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02話
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「アブソルート国の婚姻に関する資料を集めるのを手伝ってほしい。あちらに到着する明後日までに全て頭に叩き込む」
アウラの決意のこもった視線に気圧されつつも、修道士は頷いてすぐさま部屋を後にする。部屋から遠ざかっていく足音をやけに遠く感じながら、アウラは重圧に潰れてしまいそうな心を保つために揺れるキャンドルの小さな炎を見つめ続けた。
丸1日ほど馬車に揺られ無事にアブソルート国入りを果たしたアウラは、王都の街並みを眺める心の余裕がないまま王城の一室に通されていた。手には出発までの間にまとめたアブソルート国の婚姻にまつわるしきたりがびっしりと書かれたノートが握られている。
(進行も作法も頭に入ったけれど……どうして竜人は誓いの口付けなんてことを挙式で行うんだ!)
諜報員仲間のヘリオスがクソ真面目の優等生と揶揄するように、アウラは勤勉で物覚えがよかった。そんな彼にとっては2日もあればちょっとした異文化を頭に叩き込むのは苦ではない。ただ、真面目ゆえに突発的な事態をうまく回避する方法を選択することに時間を要した。今もそうだ。竜人の婚姻のしきたりをある程度頭に叩き込んで余裕を見せていたのに、竜人特有の誓いの口付けなる儀式があると知ってからはこれを避ける方法をいくつも頭に思い浮かべては、僅かな危険性に自ら気付きその方法を排除して……ということを繰り返している。
(人前だし、口付けは唇を触れ合わせるだけ? もしそうだったとしても僕は今、今までにないほど強い毒を飲んでいるから少しの唾液や吐息でも相手に影響を与えるかもしれない)
アウラがこんなにも頭を悩ませているのは、何も人前での口付けが恥ずかしいからというわけではなかった。全身が毒物で構成されていると言っても過言ではないアウラは、重要な人物が顔を揃える挙式でジーク王の具合を損ねたり、最悪その場で殺してしまうことを恐れているのだ。
(ミロ様や国王陛下がやっとここまでこぎ着けたのに、僕が失敗するわけにはいかない)
相手に不満や違和感を与えずに回避する最善策を求め唸るアウラの耳に、扉をノックする音と聞き慣れた声が届く。
「アウラ、私だ」
「ミロ様……!」
音もなく扉に駆け寄り、アウラがそっと扉を開くとミロと彼の護衛をかねた諜報メンバーが居た。さっと視線を走らせる限り廊下の先に竜人の衛兵が居るが、アウラたちの行動を警戒している様子は見られず、アウラは堂々とふたりを部屋の中に招き入れる。和やかな雰囲気で室内へと入った途端にそれぞれの表情は険しくなった。ミロが眉間に皺を寄せ不機嫌さを隠さずに口火をきる。
「竜人共は我々を動揺させるつもりだ。これから執り行われる式で重箱の隅をつつくようなことを言われる可能性もある」
「はい。彼らに隙を見せないために対策をしてまいりました」
ミロの意見に賛同しつつアウラがそう答えると、ミロは安心したように両目を閉じ何度か頷いた。
「それでいい。さすがはアウラだ」
満足そうな呟きにアウラの心も晴れるような気持ちだったが、例の件を伝えてどのような対応をすべきか相談しなければならないことを思い出し憂鬱になる。
「知識のほうは問題ないのですが」
「何か他に心配が……ああ、口付けを強要されるというあれか」
「ミロ様もご存知なのですね」
言葉を濁した理由をすぐに察したミロに、アウラは驚きと共に知識の豊富さに舌を巻いた。些細なことであっても相手の情報を取り逃さない彼の姿勢こそさすがだと感じたのだ。アウラのそんな感情はお構いなしに、ミロの表情にはまた不機嫌さと嫌悪が浮かぶ。
「野蛮な種族なだけある。人前でそのようなことをさせるなんて」
「ええ、本当に。神の前で行う儀式だというのに、こんなときまで欲望に素直で恐ろしいです」
エルドラド王国では、男女間もしくは第2性間での接触行為を他人の目に触れる場所で行うことを固く禁じていた。恋人や番の間の秘め事を公にする感性は理性がない証拠、つまり獣的な感性であると判断されるからだ。数十時間前初めて誓いの口付けを知ったアウラは、それはもう驚いて嫌悪したものだった。まだ見ぬ竜人王と自分が人前で口付けを交わす姿を想像して体を震わせるアウラの顔色は少し青ざめてすらいる。
「信じがたい行為ではありますが、必要とあれば我慢できます。ですが……」
「式を挙げている間に毒が王の体に回ってしまっては困る」
青ざめながらも我慢すると断言したアウラの言葉をミロが引き継いだ。アウラは数回小さく頷くと、意見を求めるようにミロを見上げた。ふむと考え込むミロを一心に見つめるアウラだったが、ミロが出した回避方法に拍子抜けする羽目になる。
「そこはシンプルにいこうではないか」
「シンプル……ですか?」
「ああ。我々人間は人前での接触を良しとしない。今回の婚姻はあちらの無茶が多く通っているのだから、こちらも譲れない部分であることを強調するのだ」
「竜人側は強気ですし、強引なことをされたらどうすればいいでしょう」
ミロの言い分はもっともだし、アウラも何度も考えた方法だ。だが、シンプルだからこそ危険なリスクも多く孕んでいた。参列する者はもちろん竜人王がその態度を気に入らないと言い出せば、計画全てが頓挫することだってある。不安そうなアウラに、ミロは幼い子供に言い聞かせるような表情を浮かべた。
「アウラ。貴方が自分に自信がないことは知っていたがここまでとは思わなかったよ」
どういうことだと首を傾げるアウラの頬にそっと手を添えたミロは言葉を続ける。
「貴方の武器は勤勉で頭がいいことだ。それから特別な体質であること。そして、その外見も他の者たちとは比べ物にならないほどの強みだ」
ミロの値踏みするような視線がアウラの顔のパーツをなぞるように流れていく。
(外見。みんなが言うほど僕の見た目は特別ではないと思うんだけど)
身長は人間の平均である170センチメートル近くあり、諜報や万が一暗殺を行うことになったときに困らないよう細身ながらしなやかな筋肉をそなえているので、オメガらしい華奢さが皆無だと思っているアウラは、度々誰かに容姿を褒められても中々納得がいかなかった。
しかし、周りが評価しているのは健康的でしなやかな肉体とうまく調和している中性的な顔から発される、汚してはいけないような危うさだった。丸くて綺麗な形の目を伏し目がちにさせ、潤んだ紅玉のような赤い瞳で見つめれば、相手は性別に関係なく「後戻りしたほうがいいとわかっているのに、手を伸ばしたくなる」欲求を駆り立てられるだろう。毎日ヒビの入った鏡を見て育ち、もっとオメガらしい容姿の諜報メンバーたちと共に過ごしてきたアウラには、一生理解できない感性なのかもしれない。
「重要なのは嫌がるのではなく、恥じらうことだ」
アウラが自分の容姿の価値を計りかねている間も、ミロは言葉を止めなかった。
「恥じらう」
「うんと頬を染め瞳を潤ませ、恥ずかしいと呟いて相手を見上げればいい。相手のマイナスな感情が傾く前にプラスの感情に訴えかけるのだ」
ミロの言わんとすることを理解したアウラは、しっかりと頷き返す。
「わかりました」
「いい返事だ。国王陛下と我々は式の後すぐに城を立つことになっている。これは初めから決まっていたことだから、アブソルート国側も承知のことで不自然ではない」
(初夜で竜人王を確実に仕留めろ……ということか)
一見脈略のない共有だったが、アウラは意図を的確に把握して顔を強張らせた。
「緊張しなくていい。私のほうからも事前に向こうへこちらの考えを伝えておく」
「ありがとうございます」
緊張をほぐすために口角を持ち上げたアウラにミロも優しく微笑んだところで、扉の横に控えていた男が警戒する様子を見せた。アウラとミロが視線で合図をする。少しすると足音なく誰かの気配が部屋に近付き立ち止まった。
「アウラ様。式のご準備をお世話させていただくブラントと申します」
ノックの後に、どこかのんびりとした声音が響く。最初に肩の力を抜いたミロが扉を開いた。扉の先にはアウラより少し背の低い、身形の整った竜人の少年が大きな荷物を乗せた車を引いて立っている。対応したのがミロであったことに驚いたのかブラントと名乗った少年はぽかんと顔を見上げていたが、すぐにふにゃりと破顔した。
「教皇様もこちらにいらしたのですね。お会いできて光栄です」
「私を知っていてくれるとは……こちらこそ光栄だよ」
微笑んで返すミロの後ろからアウラが顔を出すと、ブラントは大きな瞳を輝かせる。
「アウラ様ですね。式のご準備とこれからの生活のお世話をさせていただきます。よろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願いします」
深く礼をするブラントをアウラはしっかりと観察した。幼げな見た目をしつつも、後ろに流れるような幅広い角をこめかみの横から生やしており、見た目に反して能力が高そうだ。灰色がかった白い髪は顔周りは短く、後ろ髪はひとつに括られて長く伸びていた。アイスグリーンの瞳は穏やかだけれど、強い光を放っている。王族に仕える上級使用人は貴族の子息たちであるとアウラは聞いていたので、彼もかなり位の高い家の出自なのだろうと思い至った。
(こんなに凄そうな人材を僕に充てるってことは、竜人王のからかいってだけではないのかな……監視の線も捨てきれないけれど)
顔を上げたブラントはやはりどこかのんびりした声音でアウラを急かした。
「早速ですが、ジーク王が準備した衣装にお着替えください。装飾品もたくさんありますのでお好きな物を選んでくださいね」
ブラントがアウラの体に触れそうになるのを回避しながらの身支度は、思った以上にアウラの神経をすり減らせた。なんとか慣れない華やかな恰好に着替えたアウラが神殿への移動中に思わず大きな溜息を吐くと、感情を誤解したブラントが苦笑しながら振り向く。
「急なこととはいえ、式で初めて顔合わせだなんて不安ですよね」
「えっ……ああ、そうですね。僕は全然ジーク王のことを知らないから」
アウラは誤解を解かないまま、たっぷりと贅沢に布を使った純白の衣装の裾を持ち上げていつの間にか空いていたブラントとの距離を詰めた。彼の身に纏う衣装は男性向けの物であったが、聖職者が身に着ける足首まで長さのあるチュニックのような形になっていて、アウラのことを意識して誂えたもののように思える。
(向こうは僕のことをどのくらい知っているんだろう)
「ジーク王はとても人当たりのいいお人柄ですよ。見た目は少し……立派な角の影響で怖く見えることもありますが、優しい性格です」
ブラントが本心から楽しんで紹介してくれていることがわかり、アウラは今夜事を起こすことに後ろめたさを覚えた。
(……躊躇っちゃいけない。竜人は僕たち人間に酷いことをしてきたし、これからも酷いことをするつもりなんだから)
ブラントの柔らかい声が止まり、歩みも止まる。アウラはハッとして顔をあげると、廊下の少し先に荘厳な扉が見えた。これから挙式を行う神殿だ。あの中にはまだ見ぬ夫であり、暗殺対象である竜人王が居る。アウラは裾を掴む手にこめる力を無意識に強めた。
「あちらになります。ヴェールを下ろしましょうか?」
「……自分でやります」
ゆっくりと呼吸を整えたアウラは、視界を確保するために上げていた繊細なヴェールに震える指をかけて目の前を覆った。アウラの準備が整ったのを見ると、扉の両脇に控えていた衛兵が小さく中に合図を送る。
(この先に)
「入場ー!」
衛兵の大きな声と共に重たい扉がゆっくりと開いた。神殿の中には大勢の竜人と少数の人間が着席している。赤い絨毯の先にはアウラの頭ひとつ分以上は大きそうな体格のいい美丈夫が立っていた。30メートル程は距離があるはずなのに、切れ長なアイスブルーの瞳に射抜かれていることが痛いほどにわかって、アウラは初めて感じる体の奥の震えに戸惑いを覚える。
(彼が竜人王ジーク……なんて大きい人なんだ。これは、本能的な畏れからくる震え?)
動かないアウラに焦れた参列者が軽く振り返るのを見て、息が詰まりそうになりながらも一歩を踏み出していく。アウラは距離が縮まる度痛いほどに高鳴る心臓にそっと手を添えた。一歩一歩近寄ると、お互いに少しも視線をそらさず食い入るように見つめ合っていることを確信する。
(どうして視線をそらせないんだろう。彼も……僕も……)
いよいよアウラがジークの前に辿りついた。ジークは入口で感じた通りアウラの頭ひとつ分、恐らく190センチメートルはありそうな逞しい体躯だ。真っ白で清潔に整えられた髪がステンドグラス越しの陽光に照らされ輝いている。一方で遠目からは冷たく見えた瞳は衝撃をうけたように見開かれていて、冷たさとは正反対の熱い熱に浮かされているようにも見えた。
「アウラ」
アウラにしか聞こえないような小さな声で名前を呟かれると、ふたりの間にぶわりと噎せ返るような華やかで濃厚な香りが広がる。
(これは……彼の香り?)
アウラの決意のこもった視線に気圧されつつも、修道士は頷いてすぐさま部屋を後にする。部屋から遠ざかっていく足音をやけに遠く感じながら、アウラは重圧に潰れてしまいそうな心を保つために揺れるキャンドルの小さな炎を見つめ続けた。
丸1日ほど馬車に揺られ無事にアブソルート国入りを果たしたアウラは、王都の街並みを眺める心の余裕がないまま王城の一室に通されていた。手には出発までの間にまとめたアブソルート国の婚姻にまつわるしきたりがびっしりと書かれたノートが握られている。
(進行も作法も頭に入ったけれど……どうして竜人は誓いの口付けなんてことを挙式で行うんだ!)
諜報員仲間のヘリオスがクソ真面目の優等生と揶揄するように、アウラは勤勉で物覚えがよかった。そんな彼にとっては2日もあればちょっとした異文化を頭に叩き込むのは苦ではない。ただ、真面目ゆえに突発的な事態をうまく回避する方法を選択することに時間を要した。今もそうだ。竜人の婚姻のしきたりをある程度頭に叩き込んで余裕を見せていたのに、竜人特有の誓いの口付けなる儀式があると知ってからはこれを避ける方法をいくつも頭に思い浮かべては、僅かな危険性に自ら気付きその方法を排除して……ということを繰り返している。
(人前だし、口付けは唇を触れ合わせるだけ? もしそうだったとしても僕は今、今までにないほど強い毒を飲んでいるから少しの唾液や吐息でも相手に影響を与えるかもしれない)
アウラがこんなにも頭を悩ませているのは、何も人前での口付けが恥ずかしいからというわけではなかった。全身が毒物で構成されていると言っても過言ではないアウラは、重要な人物が顔を揃える挙式でジーク王の具合を損ねたり、最悪その場で殺してしまうことを恐れているのだ。
(ミロ様や国王陛下がやっとここまでこぎ着けたのに、僕が失敗するわけにはいかない)
相手に不満や違和感を与えずに回避する最善策を求め唸るアウラの耳に、扉をノックする音と聞き慣れた声が届く。
「アウラ、私だ」
「ミロ様……!」
音もなく扉に駆け寄り、アウラがそっと扉を開くとミロと彼の護衛をかねた諜報メンバーが居た。さっと視線を走らせる限り廊下の先に竜人の衛兵が居るが、アウラたちの行動を警戒している様子は見られず、アウラは堂々とふたりを部屋の中に招き入れる。和やかな雰囲気で室内へと入った途端にそれぞれの表情は険しくなった。ミロが眉間に皺を寄せ不機嫌さを隠さずに口火をきる。
「竜人共は我々を動揺させるつもりだ。これから執り行われる式で重箱の隅をつつくようなことを言われる可能性もある」
「はい。彼らに隙を見せないために対策をしてまいりました」
ミロの意見に賛同しつつアウラがそう答えると、ミロは安心したように両目を閉じ何度か頷いた。
「それでいい。さすがはアウラだ」
満足そうな呟きにアウラの心も晴れるような気持ちだったが、例の件を伝えてどのような対応をすべきか相談しなければならないことを思い出し憂鬱になる。
「知識のほうは問題ないのですが」
「何か他に心配が……ああ、口付けを強要されるというあれか」
「ミロ様もご存知なのですね」
言葉を濁した理由をすぐに察したミロに、アウラは驚きと共に知識の豊富さに舌を巻いた。些細なことであっても相手の情報を取り逃さない彼の姿勢こそさすがだと感じたのだ。アウラのそんな感情はお構いなしに、ミロの表情にはまた不機嫌さと嫌悪が浮かぶ。
「野蛮な種族なだけある。人前でそのようなことをさせるなんて」
「ええ、本当に。神の前で行う儀式だというのに、こんなときまで欲望に素直で恐ろしいです」
エルドラド王国では、男女間もしくは第2性間での接触行為を他人の目に触れる場所で行うことを固く禁じていた。恋人や番の間の秘め事を公にする感性は理性がない証拠、つまり獣的な感性であると判断されるからだ。数十時間前初めて誓いの口付けを知ったアウラは、それはもう驚いて嫌悪したものだった。まだ見ぬ竜人王と自分が人前で口付けを交わす姿を想像して体を震わせるアウラの顔色は少し青ざめてすらいる。
「信じがたい行為ではありますが、必要とあれば我慢できます。ですが……」
「式を挙げている間に毒が王の体に回ってしまっては困る」
青ざめながらも我慢すると断言したアウラの言葉をミロが引き継いだ。アウラは数回小さく頷くと、意見を求めるようにミロを見上げた。ふむと考え込むミロを一心に見つめるアウラだったが、ミロが出した回避方法に拍子抜けする羽目になる。
「そこはシンプルにいこうではないか」
「シンプル……ですか?」
「ああ。我々人間は人前での接触を良しとしない。今回の婚姻はあちらの無茶が多く通っているのだから、こちらも譲れない部分であることを強調するのだ」
「竜人側は強気ですし、強引なことをされたらどうすればいいでしょう」
ミロの言い分はもっともだし、アウラも何度も考えた方法だ。だが、シンプルだからこそ危険なリスクも多く孕んでいた。参列する者はもちろん竜人王がその態度を気に入らないと言い出せば、計画全てが頓挫することだってある。不安そうなアウラに、ミロは幼い子供に言い聞かせるような表情を浮かべた。
「アウラ。貴方が自分に自信がないことは知っていたがここまでとは思わなかったよ」
どういうことだと首を傾げるアウラの頬にそっと手を添えたミロは言葉を続ける。
「貴方の武器は勤勉で頭がいいことだ。それから特別な体質であること。そして、その外見も他の者たちとは比べ物にならないほどの強みだ」
ミロの値踏みするような視線がアウラの顔のパーツをなぞるように流れていく。
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身長は人間の平均である170センチメートル近くあり、諜報や万が一暗殺を行うことになったときに困らないよう細身ながらしなやかな筋肉をそなえているので、オメガらしい華奢さが皆無だと思っているアウラは、度々誰かに容姿を褒められても中々納得がいかなかった。
しかし、周りが評価しているのは健康的でしなやかな肉体とうまく調和している中性的な顔から発される、汚してはいけないような危うさだった。丸くて綺麗な形の目を伏し目がちにさせ、潤んだ紅玉のような赤い瞳で見つめれば、相手は性別に関係なく「後戻りしたほうがいいとわかっているのに、手を伸ばしたくなる」欲求を駆り立てられるだろう。毎日ヒビの入った鏡を見て育ち、もっとオメガらしい容姿の諜報メンバーたちと共に過ごしてきたアウラには、一生理解できない感性なのかもしれない。
「重要なのは嫌がるのではなく、恥じらうことだ」
アウラが自分の容姿の価値を計りかねている間も、ミロは言葉を止めなかった。
「恥じらう」
「うんと頬を染め瞳を潤ませ、恥ずかしいと呟いて相手を見上げればいい。相手のマイナスな感情が傾く前にプラスの感情に訴えかけるのだ」
ミロの言わんとすることを理解したアウラは、しっかりと頷き返す。
「わかりました」
「いい返事だ。国王陛下と我々は式の後すぐに城を立つことになっている。これは初めから決まっていたことだから、アブソルート国側も承知のことで不自然ではない」
(初夜で竜人王を確実に仕留めろ……ということか)
一見脈略のない共有だったが、アウラは意図を的確に把握して顔を強張らせた。
「緊張しなくていい。私のほうからも事前に向こうへこちらの考えを伝えておく」
「ありがとうございます」
緊張をほぐすために口角を持ち上げたアウラにミロも優しく微笑んだところで、扉の横に控えていた男が警戒する様子を見せた。アウラとミロが視線で合図をする。少しすると足音なく誰かの気配が部屋に近付き立ち止まった。
「アウラ様。式のご準備をお世話させていただくブラントと申します」
ノックの後に、どこかのんびりとした声音が響く。最初に肩の力を抜いたミロが扉を開いた。扉の先にはアウラより少し背の低い、身形の整った竜人の少年が大きな荷物を乗せた車を引いて立っている。対応したのがミロであったことに驚いたのかブラントと名乗った少年はぽかんと顔を見上げていたが、すぐにふにゃりと破顔した。
「教皇様もこちらにいらしたのですね。お会いできて光栄です」
「私を知っていてくれるとは……こちらこそ光栄だよ」
微笑んで返すミロの後ろからアウラが顔を出すと、ブラントは大きな瞳を輝かせる。
「アウラ様ですね。式のご準備とこれからの生活のお世話をさせていただきます。よろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願いします」
深く礼をするブラントをアウラはしっかりと観察した。幼げな見た目をしつつも、後ろに流れるような幅広い角をこめかみの横から生やしており、見た目に反して能力が高そうだ。灰色がかった白い髪は顔周りは短く、後ろ髪はひとつに括られて長く伸びていた。アイスグリーンの瞳は穏やかだけれど、強い光を放っている。王族に仕える上級使用人は貴族の子息たちであるとアウラは聞いていたので、彼もかなり位の高い家の出自なのだろうと思い至った。
(こんなに凄そうな人材を僕に充てるってことは、竜人王のからかいってだけではないのかな……監視の線も捨てきれないけれど)
顔を上げたブラントはやはりどこかのんびりした声音でアウラを急かした。
「早速ですが、ジーク王が準備した衣装にお着替えください。装飾品もたくさんありますのでお好きな物を選んでくださいね」
ブラントがアウラの体に触れそうになるのを回避しながらの身支度は、思った以上にアウラの神経をすり減らせた。なんとか慣れない華やかな恰好に着替えたアウラが神殿への移動中に思わず大きな溜息を吐くと、感情を誤解したブラントが苦笑しながら振り向く。
「急なこととはいえ、式で初めて顔合わせだなんて不安ですよね」
「えっ……ああ、そうですね。僕は全然ジーク王のことを知らないから」
アウラは誤解を解かないまま、たっぷりと贅沢に布を使った純白の衣装の裾を持ち上げていつの間にか空いていたブラントとの距離を詰めた。彼の身に纏う衣装は男性向けの物であったが、聖職者が身に着ける足首まで長さのあるチュニックのような形になっていて、アウラのことを意識して誂えたもののように思える。
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(……躊躇っちゃいけない。竜人は僕たち人間に酷いことをしてきたし、これからも酷いことをするつもりなんだから)
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「あちらになります。ヴェールを下ろしましょうか?」
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ゆっくりと呼吸を整えたアウラは、視界を確保するために上げていた繊細なヴェールに震える指をかけて目の前を覆った。アウラの準備が整ったのを見ると、扉の両脇に控えていた衛兵が小さく中に合図を送る。
(この先に)
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(彼が竜人王ジーク……なんて大きい人なんだ。これは、本能的な畏れからくる震え?)
動かないアウラに焦れた参列者が軽く振り返るのを見て、息が詰まりそうになりながらも一歩を踏み出していく。アウラは距離が縮まる度痛いほどに高鳴る心臓にそっと手を添えた。一歩一歩近寄ると、お互いに少しも視線をそらさず食い入るように見つめ合っていることを確信する。
(どうして視線をそらせないんだろう。彼も……僕も……)
いよいよアウラがジークの前に辿りついた。ジークは入口で感じた通りアウラの頭ひとつ分、恐らく190センチメートルはありそうな逞しい体躯だ。真っ白で清潔に整えられた髪がステンドグラス越しの陽光に照らされ輝いている。一方で遠目からは冷たく見えた瞳は衝撃をうけたように見開かれていて、冷たさとは正反対の熱い熱に浮かされているようにも見えた。
「アウラ」
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