67 / 102
6.ハイドランジアは、冷酷な美にその身を染める
嵐の爪痕
しおりを挟む◇◇◇
台風のように突如現れた母親は、嵐の爪痕を残して消えた。
穂積に、認めるまで娘に手を出すなと釘を刺すことも忘れずに。
結局は娘の言い分など聞かず、彼女が過小評価している穂積の才覚に委ねたのだ。
……穂積が真宮の力に負け、香乃を手放すことを前提に。
去り際の母親の顔は、香乃が今まで見たことがないほどの冷淡な顔つきだった。
穂月を彷彿させるほど、私怨に満ちて頑なだった。
話が通じる状態ではなかった。
(こんなことって……)
香乃は呆然としていた。
母親が穂積を嫌っているような気はしていた。
しかし、ここまであからさまに拒絶するとは思っていなかったのだ。
しかもその理由が、穂積個人がどうにも出来ない、母親の身体にも流れている……真宮の血、という理不尽なもののせいだとは。
真宮家に生まれた子供が、自分が属するものに相応しいか相応しくないか――真宮から逃れた母親もまた、真宮の価値観で判断していた。
それは、穂積を虐めていた穂月やその取り巻きたちの思考と、なにひとつ変わらない。
香乃にはそれがショックで、同時に怒りと失望も心に渦巻き、どす黒いもので胸の中がもやもやしていた。
(彼は……傷ついていないだろうか)
静まり返る部屋の中、ソファに座った穂積は端正な顔に翳りを落としていた。
苦しげに目を細めてなにかを一心に考えており、時折長い睫毛が震撼している。
香乃が思っていた以上に、彼にとっては深刻だったようだ。
彼の沈黙は、なにを意味しているのだろう。
彼の熟考は、どこへ向かっているのだろう。
聞きたいのに聞けない。
無性に怖いのだ。
彼の口から出てくる言葉が。
別れようとか、距離をおこうとか言われるのではないか。
恋愛だけにうつつを抜かしている、子供のお遊びの時間は終わったと。
面倒臭い年上女はいらないと。
酸素の濃度が一気に薄まってしまったかのように、息苦しい。
その中で香乃はぎこちない動きをして、穂積の前で頭を下げた。
「母さんが一方的に酷いことばかり言ってごめん。わたし、ちゃんと説得するから」
しかし穂積から答えはなく。
香乃はざわりとしたものが、背中に這うような気持ち悪さを感じた。
「あの……総、支配人?」
気軽に名前を呼ぶことも憚れて、思わず以前のように肩書きで呼ぶと、ゆっくりと端正な顔が香乃に向いた。
「香乃、あのさ」
勿忘草の瞳が、凍えそうな冷ややかさに満ちている。
その奥に宿る仄暗さを感じ、香乃は震え上がった。
もしかして、香乃にとって最悪となる結論に達したのではないかと。
イヤダ、アノトキノオモイハ。
冷や汗が流れる。
「わ、わたしちゃんと説得する。面倒かけないから、だから」
無性に怖い。
折角つかまえた幸せが、指の間からさらさらと砂のように零れ落ちてしまいそうで。
志帆の手で破られた勿忘草の手紙のように、ちりぢりになってしまいそうで。
「別れるなんて言わないで。わたし頑張るから、だから今から結果を出さないで」
別れるということに、妙な焦慮を感じる。
切羽詰まったような閉塞感――これは昔に感じたものなのだろうか。
香乃の目からぽろぽろと涙が流れると、穂積は慌てた。
「泣かないで。香乃、泣くな、違うから!」
香乃の身体は、穂積が伸ばした両腕で持ち上げられ、彼の膝の上に座らせられた。
そして、ぎゅっと抱きしめられる。
「香乃、そうじゃない、別れたいなんて微塵も考えていないから」
「でも……そう思われるくらい、酷いことを母さんは……」
穂積は唇が香乃の涙を掬い取ると、悲しげに笑った。
「あなたのお母さんは俺達の昔のことを知っているし、家を出たとはいえ、真宮の中枢の血を引く。俺より真宮のことを知っていても不思議ではないし、娘よりも年下の俺を頼りないと思っていても仕方がない。それは俺が頑張って認めさせれればいいだけの話だ。そんなことであなたを諦めるつもりはないし、そんなことはいいんだ、まったく」
「……っ、だったらなにをそんなに深く考えていたの?」
すると穂積は実に言いにくそうにして言った。
「牧瀬さんのこと」
「え?」
思ってもいなかった単語が出て来て、香乃は目を瞬かせた。
「俺にとってキツかったのは、牧瀬さんが香乃の家族に受け入れられていたことだ。牧瀬さんなら一人娘を任せてもいいと思われ、同じ家で香乃といい雰囲気になろうが許される。仕事だって娘を通さずとも彼ひとりの人柄で、花も大量に用意してくれるほど、牧瀬さんは香乃を含めた蓮見家から、絶大なる信頼を寄せられている」
穂積はやるせなさそうに視線を落とす。
「それに比べて俺は、昔から好意的な眼差しを貰ったことがなかった。二度と香乃に近づくなって言われるほどだ。それでも近づいたのだから、俺は本当に……しつこい略奪者としてしか思って貰えないだろう、この先も」
穂積は傷ついた顔で、悔しげに言った。
「羨むのは筋違いだと思うのに、牧瀬さんが羨ましい。……それと同時に、嫉妬がとまらないんだ……」
穂積はきゅっと唇を引き結ぶ。
「牧瀬は家族の愛に飢えていたし、ギブアンドテイクの付き合いで……」
しかし香乃の言葉は、穂積の慰みにはならなかった。
「……俺、牧瀬さんが香乃の実家を助けていたことも初めて知ったんだ。あなたを守れる男になろうとしていたつもりだったのに、あなたを取り巻く環境を見ようとしてこなかった。つまりは独りよがりな強さを手にした気がしていただけで、実際の俺はなにも見えていない子供のまま。そういうところが、香乃のお母さんにも指摘される、俺の甘さだ」
「……っ」
「牧瀬さんなら、あなたの家族ごと幸せに出来るかもしれない。牧瀬さんなら、俺とは違ってもっとすべてを包み込むことが出来るかもしれない。でも俺は……」
「あなたが牧瀬だったら、わたし……あなたに恋をしていないわ」
香乃は微笑む。
「でも実際あなたは、牧瀬さんと付き合っていたじゃないか……」
ぐっと言葉に詰まりながらも香乃は言った。
「あなたに隠していたことがある。わたし……牧瀬とは、セフレだったの。もう解消したけど」
「え?」
「それで、実家に仕事を貰っていた。牧瀬の思惑は違ったみたいだけれど、わたしはずっとギブアンドテイクの、セックスをする友達だと思っていたの。恋愛感情を伴わない、オトナの関係っていう奴」
白状すると、穂積は複雑そうな顔をしている。
「牧瀬から告白されたのが、あなたと再会した日だった。わたしがあなたに揺れに揺れていたから、あなたを振り切るためにお試しという感じで付き合ったの。牧瀬を利用する形が嫌で、真剣に牧瀬を好きになろうとしたけれど駄目で。わたしは、どうしてもあなたが……」
穂積が香乃の唇の前に人差し指をたて、その先を言わせなかった。
0
あなたにおすすめの小説
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛
ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎
潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。
大学卒業後、海外に留学した。
過去の恋愛にトラウマを抱えていた。
そんな時、気になる女性社員と巡り会う。
八神あやか
村藤コーポレーション社員の四十歳。
過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。
恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。
そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に......
八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる