足頂けるかと思い、ご提案させて頂きましたが、どうやらコンサルタントの必要はなかったようです。差し出がましいことを申し訳ありませんでした。では、これからは牧瀬のみで、最高機種のご提案をさせて頂きたく……」
「わかりました」

 真宮は香乃と視線を絡めたまま、静かな声を出した。

「そこまでうちに親身になろうとして下さっているのなら、一週間。うちの従業員の仕事ぶりを実際見た上で、再度ご提案下さい。当ホテルにはなにが必要なのか、コンサルタントのエキスパートとして、ご助言頂きたい」
「一週間、実際ホテルの内幕を見るということですか?」
「ええ。一時間でも二十四時間でもいい。……毎日、私と共に」

 温度がなかった蒼い瞳に、微かに熱が見える。
 彼がコンサルタントとして声をかけているのがわかるのに、香乃の心臓が跳ねた。

(いやいや! どく……っじゃないでしょう、わたし!)

「……私も来ます」

 どこか硬質な声で牧瀬が言うと、真宮は頷いた。

「それは構いません。ですが、蓮見さんも来て頂きたいのです」
「なぜですか? ……コンサルタントとして?」

 むしろそれ以外の可能性を匂わせる牧瀬に、真宮は口元だけで笑う。

「……蓮見さんは、花の〝常識〟を知っている。……花を活け直しているところを見ました。それはなぜですか?」

(見てたの!?)

「祝い事にそぐわない花があったので、つい……」

 すると真宮は、目を和らげてふっと笑った。

「……うちのフラワーコーディネーターにも、誰にも、それがわからない。私は総支配者として、来客者に失礼がないよう気を配る責任があるので、花に関して教えて頂きたいのです。非常識なものがこのホテルにあるのなら、正していきたい。……次の花担当が決まるまでの、応急措置だと考えて頂いて結構です」

 牧瀬が断れと目で合図を送ってくる。牧瀬はなにかを感じているのだろう。

 私情を抜きにして一週間、花とホテル内だけに集中していれば、仕事の道は開かれる。
 しかし私情を優先すれば、まず仕事が取れる可能性は低くなる。

(ここには、MINOWAのブランドを背負って来ているのよ、わたしは)

 たまたま、コンサルタントをしていて花に詳しかったから……だけの理由に、切り捨ててきた九年前のことを結びつけたくもない。真宮の話を断れば、消し去ったはずの恋情のしこりが、自分にまだあると認めることにもなる。……そんなはずはない。自分は強く変わったはずなのだ。

(……わたしには出来る。大丈夫)

「わかりました。そのお話、お引き受けします。ただわたしには資格があるわけではないので、あくまでわたしがわかる範囲で、ということになりますが」
「蓮見!」
「それで構いません」
「それと誠に勝手ながら、わたしにも通常業務があるので、一日中ずっとはこちらには来れません。なので基本、一日一時間から二時間程度とさせて頂きたく」
「わかりました」
「ちょっと待て、蓮見。独断で決め……」

 突然のスマホのバイブ音に、牧瀬は言葉を切った。……牧瀬のスマホかららしい。牧瀬は無視して口を開きかけたが、ブルブルとうるさい機械の音が、静寂な室内に大きく響く。

「……どうぞ、出て下さい」
「すみません……。もしもし、折り返……え?」

 すぐに切ろうとしていた牧瀬だったが、慌てた声を出した。トラブルでも起きたらしい。
 真宮が、ゆっくり電話をして下さいとでも言うように会釈をしたが、打ち合わせ相手の目の前で自社との電話は気が引けるのか、ぺこりと頭を下げて足早に部屋から出て行った。
 ……そして室内には、香乃と真宮とふたりきりになってしまった。

(……気まずい。今からこんなんじゃ思いやられる……)

 資料を再読して熟考するふりをしながら、香乃は話しかけるなオーラを発動する。極度の緊張に汗を掻きながら。

「……蓮見さん」

 しかしそんなオーラは、真宮には通用しなかったらしい。二秒後に名前を呼ばれた。

「ひゃい!?」

 思わず声をひっくり返して、ソファの上で飛び上がってしまう。
 真宮は愉快げな、柔らかな笑みを浮かべながら、じっと香乃の左手の指を見て言う。

「……ご結婚は、されていないのですね」
「え?」
「よかった……」

 真宮は片手で、端正な顔を覆って表情を隠す。

 香乃は、自分もまた同じことを彼に対して思ったことを思い出すと、呼吸が引き攣れた。

――ホズミ、モテるしちょっと意味ありげなところがあるから、もしも先輩を勘違いさせていたなら、ゴメンナサイ。

 彼の言うことは、信じてはいけない。
 ……同じことを思ったのだと、勘違いしてはいけない。
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