21 / 102
2.リナリアは、この恋に気づいて欲しいと訴える
天使と悪魔がいるエレベーターホール
しおりを挟む「ならば、総支配人はわざと皆さんを見て見ぬふりをしていると? そしてそれがホテルの再建につながると?」
「はい。一見矛盾しているようにも思えますが、そうとしか思えない。私には総支配人が、愚かなただの道楽には思えなくて。すべて必然だからしているのだと。もしかすると、なにも言わずに見て見ぬふりをすることで、見極めているのではと」
「見極めている?」
「はい。この先傍におくべきか、捨てるべきか。耐久性があるように見せかけて、ある日突然、裁きの雷を落としそうな、そんな気すらします」
〝捨てるべき〟
ズキッと香乃の心が痛む。
「もしも傍におくと決めれば、なにがあろうとも守り続けるかもしれませんが、敵や用済みだとみなせば非情なまでに徹底的に排除する。支配者として純粋培養されたような感じと言えばいいのか。だから私、その日が来るのを戦々恐々としながら、私に出来る限りの仕事をしています」
「……っ」
「総支配人の素の顔は、私もスタッフの誰も見たことがない。なににも動じず、なににも心を許さず、まるで氷です。冷淡にも思える時はあります」
確かに、仕事の時の真宮は支配者の顔を見せた。
しかし彼は、そこまで氷のような無感情さを出していただろうか。
自分が翻弄されていたのは、冷血さゆえではなく、穏やかさと冷たさと相反したものを併せ持っていたからではなかったのか。
「たとえば総支配人は、仕事以外で穏やかそうな表情になったりはしないんですか?」
「私が見ている限りではないですね。大体、笑いませんから。支配人と同じく」
(わたしにだけ見せている? ……ダメダメ、また自惚れちゃ!)
「ただ、冷たいといっても、駄目従業員ばかりなのでそういう態度なのかもしれません。仕事に関して思えば、かなりの情熱家で、ホテルにずっと泊まって、仕事をしていて。前に総支配人より先に来て仕事をしようとしたら、始発に乗ってきたのに、既にフロントに立って仕事をしていました。倒れるかと思うくらい、仕事をしています。接客もとても真摯で真面目ですし、傲慢さもなにもなく、本当に尊敬できるトップで。いつも仕事ばかりなので、どこで息抜きしているのか謎です」
「た、たとえば女……遊びをしているとか……」
すると彼女は笑って一蹴した。
「総支配人、凄くイケメンですが、遊んでいる暇なんてありません。特に女性が押しかけて修羅場になったりもありませんし、総支配人はふしだらな関係を結ぶようなひとにも思えません。営業用で物腰は柔らかくても、おいそれと個人的に近づくのを許さないような独特なオーラがあって、あの感じなら遊ぶことができなさそうな気がします」
香乃は押し黙った。
(やっぱり、誤解があるのかな……)
「まあ実際の顔は、支配人ならわかっているのかもしれません。なんでも古い付き合いのようなので。といっても友達とはまた違うみたいですが」
確かに、河原崎と真宮はなにか親密そうには思えた。
「あ、もうひとり、あの方なら総支配人の素顔はわかっているかも」
彼女は手を叩く。
「あの方?」
「ええ。フラワーコーディネーターの方なんですが、便宜上そういう肩書きでお呼びはしていますが、生け花の師範の腕前を持つ方なんです。だから生け方は綺麗なのですが、その……知識がないところもあって。ご親戚筋が、有名なフラワーチェーン店らしくて、見栄えのいい高価な花を好まれて、花言葉とかは気にしていないというか。総支配人も手を焼いていたかとは思いますが、昔からのお知り合いらしく。お家柄も釣り合いますし、この先はふたり……」
その時、エレベーターのドアが開いて、真宮が現れた。
「ここにいた!」
そして真宮は、泣き出しそうな顔で飛び出してくると、香乃を抱きしめた。
ぶわりと、勿忘草の匂いが広がった。
「そ、総支配人!?」
「俺を待つようにって、言いましたよね!?」
目を見開く従業員に、香乃はぶんぶんと頭を横に振った。
「す、すみませ……」
「俺、またあなたがいなくなったかと……」
そこで言葉を切った真宮は、真宮の靴を、靴を脱いだ足でダンダンと踏んでいた香乃に気づいたようで、同時に従業員に見られていたことにも気づいたようだった。
「……きみはなぜここに?」
真宮は香乃から身体を離したものの、見られたことにまるで動じていない。
そして彼に相対する従業員も、心なしか緊張したような様子で直立不動の姿勢を取って答えた。
「はい、フロント業務前に、なにかトラブルがないかと客室の巡回をしておりました。その時、そちらのお客様をエレベーター前でお見かけしまして、花瓶を運ぶお手伝いをと」
「……そう。それはいい心がけだ。三〇二一号室に残りがある。そこに運んでくれないか。場所は……」
「巡回をして心得ております。十九階、十七階、十五階、十四階、九階、七階に運びます」
「ああ、そうだ。きみは話が早くていい」
本当に業務内容というだけの寒々しい会話だった。
真宮はいつもこう表情を変えずに、冷ややかに指示をする男だったのか。
(怖……っ)
しかし香乃自身も、いつも眉間に皺を寄せて書類を無言で差し戻すこともある。
これからは、ちゃんとにこにことして対応しようと、反省する。
「では、失礼致します」
「あ、あの……わ、わたしも……」
「あなたは、そんな暇はない。他にも花はたくさんあるので、お願いします」
(今までそんなにたくさん仕事があるとは、言わなかったくせに!)
彼女には笑わない真宮が、にっこりと香乃には笑う。
その違いになにか空々しさを感じて、助けを求めるように従業員に顔を向けた。
「ああ、ではフロントの飾り付けも是非ともお願いします、お客様! 私はあなたのお花の大ファンですので、来客の皆様ともこの悦びを分かち合えるよう、よろしくお願いします!」
(大ファン……)
思わず香乃がでれっとなってしまった間に、彼女はエレベーターに乗り込んだ。
「あ、従業員さん! わたし、蓮見香乃と言います。お名前を……」
すると彼女は、胸にあった小さなバッチを指し示しながら言った。
「設楽一葉と申します。フロントにおりますので、いつでもお声がけ下さいませ、蓮見様」
綺麗なお辞儀をしたままドアが閉まり、エレベーターは下りていった。
「……はぅ。可愛い……。エンジェル一葉ちゃん……いつでも声かけちゃいそう。毎日、ホテルに来る楽しみが出来たかも」
ひとり悶えていると、なにやらじとりとした視線が送られて来る。
真宮からだ。
高温でほこほことしている香乃に対して、真宮はかなり低温で冷ややかな眼差しだ。
(なにか……怒ってらっしゃる?)
「ええと……勝手に抜け出してすみませんでした。お仕事、次はどこでしょうか」
きりりとして、そう質問する。
「その前に。蓮見さん」
じりと一歩前に足を踏み出して、真宮が言った。
勿忘草色の瞳を、真っ直ぐ香乃に向けて。
「服を……脱いで欲しいんです」
「ひゃ、い!?」
香乃は思わず及び腰になって、逃走姿勢になる。
真宮は身体を捻った香乃の腕を掴むと、真剣な顔で言った。
「お願いします。悪いようにはしませんので」
身体が近づくにつれ、彼の声音の熱が耳元に掠れ、心臓が大暴れをした。
「い……や、いやいやいやいや! なに、なになになにを!?」
周囲に誰もいないとはいえ、ここは客室が並ぶエレベーターホールだ。
……否、場所の問題ではない。
いや、場所も問題ではあるが。
「なぜ服を脱がなきゃならないんですか!」
香乃が裏返って叫んでいる間に、先ほどの女性従業員を乗せたエレベーターの隣の扉が開き、河原崎が現われた。
「いかがわしいのはこのホテルですか!? それとも総支配人ですか!? どうしてもあなたは、わたしをそんな対象にしたいんですか!? こんなところで裸になれなんて、ひどい、ひどいです! 悪魔です!」
すると真宮が困惑したようにして言った。
「……いえ、花の滲みがついてしまっているようなので、クリーニングをと……。その間、当ホテルの制服を着て頂けるものか、ご相談をと……」
「え……?」
真宮の視線の先にあったのは、色がついてしまった自分の白いブラウスだった。
そして真宮の手には、折りたたまれた水色の制服がある。
「部屋に戻って言うより、ここの方がいいかなと思ったんですが……」
(やば……。やっちゃった……?)
途端に河原崎が大爆笑を始めた。
「ぶはははははは! こんなところで、穂積がひん剥いてヤろうとするかっての! 幾ら限定で盛りっぱなしとはいえ、そこは穂積という男を信じてやってくれよ。まあご主人様を追っかけ回す、犬ッコロかもしれねぇが!」
「へ……」
(今、この方はなんと……?)
「ゴホン。支配人」
至って冷静な真宮の声で、河原崎はきりりとした顔に戻しながらも、肩を震わせて言った。
「よかったですねぇ、総支配人。言った通りでしょう、蓮見さんはまだホテルにいると」
真宮はどこか憮然として、頭を掻いている。
「実はね、蓮見さん。逃げられるっていうのが総支配人のトラウマなんですよ」
「はい……?」
今度はなんの話になったのだろうか。
やけに真宮が、ゲホンゲホンと咳払いをしている。
「いやあ、これでまた逃げられて、また別の男に捕獲されてでもいたら、総支配人は蹲って泣いてしまうか、ホテルを破壊する程に荒れ狂うか……」
「支配人、お黙り下さい」
河原崎ににっこりと笑う真宮の声は、恐ろしく低かった。
その圧は凄まじく、軽口を叩いた河原崎の顔が徐々に引き攣ってきた。
1
あなたにおすすめの小説
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!
satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。
働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。
早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。
そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。
大丈夫なのかなぁ?
片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。
好きな人の好きな人
ぽぽ
恋愛
"私には何年も思い続ける初恋相手がいる。"
初恋相手に対しての執着と愛の重さは日々増していくばかりで、彼の1番近くにいれるの自分が当たり前だった。
恋人関係がなくても、隣にいれるだけで幸せ……。
そう思っていたのに、初恋相手に恋人兼婚約者がいたなんて聞いてません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる