天下を駆ける(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

文字の大きさ
5 / 34

しおりを挟む
 屋敷にもどると、息子が史郎に殴りかかってきた。
 それを受け止めて、
「どうした、鳶丸」
 と史郎はたずねる。
 史郎の脇の乳母は「鳶丸さんは御乱心なされて」と蒼白な顔で訴える。
 乳母はそれ以上の仔細を含まないどうでもいいせりふを口にした。
 史郎は腕を取ってなら背後にまわし、動きを封じている。
「鳶丸、何があった? 何故に、俺を殺したく思ったのだ」
「父と母の命を奪ったのはうぬだ」
 鳶丸はなるほど、と鳶丸を解放して告げる。
 話の源は、おそらくは雑人の心もとない他愛ない雑談なのだろうが、それお留め立てしたとことで意味はない、彼らの信用度はそんなものだ。
「利用するなら最大限利用しり、殺すなら寝首をかけ、だが剣技でくるならこの俺から多くのものを盗まないとならない、研鑽が入用だ」
 史郎は膝立ちとなり、泣きじゃくった史郎の頭にそっと手を置いた。
 やがて泣き終えた鳶丸は、「母の最期教えてくだされ」と訴えらえ、仕方なく、自分が知っていることを語った。
「それで殿は、わたしを引き取ったと」
「家立ちいかなくなったと聞いてな、早急に足を運んだ」
「おかげで、路傍に放り捨てられる前で私は父上に引き取られた」
「力を持て鳶丸。力があれば理不尽に抗することができることもある」
 史郎の言葉に、鳶丸が顔をうつむけた。
 大仰に、屋敷の男たちが集まったが、息子は簀子に膝を抱えて座りうつむくばかりだ、とても狼藉者とは言えない。
 罪を犯したからには、と鳶丸に縄を打とうとする者に、
「よい」
 と告げた。ああ、億劫だ。 
 興奮で音が耳に届きづらくなった男たちが鳶丸に縛ろうとする。
 刹那、銀光一閃、男たちが手にしている縄が細かく分かれて下に落ちた。
「聞け。この痴れ者が」
 史郎の力は入っていないが、はっきりとした声で雑人たちが不興を買ったと思ったらしく、悲鳴じみた言葉を出して、無数の鞠がちびまわるようにあっという間に雑人たちが逃げた。
 それから、史郎は廂の間に茫然と足を投げ出して座る童に声をかける。
 体の高さを調整し、耳もとのあたりに声が届くよう。
「俺を殺したければ殺せばいい。それだけの業を重ねてきた。だが、そのためにはおまえが生きて、強くねばらない。でなければ、今日のように醜態をさらすことになる。俺の虫の居所が悪ければ殺されるやもしれぬ」
 史郎の言葉に、鳶丸は怒りと悲しみが入り混じったような目をした。
 そんなことがあった翌日、伺見(うかみ)の善鬼が史郎のもとを訪れる。
 善鬼は父の密偵として働いている老爺で、身なりは民衆直垂姿で平凡な雑人のそれにしか見えない。そういう者だからこそ、伺見は務まるのだ。
「史郎さん、和子に酷なことを申したとか」
「相変わらず耳が早いな」
 史郎は皮肉を口にする。おおかた、史郎の雑人に父に通じる者がいるのだろう。父とはそういう男だ。
「史郎さんが童を引き取って育てると聞いたときこの爺、若殿が人の情けをおぼえたのだと喜んでものでございます」
 善鬼の言葉に嘘はないだろう。伺見としてのお役目の時以外は、そういう振る舞いをする老爺だ。
「鳶丸を引き取ったのは気紛れだ」
「嘘を仰られるな」
 善鬼が厳しく言い放つ。
「そなたは説教をしに俺のもとに来たのか」
 史郎は億劫さを隠さずたずねた。
 善鬼が眉間に皺を寄せてこちらを見つめる。やがて、口調を改めて口を開いた。
「史郎様は仇がおると聞けばいかがします」
 善鬼の言葉に、史郎は眉をひそめる。
「仇も何も、母者は病で」
「毒を飼われたと申したら?」
「それは」
 いきなり言われても分からない。
「殿さんを害さんとした者の手先が毒を飼ったのでございます。それを、史郎様に料理を食べさせんとして味見をした母上が運悪く口にした次第で」
 善鬼の言葉に史郎は顔をしかめる。
「なぜ、そのことが秘された?」
「若殿がおのれを恨むのを厭った殿さんが」
「隠すように命じた、か」
 史郎は苦笑を浮かべた。
 父の非道はなにもそれに始まったことではない。
 史郎は刺客にするために、山の民に預けられた過去がある。
 山で鍛えた健脚や、獣を捕らえる腕をもっておもに貴族から殺しの依頼を受ける一派だった。
 そこで、史郎は数年間を過ごしている。

「止まらずに走れ」
 屈強な体つきをした男人は、声を張り上げた。
 史郎は山犬のごとく風を巻いて疾駆する。風が頬に当たった。
 走ることは好きだった。だから苦痛ではなかった。
「二百、数をかぞえる間、水の中にいろ」
 これは好き嫌いに関係なく肉体的に苦しかった。
 最初は透明で光が水面で躍る水の中が、次第に霞んで見えるようになる。
 だが、あまりにも我慢ができずにあがると、木の棒で突かれて沈められるため半端はできなかった。
 骨(こつ)固めも辛かった。棍棒で総身を殴られるのだ。不意の打撃に対する訓練だった。
 撃たれた腕が熱を持ち、やがて痺れる。だが、痺れる前に今度は腿を打たれた。同じような工程をくり返した。
 やがて、我慢しても涙がこぼれる。
 呼吸も不規則になり、さらに打撃が効いた。
 立っていられなくなり、膝立ちになり、さらに打たれる。
 気づくと、総身が痺れている。
「今日はここまでだ」
 という言葉が、天からの助けのように聞こえた。
 そんなふうに体をいじめ抜いて史郎は指南の男に認められるまでの腕前になっていく。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

対ソ戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
1940年、遂に欧州で第二次世界大戦がはじまります。 前作『対米戦、準備せよ!』で、中国での戦いを避けることができ、米国とも良好な経済関係を築くことに成功した日本にもやがて暗い影が押し寄せてきます。 未来の日本から来たという柳生、結城の2人によって1944年のサイパン戦後から1934年の日本に戻った大本営の特例を受けた柏原少佐は再びこの日本の危機を回避させることができるのでしょうか!? 小説家になろうでは、前作『対米戦、準備せよ!』のタイトルのまま先行配信中です!

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

大東亜架空戦記

ソータ
歴史・時代
太平洋戦争中、日本に妻を残し、愛する人のために戦う1人の日本軍パイロットとその仲間たちの物語 ⚠️あくまで自己満です⚠️

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

御稜威の光  =天地に響け、無辜の咆吼=

エトーのねこ(略称:えねこ)
歴史・時代
そこにある列強は、もはや列強ではなかった。大日本帝国という王道国家のみが覇権国など鼻で笑う王道を敷く形で存在し、多くの白人種はその罪を問われ、この世から放逐された。 いわゆる、「日月神判」である。 結果的にドイツ第三帝国やイタリア王国といった諸同盟国家――すなわち枢軸国欧州本部――の全てが、大日本帝国が戦勝国となる前に降伏してしまったから起きたことであるが、それは結果的に大日本帝国による平和――それはすなわち読者世界における偽りの差別撤廃ではなく、人種等の差別が本当に存在しない世界といえた――へ、すなわち白人種を断罪して世界を作り直す、否、世界を作り始める作業を完遂するために必須の条件であったと言える。 そして、大日本帝国はその作業を、決して覇権国などという驕慢な概念ではなく、王道を敷き、楽園を作り、五族協和の理念の元、本当に金城湯池をこの世に出現させるための、すなわち義務として行った。無論、その最大の障害は白人種と、それを支援していた亜細亜の裏切り者共であったが、それはもはや亡い。 人類史最大の総決算が終結した今、大日本帝国を筆頭国家とした金城湯池の遊星は遂に、その端緒に立った。 本日は、その「総決算」を大日本帝国が如何にして完遂し、諸民族に平和を振る舞ったかを記述したいと思う。 城闕崇華研究所所長

処理中です...