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2.リナリアは、この恋に気づいて欲しいと訴える

新人もどきはホテルの裏側を見た!

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 ◇◇◇

 

 十五分後にまた来ると真宮と河原崎は消え、花を生けていた部屋にて香乃はひとり着替えていた。

 一葉があまりにも制服姿が可愛かったから、制服マジックで少しは自分も可愛くなれるかもしれないと期待した香乃であったが、姿見に映す制服姿の自分は、イケて――いなかった。

「……くっ、胸と尻がキツい。パッツパツ……うお、これは現実的に色々と無理がありすぎる……」

 やけに窮屈な制服のフォルム。
 真宮の見積もりより、自分はむっちりとしているということで、それはそれで恥ずかしい。

 短いプリーツスカートが三十路女には痛々しく、一葉との差を見せつけられたようで、自分に幻滅する。
 特急クリーニングで三十分ほどで出来上がるようで、三十分間この姿でいなければならない。

(まるでシンデレラのなり損ない……)

「なにこの、羞恥プレイ……」

 なにかシーツでもあればそれに下半身だけでも巻き付けたいが、勝手に備品を使用することは憚られる。
 とりあえずは着替えましたの報告でもしようと部屋を開けたが、そこには真宮も河原崎もいなかった。
 期待して部屋に来られるのも実に微妙な気がして、それならばさっさと醜態を晒そうと、手渡された袋に自分の着ていたものを入れて、廊下で待っていた。

 やがて人影が見え、同じ制服姿の……これまたまったく似合っていない初老のおばさん従業員がモップがけをしていた。

(やばい。同じレベルかもしれない……)

 こちらを見ているようなため、ぺこりと頭を下げてみる。
 すると彼女はドスドスと音をたて、大股で香乃に近寄ってきた。

(な、なに!?)

 思わず逃げ腰になっている香乃に、ずいとモップと雑巾を突き出した。

「ちょっと新人! 若いくせに仕事、さぼって突っ立ってんじゃないわよ!」

 言うだけ言うと、彼女はいなくなる。

 この格好を笑われるどころか、新人のように若いと表現して貰えたことに微妙な喜びを感じる。
 働きたいとホテルに居座る香乃としては、ただ突っ立ってるのも申し訳なくてたまらないため、両手に力を入れてモップ磨きに精を出す。

 このホテルの廊下は、絨毯ではなく大理石調のタイルだ。
 靴音が響きそうに思えるが、部屋の中にいて特に物音をうるさく感じないのは、部屋自体が防音設備になっているからなのかもしれない。

 タイルは磨けば磨くほど、艶を見せる。
 それが嬉しくて何度も端から端へと磨き、ざらついた汚れは雑巾で拭う。

 今日の気分は花を生けるよりも、身体を動かす方がよかったらしい。
 口笛でも吹きたい気分でモップをかけていれば、今度は僅かに制服のデザインが違う男性従業員が客を連れて来たようだ。
 あの制服はホテルの玄関にいたベルボーイだ。
 香乃はさっと道をあけて壁の傍に立ち「いらっしゃいませ」と頭を下げていると、ベルボーイの足が香乃の前で止まり、突如目の前にボストンバックと鍵を押しつけられた。

「お客様を案内して」

(え。ご案内はあなたのお仕事では……)

 ベルボーイは香乃の手の中に、ずっしりとあまりに重すぎる荷物を渡すと、客に意味ありげに笑い、背を向けていなくなってしまう。

(わたしが、ご案内?)

 きょろきょろとあたりを見渡して助けを求めるが、誰もいない。
 スーツ姿の初老の男性が、じっと舐めるようにして香乃を見ている。

(キーに記されている三四〇二号室は、掃除をしていたからわかるけれども……)

「こ、こちらでございます」

 仕方がなく従業員のふりをして、愛想笑いで案内しようとした時、男性が言う。

「よし、きみにしよう」
「はい?」
 
 腰に手を回され、ぞっとした。
 思わず、肩こり必須の重いバッグを男性の顔にぶん投げたくなったが、安易にそんなことをすれば、真宮の顔に泥を塗ってしまうため、ひたすら耐えながら言う。

「お、お客様。当ホテルではそういったサービスはございません」
「そんなはずないだろう。あのベルボーイに金を渡したんだ。今まで通り、女に融通をきかせてくれる。過去何度も楽しませて貰ったんだから」

(ベルボーイ、同僚……いやわたしを売るな!)

「見かけない顔だが、新人かね? だったら上客の扱い方と小遣い稼ぎの両方を、部屋でゆっくりと手取り足取り……」

(ひぃぃぃぃぃ!)

 いやらしく尻を撫でられ、香乃の前身が鳥肌となる。毛という毛がざわりと総毛立つ。

「新藤様、いらっしゃいませ」

 突如聞こえた声に、香乃は涙目を向けた。
 どことなく慌てているようにも見える真宮だった。

「いつものお部屋にご案内いたします」

 しかしその声は乱れがない。
 すると新藤と呼ばれた男性は、怖い物でも見るかのような強張った顔つきになる。

「うちの新人が、なにか粗相を致しましたでしょうか」

 微笑んでいるのにその笑みには圧があり、さらに語気が強い。
 外見からはわからないが、怒気を帯びていることを、男性客も察したようだった。

「い、いえなにも」
「そうですか。それは安心しました。ではこちらに」

 真宮はひょいと香乃から荷物を持とうとするが、香乃は言う。

「総支配人、お持ち致します」

(偽従業員だけれど、従業員として庇ってくれたのだから、わたしはできることをしたい)

 その意思が伝わったのか、真宮は静かに頷いて見を翻し、先頭を歩いた。




「どうしてあなたは、待っていてくれと言った部屋にいないで、いつも誰かにナンパされているんですか!」

 リネン室に香乃を連れ込み、真宮は小声で怒った。

(いつも誰かに……って、男に絡まれたのは初めてなのに)

「ふしだらな女のように言わないで下さい。ナンパではなく、お客様が勘違いされたようで……」
「そんな男を煽るようないやらしい格好で、ちょろちょろ歩いているからです。よりによってブラックリストの客に絡まれているとは! 俺、心臓が幾つあっても足りないじゃないですか!」

 ひくりと香乃は頬肉を引き攣らせて、すっと冷えた眼差しで言った。

「……お言葉ですが、わたしだって好きでこの格好をしているわけではありません。総支配人が、この制服を用意してくださったから、恥を忍んで着ているんです! それにちょろちょろしていたわけではなく、こんな姿のわたしに会いにわざわざ部屋にまで入って貰うのが恥ずかしくて、部屋の外で待っていたんですよ、モップがけしながら!」
「モップがけ!?」

 真宮が目を見開いた。
 美形というのはどんな表情も崩れずに出来ているらしい。

「あなたはそんなことをしなくてもいいんです。どこからモップなんてものを……」
「……そちらの従業員に手渡されました。さぼって突っ立ってんじゃないって言われて。それもそうだなと」

 真宮は片手で顔を覆った。

「なぜ同僚くらい、顔を覚えてないんだよ……」
「今、なにか仰いました?」
「いえ、なにも」
「それで掃除をしていたら、通りがかりのベルボーイに荷物を渡されて。お客様を部屋に案内するようにと。そうしたらお客様が、わたしをいかがわしい女と勘違いされて」

 ベルボーイがお金を受け取って女性を斡旋しているとは言い出せなかった。
 彼が客の名前を把握していたということは、それとなく勘づいていそうだったからもある。

「では突き飛ばせばいいでしょう! なぜされるがままになっていたんです! あのままだとあなたは部屋に行っていた。それを目にした俺が、どんな思いで……」
「突き飛ばせるわけないでしょう!? ここはあなたのホテルです。たとえ仮でもあなたの部下の証明となる制服を着ているんです。わたしの行動ひとつひとつが総支配人の評価に繋がるのなら、嫌でも我慢くらいしますよ。今はネットで悪評が拡散される時代なんですから!」
「俺の……ため?」
「正確には総支配人とホテルのためです。せっかく総支配人が色々と我慢しながら、ホテルのたて直しを頑張っていらっしゃるのに、それをわたし如きが邪魔をしたくないんです」

 一瞬、勿忘草色の瞳になにかが過ぎった。
 だから香乃は直感する。
 やはり一葉の推測はあっているのだろうと。

「それに。どんなにホテルのイメージを損なうような品のない格好をしていても、好き好んで触られたくなんかありませんし、そこまで安い女ではありません!」

 香乃は憤然と言い返すが、真宮は焦れたようにして言う。

「あなたは自己評価が低すぎなんです。もっと他に無難な服があればそれをお持ちしました。絶対、目の毒になると思ったから部屋から出さないようにしていたのに」

 軟禁まがいな目論みがあったことを真宮は独白するが、香乃はその前の単語にカチンときて、そこまで気が回っていなかった。

「目の毒で申し訳ありませんでした!」
「褒めているんですよ。あなたは自分の魅力を全くわかっていない!」
「……お世辞はいいですから。わたし、モップがけの仕事の続きを……」

 その時がはははと声がした。
 複数の女性従業員が、大声で喋りながらリネン室に近づいてくる。
 小さく舌打ちをした真宮は、香乃の腕を引くと、従業員達の目から香乃を隠すように向きを変えて、抱きしめた。

「ちょ」

 服越し伝わる真宮の熱に力強さに、そして勿忘草の魅惑的な香りに眩暈を感じて。

「動かないで。静かにしていて下さい」

 女性達の声が大きくなってくる。
 香乃は息を殺した。

 そしてリネン室に入ってこようとした彼女達は、気づいたようだ。
 背を向ける総支配人が、誰かをここで抱擁しているということに。
 しーんと静まり返った後、キャッキャッというはしゃいだ声と共に、駆け足でいなくなった。

「ふう、あなたが見つからなくてよかった」
「今思えば、別に普通にお話をしていればよかっただけでは……。これでは総支配人に不埒な噂が……」

 身を捻ってそれとなく離れようとするが、真宮は離さなかった。

「あの、総支配人。もうひとはいなくなったので、離して……」

 匂いが。
 勿忘草の匂いが。

「……なぜ、力一杯抵抗しないで、こんなに容易く抱きしめられているんです。さっきの客もこうやって抱きしめてきたら、あなたはされるがままにしていたんですか?」

 なにか怒ったような声が聞こえる。
 腹が立つのなら離せばいいのに、逆にぎゅっときつく抱きしめてくるのだ。

「だから……、状況が……っ」
「俺だって男ですよ、蓮見さん。俺なら、どんなあなたをも女と意識することなく、抱きたいと思わないとでも? 安心しきってますか?」

 射るような碧眼が向けられる。

「……俺の言葉を、どれだけ信じてくださってますか」
「離し……」
「どれだけ俺が抑えているのかを、あなたは理解してくださってますか」

 腰の骨が折れてしまいそうなほど、力を込められて。
 彼は、自分とは違う体格をもった男だと、香乃は改めて思った。

「俺ですらこうなる。なのにあなたは……無防備にも程がある。そんなか弱い力で、抵抗しているつもりですか? そんな力で大人の男に抵抗出来ると?」
「わかりました。もうわたし、こんな格好しませんから。怒らせてしまったのなら謝りますから。だからもう離して……」
「……今慌てて離れたいと思っているのは、俺が総支配人だからですか?」
「そんなの関係な……」
「そうです」

 僅かにだが、真宮の腕から力が緩められた。

「こういう状況になってしまえば、肩書きなどは関係なく……男か女か、ただそれだけなんです。それがわからないまま、安易に相手の懐に飛び込んで、仕事だからと言い訳をしても遅いんです。気づいた時には、手遅れになることだってある」

(これは教訓……?)

「そして。あなたは気づいていないようですが、男っていうのは独占欲が強いものなんです。他の男に易々と触られているのを黙って見ていられないのは、俺も同じ。あなたに危機感がなく、見知らぬ男にまで触られるのなら」

 真宮の頭がゆっくりと下がったと思った瞬間、香乃の首筋に真宮の髪が擽った。

「俺の印をつけて、相手にわからせるしかない」

 それと同時に首に感じるのは、熱と痛み。

 既視感。
 これは――キスマーク?

「ちょっとなにをしているんですか!」
「……昨日の帰り、牧瀬さんにあなたは恋人だと牽制されました。それに対して俺は、わかりましたと、おとなしく引き下がったと思いますか?」

 斜めから射貫いてくる蒼い瞳に、好戦的なぎらつきが見える。

「――あなたは俺のものだから、返して貰う、……そう言いました」

 その奥に、焦げ付いたような色を宿して。

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