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中編
しおりを挟む「あんぎゃー」
人間の赤子の鳴き声は、甲高い。
最初は、ぼんやりとしか見えない視界と、思い通りにならない体に泣いてばかりいた。
私を連れ帰り、青年の屋敷は大騒ぎになったらしい。
私の寝かされている部屋でも、やれ隠し子か、拾い子か、と使用人たちの口は止まらない。
でも、私がニコニコわらうと、彼らも満面の笑顔になって私を抱いてくれた。
どうしよう、私、きっと、たぬきのような丸くて愛らしい赤子だ。
そうこうしているうちに、青年の姉という女性がやってきた。
目尻に皴の入った、すこしばかり年齢を重ねた女性は、嫁いだ先で子ができず肩身の狭い思いをしていたらしい。
私の育ての親として戻ってきてくれたようだ。
名前は分からない。
「いい子ですね、母ですよ」
自分の事を母としか言わないし、男も姉上としか呼ばない。
そういえば、男の名前は秋久というらしい。母が呼んでいた。
「ほれ、たぬき。散歩にゆくぞ」
私は秋久の腕に抱かれ、幾重にも布を巻かれ庭に連れ出された。
散歩なんて、どうでもいいよ。
私は腹ぺこだよ。
乳母を呼べ。
乳を吸わせろ。
必死に伝えようと、秋久の胸元の衣を握りしめ頑張ったが、とろけるような目で見下ろすだけだ。
「どうだ、外は心地よいだろう」
お天道様の光が、秋久の顔を照らす。
鼻が高いのは良いと思うよ、たぬきみたいで。
でも、細すぎて存在感がない。
私の鼻は、大きくて黒いといいな。
「たぬきが魚を運んでくれていた日が懐かしいな、今度は私がお前に たらふく食わせてやるからな」
秋久が微笑んだ。
すっかり大人になったけれど、笑うと少年の頃みたいだ。
むむむ、なぜだか尻がこそばゆい。
ぷっ
「ははは」
放屁した私を、秋久が声を上げて笑った。
許さない。
怒りを覚えた私は、力いっぱい泣いた。
「あぎゃーーー!」
「すまぬ、すまぬ。怒りっぽいのは、腹がへったからか?」
そうだ、とばかりに口を、くちゅくちゅ動かしたら、悪戯に長い指が迫ってきた。
嚙み砕いてやる。
ぱくり、と咥えたが、まだ歯がない。
しかも、なんだか甘い気がする。
つい吸ってしまう。
「おいしいか?」
何か聞かれたけれど、眠い。
後にして。
くうくう
「あら、眠ってしまったの?」
「ええ」
母の声が聞こえた気がした。
そして、硬くて大きな腕から、柔らかな腕へと寝床が変わった。
心地よい母の歌声が聞こえる。
とん
とん
背中が優しく叩かれる。
まぁ、人間も悪くないかな。
「うー」
ひと月もたてば、私は寝返りをうって、うつぶせで頭を上げることができるようになった。
これは、すばらしい。
たぬきの目線と変わらないよ。
「いくらなんでも、早すぎます」
「……人の子とは違うのか」
喜ぶ私をしり目に、二人は眉間に皴がよっている。
「うー、う!」
なんとか進めないものか、私は必死で体をそらして、足をじたばた動かした。
だが進まない。
その場で、ゆらゆらするだけだ。
「うー!」
「待て、たぬき。そう急いで大きくなるな」
秋久が私の脇に手を差し入れ、抱き上げた。
目線が上がっていく。
天井に頭が付きそうだ。
「あうー!」
「そうか、嬉しいか?」
「あうー!」
相変わらず察しの悪い男だ。
「おたぬは、母が良いのですよね」
「そうなのか?」
「あう」
最近、母は私に粥をくれる。
素晴らしい人だ。
「いらっしゃい」
「……」
私は、秋久から母へと受け渡された。
母は、秋久に似ていない。狐でも狸でもない、鶴のような顔の女だ。
世間では、美人と呼ばれているらしい。
「あー」
母よ、食べ物をください。
「そうですか、眠いのですね」
この二人は、姉弟だ。
察しの悪さが似ている。
早く、話せるようになりたい。
「あちひさ」
半年もすると、歩けるようになったが、四足歩行が良い。
私は、屋敷中を這いずり回った。
「あちひさ!」
ふすまを開けて、秋久の部屋に侵入した。
彼は、文机で何やら文を書いていた。
墨をこぼされないかと、文机は一瞬で片付けられた。
「あきひさだ、言ってみろ」
膝の上に招かれ、そこに乱暴に腰を下ろした。
「かし、かし」
「きちんと呼ばねば、菓子はやらん」
何て、いじわるなやつなのだ。
私が目を剥いて秋久を振り返ると、秋久は「さぁ」と微笑んだ。
「かしひさ」
くれ、と手を出すと、
「違う」
と首がふられた。
「……こんこんちゅき」
口を尖らせて文句を言ったが、秋久は楽しそうに笑っていて胸がさわさわした。
「もうよい、ははにもらう」
腰を上げると後ろから、そっと抱き寄せられた。
「すまぬ怒るな、さぁ手を出せ」
「……」
たくさん欲しくて、小さな手を2つお椀にした。
さぁ、出せ。
くるりと体を向けて、期待で目を輝かせた。
「たぬきの運んでくれた魚には勝てないが、巷では人気があるらしい」
秋久の懐から、紙に包まれた菓子が登場すると、嬉しくて、嬉しくて思わず、しっぽが膨らんだ。
「ん?」
「たぬき⁉」
しっぽが生えた。
秋久の太ももに乗せてた尻から、たぬきのしっぽが生えた。
びっくりして落とした菓子が、畳の上を転がっていく。
あっ……
落ちたものは食べるなと、とりあげられてしまう?
気分がしぼむと、しっぽもしぼんで――消えた。
「今のは目の錯覚か? 誰か、姉上を!」
秋久は、母を呼び寄せ、私の尻を調べさせた。
「しっぽなんて、どこにもないわ」
「しかし、確かに」
「んー」
しっぽを出そうと踏ん張ったが、ぷすーんという音しか出なかった。
秋久の屋敷に来て一年。
私は、五歳ほどの子供の姿に成長した。
「たぬき、四つ足で走るなと、何度言えば……」
秋久の説教は長い。
とても、長い。
やれ、危ない。やれ、病気になる。やれ、人に見られる。
こういうのを、耳にたこができるというらしい。
耳が飛んで行ったらどうするつもりだ。
「たぬきだもん」
「今は人であろう」
「しっぽあるもん」
しっぽは、どうやら興奮すると出てくるらしい。
「……しっぽは、出すな。人に見られたら事だ。それに、獣のように走るのも駄目だ。お前を守るためなのだ」
眉間に皴をよせて、溜息をつく秋久が嫌で、むーと口を尖らせた。
しょうがないの。
癖なの。
「そうだ、いつまでも、たぬきと呼ぶ私も悪い。お前の名前を決めよう」
「名前?」
「そうだ」
やっと微笑みを見せた秋久に私もつられて笑う。
「何か希望はあるか?」
「うーん」
名前か。
私は、ひっくりかえりそうな程、頭をめぐらせた。
「ある!」
「何だ、申してみろ」
「ウバステ」
「駄目だ!」
「ひぃ!」
突然怒鳴られ、私は寝たふりをした。
「すまぬ、起きよ」
秋久が私のそばまで寄ってきて、抱き込むように背中を叩いた。
たぬきの頃の癖が抜けない。
「どうして駄目なの」
「姥捨てババは、確かにそう名乗っていたが、良い言葉ではない」
「そうなの?」
「ああ、だから他の名にしよう」
「うーん」
再び頭を悩ませた。
ひっくり返って、頭を秋久の膝に乗せた。
「たぬき!」
「話が戻ってしまったぞ」
見上げた秋久は、目尻を下げて笑っている。
「じゃあ、おあげ」
「食べ物の名だ」
「あきひさ」
「それは私の名だ」
秋久の指が私の髪を梳いた。
心地よい
思わず眠くなって、あくびが出る。
「母もウバステババも、おたぬって呼ぶよ」
「しかし」
「秋久は我儘」
「そうか?」
「うん」
「では、蛍ではどうだ?いや、待て……美しいが、虫は短命だ。却下だ」
「亀は?」
「それは、愛らしいお前にはそぐわぬ」
「鶴」
「姉上の名だ」
「母の名前、鶴なの⁉」
私は飛び起きた。
しっぽも、ピンと現れた。
どうりで、鶴っぽい顔なのね。
「知らなかったのか」
きょっとんとした顔の秋久が、私の腰をとんとん叩いた。
しゅん、しっぽが消えた。
「母は、ははと言う」
「そうだな」
「あっ、鯛」
「魚はだめだ」
あれも駄目、これも駄目。
面倒になった私は、駆けだした。
もちろん、四つ足で。
「たぬき!」
「べーだ」
ふりかえり、舌をだした。
そして、思いっきり転がった。
「たぬき⁉」
歯が抜けて、顔が血だらけになって、悲壮な顔の秋久と母を見て、反省した。
「ごめんなさい」
「無事なら良い。幸い歯も、乳歯であった」
「もう、たぬきみたいに走らないよ」
「そうか、ぜひそうしてくれ」
人間の手足は、四足歩行に向いていないと理解したよ。
結局、おたぬと呼ばれるようになった。
そして、次の年には、もっと大きくなった。
「二年前にいらしたのに、もう私と同じくらいですね」
私に乳をくれた乳母の長女は、十歳になったらしい。
私の見た目は、彼女と変わらない。
屋敷の者は、こんな私を気味悪がったりしない。
むしろ、大切にしてくれている。
「おたぬ様は、月からきたのですか?」
「月? あの夜の? 私の山にもあったよ月」
「月のお山から来たのですか⁉」
「ん?あれ? そう? 月の山? え?」
「竹を割って現れ出たのですよね?」
「そっかな」
面倒になった私は、適当な返事を繰り返した。
そして、いつの日か輝夜姫と囁かれるようになった。
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