白紙の未来と再会のヒロイン ~君と綴る、運命のページ~

のびすけ。

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第一章 色褪せた世界と、インクの雨

隣の席の幼馴染、隣の家の侵略者

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放課後のチャイムが気怠げに鳴り響く。 
教室は瞬く間に、部活へ向かう奴、帰宅する奴、雑談に花を咲かせる奴らの喧騒に包まれた。

俺は自分の席で泥のようにぐったりとしていた。 
精神的な疲労が半端じゃない。 

チラリと隣を見る。 
そこには、すでに女子グループの中心になって談笑する橘莉緒の姿があった。

「えー、アメリカって給食ないのー?」 
「んー、カフェテリアってのがあってさ、ピザとかハンバーガーばっか食ってたぜ!」 
「すごーい! だからそんなにナイスバディなの?」

屈託のない笑顔。 
ハニーブラウンの髪が揺れるたび、男子たちの視線が吸い寄せられているのがわかる。 

七年前、泥だらけで走り回っていたあの「少年」がまさかこんな学園の女王様みたいな存在になって帰ってくるなんて。 
現実感がなさすぎて頭がクラクラする。

ふと、俺の視線は教室の前方、窓際の席へと吸い寄せられた。 
そこにもう一人、このクラスの空気を支配している「異質な存在」がいる。

雛森詩織(ひなもり しおり)。

彼女は莉緒のような太陽の輝きとは対照的な、月の光のような少女だ。 
窓から差し込む夕日を浴びて文庫本を読んでいる。 

色素の薄い茶色の髪は絹糸みたいに繊細で。 
長く伏せられた睫毛が陶器のように白い頬に影を落としている。

『学園のアイドル』 
『深窓の令嬢』

男子たちが彼女につけた異名は数知れないけれど、俺にとっては「高嶺の花」という言葉が一番しっくりくる。 
成績優秀、品行方正。 

けれど、生まれつき体が弱いらしく体育は見学していることが多い。 
俺との接点なんて、図書委員の当番で一緒になった時に業務連絡を二、三言交わした程度だ。

「……あの子が、死ぬ?」

誰にも聞こえない声で呟く。 
鞄の中の『運命の書』がまたドクンと脈打った気がした。

『四月二十日。クラスメイト・雛森詩織に回避不能の死が訪れる』

あの禍々しい深紅の文字が脳裏に焼き付いて離れない。 
四月二十日って来週の金曜日じゃないか。 

あんなに静かに、誰にも迷惑をかけずに本を読んでいるだけの彼女になんでそんな理不尽な結末が用意されているんだ。

(……馬鹿馬鹿しい)

俺は頭を振った。 
信じるな。

こんな胡散臭い本。 
自分の未来が白紙だったり、幼馴染の帰還を予言したり、確かに気味の悪い偶然は続いている。 

でも「人の死」だぞ? そんな漫画みたいなことが現実に起きるわけがない。 
これは、俺をからかうための悪質な演出だ。
無視すればいい。

そう自分に言い聞かせる。 
なのに。 

俺の目は詩織から離れようとしない。 
ページをめくる彼女の指先の折れそうなほどの細さ。 
時折、小さく咳き込む儚げな背中。

『物語の結末は、書き手であるお主次第じゃ』

あの古本屋の店主の言葉が呪いのようにリフレインする。 
もし、この本が「本物」だったら? 俺が「嘘だ」と決めつけて無視したせいで彼女が本当に死んでしまったら? 

その時、俺は一生この本を持ったまま生きていくことになるのか? 

「俺が助けられたかもしれない命」の重さを背負って。

「……くそっ」

吐き捨てるように呟く。 
俺はヒーローになんてなりたくない。 

面倒ごとは御免だ。 
平穏無事な省エネ生活こそが俺の至高の望みのはずだ。

それなのになんでこんなに胸がざわつくんだ。 
まるで、見えない手に背中を押されているみたいに。 

「動け」と。 
「お前なら変えられる」と。 

かつて夢見た小説の主人公みたいに、俺の魂のどこかが理屈を超えて熱くなっている。 
その熱量が無視することを許してくれない。

「――おーい、カズ?」

不意に視界が遮られた。 
目の前に整った顔がドアップで現れる。 
大きな瞳がジッと俺を覗き込んでいた。

「うわっ!?」
「なにビビってんだよ。さっきから難しい顔してどっか痛むのか?」

莉緒だ。 
いつの間にか女子グループとの会話を切り上げたらしく、俺の机に手をついて身を乗り出している。 

近い。 
甘い香りが鼻孔をくすぐる。 

制服のブラウスの隙間から、健康的な鎖骨がチラリと見えて俺は慌てて視線を逸らした。

「い、痛くねーよ! 考え事してただけだ」
「ふーん? まさか、七年ぶりの俺に見惚れてたとか?」
「自意識過剰かよ!」
「あはは! 図星かー?」

彼女はケラケラと笑いながらバンバンと俺の背中を叩く。 
その威力は、七年前と変わらずゴリラ並みだ。 

いってぇ。
でも、この痛みのおかげで少しだけ現実に引き戻された気がした。

「じゃあな、カズ! また後で!」
「後でって……お前、帰んないのか?」
「ん? まあな。楽しみにしてろよ!」

意味深なウインクを残して、莉緒は教室を飛び出していった。 
嵐のような奴だ。 

俺は大きなため息をつき再び窓際の詩織を見た。 
彼女はもうそこにはいなかった。 
机の上には読みかけの文庫本が置かれたままだった。

***

重い足取りで家路につく。 
頭の中は、詩織の死の予言と莉緒の再会のことでごちゃ混ぜだ。 
キャパシティオーバーだ。

一度家に帰って、ベッドにダイブして、情報を整理したい。

俺の家は住宅街の端っこにあるごく普通の一軒家だ。 
その隣には七年前まで莉緒が住んでいた家がある。 

ずっと空き家だったその家の前に見慣れない巨大なトラックが停まっていた。

『アリさん引越しセンター』ならぬ『ゾウさん引越しセンター』

やたら屈強な作業員たちが家具を運び込んでいる。

「……あいつ、本当に帰ってきたんだな」

懐かしさが込み上げる。 
昔は、あそこの二階の窓と俺の部屋の窓越しに糸電話で話したりしたっけ。 
そんな感傷に浸りながら俺は自宅の門を開けようとした。

「あ! おかえりー、カズ!」

頭上から声が降ってきた。 
見上げると、隣の家の二階のベランダ。 

そこに、Tシャツにショートパンツというラフな格好の莉緒が身を乗り出して手を振っていた。

「……お前、着替えるの早くね?」
「へへーん、早着替えは得意なんだよ。ってか、どう? 驚いた?」
「驚くも何も、トラック見りゃわかるよ」

俺は呆れながら答える。 
でも、内心では少しだけ口元が緩むのを止められなかった。 

隣にこいつがいる。 
その事実が思った以上に俺を安心させている。

「おい、ボーッとしてないで受け取れよ!」
「は?」 
「引っ越し蕎麦の代わり!」

莉緒が何かを投げた。 
放物線を描いて飛んできたのは缶コーラだった。 

俺は慌ててキャッチする。 
手のひらに冷たい感触が広がる。

「サンキュー。……ってか、危ねーな!」
「カズなら取れると思ったもんねー。昔みたいに!」

莉緒はベランダの手すりに肘をつき、ニカッと笑う。 
夕日を背負ったその姿は、やっぱり悔しいくらいに絵になっていた。 

ショートパンツから伸びる健康的な太ももが眩しい。 
七年前は「男友達」だったのに、今はどう見たって「異性」だ。 
意識するなという方が無理がある。

「あーあ、それにしても暑いなー」

莉緒はパタパタとTシャツの襟元を仰ぐ。 
その拍子に、中がチラリと見え……そうになって、俺は反射的に顔を背けた。

「お、お前な! 外なんだから少しは気をつけろよ!」
「あ? なにが?」
「なにがって……その、無防備すぎるんだよ!」
「んー? カズってば、もしかしてエッチなこと考えてんの?」
「ぶっ!!」

俺は飲もうとしたコーラを吹き出しそうになった。 
莉緒はニヤニヤしながら手すりからさらに身を乗り出してくる。

「顔赤いぞー。さては見たな? このムッツリ!」
「見てねーよ! お前が隙だらけなんだろ!」
「はいはい、そういうことにしておいてやるよ。……でもさ」

急に、莉緒の声色が柔らかくなった。 
俺は恐る恐る顔を上げる。 
彼女はどこか愛おしそうに、俺と、俺の家の屋根を見つめていた。

「またこうしてカズの隣にいられるの、なんか嬉しいな」

風が吹いて彼女の髪を揺らす。 
その表情があまりにも無防備で、綺麗で。 

俺の心臓は本日何度目かの不整脈を起こした。 
ドキリ、と跳ねた鼓動が全身に熱を運んでいく。

「……ああ、そうだな」

ぶっきらぼうに答えるのが精一杯だった。 
素直になれない自分が情けない。 

でも、これ以上甘い顔をしたら何かが決壊してしまいそうだった。

「よし! 今からそっち行くわ!」
「はあ!? 荷解きはどうすんだよ!」
「後回し! カズの母さんの唐揚げが食いたい気分なんだよ。おばさんにも挨拶したいし!」
「おい待て、勝手に……!」

言うが早いか、莉緒はベランダから部屋の中に引っ込んでいった。
数秒後、ドタドタと階段を駆け下りる音が聞こえ隣の家の玄関が開く。 

サンダル履きで飛び出してきた莉緒は、そのまま俺の家の門を突破し俺にタックルすれすれの勢いで抱きついて……こなかった。 
寸前でブレーキをかけ俺の目の前でピタリと止まる。

「お邪魔しまーす! ……って、なんでカズが私の前で通せんぼしてんの?」
「俺の家だっつーの! まずは俺を通せ!」

ギャーギャーと言い合いながら俺たちは玄関をくぐる。

「あら、莉緒ちゃん! いらっしゃい! まあ、すごく綺麗になって!」 

母さんの歓待の声。 

「お久しぶりです! おばさんの唐揚げ、夢にまで見ました!」 莉緒の猫を被ったような余所行き声。

騒がしい夜が始まる。 
リビングからは莉緒と母さんの笑い声が聞こえてくる。 
俺は一人、自室のベッドに倒れ込んだ。 
天井を見上げる。

久しぶりの、賑やかな食卓になりそうだ。 
心の中の灰色の部分が、少しずつ、鮮やかな色で塗りつぶされていく感覚。 
これが「幸せ」ってやつなのかもしれない。

けれど。

俺は横目で机の上に置いた『運命の書』を見た。 
本は沈黙を守っている。 
だがあのページには確かに死の予言が刻まれているのだ。

『四月二十日』

隣の部屋(リビング)には、笑い合う大切な日常がある。 
本の向こうには、失われようとしている儚い命がある。 

この温かい日常を守るために俺は目を背けるべきか? 
それとも、この温かさを知ってしまったからこそ、誰かの日常が壊れるのを見過ごせないのか?

「……くそ、味がしねえよ、きっと」

俺は呟く。 
もし詩織を見殺しにしたら、大好きな母さんの唐揚げも、莉緒との再会の喜びも、全部砂を噛むような味になってしまう気がした。 

それは、嫌だ。 
俺の物語(人生)をそんな後味の悪いものにしたくない。

「やってやるよ」

俺は身を起こし本を睨みつけた。 
信じるんじゃない。 

俺が証明してやるんだ。 
このふざけた予言が「外れる」ってことを。

下から「カズー! 唐揚げなくなるぞー!」という莉緒の声が聞こえた。
「今行く!」俺は大きく返事をすると部屋を出た。

その足取りは、帰宅した時よりもほんの少しだけ軽くなっていた。 
覚悟が決まったからかもしれない。 

あるいは、隣に「最強の幼馴染」がいてくれるという安心感が俺の背中を押してくれているのかもしれない。

俺の、運命への反逆が始まる。 

まずは唐揚げの争奪戦からだ。
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