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バレンタインは鬼門です(後)

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「見てください、セーレさま。これ、おいしそう」
 リディアが目を輝かせて、ショーケースに並ぶチョコレートを見る。私はそんなリディアを困惑しながら見た。
「……アーカードはよかったの?」
「いいんです。アーカードさまは、セーレさまの悪口ばかり言うんだもの」
 リディアはそう言って赤いリボンを揺らした。

「仕方ないわ、彼にしたら、私は邪魔なだけなんだから」
 彼女はじ、とこちらを見た。
「……セーレさま、なぜ悪人のふりを?」
「昔からね」
 私はショーケースの中にある、チョコレートのお城を眺めた。
「何をしても悪くとられるの。神様に嫌われてるんだと思う」
「だからって、悪く振る舞うこと、ないのに」
「こういう、役割なの。人間には生まれた時からそれぞれ役割があって」

 チョコレートのお城には、マジパンでつくられた王子様とお姫様がいる。お城の下には、イバラに捕らえられた魔女。魔女がどうして魔女になったかなんて、誰も気にしない。悪い魔女は、誰にも助けてもらえない。

「私はこの魔女みたいなもの」
「そんなこと、ない」
 リディアがこちらを見つめた。
「生まれた時から運命が決まってるなんて、あり得ない」
まっすぐな瞳。この瞳に、このゲームに出て来る男の子たちは恋をするんだ。
「……ありがとう」
 私が微笑んだ、その時。

「セーレさま!」
 げ。
 取り巻きの女の子たちが、ぞろぞろやってくる。ああ、いつもこうなる。これが、強制力。

「ああらリディア。庶民がこんな店に何の用?」
「そうよ。この店は会員じゃなきゃ入れないのよ」
「私は、セーレさまと一緒に見ていただけで」
「あなた、自分の立場をわかってるの?」
 ああ、まずい。

「やめなさい」
「そうよ、セーレさまがどんなお気持ちかわかってるの」
 ひとりがリディアの肩を掴んだ。
「やめなさい!」

 皆がはっとしてこちらを見る。私は余裕をもった笑みを浮かべ、
「リディア、あのチョコレートが総額いくらするかわかる?」
「いえ」
「あなたのひと月の生活費……いえ、もっとかもしれないわね」

 リディアは困惑した目でこちらを見ている。
「たとえ私が誰かにチョコレートを贈るとして、あなたみたいに貧乏くさく手作りするなんてあり得ないのよ。わかる?」
 その瞬間、リディアが不思議な表情になった。なにかを悟ったような、それでいて苦しげな、顔。
「……ええ、セーレさま」

 失礼します。そう言って頭を下げ、リボンを翻して歩いていく。私たちは仲良くなんかなれない。なにも知らないのに、それを理解した、リディアは賢い。ただ、理解できたからといって、傷つかないわけではない。

 私は存在しているだけで誰かを傷つけているから、悪役令嬢って呼ばれるのだ。あの、イバラに囚われた魔女のように。だから、幸せになんてなれないのだ。
「なんなのかしら、あの子」
 その言葉には答えず、私はただ、行きましょう、と答えた。


 ☆


 バレンタイン当日、私はレイに渡す用のチョコレートを鞄に入れ、登校した。一応手作りだ──作っているところを父に見られ、菓子の試作品だと嘘をついたりした──が、溶かして固めただけだし、さして美味しくはないだろう。
 いざ渡すとなると、なんだか緊張してくる。

 これは、婚約者に対する礼儀であって、べつに深い意味は……。悶々としながら歩いていたら、あぶない、という声がした。
「え」

 見上げると、こちらにサッカーボールが飛んでくるのが見えた。とっさのことだったのでバランスを崩し、鞄の上に尻餅をついた。ばきっ。

 ──あ、なんか、嫌な音が。慌てて通学鞄を開いたら、チョコレートが入った箱がひしゃげていた。
「すいません、大丈夫ですか!?」
 走ってきた男子生徒は、私を認めるなりひ、と声をもらした。

「せ、セーレさま! 申し訳ありません!」
 私はスカートを払い、サッカーボールを差し出した。

「気にしないで」
 彼は私の言葉など聞こえていないのか、ガタガタ震えている。
「こ、殺さないでください……!」
 だから殺さないから。私は肩をすくめ、怯える男子生徒にじゃあ、と言い、歩き出す。

「せ、セーレさまが静かに怒ってらっしゃるぞ」
「あいつ、死んだな」
 その時私は怒っていたわけではなく──単純にどうしよう……と思っていた。


 教室に向かうと、なんだかそわそわした空気が流れていた。ああ、バレンタインだなあ、という感じである。
 まだ来ていないレイの机には、大量のチョコレートが崩れんばかりに置いてあった。まるでお布施である。アーカードも女の子に囲まれていた。
 ちら、とリディアを見たら、彼女もこちらを見ていて、思わず目をそらす。

 鞄からこっそりとひしゃげた箱を取り出して眺めた。

 割れたチョコレートなんか、誰も欲しくないだろう。 
 忘れたことにして、また明日渡せばいいか……鞄にしまいなおそうとしたら、ふ、と影が落ちた。

「それ、俺の?」
「っ!?」
 いつの間にか背後に立っていたレイが、こちらを覗き込んでいた。心臓が一瞬ではねあがる。

「な、なななんですの、いきなり後ろに立たないでください」
「チョコレート、ちょうだい」
 私はチョコレートを後ろ手にし、
「これは、違います」
「違うの? じゃあなに?」

 立ち上がって後ずさった私に、レイがじりじり近づいてくる。周りはポカンとした顔でこちらを見ていた。

「これは、そう、豚の餌ですわ!」
「ぶた?」
 周りがざわついた。ぶた……ぶた……そんな囁きが広がる。
「ええ、だから食べたらお腹を壊します」
「俺丈夫だから平気」

 後ずさりすぎた私は、ロッカーに背中をぶつけた。
「いた」
 拍子で、ロッカーに乗っていた段ボール箱が落ちて来て、頭に直撃する。 

「いたっ」
 私が頭を押さえて呻くと、レイがくすくす笑った。
「セーレ、かわいい」
「~っ」
 私は真っ赤になって、レイにチョコレートを押し付けて走り去った。


 ☆


 裏庭のベンチに座り込んでいたら、さくさくと足音がした。私はびくりとして、慌てて東屋の柱の背後に隠れる。
「セーレ」
 どくどく心臓が鳴っている。できるだけ息を止め、柱と同化しようと努力していたら、柱の脇からひょい、とレイが顔を出した。

「ぎゃあ」
「足見えてるよ」
「な、なんですの」
「授業はじまるよ。戻ろう」
「一限目は休みます」
「だめだよ、サボったら」

 自分だっていつも寝ているくせに。レイは私をじ、と見て、
「チョコレート、渡したくなかった? だから、いやがったの?」
「……割れてるんです」
「え?」

「鞄をおとした拍子に割れてしまって、その、ごめんなさい」
「なんだ、そんなことか」
 そんなことって。
「初めて、作ったのに」
「ほんと?」

 俺が初めて? レイが嬉しそうに尋ねてくる。そう、初めてだった。こんな気持ちになるのも。この世界で、なんの先入観もなく自分をまっすぐ見てくれる人に会えたのも。初めてだった。だから。

「あなたといると、私、変なんです」
 レイといると、強制力なんて、ないように思える。もしかして、私でも幸せになれるんじゃないかって──。
 ぱきり、と音がして、チョコレートが差し出された。

「チョコレートたべる?」
 唇にチョコレートが触れた。
「ん」
 レイの指先が少しだけ唇にさわったので、ぴく、と肩を揺らす。
 じっと見つめられ、顔を赤らめたら、海のような、青い瞳が緩んだ。
 指が引いていくと、なんだかホッとする。

 レイはチョコレートをもぐもぐ食べながら、
「美味しいね」
「……はい」
 こういうのを、幸せの味っていうのかもしれない。


 ☆


 レイと共に教室に戻ると、やけに生温い視線が飛んで来た。
「セーレさまって意外と純情でらっしゃるのね」
「先ほどのセーレさまは別人でしたわ」
「もしかしてあっちが素だったりして……」
 ひそひそと話す声に、私はいたたまれずに俯く。そんな私を、レイが背後からむぎゅ、と抱きしめてきた。

「ひ! れ、レイさま、離していただけますか」
「だめ。セーレがかわいいって、みんなが知っちゃったから、悪い虫がつかないように見張る」
「訳がわからない!」

 私は真っ赤になってもがいた。リディアとアーカードがポカンとした顔でこちらを見ている。

「あの2人、付き合ってるのか?」
「確か婚約してるんだろ」
「アースベルはバーネットの資産目当てか……」

 ひそひそ洩れ聞こえてくる話を総合すると、「レイはセーレに調教され服従している」ことになったらしい。バレンタインのチョコで男を手なづけて手玉にとる悪女。また誤ったイメージができあがってしまった。というか、調教って。

「なんであなたにだけ強制力が効かないんですか……」
 呻いた私に、レイが首を傾げた。
「よくわかんないけど、セーレがすきだから?」

 だから、そもそもそれが変だ。リディアをすきになる強制力が、働くべきなのに。私は顔を赤らめてつぶやいた。
「あなたはほんとに、攻略キャラ失格です」
「?」

 その攻略キャラに恋してしまった私は──やっぱり悪役令嬢には向いていないのだ。
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