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第一章 色褪せた世界と、インクの雨
運命の強制力と、雨上がりの恋心
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真夜中の共犯関係を結んでから俺と莉緒の奇妙な一週間が始まった。
作戦名は、莉緒が命名した『スターダスト・ガーディアン計画』。
……ネーミングセンスについては今は触れないでおこう。
やることは単純にして地味だ。
ターゲットである雛森詩織の行動パターンを徹底的に把握し、あの「四月二十日」の事故現場に近づかせないこと。 あるいは事故そのものを未然に防ぐこと。
だが、この一週間で俺たちは思い知ることになった。
「運命」というやつが、いかに性格が悪く、執念深いかということを。
「……まただ」
放課後の図書室。
書架の影から詩織の様子を伺っていた俺は深い溜息をついた。
詩織が重そうな本を抱えてカウンターへ向かおうとした瞬間、俺は「手伝おう」と足を踏み出した。
その刹那。
『ピンポンパンポーン』
校内放送のチャイムが鼓膜が破れそうな大音量で鳴り響いた。
『至急連絡! 二年B組、青葉一樹くん! 佐々木先生が職員室でお呼びです! 今すぐ! 直ちに! 走って来なさい!』
「……はあ?」
タイミングが悪すぎる。
昨日もそうだ。
詩織に話しかけようとした瞬間、空から鳩のフンが落ちてきて(間一髪で避けたが)会話どころじゃなくなった。 一昨日なんて、廊下ですれ違おうとした瞬間になぜか防災ベルの誤作動が起きてパニックになった。
まるで、世界そのものが「お前は彼女に関わるな」と全力で妨害してきているようだ。
「カズ、先生呼んでるって。行ってきなよ」
隣の棚から莉緒が顔を出す。
手にはスパイ映画に出てきそうな(実際は購買で買ったおもちゃの)双眼鏡を持っている。
「でも、詩織の見張りが……」
「私が代わるって。……ほら、あの子またこっち見てるし」
莉緒が顎でしゃくった先。
カウンターで貸出処理を終えた詩織が、不思議そうに、けれど少し頬を染めてこちらをチラチラと見ていた。
(……やばい、絶対怪しまれてる)
そりゃそうだ。
一週間、影からずっと見つめている男女ペア。
ストーカーだと思われても弁解できない。
俺は居心地の悪さを感じながら莉緒に後を託して職員室へと走った。
***
一方、雛森詩織は胸の高鳴りを抑えるのに必死だった。
(また、青葉くんが見てた……)
ここ数日、ずっとだ。
視線を感じて振り返ると、必ずそこに青葉一樹がいる。
最初は怖かった。
でも、彼の瞳には悪意がない。
むしろ心配するような、何かを訴えかけるような真剣な眼差し。
そして、いつも彼の隣には転校生の橘さんがいる。
二人はコソコソと何かを話しながら私のことを見守っている。
(もしかして……私の病気のこと、知ってるのかな?)
詩織は生まれつき体が弱い。
いつ倒れてもおかしくない自分を二人が気遣ってくれているとしたら?
図書委員の仕事を手伝おうとしてくれたり、私の動線にある荷物をさりげなく片付けてくれたり。
その不器用な優しさが、詩織の孤独な心に少しずつ染み込んでいた。
「……青葉くん」
名前を口にすると胸の奥がくすぐったくなる。
誰かにこんなに強く「見つめられた」ことなんて今までなかったから。
***
そして、運命の日。
四月二十日、金曜日。
予報通りの土砂降りだった。
空は昼間とは思えないほど暗く、叩きつけるような雨音が俺たちの焦燥感を煽る。
『回避不能の死』
『場所:学校近くの十字路』
『時間:午後四時十五分』
本の記述は変わっていない。
それどころか、今朝確認した時には『死の確率:99%』という絶望的な数字が追加されていた。
「カズ、配置につくよ」
昇降口の陰で莉緒がレインコートのフードを深く被る。
俺たちは、詩織が校門を出るのを見届けてから先回りして十字路で待ち伏せする作戦を立てていた。
単純に「今日は帰るな」と引き止める案もあったが、昨日のような「不可抗力の邪魔」が入る可能性が高い。
ならば、物理的に現場で守るのが一番確実だ。
「頼むぞ、莉緒。俺は反対側の歩道から監視する」
「了解。……絶対、助けるから」
莉緒の瞳は真剣そのものだ。
俺たちは頷き合い、雨の中へと飛び出した。
運命の強制力はこの期に及んでも俺たちを阻もうとした。
いつもなら三分で着く十字路への道が突然の道路工事で通行止めになっていたり。
信号機が全て赤になっていたり。
極め付けは、急に突風が吹いて俺の傘が骨ごとへし折られた。
「ふざけんなよ……!」
折れた傘を投げ捨て俺はずぶ濡れになりながら走る。
時間を稼ごうとしているのが見え見えだ。
時計を見る。
四時十三分。
あと二分。
十字路が見えた。
雨煙の向こう、信号待ちをしている生徒たちの群れ。
その中に特徴的な淡いピンク色の傘があった。
詩織だ。
「莉緒……!」
俺は対角線上の歩道を探す。
いた。
莉緒もまた息を切らして到着していた。
俺と目が合う。
彼女が小さくサムズアップする。
配置完了。
今は赤信号。
このまま信号が変わらなければいい。
あるいは、彼女が渡るのを一瞬でも遅らせれば――。
その時だった。
キキキキィィィィ――ッ!!
濡れたアスファルトをタイヤが削る、耳障りな音が響いた。
心臓が止まるかと思った。
十字路の右側から、一台の大型トラックが明らかにオーバースピードで交差点に進入してくる。
スリップしているのか、車体が斜めになっている。
信号はまだ赤のはずだ。
なのに。
「……え?」
歩行者用信号が、一瞬だけチカチカと青に点滅したように見えた。
電子的なバグか?
それとも、これも運命の仕業か?
その「偽りの青」に誘われるように、詩織が一歩横断歩道に足を踏み出した。
「ダメだッ!!」
「詩織ちゃん!!」
俺と莉緒の叫び声は轟音にかき消された。
詩織が驚いて顔を上げる。
迫り来る鉄の塊。
彼女の瞳が恐怖に見開かれ、足がすくむのが見えた。
間に合わない。
莉緒の位置からではガードレールが邪魔で飛び出せない。
俺の位置からは距離がある。
思考する時間はなかった。
俺の体は、脳の指令を待たずに爆発的な加速をしていた。
(届け、届け、届けぇぇぇッ!)
『運命の書』のページが白紙だった理由。
それは、俺が何者でもなかったからだ。
でも今は違う。
俺は、この瞬間のためにここにいる。
世界中の音が消えた。
雨粒がスローモーションに見える。
トラックのヘッドライトが詩織の華奢な体を照らし出す。
彼女は動けない。
死が、そこまで迫っている。
俺はアスファルトを蹴り飛ばし、その光と影の間に身体ごと割り込んだ。
「――っくあぁぁぁッ!!」
渾身の力で、詩織の腰を抱き寄せる。
そのままの勢いで地面を転がる。
背後で、凄まじい風圧と、金属がガードレールを薙ぎ倒す音が轟いた。
ドォォォォン!!
衝撃波が俺たちの体を揺らす。
泥水が跳ねる。
俺は受け身を取ることも忘れ、ただ腕の中の少女を守ることだけに集中して固い歩道の上を転がった。
数回転してようやく止まる。
全身が痛い。
右腕が擦りむけて熱い。
雨が、容赦なく俺の顔を打ち付ける。
「……は、ぁ……はぁ……」
生きてるか?
俺は、生きてる。
じゃあ、彼女は?
恐る恐る腕の中を見る。
俺の胸に顔を埋めたまま、震えている小さな体。
泥だらけになったピンク色の傘が、少し離れた場所に転がっている。
「……ひな、もり……?」
声をかけると、彼女がゆっくりと顔を上げた。
雨に濡れた茶色の髪が頬に張り付いている。
大きな瞳は涙で潤み、まだ状況が理解できていないように彷徨っていた。
そして、泥だらけの俺の顔を見て焦点を結んだ。
「……あお、ば……くん……?」
蚊の鳴くような声。
無事だ。
怪我はない。
俺は安堵で全身の力が抜けそうになった。
「よかった……。怪我、ないか?」
「わたし……死ぬかと……」
「大丈夫だ。もう大丈夫だから」
俺は彼女の背中をポンポンと優しく叩く。
まだ心臓が早鐘を打っている。
自分の鼓動なのか、彼女の鼓動なのかわからないくらい密着していた。
その時、詩織の瞳に奇妙な色が宿った。
恐怖の色が消え、代わりに熱っぽい、蕩けるような光が灯る。
(私を……助けてくれた)
彼女の視点で見れば、それはまさに「運命の王子様」の登場だっただろう。
一週間、ずっと自分を見守り続けてくれた少年。
そして今、命がけで死の淵から救い出してくれたヒーロー。
雨に濡れた俺の顔は、彼女にとって世界で一番頼もしく見えていたに違いない。
「青葉くん……」
彼女は俺の制服の胸元をギュッと握りしめた。
離したくない、とでも言うように。
その熱が、雨の冷たさを通して伝わってくる。
「……おい、カズ! 無事か!?」
遅れて莉緒の声が聞こえた。
俺はハッとして顔を上げる。
ガードレールを飛び越えて莉緒が駆け寄ってくるのが見えた。
その顔は蒼白で、涙目になっていた。
「莉緒……ああ、なんとかな」
「ばか! 無茶しすぎ! 死ぬかと思ったじゃん……!」
莉緒は俺の肩を掴んで揺さぶる。
その手が震えているのがわかった。
本当に心配かけたんだな。
悪いことをした。
そう思って、俺は莉緒に笑いかけようとした。
だが、莉緒の表情が凍りついた。
彼女の視線は、俺ではなく俺の腕の中に固定されていた。
そこには、俺にしがみついたままうっとりと俺を見上げている詩織がいる。
そして詩織は、駆けつけた莉緒を見て、ハッとしたように、しかしどこか勝ち誇ったように俺の腕にさらに体を寄せたのだ。
「……あ」
莉緒の口から小さな声が漏れる。
安堵と、嫉妬と、焦燥がないまぜになったような複雑な響き。
俺は状況を理解した。
これは、マズい。
命は救った。
運命の強制力(物理)には勝った。
だがその代償として、別の「運命」――とてつもなく厄介な恋愛フラグという名の強制力を発動させてしまったのかもしれない。
俺の鞄の中で『運命の書』が熱く脈打った気がした。
雨はまだ降り続いている。
三人の視線が交錯する、冷たくて熱いアスファルトの上で。
物語は死の予言を超えて、さらに混沌とした新章へと突入しようとしていた。
作戦名は、莉緒が命名した『スターダスト・ガーディアン計画』。
……ネーミングセンスについては今は触れないでおこう。
やることは単純にして地味だ。
ターゲットである雛森詩織の行動パターンを徹底的に把握し、あの「四月二十日」の事故現場に近づかせないこと。 あるいは事故そのものを未然に防ぐこと。
だが、この一週間で俺たちは思い知ることになった。
「運命」というやつが、いかに性格が悪く、執念深いかということを。
「……まただ」
放課後の図書室。
書架の影から詩織の様子を伺っていた俺は深い溜息をついた。
詩織が重そうな本を抱えてカウンターへ向かおうとした瞬間、俺は「手伝おう」と足を踏み出した。
その刹那。
『ピンポンパンポーン』
校内放送のチャイムが鼓膜が破れそうな大音量で鳴り響いた。
『至急連絡! 二年B組、青葉一樹くん! 佐々木先生が職員室でお呼びです! 今すぐ! 直ちに! 走って来なさい!』
「……はあ?」
タイミングが悪すぎる。
昨日もそうだ。
詩織に話しかけようとした瞬間、空から鳩のフンが落ちてきて(間一髪で避けたが)会話どころじゃなくなった。 一昨日なんて、廊下ですれ違おうとした瞬間になぜか防災ベルの誤作動が起きてパニックになった。
まるで、世界そのものが「お前は彼女に関わるな」と全力で妨害してきているようだ。
「カズ、先生呼んでるって。行ってきなよ」
隣の棚から莉緒が顔を出す。
手にはスパイ映画に出てきそうな(実際は購買で買ったおもちゃの)双眼鏡を持っている。
「でも、詩織の見張りが……」
「私が代わるって。……ほら、あの子またこっち見てるし」
莉緒が顎でしゃくった先。
カウンターで貸出処理を終えた詩織が、不思議そうに、けれど少し頬を染めてこちらをチラチラと見ていた。
(……やばい、絶対怪しまれてる)
そりゃそうだ。
一週間、影からずっと見つめている男女ペア。
ストーカーだと思われても弁解できない。
俺は居心地の悪さを感じながら莉緒に後を託して職員室へと走った。
***
一方、雛森詩織は胸の高鳴りを抑えるのに必死だった。
(また、青葉くんが見てた……)
ここ数日、ずっとだ。
視線を感じて振り返ると、必ずそこに青葉一樹がいる。
最初は怖かった。
でも、彼の瞳には悪意がない。
むしろ心配するような、何かを訴えかけるような真剣な眼差し。
そして、いつも彼の隣には転校生の橘さんがいる。
二人はコソコソと何かを話しながら私のことを見守っている。
(もしかして……私の病気のこと、知ってるのかな?)
詩織は生まれつき体が弱い。
いつ倒れてもおかしくない自分を二人が気遣ってくれているとしたら?
図書委員の仕事を手伝おうとしてくれたり、私の動線にある荷物をさりげなく片付けてくれたり。
その不器用な優しさが、詩織の孤独な心に少しずつ染み込んでいた。
「……青葉くん」
名前を口にすると胸の奥がくすぐったくなる。
誰かにこんなに強く「見つめられた」ことなんて今までなかったから。
***
そして、運命の日。
四月二十日、金曜日。
予報通りの土砂降りだった。
空は昼間とは思えないほど暗く、叩きつけるような雨音が俺たちの焦燥感を煽る。
『回避不能の死』
『場所:学校近くの十字路』
『時間:午後四時十五分』
本の記述は変わっていない。
それどころか、今朝確認した時には『死の確率:99%』という絶望的な数字が追加されていた。
「カズ、配置につくよ」
昇降口の陰で莉緒がレインコートのフードを深く被る。
俺たちは、詩織が校門を出るのを見届けてから先回りして十字路で待ち伏せする作戦を立てていた。
単純に「今日は帰るな」と引き止める案もあったが、昨日のような「不可抗力の邪魔」が入る可能性が高い。
ならば、物理的に現場で守るのが一番確実だ。
「頼むぞ、莉緒。俺は反対側の歩道から監視する」
「了解。……絶対、助けるから」
莉緒の瞳は真剣そのものだ。
俺たちは頷き合い、雨の中へと飛び出した。
運命の強制力はこの期に及んでも俺たちを阻もうとした。
いつもなら三分で着く十字路への道が突然の道路工事で通行止めになっていたり。
信号機が全て赤になっていたり。
極め付けは、急に突風が吹いて俺の傘が骨ごとへし折られた。
「ふざけんなよ……!」
折れた傘を投げ捨て俺はずぶ濡れになりながら走る。
時間を稼ごうとしているのが見え見えだ。
時計を見る。
四時十三分。
あと二分。
十字路が見えた。
雨煙の向こう、信号待ちをしている生徒たちの群れ。
その中に特徴的な淡いピンク色の傘があった。
詩織だ。
「莉緒……!」
俺は対角線上の歩道を探す。
いた。
莉緒もまた息を切らして到着していた。
俺と目が合う。
彼女が小さくサムズアップする。
配置完了。
今は赤信号。
このまま信号が変わらなければいい。
あるいは、彼女が渡るのを一瞬でも遅らせれば――。
その時だった。
キキキキィィィィ――ッ!!
濡れたアスファルトをタイヤが削る、耳障りな音が響いた。
心臓が止まるかと思った。
十字路の右側から、一台の大型トラックが明らかにオーバースピードで交差点に進入してくる。
スリップしているのか、車体が斜めになっている。
信号はまだ赤のはずだ。
なのに。
「……え?」
歩行者用信号が、一瞬だけチカチカと青に点滅したように見えた。
電子的なバグか?
それとも、これも運命の仕業か?
その「偽りの青」に誘われるように、詩織が一歩横断歩道に足を踏み出した。
「ダメだッ!!」
「詩織ちゃん!!」
俺と莉緒の叫び声は轟音にかき消された。
詩織が驚いて顔を上げる。
迫り来る鉄の塊。
彼女の瞳が恐怖に見開かれ、足がすくむのが見えた。
間に合わない。
莉緒の位置からではガードレールが邪魔で飛び出せない。
俺の位置からは距離がある。
思考する時間はなかった。
俺の体は、脳の指令を待たずに爆発的な加速をしていた。
(届け、届け、届けぇぇぇッ!)
『運命の書』のページが白紙だった理由。
それは、俺が何者でもなかったからだ。
でも今は違う。
俺は、この瞬間のためにここにいる。
世界中の音が消えた。
雨粒がスローモーションに見える。
トラックのヘッドライトが詩織の華奢な体を照らし出す。
彼女は動けない。
死が、そこまで迫っている。
俺はアスファルトを蹴り飛ばし、その光と影の間に身体ごと割り込んだ。
「――っくあぁぁぁッ!!」
渾身の力で、詩織の腰を抱き寄せる。
そのままの勢いで地面を転がる。
背後で、凄まじい風圧と、金属がガードレールを薙ぎ倒す音が轟いた。
ドォォォォン!!
衝撃波が俺たちの体を揺らす。
泥水が跳ねる。
俺は受け身を取ることも忘れ、ただ腕の中の少女を守ることだけに集中して固い歩道の上を転がった。
数回転してようやく止まる。
全身が痛い。
右腕が擦りむけて熱い。
雨が、容赦なく俺の顔を打ち付ける。
「……は、ぁ……はぁ……」
生きてるか?
俺は、生きてる。
じゃあ、彼女は?
恐る恐る腕の中を見る。
俺の胸に顔を埋めたまま、震えている小さな体。
泥だらけになったピンク色の傘が、少し離れた場所に転がっている。
「……ひな、もり……?」
声をかけると、彼女がゆっくりと顔を上げた。
雨に濡れた茶色の髪が頬に張り付いている。
大きな瞳は涙で潤み、まだ状況が理解できていないように彷徨っていた。
そして、泥だらけの俺の顔を見て焦点を結んだ。
「……あお、ば……くん……?」
蚊の鳴くような声。
無事だ。
怪我はない。
俺は安堵で全身の力が抜けそうになった。
「よかった……。怪我、ないか?」
「わたし……死ぬかと……」
「大丈夫だ。もう大丈夫だから」
俺は彼女の背中をポンポンと優しく叩く。
まだ心臓が早鐘を打っている。
自分の鼓動なのか、彼女の鼓動なのかわからないくらい密着していた。
その時、詩織の瞳に奇妙な色が宿った。
恐怖の色が消え、代わりに熱っぽい、蕩けるような光が灯る。
(私を……助けてくれた)
彼女の視点で見れば、それはまさに「運命の王子様」の登場だっただろう。
一週間、ずっと自分を見守り続けてくれた少年。
そして今、命がけで死の淵から救い出してくれたヒーロー。
雨に濡れた俺の顔は、彼女にとって世界で一番頼もしく見えていたに違いない。
「青葉くん……」
彼女は俺の制服の胸元をギュッと握りしめた。
離したくない、とでも言うように。
その熱が、雨の冷たさを通して伝わってくる。
「……おい、カズ! 無事か!?」
遅れて莉緒の声が聞こえた。
俺はハッとして顔を上げる。
ガードレールを飛び越えて莉緒が駆け寄ってくるのが見えた。
その顔は蒼白で、涙目になっていた。
「莉緒……ああ、なんとかな」
「ばか! 無茶しすぎ! 死ぬかと思ったじゃん……!」
莉緒は俺の肩を掴んで揺さぶる。
その手が震えているのがわかった。
本当に心配かけたんだな。
悪いことをした。
そう思って、俺は莉緒に笑いかけようとした。
だが、莉緒の表情が凍りついた。
彼女の視線は、俺ではなく俺の腕の中に固定されていた。
そこには、俺にしがみついたままうっとりと俺を見上げている詩織がいる。
そして詩織は、駆けつけた莉緒を見て、ハッとしたように、しかしどこか勝ち誇ったように俺の腕にさらに体を寄せたのだ。
「……あ」
莉緒の口から小さな声が漏れる。
安堵と、嫉妬と、焦燥がないまぜになったような複雑な響き。
俺は状況を理解した。
これは、マズい。
命は救った。
運命の強制力(物理)には勝った。
だがその代償として、別の「運命」――とてつもなく厄介な恋愛フラグという名の強制力を発動させてしまったのかもしれない。
俺の鞄の中で『運命の書』が熱く脈打った気がした。
雨はまだ降り続いている。
三人の視線が交錯する、冷たくて熱いアスファルトの上で。
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