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もう一人の『碧』
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「あの、電話機を貸してもらえないでしょうか? 知人に連絡を取りたくて……」
「別に構わないが。使用料は高くつくぞ」
「えっ? おいくらでしょう……? あ、助けていただいたお礼も含めてでお願いします……!」
「アホか。今のは冗談に決まってるだろ」
「そ、そうでしたか。ありがとうございます」
「……ふっ。からかわれて礼を言うやつ、初めて見た」
男は波音を凝視した後、僅かに口角を上げた。仏頂面に浮かんだ笑顔を見て、波音はぎょっとしたが、おかしくて笑っているというより、馬鹿にされているようだ。
こんな居丈高な男でも、笑うことがあるものだ。不思議と、嫌悪感は覚えなかった。
(なんだろう。初めて会ったはずなのに、どこか懐かしいような……)
男の筋肉質で硬い胸板が、波音の腕と肩に触れている。そこから微かに伝わる心音に、懐かしさを感じた。波音は記憶の糸を手繰り寄せて必死に思い出そうとしたが、男に該当するような人物に覚えはない。
「あー……念のため確認するが、さっきのは人命救助だからな。下心はなかった」
どこに向かっているのかは分からないが、男は迷うことなく歩を進めながらそう言った。その顔から笑みはなくなっており、今度はばつが悪そうに、やや苦い表情を浮かべている。
「下心? 何の話ですか?」
「……天然かよ。さすがに分かるだろ。さっきのキスは人工呼吸だから、ノーカウントだって言ってるんだ」
「キス……? あっ!」
波音は慌てて手で唇を覆った。そうだ。波音はすっかり忘れていたが、息を吹き返す前、この男に唇を塞がれたのだ。なぜ、そんな大事なことを気にも留めなかったのか。
(一応、ファーストキスだったんだけど……)
いや、男の言うように、人命救助だったのだ。ならば、なかったものと考えていい。男女の性的なあれこれではないのだから。
そう納得しようとしたが、簡単に受け入れられるものではない。初めて唇どうしを触れさせた相手が、見知らぬ男など。
「なに赤くなってんだよ」
「す、すみません……」
もうとっくに成人しているというのに、こんなことで動揺するなんて恥ずかしい。そういう思いが、波音の顔や耳を熱くさせた。
小刻みに顔を左右へと振って気持ちを入れ替えようとしたが、男に抱きしめられているせいか、鼓動は高鳴るばかりだ。
「あの、これどこに向かってるんですか? 自分で歩きますから……」
「溺れた人間がなに言ってんだ。すぐに着くから、まだ休んでろ」
「は、はいっ」
低い声でぴしゃりと言われたので、学校の先生にでも叱られたかのように、波音はおとなしくなった。そして、男は砂浜を抜けて道路へと上がり、その先に広がる街へと進んでいく。
赤煉瓦で舗装された道と芝生、漆喰の塗られた白い建物が連なり、いかにも南国の様相だ。行き交う人々も、帽子や露出度の高いカラフルな洋服を身につけていた。
(街の風景も全然違う)
元の海岸では見られなかった光景だ。少し離れただけで、こうも雰囲気が違うものなのか。波音は首を傾げた。
「別に構わないが。使用料は高くつくぞ」
「えっ? おいくらでしょう……? あ、助けていただいたお礼も含めてでお願いします……!」
「アホか。今のは冗談に決まってるだろ」
「そ、そうでしたか。ありがとうございます」
「……ふっ。からかわれて礼を言うやつ、初めて見た」
男は波音を凝視した後、僅かに口角を上げた。仏頂面に浮かんだ笑顔を見て、波音はぎょっとしたが、おかしくて笑っているというより、馬鹿にされているようだ。
こんな居丈高な男でも、笑うことがあるものだ。不思議と、嫌悪感は覚えなかった。
(なんだろう。初めて会ったはずなのに、どこか懐かしいような……)
男の筋肉質で硬い胸板が、波音の腕と肩に触れている。そこから微かに伝わる心音に、懐かしさを感じた。波音は記憶の糸を手繰り寄せて必死に思い出そうとしたが、男に該当するような人物に覚えはない。
「あー……念のため確認するが、さっきのは人命救助だからな。下心はなかった」
どこに向かっているのかは分からないが、男は迷うことなく歩を進めながらそう言った。その顔から笑みはなくなっており、今度はばつが悪そうに、やや苦い表情を浮かべている。
「下心? 何の話ですか?」
「……天然かよ。さすがに分かるだろ。さっきのキスは人工呼吸だから、ノーカウントだって言ってるんだ」
「キス……? あっ!」
波音は慌てて手で唇を覆った。そうだ。波音はすっかり忘れていたが、息を吹き返す前、この男に唇を塞がれたのだ。なぜ、そんな大事なことを気にも留めなかったのか。
(一応、ファーストキスだったんだけど……)
いや、男の言うように、人命救助だったのだ。ならば、なかったものと考えていい。男女の性的なあれこれではないのだから。
そう納得しようとしたが、簡単に受け入れられるものではない。初めて唇どうしを触れさせた相手が、見知らぬ男など。
「なに赤くなってんだよ」
「す、すみません……」
もうとっくに成人しているというのに、こんなことで動揺するなんて恥ずかしい。そういう思いが、波音の顔や耳を熱くさせた。
小刻みに顔を左右へと振って気持ちを入れ替えようとしたが、男に抱きしめられているせいか、鼓動は高鳴るばかりだ。
「あの、これどこに向かってるんですか? 自分で歩きますから……」
「溺れた人間がなに言ってんだ。すぐに着くから、まだ休んでろ」
「は、はいっ」
低い声でぴしゃりと言われたので、学校の先生にでも叱られたかのように、波音はおとなしくなった。そして、男は砂浜を抜けて道路へと上がり、その先に広がる街へと進んでいく。
赤煉瓦で舗装された道と芝生、漆喰の塗られた白い建物が連なり、いかにも南国の様相だ。行き交う人々も、帽子や露出度の高いカラフルな洋服を身につけていた。
(街の風景も全然違う)
元の海岸では見られなかった光景だ。少し離れただけで、こうも雰囲気が違うものなのか。波音は首を傾げた。
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