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4.アネモネは、あなたを信じて待つと約束をする

蒼き瞳は咎人の印

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――無論、あなたも……九年前より昔から、俺を知っている。

 勿忘草色の瞳が、仄暗い照明に反射して、妖しく揺れて幻想的に煌めいている。

 真宮に対する香乃の記憶の始まりは、九年前、図書館だ。
 だが――。

――『わたしを忘れないで』。あなたが教えてくれた勿忘草を、その花言葉を、何度でもあなたに捧げ、守ります。

――今も昔も次期当主としてきっちりと本家に出入り出来ているのなら、真宮が轢かれた男の子の方で。

 香乃の反応を窺うような視線。
 それを真摯に受け止めながら、香乃が口を開く。

「あなたは……きーくん?」

 夢の中の少年と同じ、碧眼と黒髪。
 たとえ性格が違っても、勿忘草が絡んだその組み合わせを持つ者は、そうそうない。

 だが、彼は香乃の目の前で、牧瀬の父親が運転するトラックにはねられて死んだ。
 ただの夢だと片付けられなくなったのは、牧瀬の父親がトラックの運転手であり、事故の当事者であり目撃者でもあったからだ。
  
 たとえ相手は子供とはいえ、怖がらせたい相手がいるという頼みに乗ってしまった牧瀬の父親。不特定対象者を怖がらすどころか依頼人を轢き殺すことになり、彼も彼の家族も壊れた。

 その元凶は、真宮の御曹司だという。
 では、香乃の目の前にいる御曹司が、同一人物なのだろうか。
 
 香乃の思考も、カクテルグラスの中の液体のように半透明で、ゆらゆらと揺れている。
 彼がきーくんだと断言が出来ずに、疑問系で尋ねた香乃に、真宮は悲しげに微笑んだ。

「俺と接していても、まだあなたの記憶は……朧なんですね」
「え……?」
「すべての記憶が戻れば、俺が誰なのか、あなたは迷いなく断言出来たはずだ。……昔のように」

 自嘲気に笑い、真宮は寂しげに視線をシェリー酒に落とす。

「……すみません。わたし……前にもあなたに暴言を吐いてしまったほど、夢なのか記憶なのかよくわからないまま今まで来て。夢を断片的に認識出来るようになったのも、つい最近のことなんです」
「……俺と会ってから?」

 真宮は目線だけを香乃に向ける。

「そう……です」
「きーくんはどんな感じであなたの夢に?」

 香乃は躊躇いがちに言った。

「……王様みたいな感じで。いつもみっちゃんという女の子を虐め……いえ、泣かせていて……。わたしもよく怒ってて……」

(彼がきーくんだったら、怒らないだろうか)

 伏し目がちの真宮の表情はよくわからない。

「あなたが記憶をなくすに至った、事故については?」

(……事故で記憶をなくしているって、知っているんだ)

 彼はどこまで知っているのだろう。
 やけに喉が渇く。

「夢の中では、きーくんが……わたしがあげた勿忘草に囲まれて、赤い血の中で……」

 どくっ。

 突如心臓が、警告のように鳴り響く。

 赤い。
 赤。

 視界に、鼓動と重なるようにちかちかと赤い光が点滅する。
 それは、真宮に感じる恋の火花のような……。

「――さん? 蓮見さん?」

 赤色は蒼い瞳に遮られる。

「大丈夫ですか?」
「は、はい。すみません、ぼーっとしてしまって」

(なんだろう。凄く怖いものが隠れているような気がしたけれど)

「あなたの中で、きーくんの思い出は鮮烈なんですね。事故の夢ですらも」

 真宮が苦笑しながら、シェリー酒を口にした。

「きーくんに泣かされていたという、みっちゃん……よりも」

 心が締め付けられそうな悲しげな笑い方だった。
 またもやその表情に、ちかちかと火花が散る。

(なに……?)

「あなたが俺を、きーくんだと思った根拠はなんですか?」
「勿忘草と……蒼い瞳と黒い髪が……」
「しかしあなたの夢の中できーくんは、事故で血を流していたんですよね?」
「はい……」
「では俺が事故で怪我を負って生還し、九年前、あなたの前に知らぬふりをして現れた……というところでしょうか」
「はい。……ですが」

 真宮は香乃の言葉に、僅かに首を傾げた。

「……わたしはきーくんは亡くなったのだと両親から聞いていました。しかし、ある情報によると……亡くなったのは少女、みっちゃんの方で、きーくんは無事だったとか」
「……牧瀬さんから? 正しくは、彼の父親でしょうが」
「はい。ご存知だったんですか?」
「知ったのは、つい最近のことですけれど」

 やはり真宮の表情からは、彼の感情は読み取れない。

「……総支配人」

 香乃は、こちらを向いた真宮の目を見つめながら問う。

「牧瀬曰く、彼の父親は真宮の御曹司に唆されて、誰かを怖がらせる程度で終わるはずの事故を演出したに過ぎなかった。しかし実際に、彼が見たのは……真宮の御曹司きーくんが轢かれ死んでいる姿でした。わたしが夢で見ていた通りに。しかし病院から出て来たのは、その死んだはずの真宮の御曹司で、実際に死んだとされるのは少女の方だと」

 真宮の碧眼が揺れる。

「わたしの夢では、みっちゃんは確かに生きていて。どうして情報が錯綜しているのかわからない。わかりませんが、あなたがわたしの目の前に生きているのだから、牧瀬の父親の情報は嘘でもないと思うんです」
「……っ」
「あなたがきーくんであるのなら、みっちゃんは? みっちゃんは死んでしまったのですか? なぜみっちゃんは死ぬことになったのですか?」

 〝みっちゃん〟の名前を出すと、真宮は僅かに表情を崩したように、香乃には思えた。
 どことなく辛そうな翳りを見て、香乃は言葉を無くす。
 
「蓮見さん。この目は、咎人の印なんです」

 やがて、真宮は答えをぼかし、そう言った。
 口元だけ微笑みを湛えているように見えるが、その眼差しは悲哀さを漂わせている。

「咎人?」
「はい。真宮家はこの蒼い瞳に狂わされてきた。この瞳を守るためには、非人道的なことも平気で行う、そんな家です。真宮にとって、蒼い瞳は優秀であり、黒い瞳は劣悪で。蒼い瞳で生まれた男性は当主となり、蒼い瞳の遺伝子を子孫に残さないといけない。しかし蒼い瞳で生まれつくのは、かなり稀なことだったようです。ゆえに、蒼い瞳で生まれつけば、真宮を支配出来る。ただし碧眼の女性は、碧眼どころか障害を持った子供しか産まなかったことから、碧眼の女性は忌まれてきました」

 香乃は訝しげに真宮を見る。
 真宮はなぜ、真宮家の歴史を語り始めたのだろう。

「血統というよりもなぜ瞳を大切にするのか、それは本家の奥の院にいけば資料があるとされています。が、当主になっていない俺は、まだ見ていません。一族の者はそれを見たがり、過去色々と瞳を巡っての諍いが起こったようですが、先代の当主が瞳の認証という装置を導入をして、真宮の秘密を守ろうとしたようです。逆に言えば、碧眼の者がいなければ見る事が出来ない。碧眼が生まれなければ、秘密を守る以前に、秘密があることすら廃れてしまう危険もある」

 香乃はきーくんとみっちゃんについて詳しく聞きたかったが、真宮の言葉にはすべて意味があるような気がして、聞き手に回った。

「二十七年前、真宮家に双子が生まれた。片方は待望の碧眼で黒髪、しかし片方は黒い瞳で銀髪でした」

(碧眼の子がきーくんで、黒眼の子がみっちゃん?)

「真宮家に必要なのは碧眼の子だけ。しかし碧眼の子には重大な欠陥がありました。それは絶対的にひとには隠さないといけない重大なもの。無論、そんなのが周知となれば当主になれないため、事実を知る一部の者達は、黒眼の子を使い、その欠陥を補完させようとした」
「身代わりとか影武者っていう意味ですか?」

 すると真宮は緩やかに頭を横に振る。

「いいえ。スペアという意味です」

 スペアとは予備とかの意味だろう。
 それで身代わりではないのだとすれば、どんな意味を持つのか。
 そこを尋ねると、それは後で説明すると言われた。

「それと。双子がきーくんとみっちゃんなら、似ていなかったような気がしますが……」

 それは素朴な疑問だった。

「双子は、必ずしも似ているとは限りません。しかし、片方が目が青く、片方の髪が銀色であれば、恐らく異国人の血が混ざっているだろう真宮においては、双方きちんとその血を受け継いで先祖返りをしていることになる」

 確かに、日本で銀色の髪の毛は染めない限りは珍しい。

「話を戻します。欠陥を補う黒眼の子がいなければ、碧眼の子は真宮において当主と見なされない。それは同時に、黒眼の子が存在する限り、碧眼の子は不完全さを証明していることになり、黒眼の子が存在しなければ、真宮家から完全体だと認められないことにもなる」

(真宮という小世界の中で、共依存になっちゃうわよね……)

 自分の個性は埋没し、もうひとりの自分からでなければ、自分の価値がわからなくなってしまう。

「そこで碧眼の子は黒眼の子の存在を疎んじた。黒眼の子が自分のスペアであるということは、自分を補う道具ということ。忌まわしい黒眼の子は此の世で一番自分には要らないもので、かつ自分である証明には必要な……言わば残滓のような道具だと。双子ではあっても、関係は主従。主人と奴隷でした」

 香乃の頭の中で、きーくんがそんな暴言を聞いたような記憶が蘇る。
 
 みっちゃんを人間扱いしないきーくん。
 みっちゃんは、きーさまと呼んでいた気がする。

「やがて碧眼の子の命令で、家の誰もが黒眼の子を虐げるようになった。生かされているだけの道具は、人間のように扱われることはなかった」
「そんな……」
「家畜同然だった黒眼の子に寝食を与えたのは、代々真宮家に仕える執事のような存在。本家から離れたところに家があった。しかし黒眼の子は優しさが信じられずにいつも怯え、恐怖以外の感情が芽生えることはなかった。芽生える必要もなかった。黒眼の子は、自分というものを確立するよりも、碧眼の子のためにいかに早く死ぬかをいつも考えていたから」
「死ぬ?」
「ええ。碧眼の子の欠陥を補わないといけない。碧眼の子を完璧な人間として当主にする……それが、生かされていた理由。死ぬことが自分の存在証明なので」
「そんな……。なぜ死なないといけないんです? 欠陥ってなんですか?」
「それは」

 真宮から言葉が出るよりも早く、香乃の頭に子供の声が蘇る。

――私カノちゃんが大好きなの。だから、教えてあげる。私ときーさまは……。

 〝兄妹〟だと彼女は言った。

「碧眼の子、真宮穂月ほづきは――女性だったから」

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