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御子柴慶2

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その夜、俺は御子柴のいる部屋に向かった。ドアをノックすると、毛布をかぶった御子柴が少しだけドアを開いた。その表情はすっかり怯えきっている。アドラスのせいで、余計に態度が頑なになってしまったようだ。あのゴリラ、覚えておけ。
「なんもしないから。部屋に入れてくれ」
「じ、じゃあ……、2メートル以上俺に近づくなよ」

御子柴はびくびく怯えながら俺を室内に招き入れた。本当に二メートル間隔を取っている。こいつってこんなやつだっただろうか。出世欲が強くて、狡猾なイメージだったが。そういえば、着替えのとき、こいつはいつもこっちに背を向けて着替えていた気がする。狡猾に見えたのは、実は小心者で臆病だったから、ってことか……。別世界に来て相棒の本当の性格を知るというのも、おかしな話だ。
「俺はオメガ。お前と一緒だから、襲わないって」
「なんだ、オメガって……わけのわからん単語を使うな」

俺は御子柴にアルファ、ベータ、オメガの話をした。なんだか数学の授業をしている気分だ。御子柴は俺の話を聞いてぽかんとしている。
「男が、にんしん?」
「信じられないだろうけど、そうだ」
「そ、そんな……じゃあ、俺、さっきみたいな大男にやられるのか?」
御子柴は真っ青になっている。また気を失うのではないかと心配になった。御子柴を安心させたいのは山々だが、そんなことはない、と言えなかった。アドラスはとんでもなく手が早い。それに、御子柴を気に入ったようだった。まさか、番いにしようとはしないだろうが。御子柴は膝を抱えてつぶやいた。
「中学の時、男好きの先輩に襲われそうになったんだよ。それ以来、ゲイもののAVのパッケージとか見るのすらだめなんだ」
つまり、御子柴からしたら、この世界は最悪だということだ。御子柴は拳を握りしめ、ベッドを殴りつけた。
「どうしてだ! あの日から、俺は運動も勉強も、誰にも負けないよう、日々邁進してきたんだ。なのに、なんでまた男に狙われるんだ!」
「そりゃあ、そういう体質だからとしか言いようがないな」

俺は向こうにいたとき、男に迫られたことなんてないんだが……。唯一、七瀬に好きだ、と言われたが、あれってそういう意味だったのだろうか。胸が痛くなった俺は回想を打ち切り、毛布をかぶってぐすぐす泣いている御子柴に声をかける。
「落ち着けよ。数日すれば、帰る準備ができる。アドラスには俺が手出しさせないから」
「す、数日? なんでそんなにかかるんだ。今すぐ俺を帰せ!」
御子柴は二メートルの制約を打ち破り、俺の襟首を掴んだ。こっちの言葉によって表情がころころ変わる。これはアドラスのいい餌食かもしれない……。こいつ、こんなんでよく今まで刑事をやれていたな。そんなことを思っていたが、ノックの音が響いた。御子柴がびくりと肩を震わせる。
「なにっ、夜這いか!?」
「違うだろ……」
ドアを開けると、シエルが立っていた。彼は手にしていたお盆を俺に差し出した。
「あの、ケーキを焼いたんです。よかったら、新しくこられた方に」
俺がお盆を受け取ると、シエルは室内にひょこっと顔をのぞかせ、御子柴の方を見た。御子柴は一瞬怯えたが、そこにいたのが小柄な少年だと気づいてほっとする。

「倒れられたと聞きましたが、大丈夫ですか?」
「ああ……平気だ」
そう言って目をこする御子柴は平気そうには見えなかった。シエルは御子柴に微笑みかけた。
「びっくりすることもあると思いますが、みなさん、基本的にはいい方ですので。安心してください」
御子柴はシエルを見送って、俺に尋ねる。
「……誰だ、あれ」
「シエルだよ。かわいいだろ」
「男だろ」

わかってないな、こいつは。男でもかわいいものはかわいいのだ。御子柴はおそるおそるケーキを突いていた。シエルがなにか盛るとでも思っているのか? 俺は肩をすくめ、ケーキにフォークを入れた。俺が食べるのを見て、自分も口をつける気になったらしい。彼はケーキを一口食べて、目を輝かせる。そして、ばくばくと食べ始める。そういえばこいつ、甘いものが好きだったな。ケーキを完食した御子柴は、落ち着いた表情になって、部屋を見回した。
「随分優雅な生活をしてるんだな、おまえ」
「まあ、デカ部屋でカップラーメンすすってたときとは違うな」
御子柴は膨れた腹を撫でた。
「上げ膳据え膳に、広くて小綺麗な部屋。安月給でこき使われることもない。おまえがここに長居するのも、無理ないな」
その言葉には皮肉が混じっていた。こいつを置いてけぼりにして、こんな場所でのんきに暮らしてるんだから無理もないだろう。
「……帰ろうとしたんだ。でもできなかった」
俺の脳裏に、ニールの姿が思い浮かんだ。顔を熱くした俺を見て、御子柴が眉を潜めた。

「なに赤くなってるんだ」
「いや、向こうは、どうだ?」
「おまえが急にいなくなって、大騒ぎになってるよ。消える前に、柏木組を追ってただろう。組に一斉取り調べがかけられた。おまえが殺されて、どっかに埋められてるんじゃないかってな」
なるほど、俺は死んだことになっているのか。だが、死体は一生見つからないだろう。俺は御子柴をじっと見つめて口を開いた。
「御子柴……俺は、七瀬を殺した男は、警察内部にいるんじゃないかって思ってる」
「警察? 何いってんだ。どうして警察官が、仲間である七瀬を殺すんだ?」

それはわからない。だが――。
「柏木組を探って、なにか出たか」
「いや……おまえも知ってるだろ。限りなく怪しいのに、証拠が出てない」
一番の証拠としては、七瀬を撃った凶器だが、すでに破棄してしまっているだろう。そうなると、足取りを追うのは難しい。すでに事件から5年が経過しているのだ。
「はっきりしてるのは、こんなとこで男相手に盛ってても、なんにもならないってことだ」
御子柴は俺を見つめ、両肩に手を置いてきた。その瞳からは、さっきまでの怯えは消えていた。
「俺はこんなわけのわからん世界に来たくなかった。だけど、おまえがいるなら、別だ」
どうして御子柴がここに来たのか――俺が、呼んだからなのか?御子柴は、俺の肩を掴む力を強くした。
「俺はおまえと相棒に戻りたい。俺と一緒に帰ろう、八束」

俺は手のひらでボールを転がしていた。足元では早く投げろといわんばかりに、まるが飛び跳ねている。御子柴は、転移の日まで部屋から出ない気らしかった。初日でこの世界の危険さを学ぶとは、あいつはやっぱり俺より数段賢いと思う。ぼんやりしていたら、アドラスが声をかけてきた。
「なあ、あのミコシバってやつは?」
「おまえに怯えて、部屋から出てこない」
「なんだ、つまらないな。せっかく楽しめそうだったのに」
「あのな、あいつはあんたの玩具じゃないぞ」
俺は呆れた顔でアドラスを見上げる。アドラスは俺の手からボールをうばって、投げた。まるが待ちわびていたように、ボールを追いかけて走っていく。アドラスはまるの後ろ姿を見ながらつぶやく。
「アルファってのはな、犬と一緒だ」
「は?」
「ボールを投げられると条件反射で走っちまうだろ。あれと同じで、オメガを見ると触りたくなる」
「あんただけだろう、それは」
「陛下が稀なんだよ。ヤツカちゃんにしか興味がないんだからな」

その時、ボールを持って戻ってきたまるがわんっと吠えた。まるの視線を追って背後を振り向くと、ヤハウェが立っていた。
「どうした、補佐官様。俺に会いに来たのか」
ヤハウェは伸びてきたアドラスの手を、素早く叩き落とした。俺はその機敏な動きに感心した。こいつ、意外と武術の心得があるのか?
「武道大会の件で、会議があります。出席してください。アドラス騎士団長」
「ああ、なんだ。仕事の話かよ」
「他にあなたと話すことなどありません」
「つれないねえ。――じゃあな、ヤツカちゃん。ミコシバによろしく」

アドラスは俺に手を振って、ヤハウェと一緒に歩いていく。アドラスは何かと言えばちょっかいをかけようとしていたが、ヤハウェは鉄壁の守りで全く触れさせなかった。先程言っていた通り、オメガを見ると触りたくなるというのは本当らしい。そう考えたら、アルファも因果な生き物だよなあ。しみじみ思っていると、ボールをくわえたまるが、きゅんきゅんと鳴いた。
「ああ、悪かったな。ほら」

俺はまるの口からボールを取って投げた。猛ダッシュでボールを取りに行くまるの姿は可愛らしい。アルファは犬みたいなもん――か。本当にそんなに単純だったら、苦労しないんだがな。
ニールへの誕生日プレゼントを考えたが、思いつかず、結局渡せていない。あいつの欲しいものなんて予想もつかないのだ。まさか、ボールを渡して喜ぶわけもないし。そういえば、ゲイものの写真集があったな。あれを渡そうか。たしか、ヨグのところに保管してあるはずだ。研究室に向かうと、ヨグとダニエルの姿が見えた。ダニエルが何かと話しかけても、ヨグは無反応だ。なんだか入りづらいな。そう思っていたら、ヨグがこっちを見た。

「ヤツカ。どうかしたかね」
「ええと、雑誌、見ていいか」
「いいよ。そこに積んである」
ヨグはそう言って、部屋の隅を指差した。俺は写真集を探しつつ、ヨグとダニエルの様子を伺った。全く相手にされていないが、ダニエルは笑顔でヨグに話しかけている。
「じゃあ、また来るね」
ダニエルがそう言って踵を返した。ヨグが立ち上がって、ダニエルを手招くとすぐに引き返してくる。
「来なくていい」
その言葉に、ダニエルが悲しげな表情を浮かべた。うわ……めちゃくちゃ気まずいぞ。早く部屋を出よう。写真集を手に部屋を出ようとしたら、ヨグが眼鏡を外し、ダニエルに口づけた。ぎょっとしているのは俺だけではなかった。ダニエルもポカンとしている。ヨグは眼鏡をかけ直して、顎をしゃくる。

「ハウス」
ダニエルは夢見心地で部屋を出ていった。どこかにぶつかったのか、廊下から痛そうな音が聞こえてくる。俺は動揺しながらヨグに尋ねた。
「おい、ヨグ……どういう心境の変化だ?」
「何も変化してないよ。あいつは暴走すると面倒だからね。適当に相手していればおとなしい」
「犬じゃないんだから……」
いや、アドラスいわくアルファは犬みたいなものらしいから、この対応は正解なのか?ヨグは俺が手にした写真集を指差した。
「ところでそれ、どうするんだい。興味がないって置いていったものだろう」
「ああ、ニールにやろうかなって思って。あいつ、誕生日だから」
安曇カナには関心がなくても、男の写真なら反応するだろうと思った。ヨグはへえ、と相づちを打って、作業に戻った。アルファであるダニエルにキスしても、彼は普段通りに見えた。こいつって発情期とか来るのかな……。そういえば、俺にも来てないな。各々、個体差というのがあるのかもしれない。その夜、俺は写真集を手にニールの部屋に向かった。ニールはベッドに腰掛けて、写真集をめくっている。その様子は、安曇カナの写真集を見ているときより集中しているように見えた。俺はニールの顔を覗き込んだ。

「どうだ? 気に入ったか」
「……この服はなんというんだ」
「ああ、警察官の制服だよ。こんな状況ありえないけどな」
俺はそう言って笑った。ニールはベッド脇に置かれた包みを取り出し、俺に差し出した。それが警察官の制服だったのでぎょっとする。
「な、なぜこれを?」
「ヨグがくれた。誕生日プレゼントだと」
ヨグめ、無関心な顔をしていたくせに、余計なことを。制服を手にしたニールがじりじり近づいてくる。その瞳にはかすかに興奮が滲んでいた。俺は顔をひきつらせ、後ずさる。
「おい、何考えてるんだ」
「これを着て、写真と同じことをしようという意味ではないのか?」
「違う、そういうことじゃない、っ」
俺の否定の言葉は口づけでかき消された。
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