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第四章 甘いメロンと、消えない傷跡
七年前の蝉時雨と、空白の0.1秒
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その夜、事態は最悪の形で動き出した。
俺の部屋。
いつものように集まっていた俺たち――俺、莉緒、クロノ。
そして、窓の外から「監視だ」と言って入ってきた如月蓮(こいつも結局、居座るつもりらしい)。
四人でテーブルを囲んでいた時だった。
「――っ、痛っ!」
莉緒が突然悲鳴を上げてコーヒーカップを取り落とした。
ガシャン! という音と共に、陶器の破片と黒い液体が床に広がる。
「莉緒!? 大丈夫か、火傷しなかっ……」
俺は慌てて彼女の手に触れようとした。
その時、見てしまった。
俺の手が、莉緒の手をすり抜けたのを。
「……え?」
「な、なにこれ……?」
莉緒が自分の手を呆然と見つめる。
彼女の指先が、まるでテレビの映像が乱れる時のようにノイズ混じりに明滅している。
半透明になったり、実体に戻ったりを繰り返しているのだ。
「存在強度の低下が深刻化しています」
クロノが即座に端末を操作し、冷静に、しかし切迫した声で告げる。
「青葉一樹。世界の修正力が彼女を『異物』として認識し排除プロセスを実行し始めました。このままではあと数時間で彼女はこの時間軸から完全に消滅します」
「消滅って……死ぬってことか!?」
「いいえ。『最初からいなかったこと』になります。あなたの記憶からも、記録からも、全て」
背筋が凍った。
俺の記憶からも消える?
あの再会の喜びも、一緒に戦った記憶も、あの約束も? そ
んなの、死ぬより恐ろしい。
「させない!」
莉緒が叫んだ。
震える手で自分の体を抱きしめる。
「嫌だよ……! カズのこと忘れるのも、忘れられるのも、絶対に嫌!」
彼女の瞳から涙が溢れる。
その涙さえも、床に落ちる前に光の粒子となって消えていく。
「どうすればいい!? 本を使えば治せるのか!?」
俺は『運命の書』を掴む。
だが、蓮が首を横に振った。
「無駄だよ。その本は『未来』を書くものだ。根本的な原因(バグ)が『過去』にあるなら、いくら未来を書き換えても土台が崩れるだけさ」
「過去……」
「そう。彼女が『白紙』になった原因。七年前のあの日に行かなきゃ何も解決しない」
蓮の言葉に俺はハッとする。
七年前。
別れの約束をした日。
あの日、何があった? 俺
の記憶ではただの引っ越しだったはずだ。
でも、もしそこに俺の知らない「何か」があったとしたら?
「行けます」
クロノが立ち上がった。
「私の『クロノ・ドライブ』と、あなたの『運命の書』をリンクさせれば過去への座標固定が可能です」
「過去に行けるのか!?」
「本来は禁止事項です。ですが……このまま彼女が消滅すれば、特異点であるあなたの精神が崩壊し世界線にさらなる悪影響が出ます。緊急避難措置として局長権限コードを使用します」
クロノは俺の前に立ち手を差し出した。
「本を開いてください。そして強く念じてください。あなたが戻りたい『あの日』を」
「わかった」
俺は本を開く。
念じるのは、もちろん七年前の夏。
莉緒との別れの日。
「おい、ボクも行くよ」
蓮が割り込んでくる。
「世界の管理がボクの仕事だ。原因を突き止める義務がある」
「……勝手にしろ。莉緒、俺の手を離すなよ!」
「うん……!」
俺は薄れゆく莉緒の手をこれ以上ないほど強く握りしめた。
実体がなかろうが関係ない。
の意志で繋ぎ止める。
「――時間跳躍(タイム・リープ)、開始」
クロノが本に手を触れる。
瞬間、本から溢れ出した光が俺たち四人を包み込んだ。
部屋の景色が、高速で流れるビデオのように巻き戻っていく。
壁が透け、昼と夜がストロボのように点滅し季節が逆流する。
浮遊感。
そして強烈な光。
***
「……ん」
目を開けるとそこは強烈な茜色の中だった。
「うわ、あっつ……」
蓮が額の汗を拭う。
湿気を帯びた熱風。
耳をつんざくような蝉の声。
「ここ……いつもの公園だ」
俺は見回した。
錆びたジャングルジム。
古びたベンチ。
間違いなく俺たちの地元だ。
でも、空気が違う。
どこか懐かしく、そして胸が締め付けられるような夏の夕暮れの匂い。
「座標確認。西暦二〇一八年、八月三十一日。午後五時十五分」
クロノが告げる。
その姿を見て俺は驚いた。
俺たちは全員、当時の姿――つまり、小学生の姿に戻っているわけではなかった。
高校生の今の姿のまま、半透明な幽霊のように風景に溶け込んでいる。
「認識阻害フィールドを展開しました。この時代の人間には、私たちの姿は見えませんし、声も聞こえません。私たちはあくまで『観測者』としてここに存在しています」
なるほど。
これなら歴史への干渉を気にせず動ける。
クロノの能力、便利すぎる。
「カズ……見て」
莉緒が指差した。
公園の中央。
ジャングルジムのてっぺんに二つの小さな影があった。
「あれ、俺たちだ……」
短パンにTシャツ姿の小さな俺。
そしてさらに短い髪で、膝に絆創膏を貼った小さな莉緒。
『俺はさ、小説家になる!』
『なにそれ、小学生が考えたみたいな夢だな!』
七年前の会話がそのまま再生されている。
懐かしさで胸がいっぱいになる。
あの日、俺たちは確かにここで笑い合っていた。
ここまでは俺の記憶通りだ。
「……ねえ、この後どうなるんだっけ?」
蓮が尋ねる。
「この後、指切りをして、それぞれの家に帰ったんだ。明日引っ越すからって」
「本当に?」
「ああ。……そのはずだ」
俺の言葉に自信が持てなくなる。
小さな俺たちは指切りを終えた。
『約束な! 絶対だぞ!』
『おう!』
二人はジャングルジムを降りる。
そして、公園の出口で手を振って別れた。
小さな俺は、家の方向へ。
小さな莉緒は……反対方向へ。
「……追いかけましょう」 ク
ロノが促す。
俺たちは小さな莉緒の後を追った。
彼女の背中は記憶の中よりもずっと小さく、そして寂しそうだった。
彼女はすぐには家に帰らなかった。
商店街を抜け、国道沿いの歩道をトボトボと歩いている。
時折、立ち止まっては涙を拭う仕草をしている。
やっぱり、泣いていたんだ。
強がっていたけど、本当は離れるのが寂しかったんだ。
「……ごめん、莉緒」
隣にいる高校生の莉緒に声をかける。
彼女は悲しげな顔で過去の自分を見つめていた。
その体はまだ明滅を続けている。
「危ないッ!!」
突然、莉緒が叫んだ。
「え?」
見ると、前方を歩いていた小さな莉緒が何かに気づいて車道に飛び出そうとしていた。
その視線の先。
横断歩道のない車道をボールを追って飛び出した幼児がいる。
そして、カーブの向こうから大型トラックが猛スピードで迫ってきていた。
「嘘だろ……?」
記憶にない。
こんなシーン、俺の記憶にはない!
俺の記憶では俺たちは普通に別れて、翌日彼女は静かに引っ越していったはずだ。
「ダメだ、莉緒!」
俺は叫んで駆け寄ろうとする。
だが、俺の体は幽霊のようにすり抜けるだけだ。
干渉できない。
小さな莉緒は躊躇わなかった。
幼児を突き飛ばし、安全な歩道へと逃がす。
しかしその反動で彼女自身が車道の真ん中に取り残される。
プァァァァァァァッ!!
トラックのクラクション。
急ブレーキの音。
小さな莉緒が振り返る。
その瞳に、迫り来る鉄塊が映る。
「やめろォォォォォォォッ!!」
俺の絶叫も虚しく。
ドンッ!!
という鈍い音が夏の空気を切り裂いた。
小さな体が宙を舞う。
赤いランドセルが弾け飛び、中身が散乱する。
そして、彼女の体はアスファルトの上に叩きつけられ動かなくなった。
「あ……あぁ……」
俺はその場に崩れ落ちた。
血だまりが広がる。
嘘だ。
嘘だ嘘だ嘘だ。
莉緒は死んでなんかいない。
だって今、俺の隣にいるじゃないか。
昨日まで一緒に笑ってたじゃないか。
「……やっぱり」
蓮が冷徹な声で呟いた。
「彼女は七年前に死んでいたんだ。今のキミの隣にいるのは本が生み出した『願望の残滓(ゴースト)』に過ぎない」
「違う!」
隣にいた高校生の莉緒が叫んだ。
「私は生きてる! ここにいるもん! 死んでなんか……!」
だが、彼女の体は激しくノイズを走らせ、今にも消えそうになっていた。
目の前の死体。
消えゆく現在の莉緒。
突きつけられた事実に俺の心が砕けそうになった時。
「……待ってください」
クロノが倒れている小さな莉緒のそばに膝をついた。
「観察してください。……違和感があります」
「違和感?」
俺は涙を拭い目を凝らす。
血だまりの中に倒れている小さな莉緒。
確かに動かない。
即死だろう。
だが、クロノが指差しているのは彼女の「左手」だった。
「……指が」
そう。
トラックに跳ねられたはずなのに彼女の左手は何かを強く握りしめる形を保っていた。
そしてその指の隙間から、微かな、しかし鮮烈な「紫色の光」が漏れ出している。
「あれは……『転送紋』?」
蓮が驚愕の声を上げる。
その直後だった。
不可解な現象が起きた。
倒れていた莉緒の体が足元からサラサラと砂のように崩れ始めたのだ。
肉体が腐敗するのではない。
まるでデジタルデータが分解されるように光の粒子となって空中に霧散していく。
「な……!?」
周囲の野次馬たちが悲鳴を上げる。
「消えたぞ!」
「女の子が消えた!」
トラックの運転手が腰を抜かしている。
血だまりだと思っていた赤い液体も蒸発するように消えてしまった。
アスファルトの上には弾き飛ばされたランドセルと片方の靴だけが残された。
「死体が……消えた?」
俺は呆然と呟く。
「いいえ」
クロノが立ち上がり空中に漂う粒子の流れを目で追った。
「肉体の損壊と同時に、彼女の生体データが『何者か』によってスキャンされ転送されました。……死の直前、コンマ一秒の間に彼女の魂と肉体の情報を別の場所へ強制移動させた痕跡があります」
「別の場所って……どこへ?」
クロノは空を見上げた。
その視線の先。
七年前の空に浮かぶ一際大きな入道雲の向こう側。
「『時の狭間』……あるいは、この世界の外側にある『管理領域』へ」
クロノは振り返り震えている高校生の莉緒を見た。
「橘莉緒。あなたは七年前に一度肉体的な死を迎えました。ですが、完全に死ぬ前に誰かがあなたを『回収』し、再構成した可能性があります。……七年間の空白。あなたが海外にいたと思っていたその期間、あなたは恐らくこの世ではない場所にいたのです」
「私が……再構成された人間……?」
莉緒が自分の両手を見る。
その手は、まだ半透明のままだ。
「つまり、今の莉緒は幽霊なんかじゃない」
俺は立ち上がる。
絶望の淵から、細い糸のような希望が見えた気がした。
「誰かが助けたんだ。……誰だかわからないけど、莉緒を死なせないために連れ去ったんだ」
「そうだとしたら、今の彼女が消えかかっているのは『連れ去られた先』とのリンクが切れかかっているからかもしれないね」
蓮が顎に手を当てて分析する。
「七年前に回収された彼女が、なぜ今高校生になって戻ってきたのか。……誰が彼女を返したのか。そこが重要だ」
俺は残されたランドセルを見た。
その脇に見覚えのあるノートが落ちているのが見えた。
自由帳だ。
表紙には下手くそな字で『カズとのきょうそう』と書いてある。
俺は確信した。
彼女は死んでいない。
誰かが彼女の物語を無理やり書き換えたんだ。
そして今、その「誰か」が、再び彼女を連れ戻そうとしている。
「……ふざけんなよ」
俺は地面を殴りつけた。
幽霊の手はすり抜けたが、心の中の怒りは本物だった。
「莉緒は俺の幼馴染だ。どこの誰だか知らないが、勝手に回収して、勝手に返して、また消そうなんて……絶対に許さない」
俺は高校生の莉緒に向き直った。
彼女は不安で押しつぶされそうになっていた。
自分が何者なのかわからなくなっている顔だ。
「莉緒。お前は生きてる。俺が証明する」
「カズ……」
「七年前の真実はわかった。お前は死んだように見せかけて連れ去られたんだ。……だったら、取り戻しに行けばいい」
俺はクロノを見た。
「その『管理領域』って場所、行けるか?」
クロノは少し考え込みそして小さく頷いた。
「この時代の座標から『転送』の痕跡をトレースすれば、あるいは。……ですが、それは『運命の書』の記述範囲外の世界への旅になります。二度と戻れないかもしれません」
「上等だ。白紙の未来も怖かったけど、莉緒のいない未来に比べりゃマシだ」
俺は莉緒の手を取った。
今度は、すり抜けないように魂で掴むつもりで。
「行こう、莉緒。お前の七年間を取り戻しに」
莉緒の瞳に光が戻る。
彼女は涙を拭い、強く頷いた。
「うん……! カズと一緒ならどこへだって行く!」
七年前の夕暮れの公園。
ランドセルだけが残された事故現場から、四人の観測者の姿がかき消えた。
目指すは世界の外側。
運命を管理する何者かが潜む、禁断の領域へ。
物語は、ただの学園ファンタジーの枠を超え、世界の根幹に関わる戦いへと突入する。
俺の部屋。
いつものように集まっていた俺たち――俺、莉緒、クロノ。
そして、窓の外から「監視だ」と言って入ってきた如月蓮(こいつも結局、居座るつもりらしい)。
四人でテーブルを囲んでいた時だった。
「――っ、痛っ!」
莉緒が突然悲鳴を上げてコーヒーカップを取り落とした。
ガシャン! という音と共に、陶器の破片と黒い液体が床に広がる。
「莉緒!? 大丈夫か、火傷しなかっ……」
俺は慌てて彼女の手に触れようとした。
その時、見てしまった。
俺の手が、莉緒の手をすり抜けたのを。
「……え?」
「な、なにこれ……?」
莉緒が自分の手を呆然と見つめる。
彼女の指先が、まるでテレビの映像が乱れる時のようにノイズ混じりに明滅している。
半透明になったり、実体に戻ったりを繰り返しているのだ。
「存在強度の低下が深刻化しています」
クロノが即座に端末を操作し、冷静に、しかし切迫した声で告げる。
「青葉一樹。世界の修正力が彼女を『異物』として認識し排除プロセスを実行し始めました。このままではあと数時間で彼女はこの時間軸から完全に消滅します」
「消滅って……死ぬってことか!?」
「いいえ。『最初からいなかったこと』になります。あなたの記憶からも、記録からも、全て」
背筋が凍った。
俺の記憶からも消える?
あの再会の喜びも、一緒に戦った記憶も、あの約束も? そ
んなの、死ぬより恐ろしい。
「させない!」
莉緒が叫んだ。
震える手で自分の体を抱きしめる。
「嫌だよ……! カズのこと忘れるのも、忘れられるのも、絶対に嫌!」
彼女の瞳から涙が溢れる。
その涙さえも、床に落ちる前に光の粒子となって消えていく。
「どうすればいい!? 本を使えば治せるのか!?」
俺は『運命の書』を掴む。
だが、蓮が首を横に振った。
「無駄だよ。その本は『未来』を書くものだ。根本的な原因(バグ)が『過去』にあるなら、いくら未来を書き換えても土台が崩れるだけさ」
「過去……」
「そう。彼女が『白紙』になった原因。七年前のあの日に行かなきゃ何も解決しない」
蓮の言葉に俺はハッとする。
七年前。
別れの約束をした日。
あの日、何があった? 俺
の記憶ではただの引っ越しだったはずだ。
でも、もしそこに俺の知らない「何か」があったとしたら?
「行けます」
クロノが立ち上がった。
「私の『クロノ・ドライブ』と、あなたの『運命の書』をリンクさせれば過去への座標固定が可能です」
「過去に行けるのか!?」
「本来は禁止事項です。ですが……このまま彼女が消滅すれば、特異点であるあなたの精神が崩壊し世界線にさらなる悪影響が出ます。緊急避難措置として局長権限コードを使用します」
クロノは俺の前に立ち手を差し出した。
「本を開いてください。そして強く念じてください。あなたが戻りたい『あの日』を」
「わかった」
俺は本を開く。
念じるのは、もちろん七年前の夏。
莉緒との別れの日。
「おい、ボクも行くよ」
蓮が割り込んでくる。
「世界の管理がボクの仕事だ。原因を突き止める義務がある」
「……勝手にしろ。莉緒、俺の手を離すなよ!」
「うん……!」
俺は薄れゆく莉緒の手をこれ以上ないほど強く握りしめた。
実体がなかろうが関係ない。
の意志で繋ぎ止める。
「――時間跳躍(タイム・リープ)、開始」
クロノが本に手を触れる。
瞬間、本から溢れ出した光が俺たち四人を包み込んだ。
部屋の景色が、高速で流れるビデオのように巻き戻っていく。
壁が透け、昼と夜がストロボのように点滅し季節が逆流する。
浮遊感。
そして強烈な光。
***
「……ん」
目を開けるとそこは強烈な茜色の中だった。
「うわ、あっつ……」
蓮が額の汗を拭う。
湿気を帯びた熱風。
耳をつんざくような蝉の声。
「ここ……いつもの公園だ」
俺は見回した。
錆びたジャングルジム。
古びたベンチ。
間違いなく俺たちの地元だ。
でも、空気が違う。
どこか懐かしく、そして胸が締め付けられるような夏の夕暮れの匂い。
「座標確認。西暦二〇一八年、八月三十一日。午後五時十五分」
クロノが告げる。
その姿を見て俺は驚いた。
俺たちは全員、当時の姿――つまり、小学生の姿に戻っているわけではなかった。
高校生の今の姿のまま、半透明な幽霊のように風景に溶け込んでいる。
「認識阻害フィールドを展開しました。この時代の人間には、私たちの姿は見えませんし、声も聞こえません。私たちはあくまで『観測者』としてここに存在しています」
なるほど。
これなら歴史への干渉を気にせず動ける。
クロノの能力、便利すぎる。
「カズ……見て」
莉緒が指差した。
公園の中央。
ジャングルジムのてっぺんに二つの小さな影があった。
「あれ、俺たちだ……」
短パンにTシャツ姿の小さな俺。
そしてさらに短い髪で、膝に絆創膏を貼った小さな莉緒。
『俺はさ、小説家になる!』
『なにそれ、小学生が考えたみたいな夢だな!』
七年前の会話がそのまま再生されている。
懐かしさで胸がいっぱいになる。
あの日、俺たちは確かにここで笑い合っていた。
ここまでは俺の記憶通りだ。
「……ねえ、この後どうなるんだっけ?」
蓮が尋ねる。
「この後、指切りをして、それぞれの家に帰ったんだ。明日引っ越すからって」
「本当に?」
「ああ。……そのはずだ」
俺の言葉に自信が持てなくなる。
小さな俺たちは指切りを終えた。
『約束な! 絶対だぞ!』
『おう!』
二人はジャングルジムを降りる。
そして、公園の出口で手を振って別れた。
小さな俺は、家の方向へ。
小さな莉緒は……反対方向へ。
「……追いかけましょう」 ク
ロノが促す。
俺たちは小さな莉緒の後を追った。
彼女の背中は記憶の中よりもずっと小さく、そして寂しそうだった。
彼女はすぐには家に帰らなかった。
商店街を抜け、国道沿いの歩道をトボトボと歩いている。
時折、立ち止まっては涙を拭う仕草をしている。
やっぱり、泣いていたんだ。
強がっていたけど、本当は離れるのが寂しかったんだ。
「……ごめん、莉緒」
隣にいる高校生の莉緒に声をかける。
彼女は悲しげな顔で過去の自分を見つめていた。
その体はまだ明滅を続けている。
「危ないッ!!」
突然、莉緒が叫んだ。
「え?」
見ると、前方を歩いていた小さな莉緒が何かに気づいて車道に飛び出そうとしていた。
その視線の先。
横断歩道のない車道をボールを追って飛び出した幼児がいる。
そして、カーブの向こうから大型トラックが猛スピードで迫ってきていた。
「嘘だろ……?」
記憶にない。
こんなシーン、俺の記憶にはない!
俺の記憶では俺たちは普通に別れて、翌日彼女は静かに引っ越していったはずだ。
「ダメだ、莉緒!」
俺は叫んで駆け寄ろうとする。
だが、俺の体は幽霊のようにすり抜けるだけだ。
干渉できない。
小さな莉緒は躊躇わなかった。
幼児を突き飛ばし、安全な歩道へと逃がす。
しかしその反動で彼女自身が車道の真ん中に取り残される。
プァァァァァァァッ!!
トラックのクラクション。
急ブレーキの音。
小さな莉緒が振り返る。
その瞳に、迫り来る鉄塊が映る。
「やめろォォォォォォォッ!!」
俺の絶叫も虚しく。
ドンッ!!
という鈍い音が夏の空気を切り裂いた。
小さな体が宙を舞う。
赤いランドセルが弾け飛び、中身が散乱する。
そして、彼女の体はアスファルトの上に叩きつけられ動かなくなった。
「あ……あぁ……」
俺はその場に崩れ落ちた。
血だまりが広がる。
嘘だ。
嘘だ嘘だ嘘だ。
莉緒は死んでなんかいない。
だって今、俺の隣にいるじゃないか。
昨日まで一緒に笑ってたじゃないか。
「……やっぱり」
蓮が冷徹な声で呟いた。
「彼女は七年前に死んでいたんだ。今のキミの隣にいるのは本が生み出した『願望の残滓(ゴースト)』に過ぎない」
「違う!」
隣にいた高校生の莉緒が叫んだ。
「私は生きてる! ここにいるもん! 死んでなんか……!」
だが、彼女の体は激しくノイズを走らせ、今にも消えそうになっていた。
目の前の死体。
消えゆく現在の莉緒。
突きつけられた事実に俺の心が砕けそうになった時。
「……待ってください」
クロノが倒れている小さな莉緒のそばに膝をついた。
「観察してください。……違和感があります」
「違和感?」
俺は涙を拭い目を凝らす。
血だまりの中に倒れている小さな莉緒。
確かに動かない。
即死だろう。
だが、クロノが指差しているのは彼女の「左手」だった。
「……指が」
そう。
トラックに跳ねられたはずなのに彼女の左手は何かを強く握りしめる形を保っていた。
そしてその指の隙間から、微かな、しかし鮮烈な「紫色の光」が漏れ出している。
「あれは……『転送紋』?」
蓮が驚愕の声を上げる。
その直後だった。
不可解な現象が起きた。
倒れていた莉緒の体が足元からサラサラと砂のように崩れ始めたのだ。
肉体が腐敗するのではない。
まるでデジタルデータが分解されるように光の粒子となって空中に霧散していく。
「な……!?」
周囲の野次馬たちが悲鳴を上げる。
「消えたぞ!」
「女の子が消えた!」
トラックの運転手が腰を抜かしている。
血だまりだと思っていた赤い液体も蒸発するように消えてしまった。
アスファルトの上には弾き飛ばされたランドセルと片方の靴だけが残された。
「死体が……消えた?」
俺は呆然と呟く。
「いいえ」
クロノが立ち上がり空中に漂う粒子の流れを目で追った。
「肉体の損壊と同時に、彼女の生体データが『何者か』によってスキャンされ転送されました。……死の直前、コンマ一秒の間に彼女の魂と肉体の情報を別の場所へ強制移動させた痕跡があります」
「別の場所って……どこへ?」
クロノは空を見上げた。
その視線の先。
七年前の空に浮かぶ一際大きな入道雲の向こう側。
「『時の狭間』……あるいは、この世界の外側にある『管理領域』へ」
クロノは振り返り震えている高校生の莉緒を見た。
「橘莉緒。あなたは七年前に一度肉体的な死を迎えました。ですが、完全に死ぬ前に誰かがあなたを『回収』し、再構成した可能性があります。……七年間の空白。あなたが海外にいたと思っていたその期間、あなたは恐らくこの世ではない場所にいたのです」
「私が……再構成された人間……?」
莉緒が自分の両手を見る。
その手は、まだ半透明のままだ。
「つまり、今の莉緒は幽霊なんかじゃない」
俺は立ち上がる。
絶望の淵から、細い糸のような希望が見えた気がした。
「誰かが助けたんだ。……誰だかわからないけど、莉緒を死なせないために連れ去ったんだ」
「そうだとしたら、今の彼女が消えかかっているのは『連れ去られた先』とのリンクが切れかかっているからかもしれないね」
蓮が顎に手を当てて分析する。
「七年前に回収された彼女が、なぜ今高校生になって戻ってきたのか。……誰が彼女を返したのか。そこが重要だ」
俺は残されたランドセルを見た。
その脇に見覚えのあるノートが落ちているのが見えた。
自由帳だ。
表紙には下手くそな字で『カズとのきょうそう』と書いてある。
俺は確信した。
彼女は死んでいない。
誰かが彼女の物語を無理やり書き換えたんだ。
そして今、その「誰か」が、再び彼女を連れ戻そうとしている。
「……ふざけんなよ」
俺は地面を殴りつけた。
幽霊の手はすり抜けたが、心の中の怒りは本物だった。
「莉緒は俺の幼馴染だ。どこの誰だか知らないが、勝手に回収して、勝手に返して、また消そうなんて……絶対に許さない」
俺は高校生の莉緒に向き直った。
彼女は不安で押しつぶされそうになっていた。
自分が何者なのかわからなくなっている顔だ。
「莉緒。お前は生きてる。俺が証明する」
「カズ……」
「七年前の真実はわかった。お前は死んだように見せかけて連れ去られたんだ。……だったら、取り戻しに行けばいい」
俺はクロノを見た。
「その『管理領域』って場所、行けるか?」
クロノは少し考え込みそして小さく頷いた。
「この時代の座標から『転送』の痕跡をトレースすれば、あるいは。……ですが、それは『運命の書』の記述範囲外の世界への旅になります。二度と戻れないかもしれません」
「上等だ。白紙の未来も怖かったけど、莉緒のいない未来に比べりゃマシだ」
俺は莉緒の手を取った。
今度は、すり抜けないように魂で掴むつもりで。
「行こう、莉緒。お前の七年間を取り戻しに」
莉緒の瞳に光が戻る。
彼女は涙を拭い、強く頷いた。
「うん……! カズと一緒ならどこへだって行く!」
七年前の夕暮れの公園。
ランドセルだけが残された事故現場から、四人の観測者の姿がかき消えた。
目指すは世界の外側。
運命を管理する何者かが潜む、禁断の領域へ。
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「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
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