4 / 34
4
しおりを挟む
3
朝、目が覚めた瞬間から、彼は胃の腑が熱くなるのを感じた。
おのれ、と憎悪がこみ上げた。
湯漬けと鹿肉を干した物をかみ砕き飲み込む。
習慣の、朝の剣の稽古をしていると、
「殿さん、御所さんがお呼びで」
と雑人が現れ声をかけてきた。
彼は舌打ちする。
都にいれば何かと伝手になるかと公卿に近づいたが、労が多いわりに益が少ない。だが、今さら手を切って不興を買えば都には居づらくなる。
徒士で雑人を引き連れ四条以北に向かった。その一角に御所の屋敷はある。
雑人を門の脇に待たせて屋敷に踏み入った。
寝殿に赴き、廂の間であぐらをかく。
「近頃はいかがでおじゃる?」
退屈を持て余していたと知っているだろうに、御所は上機嫌にたずねる。
「いっそ、仇の家に踏み込もうかと」
「それは剣呑だの」
彼の半ば本気の言葉にも、御所は笑みを崩さない。
「されど、石上の家が没落したのを嗤うのだろう? 今殺したら、それは叶わなくなるぞ」
「いつまで待てばいいのだ」
彼は声を大きくする。
「そう遠くないうちだ」
御所がどこか自信ありげに答えた。
なにか策を練っているのか、と感じさせる表情を浮かべている。
「それより」
と御所は話題を変える。
「面白いことになったぞ」
「面白いとは?」
「三つ競べ、というものが開かれることになった」
三つ競べ、と彼は眉をひそめる。
「長距離を、駆け、馬に乗り、泳いで目当ての地を目指すというものだ」
またぞろ、おこなことを考え出したと思う。どうせ、賭けの対象にしているのだ。いや、そのために開かれることも考えられた。
「そなたにそれに出てもらう」
なぜ己が、と彼は思う。
「そなたの嫌う、物部史郎も出るぞ」
という言葉に気分が変わった。
仇の息子で剣の腕で知られる小癪な相手だ。
「三つ競べの最中、なんらかのもしもの事で命を落とす者も出るであろうな」
暗に、三つ競べのあいだに相手を殺しては、と御所は進めていた。
御所の薄汚い意図に乗るのは不快だが、
あの史郎を仕留められるのはいい――。
という思いを抱いた。
待っていろ、史郎――。
4
中級貴族、蔵人式部丞の屋敷において。
主屋の簀子敷に、史郎と真海は立っていた。
「此く宣らば天津神は天の岩門を押坡きて――」
真海が祓い清めの言葉を口にし、史郎は矢をつがえずに弓を引く蟇目をおこなっている。
貴族の屋敷の主屋に都に迷い込んできた狐が出たとかで、怪異として真海が呼ばれたのだ。官人陰陽師の数は需要に対して圧倒的に足りておらず、陰陽法師の出番は多かった。
それにしても狐ね――史郎は億劫さを感じながら、弓を引きつづける。
貴族は命惜しさのばかり、何かあるたびに怪異、怪異と騒ぎ過ぎなのだ。
やがて、
「――八百万神等共に聞食せと白す」
真海が清めの言葉を唱え終えた。
「真海さん、お清めは成就されたでしょうや?」
脇に控えていた主屋の主がおずおずとたずねる。
「案じなされよ。この真海、みごとに怪異を祓ってございます」
「おお」
真海の淡い笑みでの力強い言葉に、貴族が感嘆に近い声をもらした。
やれやれ、と史郎はこみ上げる欠伸を貴族から顔をそらして吐き出す。
それから、釣殿に酒肴が用意された。
「酒肴が尽きた折は、お呼びくだされ」
と告げて、屋敷の主は姿を消す。どうやら、二人の側にいると邪魔になると判断したらしい。
「やれやれ、ひとを騙すのも楽ではないな」
酒をやりながらの史郎の皮肉に、
「痴れ者、霊験あれば目に見えぬ“もの”が祓われたのが見えたはずなのだ」
真海が微笑しながら応じた。
「見えぬものが見えるね、賀茂家の者や安倍四位のようにか?」
「四位は化け物だ。遠目に見たことがあるが、あれは人の気である霊力ではなく、妖のそれの妖力を発していた」
化け物のことを告げる割に、真海の顔には微笑が貼りついている。
「では、妖狐とひとの間の子というのもまことか?」
面白がってたずねる史郎に、
「あるいは、な」
と真海が意味ありげにこたえた。
「恐れられるというのはあまり愉快ではないだろうな」
史郎も他人事ではない。
父に刺客がいることは薄っすらと知られており、そこに向けられる畏怖を間接的に史郎は感じていた。別にそれでこたえるほど史郎はやわではないが。
「致し方ない、人は己と違うものを恐れる」
致し方ないか、史郎はなんとなく得心がいかない思いがした。
「そういえば、都の陰陽師といえば蘆屋道満がいるが、あやつはそなたと故郷が同じ、播磨だとか」
蘆屋道満、と聞いた瞬間、これまでほほ笑んていた真海が片眉をひそめる。
「どうした?」
という史郎の問いかけに、
「あやつは二親を殺して逐電した外道だ」
と真海はこたえた。
「よりによって式を打って呪殺しおった」
彼は吐き捨てるように言葉をかさねる。式を打つとは、式神を使役するような意味合いの言葉だ。
なるほど、と史郎はうなずく。
呪詛は大罪だ。死刑がない当世のこと殺されることはないが、それでも重罪人として扱われる。
もっとも史郎は呪殺を信じない。おおかた、毒でも盛ったのだろう、と思っていた。
「お前は播磨でどのように育ったのだ?」
史郎の問いかけに真海は肩をそびやかす。
「特に面白いことはない。地下の子として田畑を耕していたが、人に見えぬものが見えると聞いて老いた陰陽師がわしのもとを訪れ弟子とした。あとは流浪しながら、陰陽道の術の修行を受けた」
真海は淡々と語る。
「老いた陰陽師はおのれの身につけた業が潰えるのはむなしく、継ぐ者が欲しかったそうだ」
継ぐ者か、と史郎は声に出さずにつぶやいた。
脳裏に、息子の鳶丸の姿が浮かんだ。だが、できれば彼にはもっと陽の当たる場所を歩いて欲しい。
朝、目が覚めた瞬間から、彼は胃の腑が熱くなるのを感じた。
おのれ、と憎悪がこみ上げた。
湯漬けと鹿肉を干した物をかみ砕き飲み込む。
習慣の、朝の剣の稽古をしていると、
「殿さん、御所さんがお呼びで」
と雑人が現れ声をかけてきた。
彼は舌打ちする。
都にいれば何かと伝手になるかと公卿に近づいたが、労が多いわりに益が少ない。だが、今さら手を切って不興を買えば都には居づらくなる。
徒士で雑人を引き連れ四条以北に向かった。その一角に御所の屋敷はある。
雑人を門の脇に待たせて屋敷に踏み入った。
寝殿に赴き、廂の間であぐらをかく。
「近頃はいかがでおじゃる?」
退屈を持て余していたと知っているだろうに、御所は上機嫌にたずねる。
「いっそ、仇の家に踏み込もうかと」
「それは剣呑だの」
彼の半ば本気の言葉にも、御所は笑みを崩さない。
「されど、石上の家が没落したのを嗤うのだろう? 今殺したら、それは叶わなくなるぞ」
「いつまで待てばいいのだ」
彼は声を大きくする。
「そう遠くないうちだ」
御所がどこか自信ありげに答えた。
なにか策を練っているのか、と感じさせる表情を浮かべている。
「それより」
と御所は話題を変える。
「面白いことになったぞ」
「面白いとは?」
「三つ競べ、というものが開かれることになった」
三つ競べ、と彼は眉をひそめる。
「長距離を、駆け、馬に乗り、泳いで目当ての地を目指すというものだ」
またぞろ、おこなことを考え出したと思う。どうせ、賭けの対象にしているのだ。いや、そのために開かれることも考えられた。
「そなたにそれに出てもらう」
なぜ己が、と彼は思う。
「そなたの嫌う、物部史郎も出るぞ」
という言葉に気分が変わった。
仇の息子で剣の腕で知られる小癪な相手だ。
「三つ競べの最中、なんらかのもしもの事で命を落とす者も出るであろうな」
暗に、三つ競べのあいだに相手を殺しては、と御所は進めていた。
御所の薄汚い意図に乗るのは不快だが、
あの史郎を仕留められるのはいい――。
という思いを抱いた。
待っていろ、史郎――。
4
中級貴族、蔵人式部丞の屋敷において。
主屋の簀子敷に、史郎と真海は立っていた。
「此く宣らば天津神は天の岩門を押坡きて――」
真海が祓い清めの言葉を口にし、史郎は矢をつがえずに弓を引く蟇目をおこなっている。
貴族の屋敷の主屋に都に迷い込んできた狐が出たとかで、怪異として真海が呼ばれたのだ。官人陰陽師の数は需要に対して圧倒的に足りておらず、陰陽法師の出番は多かった。
それにしても狐ね――史郎は億劫さを感じながら、弓を引きつづける。
貴族は命惜しさのばかり、何かあるたびに怪異、怪異と騒ぎ過ぎなのだ。
やがて、
「――八百万神等共に聞食せと白す」
真海が清めの言葉を唱え終えた。
「真海さん、お清めは成就されたでしょうや?」
脇に控えていた主屋の主がおずおずとたずねる。
「案じなされよ。この真海、みごとに怪異を祓ってございます」
「おお」
真海の淡い笑みでの力強い言葉に、貴族が感嘆に近い声をもらした。
やれやれ、と史郎はこみ上げる欠伸を貴族から顔をそらして吐き出す。
それから、釣殿に酒肴が用意された。
「酒肴が尽きた折は、お呼びくだされ」
と告げて、屋敷の主は姿を消す。どうやら、二人の側にいると邪魔になると判断したらしい。
「やれやれ、ひとを騙すのも楽ではないな」
酒をやりながらの史郎の皮肉に、
「痴れ者、霊験あれば目に見えぬ“もの”が祓われたのが見えたはずなのだ」
真海が微笑しながら応じた。
「見えぬものが見えるね、賀茂家の者や安倍四位のようにか?」
「四位は化け物だ。遠目に見たことがあるが、あれは人の気である霊力ではなく、妖のそれの妖力を発していた」
化け物のことを告げる割に、真海の顔には微笑が貼りついている。
「では、妖狐とひとの間の子というのもまことか?」
面白がってたずねる史郎に、
「あるいは、な」
と真海が意味ありげにこたえた。
「恐れられるというのはあまり愉快ではないだろうな」
史郎も他人事ではない。
父に刺客がいることは薄っすらと知られており、そこに向けられる畏怖を間接的に史郎は感じていた。別にそれでこたえるほど史郎はやわではないが。
「致し方ない、人は己と違うものを恐れる」
致し方ないか、史郎はなんとなく得心がいかない思いがした。
「そういえば、都の陰陽師といえば蘆屋道満がいるが、あやつはそなたと故郷が同じ、播磨だとか」
蘆屋道満、と聞いた瞬間、これまでほほ笑んていた真海が片眉をひそめる。
「どうした?」
という史郎の問いかけに、
「あやつは二親を殺して逐電した外道だ」
と真海はこたえた。
「よりによって式を打って呪殺しおった」
彼は吐き捨てるように言葉をかさねる。式を打つとは、式神を使役するような意味合いの言葉だ。
なるほど、と史郎はうなずく。
呪詛は大罪だ。死刑がない当世のこと殺されることはないが、それでも重罪人として扱われる。
もっとも史郎は呪殺を信じない。おおかた、毒でも盛ったのだろう、と思っていた。
「お前は播磨でどのように育ったのだ?」
史郎の問いかけに真海は肩をそびやかす。
「特に面白いことはない。地下の子として田畑を耕していたが、人に見えぬものが見えると聞いて老いた陰陽師がわしのもとを訪れ弟子とした。あとは流浪しながら、陰陽道の術の修行を受けた」
真海は淡々と語る。
「老いた陰陽師はおのれの身につけた業が潰えるのはむなしく、継ぐ者が欲しかったそうだ」
継ぐ者か、と史郎は声に出さずにつぶやいた。
脳裏に、息子の鳶丸の姿が浮かんだ。だが、できれば彼にはもっと陽の当たる場所を歩いて欲しい。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~
川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる
…はずだった。
まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか?
敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。
文治系藩主は頼りなし?
暴れん坊藩主がまさかの活躍?
参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。
更新は週5~6予定です。
※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
対米戦、準備せよ!
湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。
そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。
3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。
小説家になろうで、先行配信中!
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる