天下を駆ける(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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おまえは疫病神だ、それが父からおのれに向けられたもっとも多い言葉だ。

 気づくと殴られていた。それが彼の最初の記憶だ。
 殴られる、蹴られる、首を絞められる、そんなことが延々くり返された。
 悟っていく。
 村の衆を観れば一目瞭然だ。
 そんな扱いを受けている子供は彼以外にいなかった。
 ひとりとして。ひとりとして。
 なんでも、なぜこんなことをされるかというと、
「お前が生まれたお陰で嬶だ死んじまった」
 とのことだ。
 だったら、忘れ形見を大事にすればいいだろうに、他人事のように思った。
 段々と黒々とした物が脳髄から染み出す。
 その感情が、憎しみ、と知ったのはいつだったろうか。
 確か、村の女が旅の坊主に犯して殺されたときではないだろうか。そのとき、夫が「憎い」と声を震わせて発したのが未だに耳の奥に残っている。
「憎い」
 誰もいないとき、藁で細工をしながら屋内でそっとつぶやいた。
 堰が一気に切れる。
 頭の中がその言葉で満たされる。息が苦しくなった。
 齢、七つのときだ。
 夜のことになる。
 彼は土間の鎌を手に持った。
 使い方は知っている。父は村に迷い込んだウサギの喉を裂くのに使っていた。
 板敷の上に横になっている。
 後ろからその喉首に刃を当てた。ああ、これで終わる。そのあとのことなど頭になかった。
 と、父が目を開けた。黒目がこちらを向くのが分かった。
 引く。今しかない。
 鎌を思い切り手前に動かした。切れ味の悪い鎌だったが、それでも大の男の喉首を見事に掻き切ってみせた。
 自然と笑みがもれた。
 父が苦しげにもがく。だが、仮に気が変わったとしても今さら、手の施しようがない。また、そんな気も起きない。
「お前が憎い」
 彼の言葉に連動するように父が動かなくなった。
 それから百姓家をあとにする。
 あてどなどなかった。
 別に、村の衆の山狩りを恐れてもいない。ただ、あの男と同じ屋根の下にいるのを厭っただけだ。
 山をくだり、街道に出る。
 夜明けに世界が染められていった。
 これまで彼の瞳に映らなかった光の美しさに茫然とする。
 と、
「そなた、ひどい業を背負っておる」
 とすぐ近くから声がした。
 見やると、街道脇の叢の上にひとりの法師が寝転んでいる。
「そんなところで何をしているんだ」
 彼はたずねた。
「業のことより、わしの所業が気になったか」
 法師は呵々大笑する。
「旅の身でな、ここで寝ておったのよ」
 そうか、と彼の言葉にうなずいた。
「そなた、これからの“あて”はあるのか?」
 法師が身を起こす。
「そんなの、ない」
 彼は警戒するでもなく告げた。何かを恐れるという感覚が麻痺していた。
「野垂れ死んで、獣、虫に食われるか?」
「そうか」
 そうなるのかと、と納得する。
 散々な目に遭っていたが、父に養われていたことを知った。もっとも感謝はしないが。
「誰かが糧となり世のものを助ける、それは世の理だ。死ぬことも悪くない」
 法師の言葉に、そうだな、と思った。
 黒々とした物が消えて空っぽになった彼は静かに、七つにして死すら受け入れる。
「そなた、わしよりもよほど坊主に似つかわしいな」
 法師が楽しそうに笑った。
 なんだか、彼もうれしくなった。
 正の感情を向けられたのは初めてだ。
「どうだ、わしの弟子にならんか?」
 法師が口角をあげたままたずねる。
「それは」
「もっとも、これから先、さらなる業を背負うことになるが」
 こちらが答える前に法師は付け加えた。
 それは――と思う。
 業がどういうものかはっきりとは分からない。
 だが、父親を殺した自分が天道に背を向ける道に踏み出したことはなんとなく分かっていた。
「弟子になる」
「されば、拙僧について参れ」
 彼は法師と並んで歩き出した。

 陰陽法師から彼は毒飼いの技を、呪詛の術を学んだ。
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