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第三章 星屑のステージと、頭上の断頭台
ドタバタ潜入作戦と、アイドルの「裏の顔」
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『――その瞬間、五万人の歓声は悲鳴へと変わる』
会場へ向かう地下鉄の中。
俺は揺れる車内で膝の上の『運命の書』を凝視していた。
隣には、スマホで会場の見取り図をチェックしている莉緒。
向かいの席には、周囲の乗客から浮くほど姿勢良く座っているクロノがいる。
俺たちが向かっているのは東京ドーム。
国民的アイドル・星乃綺羅々(ほしの きらら)の全国ツアーファイナルが行われる場所だ。
「……詳細が出た」
俺の声に二人が反応する。
本のページに血のような赤文字が浮かび上がっていた。
『時刻:午後八時十五分。アンコールのラストナンバー「スターダスト・シンフォニー」のサビ直前』
『原因:ステージ中央上部、照明トラスを支えるメインワイヤーの破断』
『結果:重量二トンの照明機材が落下。直下にいる星乃綺羅々を直撃し、彼女のアイドル生命――および肉体的生命活動が停止する』
「な……ッ!」
莉緒が絶句する。
二トン。
そんなものが頭上から落ちてくれば人間なんてひとたまりもない。
「怪我」じゃ済まない。
「圧死」だ。
「……物理的要因による事故死。回避難易度はAクラスです」
クロノが淡々と分析する。
「ワイヤーの破断原因は? 金属疲労?」
「いや……ここには『人為的な緩み、および運命的な不可抗力』って書いてある」
「人為的……?」
莉緒の目が鋭くなる。
ただの事故じゃない。
誰かが意図的に仕組んだ可能性があるってことか?
あるいは、「運命」そのものが彼女を殺そうとしているのか。
「とにかく現場に行ってそのワイヤーを補強するか、綺羅々をその場所から動かすしかない」
「でも、ライブ中でしょ? ステージに乱入するわけにもいかないし……」
「だからこその、裏口潜入だ」
俺は拳を握りしめる。
詩織の時とは規模が違う。
数万人の目撃者がいる中での救出劇。
失敗すれば俺たちが全国ニュースのトップを飾ることになるかもしれない。
それでも、あの「回避不能」の絶望を知ってしまった以上、見過ごすなんて選択肢はなかった。
***
東京ドームの裏口、関係者搬入口。
警備員が厳重に目を光らせているゲートの前で俺たちは立ち尽くしていた。
「で? どうすんのこれ。強行突破?」
莉緒が袖をまくる。
やる気満々だ。
「待て待て、筋肉で解決しようとするな」
俺はクロノを見た。
「出番だぞ、未来人」
「了解。セキュリティシステムの脆弱性を突きます」
クロノが腕のデバイスを操作する。
ピピピ、という電子音がした直後警備員の持っていたタブレット端末がノイズを発した。
『システムエラー発生。ゲートロックを解除します』
機械的なアナウンスと共に重厚な扉がガコンと開く。
「……ちょろいもんです」
「未来の技術、悪用しすぎだろ……」
俺たちは警備員の隙をついて搬入口へと滑り込んだ。
内部は迷路のようだった。
スタッフたちが怒号を飛ばしながら走り回り、機材ケースが山積みになっている。
独特の熱気と埃っぽい匂い。
これが華やかなステージの裏側か。
「目標地点はステージ上部のキャットウォーク(作業用通路)です。そこなら照明トラスにアクセスできます」 「よし、急ごう!」
俺たちが通路を駆け抜けようとしたその時だった。
「――どいてっ!!」
角を曲がってきた小柄な人影と俺は正面衝突した。
ドンッ!
「うわっ!」
「きゃっ!」
俺は尻餅をつき相手も派手に転んだ。
きらびやかな衣装。
フリルのついたスカート。
そして、床に散らばったのは吸入器や鎮痛剤の錠剤だった。
「いってぇ……大丈夫ですく……あ?」
顔を上げて俺は固まった。
そこにいたのはテレビで見ない日はない顔。
大きな瞳、作り物のように整った顔立ち。
ツインテールに結われた金色の髪。
星乃綺羅々、本人だった。
「あーもう! 最悪! 衣装汚れちゃったじゃない!」
彼女は俺の手を借りずに立ち上がるとスカートの埃を乱暴に払った。
その表情は、テレビで見せる「天使のスマイル」とは程遠い。
眉間に深いシワを寄せ、焦燥と苛立ちに満ちていた。
「ちょっとあんたたち! どこ見て歩いてんのよ! スタッフ? バイト? どっちでもいいけど、邪魔しないでよ!」
毒舌。
イメージとのギャップに俺と莉緒はポカンとする。
だが、クロノだけが冷静に彼女の足元――散らばった薬を見つめていた。
「……気管支拡張剤、および強力な鎮痛薬。……満身創痍ですね」
「っ!?」
綺羅々の肩がビクリと跳ねた。
彼女は慌てて薬を拾い集め、隠すように握りしめた。
「み、見ないでよ! ……誰にも言わないでよ!」
その声は震えていた。
彼女は俺の胸ぐらを掴み、涙目で睨みつけてきた。
「今日が終われば、私は世界へ行くの。だから、今日だけは……完璧じゃなきゃいけないのよ!」
悲痛な叫びだった。
『絶望』
本に書かれていた言葉の意味が少しだけわかった気がした。
彼女は、ボロボロの体を薬で無理やり動かして数万人の期待に応えようとしている。
その「完璧」であろうとする執念が皮肉にも彼女を死のステージへと立たせているのだ。
「綺羅々ちゃん! 出番だよ! どこ!?」
奥からマネージャーらしき声が聞こえる。
綺羅々はハッとして俺から手を離した。
一瞬でその顔に「アイドルの仮面」を貼り付ける。
「……忘れて。あんたたちなんて会わなかった」
彼女は背を向け、光の射す方――ステージへと走っていった。
その背中はあまりにも小さく、危うげに見えた。
「……なんか、放っとけないわね」
莉緒が呟く。
「あんなに生意気なのになんであんなに必死なのよ」
「ああ。……助けるぞ。あいつの『完璧』をこんな理不尽な事故で終わらせてたまるか」
俺たちは頷き合いさらに奥へと走った。
目指すは彼女の頭上。
天井裏のキャットウォークだ。
***
ライブが始まった。
ズン、ズン、と重低音が建物を揺らす。
五万人の歓声が地鳴りのように響いてくる。
俺たちは狭い梯子を登り、ドームの天井近くにある鉄骨の足場へと辿り着いていた。
高い。
見下ろすと、豆粒のような綺羅々が眩いスポットライトの中で歌って踊っているのが見える。
客席は一面、彼女のイメージカラーである黄色のペンライトで埋め尽くされまるで光の海のようだ。
「……あれだ」
クロノが指差す。
ステージ中央。
綺羅々が立つ場所の真上に巨大なシャンデリアのような照明セットが吊るされている。
それを支えているのは四本の太いワイヤー。
そのうちの一本、一番負荷がかかっている金具のボルトが不自然に浮いているのが見えた。
「ありました。あのボルトが外れればバランスが崩れて落下します」
「よし、締め直せばいいんだな!」
莉緒がレンチ(途中の道具箱から拝借した)を構えて鉄骨を渡ろうとする。
その時。
ヒュンッ!
風を切る音がして、莉緒の足元の鉄骨に何かが突き刺さった。
金属製の小さなスパナだ。
あと数センチずれていたら莉緒の足を貫いていた。
「――そこまでだ」
頭上から凛とした声が降ってきた。
俺たちは驚いて見上げる。
さらに一段高い足場。
照明の逆光の中に一人の少女が立っていた。
ショートカットの髪。
少年のようなパンツルック。
そして、その手には数本の工具がまるで投げナイフのように握られている。
「ボクの計算では、もうすぐ『運命の時間』だ。邪魔はさせないよ」
蓮は軽やかに鉄骨から飛び降り俺たちの前の通路に着地した。
その身のこなしは体操選手どころではない。
まるで重力がないかのような動きだ。
「誰よ、あんた!」
莉緒が叫ぶ。
「ボクは如月蓮。この世界の『理(ことわり)』を管理する一族の末裔さ」
蓮は冷ややかな目で俺――正確には、俺の鞄の『運命の書』を見た。
「青葉一樹。キミがその本で雛森詩織を救ったせいで世界の因果律は歪んでしまった。これ以上の改変は世界の崩壊を招く」
「だからって、あの子を見殺しにするのかよ!」
「『大いなる修正』のためには小さな犠牲は必要だ。星乃綺羅々の死は確定した歴史なんだよ」
話が通じる相手じゃない。 彼女は、本気であの照明を落とすつもりだ。 いや、あのボルトを緩めたのは、この蓮という少女なのかもしれない。
「つべこべうるさいわね!」
莉緒が動いた。
足場の悪い鉄骨の上を恐れることなく駆け抜ける。
手にしたレンチを振りかぶり、蓮に肉薄する。
「どきなさいよ、この運命オタク!」
「威勢がいいね。でも、ボクには届かない」
蓮は最小限の動きで莉緒の攻撃をかわす。 そして、カウンターの回し蹴り。 「ぐっ!」 莉緒がレンチでガードするが、衝撃で後ずさる。 狭い足場だ。落ちたら即死。 だが、二人の少女はそんな恐怖を感じさせないほどのスピードで攻防を繰り広げる。
「カズ! 行って!」
莉緒が叫んだ。
彼女は蓮の腕を強引に掴み道を開けた。
「こいつの相手は私がする! カズたちはワイヤーを!」
「でも、お前……!」
「あんたのヒロインなめんな! 早く!」
莉緒の瞳が燃えている。
俺は唇を噛み締め、頷いた。
「クロノ、行くぞ!」
「了解。援護します」
俺たちは莉緒と蓮の戦場を駆け抜け、目的のワイヤーへと走る。
背後で金属音が激しく響く。
***
「はぁ、はぁ……!」
目的の場所まであと十メートル。
だが、ライブは終盤に差し掛かっていた。
『みんなー! 今日は本当にありがとう!』
下から綺羅々の声が聞こえる。
MCだ。
これが終われば最後の曲。
運命の『スターダスト・シンフォニー』が始まる。
「急げ! 時間がない!」
俺は走る。
しかし、足場が揺れる。
大音量の音楽と歓声が鉄骨を振動させているのだ。
一歩踏み外せば、奈落の底。
恐怖で足がすくみそうになるが、脳裏に焼きついた綺羅々の涙目が俺を突き動かす。
『あの子の完璧を、守るんだろ!』
ようやく、ワイヤーの固定部分に辿り着いた。
やはり、ボルトが緩んでいる。
あと数回転で外れる状態だ。
「クロノ、工具!」
「これを使ってください」
クロノからインパクトドライバーを受け取り、俺はボルトに当てがう。
だが。
ガガガガッ!
回らない。
ボルトが錆びついているのか、それとも何かの細工か、固くて動かない。
『それでは聴いてください。私の全ての想いを込めて……』
『スターダスト・シンフォニー』
イントロが流れた。
会場のボルテージが最高潮に達する。
振動が激しくなる。
緩んだボルトが、振動に合わせてジワリ、ジワリと回転していく。
「くそっ、回れよ……!」
俺は渾身の力を込める。
右腕が悲鳴を上げる。
詩織を助けた時の怪我が痛む。
「青葉一樹、警告。ワイヤーの耐久限界まであと三十秒」
「わかってる!」
カキン。
乾いた音がした。
ボルトじゃない。
隣の留め具が金属疲労で弾け飛んだのだ。
支えを失った荷重が緩んだボルト一本に集中する。
ギギギギギ……。
トラス全体が不気味な音を立てて傾き始めた。
下では綺羅々がサビに向けて息を吸い込んでいる。
彼女は気づいていない。
自分の頭上に二トンの死神が迫っていることに。
「ダメだ、間に合わない……!」
ドライバーが空転する。
もう締め直す時間はない。
あと数秒でボルトは抜け落ちる。
俺は眼下の綺羅々を見た。
眩い光の中、彼女は最高に輝いていた。
あんなに小さな体で五万人を魅了している。
『私は……世界へ行くの!』
彼女の夢。
彼女の未来。
ここで終わらせていいはずがない。
俺はドライバーを投げ捨てた。
そして、外れかけたワイヤーそのものを素手で掴んだ。
「青葉一樹!? 何を……」
「クロノ! ワイヤーの予備回路をハックしろ! 一瞬でいい、落下を遅らせろ!」
「っ……了解! ですがあなたの体が持ちません!」
「知るかよ!」
俺は鉄骨に足を絡ませ、全身の筋肉を硬直させた。
ボルトが抜ける。
ガコンッ! トラスが落下を始める。
その二トンの荷重の全てがワイヤーを通じて俺の腕にかかった。
「ぐ、おおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!」
肩が外れるかと思った。
筋肉繊維がブチブチと切れる音が体内から聞こえる。
激痛。
だが、俺は離さない。
落下は止まらない。
でも、ほんの少しだけ軌道がズレた。
そして、クロノのハッキングにより安全装置が誤作動を起こしブレーキがかかる。
『――輝く星に、願いを込めて!』
綺羅々がサビを歌い上げる。
その直後。
彼女の背後に巨大な照明トラスがドォォォォォン!! と落下した。
直撃ではない。
俺が軌道を変えた分、数メートル後ろに落ちたのだ。
だが、凄まじい衝撃と爆風がステージを襲う。
煙が舞い上がり、悲鳴が上がる。
「……は、ぁ……」
俺の意識が遠のく。
腕の感覚がない。
鉄骨の上で俺は力尽きて崩れ落ちた。
薄れゆく視界の中で煙の中に立つ綺羅々の姿が見えた。
彼女は無事か?
歌は、止まってしまったのか?
静寂。
そして――。
『……歌うわ』
煙の中から凛とした声が響いた。
『まだ、終わってない! 音楽を止めないで!』
綺羅々だ。
彼女は、背後に落ちた鉄塊に目もくれずマイクを握りしめて立っていた。
その姿は鬼気迫るほど美しく、神々しかった。
伴奏が再開される。
歓声が悲鳴を塗り替えていく。
「……すげえな、アイドルってやつは」
俺は安堵の息を吐き、そのまま闇の中へと沈んでいった。
会場へ向かう地下鉄の中。
俺は揺れる車内で膝の上の『運命の書』を凝視していた。
隣には、スマホで会場の見取り図をチェックしている莉緒。
向かいの席には、周囲の乗客から浮くほど姿勢良く座っているクロノがいる。
俺たちが向かっているのは東京ドーム。
国民的アイドル・星乃綺羅々(ほしの きらら)の全国ツアーファイナルが行われる場所だ。
「……詳細が出た」
俺の声に二人が反応する。
本のページに血のような赤文字が浮かび上がっていた。
『時刻:午後八時十五分。アンコールのラストナンバー「スターダスト・シンフォニー」のサビ直前』
『原因:ステージ中央上部、照明トラスを支えるメインワイヤーの破断』
『結果:重量二トンの照明機材が落下。直下にいる星乃綺羅々を直撃し、彼女のアイドル生命――および肉体的生命活動が停止する』
「な……ッ!」
莉緒が絶句する。
二トン。
そんなものが頭上から落ちてくれば人間なんてひとたまりもない。
「怪我」じゃ済まない。
「圧死」だ。
「……物理的要因による事故死。回避難易度はAクラスです」
クロノが淡々と分析する。
「ワイヤーの破断原因は? 金属疲労?」
「いや……ここには『人為的な緩み、および運命的な不可抗力』って書いてある」
「人為的……?」
莉緒の目が鋭くなる。
ただの事故じゃない。
誰かが意図的に仕組んだ可能性があるってことか?
あるいは、「運命」そのものが彼女を殺そうとしているのか。
「とにかく現場に行ってそのワイヤーを補強するか、綺羅々をその場所から動かすしかない」
「でも、ライブ中でしょ? ステージに乱入するわけにもいかないし……」
「だからこその、裏口潜入だ」
俺は拳を握りしめる。
詩織の時とは規模が違う。
数万人の目撃者がいる中での救出劇。
失敗すれば俺たちが全国ニュースのトップを飾ることになるかもしれない。
それでも、あの「回避不能」の絶望を知ってしまった以上、見過ごすなんて選択肢はなかった。
***
東京ドームの裏口、関係者搬入口。
警備員が厳重に目を光らせているゲートの前で俺たちは立ち尽くしていた。
「で? どうすんのこれ。強行突破?」
莉緒が袖をまくる。
やる気満々だ。
「待て待て、筋肉で解決しようとするな」
俺はクロノを見た。
「出番だぞ、未来人」
「了解。セキュリティシステムの脆弱性を突きます」
クロノが腕のデバイスを操作する。
ピピピ、という電子音がした直後警備員の持っていたタブレット端末がノイズを発した。
『システムエラー発生。ゲートロックを解除します』
機械的なアナウンスと共に重厚な扉がガコンと開く。
「……ちょろいもんです」
「未来の技術、悪用しすぎだろ……」
俺たちは警備員の隙をついて搬入口へと滑り込んだ。
内部は迷路のようだった。
スタッフたちが怒号を飛ばしながら走り回り、機材ケースが山積みになっている。
独特の熱気と埃っぽい匂い。
これが華やかなステージの裏側か。
「目標地点はステージ上部のキャットウォーク(作業用通路)です。そこなら照明トラスにアクセスできます」 「よし、急ごう!」
俺たちが通路を駆け抜けようとしたその時だった。
「――どいてっ!!」
角を曲がってきた小柄な人影と俺は正面衝突した。
ドンッ!
「うわっ!」
「きゃっ!」
俺は尻餅をつき相手も派手に転んだ。
きらびやかな衣装。
フリルのついたスカート。
そして、床に散らばったのは吸入器や鎮痛剤の錠剤だった。
「いってぇ……大丈夫ですく……あ?」
顔を上げて俺は固まった。
そこにいたのはテレビで見ない日はない顔。
大きな瞳、作り物のように整った顔立ち。
ツインテールに結われた金色の髪。
星乃綺羅々、本人だった。
「あーもう! 最悪! 衣装汚れちゃったじゃない!」
彼女は俺の手を借りずに立ち上がるとスカートの埃を乱暴に払った。
その表情は、テレビで見せる「天使のスマイル」とは程遠い。
眉間に深いシワを寄せ、焦燥と苛立ちに満ちていた。
「ちょっとあんたたち! どこ見て歩いてんのよ! スタッフ? バイト? どっちでもいいけど、邪魔しないでよ!」
毒舌。
イメージとのギャップに俺と莉緒はポカンとする。
だが、クロノだけが冷静に彼女の足元――散らばった薬を見つめていた。
「……気管支拡張剤、および強力な鎮痛薬。……満身創痍ですね」
「っ!?」
綺羅々の肩がビクリと跳ねた。
彼女は慌てて薬を拾い集め、隠すように握りしめた。
「み、見ないでよ! ……誰にも言わないでよ!」
その声は震えていた。
彼女は俺の胸ぐらを掴み、涙目で睨みつけてきた。
「今日が終われば、私は世界へ行くの。だから、今日だけは……完璧じゃなきゃいけないのよ!」
悲痛な叫びだった。
『絶望』
本に書かれていた言葉の意味が少しだけわかった気がした。
彼女は、ボロボロの体を薬で無理やり動かして数万人の期待に応えようとしている。
その「完璧」であろうとする執念が皮肉にも彼女を死のステージへと立たせているのだ。
「綺羅々ちゃん! 出番だよ! どこ!?」
奥からマネージャーらしき声が聞こえる。
綺羅々はハッとして俺から手を離した。
一瞬でその顔に「アイドルの仮面」を貼り付ける。
「……忘れて。あんたたちなんて会わなかった」
彼女は背を向け、光の射す方――ステージへと走っていった。
その背中はあまりにも小さく、危うげに見えた。
「……なんか、放っとけないわね」
莉緒が呟く。
「あんなに生意気なのになんであんなに必死なのよ」
「ああ。……助けるぞ。あいつの『完璧』をこんな理不尽な事故で終わらせてたまるか」
俺たちは頷き合いさらに奥へと走った。
目指すは彼女の頭上。
天井裏のキャットウォークだ。
***
ライブが始まった。
ズン、ズン、と重低音が建物を揺らす。
五万人の歓声が地鳴りのように響いてくる。
俺たちは狭い梯子を登り、ドームの天井近くにある鉄骨の足場へと辿り着いていた。
高い。
見下ろすと、豆粒のような綺羅々が眩いスポットライトの中で歌って踊っているのが見える。
客席は一面、彼女のイメージカラーである黄色のペンライトで埋め尽くされまるで光の海のようだ。
「……あれだ」
クロノが指差す。
ステージ中央。
綺羅々が立つ場所の真上に巨大なシャンデリアのような照明セットが吊るされている。
それを支えているのは四本の太いワイヤー。
そのうちの一本、一番負荷がかかっている金具のボルトが不自然に浮いているのが見えた。
「ありました。あのボルトが外れればバランスが崩れて落下します」
「よし、締め直せばいいんだな!」
莉緒がレンチ(途中の道具箱から拝借した)を構えて鉄骨を渡ろうとする。
その時。
ヒュンッ!
風を切る音がして、莉緒の足元の鉄骨に何かが突き刺さった。
金属製の小さなスパナだ。
あと数センチずれていたら莉緒の足を貫いていた。
「――そこまでだ」
頭上から凛とした声が降ってきた。
俺たちは驚いて見上げる。
さらに一段高い足場。
照明の逆光の中に一人の少女が立っていた。
ショートカットの髪。
少年のようなパンツルック。
そして、その手には数本の工具がまるで投げナイフのように握られている。
「ボクの計算では、もうすぐ『運命の時間』だ。邪魔はさせないよ」
蓮は軽やかに鉄骨から飛び降り俺たちの前の通路に着地した。
その身のこなしは体操選手どころではない。
まるで重力がないかのような動きだ。
「誰よ、あんた!」
莉緒が叫ぶ。
「ボクは如月蓮。この世界の『理(ことわり)』を管理する一族の末裔さ」
蓮は冷ややかな目で俺――正確には、俺の鞄の『運命の書』を見た。
「青葉一樹。キミがその本で雛森詩織を救ったせいで世界の因果律は歪んでしまった。これ以上の改変は世界の崩壊を招く」
「だからって、あの子を見殺しにするのかよ!」
「『大いなる修正』のためには小さな犠牲は必要だ。星乃綺羅々の死は確定した歴史なんだよ」
話が通じる相手じゃない。 彼女は、本気であの照明を落とすつもりだ。 いや、あのボルトを緩めたのは、この蓮という少女なのかもしれない。
「つべこべうるさいわね!」
莉緒が動いた。
足場の悪い鉄骨の上を恐れることなく駆け抜ける。
手にしたレンチを振りかぶり、蓮に肉薄する。
「どきなさいよ、この運命オタク!」
「威勢がいいね。でも、ボクには届かない」
蓮は最小限の動きで莉緒の攻撃をかわす。 そして、カウンターの回し蹴り。 「ぐっ!」 莉緒がレンチでガードするが、衝撃で後ずさる。 狭い足場だ。落ちたら即死。 だが、二人の少女はそんな恐怖を感じさせないほどのスピードで攻防を繰り広げる。
「カズ! 行って!」
莉緒が叫んだ。
彼女は蓮の腕を強引に掴み道を開けた。
「こいつの相手は私がする! カズたちはワイヤーを!」
「でも、お前……!」
「あんたのヒロインなめんな! 早く!」
莉緒の瞳が燃えている。
俺は唇を噛み締め、頷いた。
「クロノ、行くぞ!」
「了解。援護します」
俺たちは莉緒と蓮の戦場を駆け抜け、目的のワイヤーへと走る。
背後で金属音が激しく響く。
***
「はぁ、はぁ……!」
目的の場所まであと十メートル。
だが、ライブは終盤に差し掛かっていた。
『みんなー! 今日は本当にありがとう!』
下から綺羅々の声が聞こえる。
MCだ。
これが終われば最後の曲。
運命の『スターダスト・シンフォニー』が始まる。
「急げ! 時間がない!」
俺は走る。
しかし、足場が揺れる。
大音量の音楽と歓声が鉄骨を振動させているのだ。
一歩踏み外せば、奈落の底。
恐怖で足がすくみそうになるが、脳裏に焼きついた綺羅々の涙目が俺を突き動かす。
『あの子の完璧を、守るんだろ!』
ようやく、ワイヤーの固定部分に辿り着いた。
やはり、ボルトが緩んでいる。
あと数回転で外れる状態だ。
「クロノ、工具!」
「これを使ってください」
クロノからインパクトドライバーを受け取り、俺はボルトに当てがう。
だが。
ガガガガッ!
回らない。
ボルトが錆びついているのか、それとも何かの細工か、固くて動かない。
『それでは聴いてください。私の全ての想いを込めて……』
『スターダスト・シンフォニー』
イントロが流れた。
会場のボルテージが最高潮に達する。
振動が激しくなる。
緩んだボルトが、振動に合わせてジワリ、ジワリと回転していく。
「くそっ、回れよ……!」
俺は渾身の力を込める。
右腕が悲鳴を上げる。
詩織を助けた時の怪我が痛む。
「青葉一樹、警告。ワイヤーの耐久限界まであと三十秒」
「わかってる!」
カキン。
乾いた音がした。
ボルトじゃない。
隣の留め具が金属疲労で弾け飛んだのだ。
支えを失った荷重が緩んだボルト一本に集中する。
ギギギギギ……。
トラス全体が不気味な音を立てて傾き始めた。
下では綺羅々がサビに向けて息を吸い込んでいる。
彼女は気づいていない。
自分の頭上に二トンの死神が迫っていることに。
「ダメだ、間に合わない……!」
ドライバーが空転する。
もう締め直す時間はない。
あと数秒でボルトは抜け落ちる。
俺は眼下の綺羅々を見た。
眩い光の中、彼女は最高に輝いていた。
あんなに小さな体で五万人を魅了している。
『私は……世界へ行くの!』
彼女の夢。
彼女の未来。
ここで終わらせていいはずがない。
俺はドライバーを投げ捨てた。
そして、外れかけたワイヤーそのものを素手で掴んだ。
「青葉一樹!? 何を……」
「クロノ! ワイヤーの予備回路をハックしろ! 一瞬でいい、落下を遅らせろ!」
「っ……了解! ですがあなたの体が持ちません!」
「知るかよ!」
俺は鉄骨に足を絡ませ、全身の筋肉を硬直させた。
ボルトが抜ける。
ガコンッ! トラスが落下を始める。
その二トンの荷重の全てがワイヤーを通じて俺の腕にかかった。
「ぐ、おおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!」
肩が外れるかと思った。
筋肉繊維がブチブチと切れる音が体内から聞こえる。
激痛。
だが、俺は離さない。
落下は止まらない。
でも、ほんの少しだけ軌道がズレた。
そして、クロノのハッキングにより安全装置が誤作動を起こしブレーキがかかる。
『――輝く星に、願いを込めて!』
綺羅々がサビを歌い上げる。
その直後。
彼女の背後に巨大な照明トラスがドォォォォォン!! と落下した。
直撃ではない。
俺が軌道を変えた分、数メートル後ろに落ちたのだ。
だが、凄まじい衝撃と爆風がステージを襲う。
煙が舞い上がり、悲鳴が上がる。
「……は、ぁ……」
俺の意識が遠のく。
腕の感覚がない。
鉄骨の上で俺は力尽きて崩れ落ちた。
薄れゆく視界の中で煙の中に立つ綺羅々の姿が見えた。
彼女は無事か?
歌は、止まってしまったのか?
静寂。
そして――。
『……歌うわ』
煙の中から凛とした声が響いた。
『まだ、終わってない! 音楽を止めないで!』
綺羅々だ。
彼女は、背後に落ちた鉄塊に目もくれずマイクを握りしめて立っていた。
その姿は鬼気迫るほど美しく、神々しかった。
伴奏が再開される。
歓声が悲鳴を塗り替えていく。
「……すげえな、アイドルってやつは」
俺は安堵の息を吐き、そのまま闇の中へと沈んでいった。
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これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
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