天下を駆ける(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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 山の民の修練のひとつだった。
 目隠しをして山に連れていかれ、夜になると目隠しが取り除かれ、「さあ、里まで帰ってみせろ」と告げられるのだ。
 すべてを飲み込むような闇、それがまず怯えを呼ぶ。
「こう何も見えないと、いっそ清々しいな」
 あまり子供っぽくない、大人びた雰囲気だった史郎が無邪気に言ったのに四千は急激に心強さを感じた。
「なあ、四千」と告げられ、「そうだな」と四千も口角をあげてうなずく。
 そんなようすを、ここまでふたりを連れてきた里の壮年の男が怪訝な目で見ていた。
「いつまでに帰ればいい?」
 史郎が男にたずねる。
「別段、期限は定めぬ」
「されば、夜が明けてから発つとしよう」
 男の言葉に、史郎が宣言した。
 その言葉に男は目を見張る。
「支障(さわり)があるのか?」
「いや、それは」
 ふうつ、里に帰れ、と言われれば即時に出発すると解釈するだろう。だが、聡明な史郎はその間隙を突いた。
 ははは、と四千は不安などどこにやら上機嫌に笑った。
「火を起こすとしよう」
 宣言し、史郎は枯れ枝を集め、蔓と枝を使って火起こしを作り火を起こす。
「夜はまだ冷える、当たってはいかがか?」
 当然のように火に当たる四千をよそに、史郎が指南役の男に声をかけた。
 彼はむっつりした顔をしていがが、やれやれ、とばかりに頭をふる。そして、彼も焚火の輪に加わる。
「お前のようなわっぱは初めてだ」
 男の呆れ交じりの言葉に、
「智嚢もまた武器なれば」
 史郎がおどけてこたえる。それに男が微苦笑を浮かべる。
「まったくだな」
「まったくだ」
 彼の言葉に四千はつづいた。
 史郎の目は、そのものには光がささずとも、その先を見通している。

 あのときのまなざしが、いま四千を見つめていた。
 そうだ、以前の彼はこんな目をしていたのだと思い出す。
「もう、勝つしかなな、史郎」
「おう」
 四千の言葉に、夜明けの近い薄闇の中で史郎が確かにうなずいた。

 夜が明ける頃に、善鬼が姿を見せた。
 海を眺める形で、史郎、善鬼、四千が並んで座る。
「史郎様、先を進む者はもはや二人でございます」
 二人、と史郎は感慨深い思いを抱いた。数日の走りが、幾年もののように感じられる。
「ひとりは翁」
 善鬼の言葉に史郎は眉をひそめる。
「聞き間違いか? 翁と言ったか?」
「聞き間違いではありません、翁にございます」
 史郎の言葉に、善鬼は首をふった。
「ただし、尋常の翁ではありませぬ」
 善鬼の言葉に、史郎は表情を引き締める。
「伺見の間では有名な先祖伝承の仁でございます。凄腕の伺見、刺客として知られておりまする」
「されど、翁なのだろう?」
「それでも衰えぬのが恐ろしいところ」
 善鬼は首を左右にふった。
「鄙のもののふ同士の諍いで、片方が朝堂に泣きついたのでございます。そこで下知を受けたのが、くだんの翁。郎党、地下が十重二十重に警固を行う中、もののふ一家を皆殺しにしたのでございます」
 翁がそんなことを成したとは信じがたい。
 だが、善鬼がこの状況で冗談を言うとも思えなかった。脳裏には、自分を追い越していった翁の姿が浮かんでいる。
「それと」
 どこか善鬼が言い淀む。
「史郎さんが見逃した双子でございますが、斬られもうした」
「そうか」
 史郎は表情を曇らせた。
「例の仕合の場で顔を合わせた凄腕でございます」
「あの男か」
 史郎の眉間にしわが刻まれる。
「昼夜を問わずに駆け、史郎さんに先んじております」
「そうか」
 あの男の得体の知れなさなら、あっという間に史郎を抜いても不思議ではなかった。
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