私が一番近かったのに…

和泉 花奈

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6章:壊れていく音と、あなたの優しさ

39話

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「急だったよな?ごめん。時間がないなら、また改めて後日にでも…」

バイト終わりはいつも特に予定はない。時間が合えば、いつも一緒に過ごしていたくらいだ。

「愁は何も悪くないから、謝らなくて大丈夫だよ。私の方こそごめんね。黙って一人で帰ったりして…」

一晩経ち、自分の行動を反省したが、それでも釈然とせず、どこか心の中でモヤモヤしている自分がいた。
やっぱりあの時、私の気持ちを分かった上で、気づかないふりをしてくれたのだと思う。
時間が経てば経つほど、考え方が卑屈になっていく。冷静な判断を失い、感情的になってしまう。

「それは幸奈が一人で黙って帰りたくなるようなことを、俺がしたからだろう?
一人で抱え込まないでくれ。これでも心配しているんだ。何かあったら、遠慮なく言ってくれて構わない」

言えないよ。だって、言ってしまったら、この関係が終わってしまうから。

「心配しすぎだよ。大丈夫だから。…それじゃ私、そろそろ行くね」

愁を置いて、先に仕事に入った。これ以上、一緒にいたらダメだ。もっと八つ当たりしてしまう。
嫌われるのが怖いのもあるが、それ以上にどんどん惨めになっていく自分に耐えられない。
傍に居れば、自分の気持ちはもう届かないと、思い知らされるばかり。
それでも期待させるような言葉を与えられる度に、勝手に期待してしまう自分に疲れてしまった。

「幸奈、待って…」

今度は愁がちゃんと追いかけてきてくれた。
でも、本当に追いかけてきてほしかったのは、今じゃないのに…。

「何?どうかしたの?」

もしかして、そろそろ私の気持ちに気づき始めたのかな?

「あのさ、今日は一緒に帰れるか?」

がっかりした。愁には悪いけど、そんなこと?って思った。
これは一緒に帰るべきなのか、それとも帰らないべきなのだろうか。

「…いいよ」

結局、一緒に帰る道を選んだ。誰よりもあなたの傍に居たかった。
あなたの傍を離れることなんて、まだ想像すらできなかった。
でもこれ以上、一緒に居ても辛いだけだと思う。愁以外にももっと素敵な男性なんて、いくらでもいるはずなのに…。
どうして、あなたをこんなにも好きなのか、自分でもよく分からなかった。

「よかった…。それじゃ、今日は一緒に帰るから、俺を置いていかないでくれよ」

嬉しそうにしていた。今までの私なら、この笑顔にときめいていた。
でも今の私にはただ、胸が苦しいだけだった…。
一緒に帰る道を選択した自分に後悔した。
それでも、まだ心の中のどこかで、好きな気持ちを消せない自分がいて。とても複雑な気持ちで、胸がいっぱいだった。
今日ほど、早くバイトが終わってほしいと願う日はなかった。
この時の私は、まだ幸せな方だったと、後で思い知ることになるのであった。


           ◇


「愁くん。ごめん、来ちゃった…」

愁に来るなと釘を刺されたのにも関わらず、久しぶりに彼女が訪れた。

「もう来るなってこの前、言ったはずだよな?なんでまた来たんだよ?」

明らかに愁がイラついているのが分かった。そりゃそうだ。来ないでくれと頼んだはずなのに、それでも懲りずにまた同じことをされたら、誰だってイライラすると思う。
バイトとはいえども、紛れもないこれはお仕事だ。真剣に汗水垂らして働いているというのに、遊び感覚で来られてしまえば、集中力も下がる。
真剣に働いているからこそ、軽い気持ちで遊びに来てほしくはない。
まだ商品を購入してくれた上で、軽く挨拶する程度ならまだしも、何も買わずに帰る上に、長時間も居座られるので、そんなところも含めて、愁は止めてほしいんだと思う。

「そんなに怒んなくてもよくない?だって愁くん、最近、

「それ以上は言うな。早く帰れ!」」

仕事中だというのに、あんな剣幕で怒る愁は初めて見た。
どうして、彼女は来たのだろうか。こんなことをすれば愁が怒ることなんて、目に見えているというのに。
私なら、愁の気持ちを分かってあげられるのに。ささっと別れて、私にすればいいのに。

「せっかく来たのに、その言い方は酷くない?」

店内には数人のお客様。そして、一緒に働いている同僚達がいる。
愁の怒鳴り声と彼女の声が店内に響き渡る。幸い店長は今日お休みなため、副店長が出勤しているが、副店長は今、休憩中だ。
副店長は大体、休憩中はタバコを吸っているため、店の外にいる。
裏口の所で吸っているため、店内の様子にはまだ気づいていないみたいだ。
静けさが店内に漂っていた。お客様も同僚達も、二人のことが気になって仕方がないといった様子だ。
このままでは、お店の空気が悪くなってしまうので、何か愁の手助けをしてみようと試みたが、ここで出しゃばると、却って自体が大きくなってしまう可能性もあるので、大人しく見守っていることにした。

「仕事中に来るなと、再三注意しただろう。どうして、ここへ来たんだ?」

これ以上、目立つのを避け、愁は声のボリュームを下げた。
彼女はそんなのお構いなしに、ずっと声が大きいままだ。

「だって愁くん、なかなか会ってくれないから。最後に会ったの、もう一ヶ月以上も前だよ?」

一ヶ月以上前ってことは、クリスマス以来、会っていないということになる。
先輩との事件があったのは、お正月が終わり、少し経ってからのことだ。
一月はなかなかシフトに入ることができず、もうすぐバレンタインの時期が訪れようとしている。
前に先輩と話していた時、もうダメかもしれないと言っていた。
だから愁は、あまり彼女と会っていなかったのかもしれない。
だとしたら、このまま自然消滅を狙っているのか、或いは他に好きな人ができたのか…。
頭の中がゴチャゴチャしている。次から次へと新しいことが起き、胸の痛みが増していく。

「すみません。俺、一旦、抜けても構いませんか?」

休憩が終わり、店内へと副店長が戻ってきた。
お店の中の状況をいまいち把握できてはいないが、危機迫った愁の表情を見て、察したようだ。

「構わない。なるべく手短にな」

店内がざわついていた。このざわつきを収めるためなら、この際、愁一人が抜けることは支障がないと判断したのであろう。
寧ろこのまま、無視し続けて仕事を続けている方が、支障をきたすことになる。私が同じ立場なら、副店長と同じ判断を下したと思う。

「大平、岩城の代わりに仕事を頑張ってくれ」

もちろん、そのつもりでいたので、フォローに回れるよう、既に動き始めていた。

「はい、分かりました。任せてください」

すぐには戻ってこれないであろう。こういう時こそ、助け合いだ。
私が困っていた時、愁にはたくさん助けてもらった。今こそ、やっとその恩を返せる時だと思う。
今までの恩義をゆっくりでいいから、少しずつ返していきたい。この際、昨日のことは一旦忘れよう。仕事に私情を持ち込んではダメだ。せめてバイト中だけは忘れて、仕事に打ち込もうと思う。

「助かる。それにしても、岩城も大変だな」

岩城も…って、どういう意味だろうか。
他にも何か大変なことがあるのだろうか。

「そうですね。大変そうですね」

「まるで他人事だな。お前もクビになった奴と色々あっただろうが」

どうやら、私が含まれていたみたいだ。
ようやく、副店長の言葉の意味を理解することができた。

「確かに大変でしたよ。もう過去の話ですが…」

忘れることなんてできない。
それでも過去と言えるのは、隣で愁が献身的に支えてくれたからだと思う。

「岩城もあんな面倒くさい女とは別れて、ささっと他の女のところへいけばいいのに…」

その意見には、私も副店長に同意する。
どうして、愁はまだ付き合っているのだろうか。一ヶ月以上も会っていなかったというのに。
それに、彼女となかなか会えなかったのは、私のせいでもある。
先輩とのことを心配して、毎日会いに来てくれていたので、彼女に会う時間がなかったのかもしれない。

「当人達にしか分からない、何かがあるんだと思います。他人から見たら、そうなのかもしれないですが…」

自分で言っておきながら、悲しくなってきた。
これじゃまるで、自分があの娘に負けていると認めているようなものだ。
やっぱり、私は勝てないのかな?愁を奪い取ることなんて、無理なのかもしれない。悔しい…。負けたくなんかないのに。

「ま、確かにそうだな。でも、俺が見ている限りだと、岩城はお前のことが好きそうに見えるけどな」

え?副店長、私に今、なんて言った?聞き間違えかな?

「そうですか?私達はただの友達ですよ?」

「お前がそう思ってるだけなんじゃないの?
向こうさんは違うかもしれないぞ?男なんて狼みたいなもんだからな」

もし、本当にそうなんだとしたら、愁はどうしてあんなことを言ったのだろうか。彼女と別れる気はないという言葉が、私の脳内で繰り返し何度も再生されている。男が狼なのは分かっているつもりだ。最初は嫌がっていた愁も、いつしか私とすることを嫌がらなくなった。
愁の方から求めてくることも増え、一緒に過ごす時間が増えた。結局、私のことが大事だと口ではそう言っているが、本当のところはセックスがしたいだけなのかもしれない。
男性はセックスができれば、誰でもいいと聞いたことがある。もしかしたら、愁は彼女とセックスできない苛立ちを、私で発散しているだけなのかもしれない。

「狼なのかもしれませんが、私は彼女候補でもなければ、ただの友達ですよ?それは有り得ないですね」

副店長の言うことがもし、事実だとしたら、今すぐあんな女とは別れて、私を早く彼女にしてほしい。

「そうか?ここだけの話だが、店長が大平のことを送るように頼んだみたいになってるけど、あれ岩城が店長に頼んでお願いしたんだ。
いきなり俺から言ったら、変に思われるかもしれないんで、店長からお願いする流れにできませんか?って…」

そんな話、初めて聞いた。だから、あの時、いきなりお願いされても嫌がらなかったのだと納得した。
いくら上の人にお願いされたからとはいえども、あんな遅い時間に、たかが同じ方角だというだけでお願いされたら、嫌な顔をするのが普通だ。今にして思えば、あの時から愁は、私に好意を寄せていたことになる。

「その前に、大平がどこに住んでいるんだ?とか、大学はどこに通っているんだ?…とか、店長に色々聞いてたぞ。
きっと一目惚れだったんだろうな。猛アタックしてたぞ。周りにバレバレなくらいにな」

それも昔の話に過ぎない。現に愁には彼女がいる。
私を好きな気持ちは、友情へと変化している。それ以上に変化することなんて、この先ないに等しい。

「余談だが、大平、入った時から男性陣に人気で。皆、お前のことを狙ってたぞ。焦った岩城は、出し抜くために頑張ったんだ。教育係に立候補したぐらいだからな。もしかしたら、まだ大平を狙う男はいるかもな」

私がそんなにモテているなんて、知らなかった。自分がどのぐらいモテているかなんて、自分で知るわけないか。
まさか、愁が教育係に立候補していたなんて。そんなに私に必死だったんだ。たとえ過去の話だとしても、嬉しかった。
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