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6.ハイドランジアは、冷酷な美にその身を染める
もう負けたくない
しおりを挟む「……俺、そんな状況で香乃を手放してくれた牧瀬さんに感謝する」
「……っ」
「彼はやっぱり大人で、凄いなって思う。……俺なら出来ない。あなたを手放せないから、あなたの記憶がなくてもこうして追いかけているくらいだ。でも……そうか。ならば尚更俺は、牧瀬さんのためにも、彼を超える男にならなくちゃいけないな」
意志の宿る碧眼。
仄暗さを払拭して、勿忘草はまた力強く咲こうとしている。
「牧瀬さんが、俺に譲ってよかったと思えるほどの男になりたい。そして絶対に、香乃のご両親に認めて貰う。牧瀬さんではなく、俺が相手でよかったと……そう言わせてみせる」
ああ、このひとは強い――香乃はそう思った。
彼は、泣いてばかりいたあの頃の彼ではない。
しっかりと自分の手を引いて歩いていってくれる頼もしい男性だ。
認めて貰いたい、母に。
自分が選んだ男が、決して間違いではなかったということを。
自分の中で、彼以上の男は、いないということを。
「だから香乃。まずはあなたが俺を信じて。俺が別れを考えているなどいう妄想に取り憑かれないで。俺が常に考えるのは、あなたと一緒に生きる未来だ。いつも不可抗力な力に負けていた俺は、今度こそ同じ轍を踏みたくないんだ。あなたを失って、あんな辛い思いはしたくないから」
「……うん」
「今度は逃げるのではなく、もう逃げずにすむように戦いたい。あなたとふたりで生きられる安全で平和な未来を、必ず俺が作るから」
「うん」
香乃は深く頷いた。
「わたしも戦う。記憶を無くすなんていう最低な逃げを、わたしもしたくない。母さんと大喧嘩したって、たとえ縁を切られたって、わたしは戦う。あなたのいない未来は考えられないから」
堅い意志を見せた香乃に、穂積は切なげに笑う。
そして香乃を抱きしめると、その首筋に唇を押しつけた。
「俺達、運命共同体みたいだ」
「みたいじゃなくて、そうよ。わたし、真宮本家にも乗り込んで行きたいくらいだわ」
「……だったら、一緒に行こうか。明日にでも」
穂積は上目遣いで香乃を見た。
冗談ではなさそうな眼差しだ。
「まだ母さんにも認めて貰えていないのに、外堀を埋めるってこと!?」
「はは。それもなきにしもあらずだけど、香乃は俺の恋人であると同時に、特殊な血液型を持つ真宮の血を引いている。俺が推測するに、お母さんの不安はそこらへんからだと思うんだ。あなたの存在が本家ではどういう扱いなのか、見極めることも出来る」
「……確かに、昔遊びに行っていたくらいなんだから、どこの馬の骨……と逆鱗に触れることもなさそうだわ。拉致とか怖いことをする気なら、とうのとっくになされていただろうし」
(母さんが心配性なだけよ……)
だから、僅かにでも安全を確認出来れば母親を説得出来るとも思う。
「ただ……念のため聞くけれど、わたし、高校の時あなたと駆け落ちしたのよね。ということは、ご当主には、わたしとあなたとの仲を認めて貰っていないのよね?」
すると穂積は僅かに翳った顔で頷いた。
「条件付でその件は凍らせている」
「どういうこと?」
「……それについては、今度話す。そこも解決するつもりだ」
(まだ、私が聞いていない……彼が抱えているものってあるのかもしれないわ)
言えないということは、かなりシビアな条件だったのだろう。
そしてなにか、香乃は聞いてはいけないような気がして、その追及はしないことにした。
いつかきっと、話してくれるだろうと信じて。
「明日、一応は理人も連れるつもりだ」
「わかったわ。少しでも早く志帆さんを見つけなきゃいけないし、本家の中でも手分けして探索出来るかも」
役立てることもあるかもしれないことは、香乃にとっては嬉しい。
「たとえ母さんが恐れるほど、真宮本家が化け物屋敷だとしても。どんな事実が出て来てあなたを傷つけようとしても、わたしはあなたを守る。あなたがどんなに強くなっても、あなたはわたしの大事なみっちゃんなんだから。本家は昔のわたしの領域でもあるんだし」
すると穂積は泣き出しそうな顔で言った。
「あなただけだ。あの頃の俺を、いまだに嫌わずにいてくれたのは」
そう言われると、香乃の胸がぐっと詰まってしまうけれど。
「当然でしょう。凄く大事なんだもの。それに嫌う方がおかしいのよ、きーくんもそうだけれど真宮家の全員が。血や碧眼がなんだというのよ。おかしいのは、おかしくしてしまうしきたりの方じゃない。なにが来ようが、どんとこいよ!」
香乃が憤りを見せると、穂積は眩しそうに目を細めた。
そして綻んだ顔で甘く囁く。
「勇ましい俺だけのお姫様。何度俺に恋をさせるの?」
「……っ」
「あなたのお母さんが忌む真宮の血がすべて、あなたへの恋しさに滾っている。こんなにも焦がれて、あんなにもあなたと幸せに溶け合えることを知った蜜月の真っ只中、手を出すななんて酷いお仕置きだよね。俺……もう我慢出来ないほど、あなたに溺れているのに」
やるせなさそうに囁かれ、香乃の肌が温度を上げて紅潮する。
「ねぇ、香乃。俺、どこまでなら許される? キスはいいと思う?」
「ちょっとなら、いいと……思う」
どの程度までを母親が見越していたのかわからない。
しかし、こんなに彼が好きで触られたくてたまらないのに、まだ身体は彼の快楽を覚えているのに、このまま健全で終われない。
こんなの、蛇の生殺しだ。
「ふふ、ちょっとならいいの?」
「い……んぅぅ」
香乃の唇に、穂積の人差し指と中指が差し込まれた。
唇でないことに香乃は面食らったが、穂積の指が香乃の舌と戯れると、香乃は夢中でその指を舐めた。
くちゅくちゅと唾液の音が聞こえ、空気は一気に淫靡なものとなる。
「んん、んぅ……っ、ふ……ぁん」
「ああ、香乃の蕩けた顔、たまらない」
(彼の欲情している顔の方がたまらないのに……)
香乃の口端から垂れた唾液を穂積の舌が舐めとる。
舌をくねらせながらも、香乃の口の中を愛撫するのは彼の指先だ。
彼の舌と戯れている心地になって、香乃は穂積の背中のシャツを握りしめながら、甘い声を漏らす。
「ねぇ、香乃。あなたの胸は触っていいと思う?」
「少し……なら」
すると穂積が艶然と笑い、シャツの上から香乃の胸を揉み込んだ。
もどかしいだけの、あまりに優しすぎる触れ方。
穂積の指を舐める香乃は、焦れて上半身を軽く揺すった。
「お母さんに駄目って言われているだろう? だから少しだけだ」
せめて強くしてくれればいいのに、ただ情欲を煽るだけだ。
そう目で訴えると穂積は笑う。
「あなたが言ったんだろう? 少しって。それ以上は駄目だろう?」
妖艶な碧眼が、香乃を惑わせるように妖しく揺れながら、ゆっくりと細められた。
囚われてしまう。
穂積という男が醸し出す色香に。
この碧眼に。
穂積が咲かせる勿忘草は、艶めきたって香乃を蠱惑する。
すべての憂いなど消し去るくらいの吸引力で。
「香乃、俺のために色々とごめん。今はただ、俺だけを考えて」
解決していない不穏な影を薄めさせるかのように。張り詰めた香乃の心に安息を与えるように――彼は縋るような声をかけた。
「あなたが心を痛めるすべてのことより、俺に夢中になって」
意地悪なふりをした、優しい恋人。
誰より傷ついたのは彼なのに、彼が考えることは香乃を癒やすことだけだ。
その一途な献身に目の奥がじわりと熱くなるけれど、それを悟られまいと香乃は穂積に抱き付いた。
この恋は、何年経っても傷つくことばかりだけれど、その分きっと強くなれる。
なにが現れてこようとも、もう負けない。
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