最上の番い

あた

文字の大きさ
上 下
9 / 30

写真の女

しおりを挟む
オラフが俺を連れて行ったのは、高い天井の建物だった。天井を支える太い柱の間には、大きな鏡が置かれている。鏡の前に立っていたのはひょろっとした猫背の男で、眼鏡と白衣という、いかにも研究職ですという風体をしている。彼は眼鏡を押し上げ、長い前髪の隙間から、ジロジロと俺を見た。
「はあ、これが客人か……」
「博士、彼はヤツカだ。ヤツカ、こちらはヨグ博士」

オラフはそう言って俺たちを紹介する。俺はヨグが差し出してきた手を握った。彼の手首は、ちょっと力を入れたら折れそうなほどに細い。スリムというより、不健康な細さだ。
「しかし、オメガの転移者は初めてだ。研究しがいがあるね。くっくっくっ」
ヨグが猫背を揺らし、不気味な笑いを漏らす。俺はヨグから半歩離れ、オラフに囁いた。
「なんかヤバそうなんだが、大丈夫か」
「変人ではあるな。彼はずっとここにこもっている」
よく見たら、寝袋だの、机だの、色々揃えてあった。ここに住んでるな、こいつ。オラフは仕事があるからと言って帰っていった。多分、長いことこの場所にいたくないのだろう。オラフが去って、研究室には、俺とおかしな博士の二人が残された。
「まあ、座りなよ。お茶を淹れるから」

ヨグはお茶を入れようとして、ポットを持ち上げられずにいる。非力すぎるだろ、こいつ。俺はポットを手にし、彼の代わりにカップに中身を注いでやった。薬茶なのだろうか。色も濁っているし、おかしな匂いがする。ヨグは笑顔なのか、単に引きつっているのか、よくわからない表情で俺を伺った。
「いやあ、あんた、オメガなのに丈夫そうで羨ましいよ。私は生まれたときから虚弱でね。死にかけること、実に25回だ。つまり、一年に一回だね」
「あんたも、オメガなのかよ……」
「そう。まあ私がオメガだと知っても、誰も興味を持たんけどね。ひっひっ」
ヨグが笑うと、猫背が揺れた。俺ですらモーションをかけられるのだ。誰も寄ってこないのはこの姿勢と笑い方のせいだろう。薬茶を勧められたが断って、聞きたいことを尋ねる。
「なあ、具体的にどうやって、元の世界に戻るんだ?」
「簡単だよ。この鏡が転移装置になっているんだ」

ヨグはそう言って、鏡面に触れた。一見、特に変哲のない鏡に見えるが……。
「ここに手をついて、大事な人のことを思い浮かべる」
大事な人……。そういえば──こっちに来たときは七瀬が鏡の向こうから呼んでいる気がしたのだった。そう考えたら、なぜだか動揺した。俺が七瀬を特別に思っているということか? いや、待て。別に恋愛的な意味でとは言っていない。家族とかでいいんだろう。しばらく会っていない両親の顔を思い出していたら、ヨグがこう付け加えた。

「ちなみに、こっちの世界に大事な人がいた場合は戻れないよ」
「いや、そんなの……」
一瞬、ニールの顔が脳裏に浮かんだので、慌てて打ち消す。大事な人なんているわけがないだろう。ここに来て、まだ一週間しか経っていないのだ。俺は動揺をごまかすために、薬茶を飲み干した。薬茶は見た目通り死ぬほど苦くて、口を抑えて悶絶する。ヨグは涙目になっている俺を見て、良い飲みっぷりだね、と嬉しそうに笑う。ヨグは変わってはいるが、悪いやつではなかった。なにせ、初めて会った俺以外のオメガだ。ここには二人きりしかいないし、聞きにくいことも聞ける。俺はキョロキョロとあたりを見回し、囁いた。

「あのさ……なんかたまに、ムズムズしないか?」
「ムズムズ? ああ、孔がね」
「おまえ、どうしてるんだ。そういうのには興味なさそうだけど」
「自分で処理してるよ。なんならおかずを貸そうか」

ヨグが差し出してきたのは、コンビニに売っていそうな普通のエロ本だった。しかも表紙に載っているのは、間違いなく日本語である。久しぶりに目にする女が、こっちを見て微笑んでいる。しかも半裸で巨乳だったので、興奮するなというほうが無理だった。俺は生唾を飲んで、ヨグを見た。

「なんでこんなもん持ってるんだ」
「私が欲しいなー、って思ったものは、こっちに来るんだよ。あの鏡を通って」

ヨグはそう言って、骨ばった指で大きな鏡を指差した。一体どういう仕組みかと尋ねたら、反射率がどうだの、別世界の物質変化がどうだのと、小難しい話をし始めた。高校時代の物理の授業ではいつも寝ていた俺にはきつい。よって、俺はヨグの説明をほとんど聞き流した。説明を終えたヨグは、部屋の隅から雑誌の束を持ってきた。彼の持ってきた雑誌の束の中には、ざっと見た限りゲイ雑誌はない。

「おまえ、男に興味ないのか」
「ないね。セックスは疲れそうだし、性欲の発散は自分ですればいいことだ」
こいつ、枯れてるのか性に興味津津なのか、よくわからないな。とりあえず、こいつのことは賢者と呼ぼう。俺はヨグを見習って、欲しい物を召喚することにした。こっちからあっちへものを送るのは大変だが、あっちから持ってくるのは簡単らしい。だから結構頻繁に、俺みたいな異世界人が来てしまうというわけだ。ヨグいわく、召喚するには、欲しい物を思い浮かべ、それを強くイメージし、引き寄せる感じでこちらへ持ってくるらしい。俺が今一番欲しているもの……。それは……安曇カナのファースト写真集である!俺は鏡に手をかざし、安曇カナの名前をぶつぶつ呟いた。しばらくすると、ぽんっと音を立てて、写真集が出てきた。俺は歓喜に思わず声を上げる。

「おおっ、安曇カナ……」
写真集の表紙に映っていたのは、安曇カナではなかった。安住カナ郎……って、誰だよこいつ。男じゃねーか!表紙が半裸の写真だったので嫌な予感がしたが、案の定ゲイ向けだった。しかも、なぜか警察官のコスプレ物である。容疑者に縄抜けされ、レイプされるという設定らしい。刑事として言わせてもらうが、こんな状況ありえねえよ。だいたい、交番以外で制服警官が取り調べをすることはない。俺は顔をひきつらせつつ、ヨグを見た。

「ヨグ、これ……俺が欲しかったものと違うんだが」
「コツが掴めてないね。私に任せなよ」
ヨグはそう言って、鏡の前に立った。俺の半分くらいしかない、細い背中が妙に頼もしく見えた。俺は安曇カナの特徴をヨグに伝えた。5分後、ヨグの手には安曇カナの写真集が収まっていた。なぜこいつには写真集を呼べたのだ。彼が所持しているのは、AV女優が載ったエロ雑誌のみ。安曇カナの顔を見たことはないはずなのに。驚いている俺に、ヨグが不敵な笑みを向ける。

「くっくっ。25年間純潔だった私の妄想力を舐めるんじゃないよ」
「すごいなおまえ……」
俺は尊敬の目でヨグを見た。改めて、写真集に視線を向ける。女子高生の制服を来て微笑む安曇カナは、まさに東洋の真珠だ。下着すら見えておらず、ポルノ写真のような強い刺激はないが、なんともいえない魅力を感じる。彼女は俺の神域なので、これで抜くのは気がひける。寝る前に読んで英気を養おう。きっと安らかに眠ることができるだろう。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【BL】眠りたくない夜には嘘を織り交ぜて

BL / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:13

辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:17,714pt お気に入り:3,306

「今日でやめます」

ライト文芸 / 連載中 24h.ポイント:7,469pt お気に入り:112

悪さしたお坊ちゃんが肉便器に更生させられる話

BL / 完結 24h.ポイント:99pt お気に入り:210

痛みと快楽

BL / 連載中 24h.ポイント:746pt お気に入り:85

警察官バディ(大型犬×インテリ狐)

BL / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:28

domに無理やりおしっこ我慢させられちゃうsub

BL / 完結 24h.ポイント:291pt お気に入り:136

怪しくて妖しい容疑者に魅せられて

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:5

処理中です...