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バレンタインは鬼門です(前)

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 この世界にはみえない強制力がある。
 なにをしようが悪は悪、善は善。そんな強制力が強い世界の中、私は「悪」として生まれてしまった──。

 黒塗りの車が校門前に止まる。ドアを開けてくれた運転手に礼を言い、私は車から降り立った。
「まあ、見て。セーレ様よ」
 ひそひそ声の聞こえる中、私は歩いていく。なびく長髪、切れ長の目元や薄い唇は、整ってはいるが可愛らしさにかける。

 私はセーレ・バーネット。乙女ゲーム「真紅のリディア」における悪役の立場にある。なぜそんなことを知っているかというと。
 私はこの世界に生まれる前──日本の女子校生だったころ、今いる世界観ままの、「真紅のリディア」をプレイした覚えがあるからだ。

 つまり、私は新たに生まれ変わった──そういうわけである。
 そんなこと、あり得るのか。普通ならそう思うだろう。あり得るのだ、これが。

 私はこの世界で、没落する運命にある。そう、シナリオ通りに行けば。婚約者のアーカードに振られ、それによって逆上した父親がヒロインのリディアをさらう。そんなシナリオだ。

 一応父親の犯罪者フラグは消えたけど、なぜか、私は何をしても「悪巧みをする冷酷なお嬢さま」扱いされるのだ。例えば──目の前を歩いていた少女が、ハンカチを落とした。あら、ハンカチが。私は身をかがめ、ハンカチを拾い上げた。

「あなた、ハンカチを落としたわよ」
 少女の肩をポン、と叩いたら、周りがざわついた。
「あ、あの子、セーレさまにハンカチを拾わせるなんて……!」
「命が惜しくないのか……」

 いや、ハンカチを拾っただけなんだけど。なぜ命がどうこういう話になるのかしら。
「あ、ああありがとうございます!」
 女の子は震えながらハンカチを受け取り、だっ、と駆けて行った。

「なあ、聞いたか、転校生のリディア・ガーネットがセーレ様からアーカードを奪ったって。婚約を解消したそうだぞ」
「なんて命知らずな子なの。死にたいのかしら」

 ひそひそ囁かれる声に、私は内心でため息をついた。なぜ簡単に人を殺すと思われているのか、それが謎だ。ウチはただの製菓工場なんだけど。このように、昔から何をしても悪い風にとられてしまう。呪われているのかもしれないな……私は遠い目をした。

 実際には、悪巧みをしているごとく、目を細めているように見えただけだろうが。


 教室に向かうと、取り巻きの女の子たちがわあっ、と寄ってくる。彼女たちは頰を染め、一斉に私を褒めそやした。
「セーレさま、おはようございます。お鞄、お持ちしますわ」
「今日もお綺麗ですわ」
「髪の艶も申し分なくて」
「セーレさまより魅力的な女性はこの世界には存在しませんわね」

 これ以上持ち上げられることはないだろう、ってくらい、女の子たちが目を輝かせて私を褒め称える。正直やめてほしい……目立ってるし。見られてるし。恥ずかしいし。でも、「やめて」というと、間違いなく真っ青になって平謝りしまくるだろうし。私は当然という顔で「ありがとう」と言うしかないのだ。

「そういえばセーレさま、もうすぐバレンタインですわね」
「え? ああ、そうね」

 日本人が作った設定だからか、西洋風ファンタジーの世界観なのに、バレンタインにはチョコレートをあげる習慣なのだ。でも、チョコレートを渡すのって、日本だけなんじゃないだろうか。

「セーレさまはどなたかにお渡しになりますの?」
 そう尋ねてきた女の子を、他の子が慌ててとどめる。そして小声で、
「セーレさまはこないだ婚約を解消されたばかりでしょう!」

 いや、小声でもはっきり聞こえてますけど。女の子はさあっと青ざめ、
「あっ……も、申し訳ありません!」
「いいのよ。気にしてないわ」
 ほんとうにそうだったのだが、多分通じなかった。彼女たちは一生懸命私を慰める。

「そ、そうですよね。アーカードさまは見る目がないんですわ、リディアなんかに現を抜かすなんて」
「そうですわ! あんな凡人に」
 いや、リディアはすごく可愛いから……彼女が凡人扱いされているのも、「強制力」ゆえなのだろうか? 

 私は窓辺に座るリディアをちら、と見た。黒髪につけた赤いリボン。黒目がちの瞳に、小さな唇。まさにヒロインといった様子のリディアは大層かわいい。どうせなら、あんな女の子に生まれ変わりたかった……。

「セーレさまがリディアを睨んでいるわ……」
「やっぱり気にくわないのよ、あんな凡庸な子がアーカードさまと」

 だから、ひそひそ声が大きいよ。
 悪役令嬢の私は、羨望の眼差しを送っても、そんな風に勘違いされるのだ。
 やれやれである。

 そして──ゲームの登場人物はもう一人いる。私は、窓側の一番後ろが空席なのに気づいた。
 彼はまだ来ていないのだろうか。この世界のなかで唯一のイレギュラー、レイ・アースベルは。


 ☆



 放課後、私は取り巻き少女たちの包囲網を振り切り、ひとり裏庭に来ていた。
「はあー」
 ため息をついて、伸びをする。本でも読もうかとおもい、ページを開いた。ちなみに、今読んでいるのは小難しい理論書だ。

 図書室で恋愛小説を探していたら、案の定周りから「あのセーレさまが借りるのはどんな本だ」「きっと難解な学術書に違いない」みたいな視線が飛んで来たので、やむおえず手近にあった理論書に手を伸ばした。我ながらヘタレである。

 パラパラとめくるが、まるで頭に入らない。すると、いきなりページに影が落ちた。

「セーレ」
「っ」
 こちらを覗きこむ、深い海色の瞳。額に落ちる、陽に輝く艶やかな銀髪。まるで人形みたいな顔だちのレイに、私は心臓を跳ねさせた。

「れ、レイさま、いきなり現れないでください」
「おはよ」 
「おはようございます……」

 彼は私の隣に座り、懐から出した飴を舐め始める。傍らには、学校指定の鞄があった。
「いまいらしたの?」
「うん。寝坊した」

 彼はいついかなる時でも眠りにつける、という特技がある。逆に言えば、いつでも眠そうなのだ。私は呆れ気味にレイを見て、本をめくった。

「ねえ、セーレ」
「なんですか?」
「あの雲、魚みたい」

 彼はそう言って空を指差した。そのあと、ぼんやりした瞳をこちらを向ける。同意してほしいのだろうか。
「え、ええ……そうですわね」
 頷いたら、にこ、と笑った。そうして、また飴を舐め始める。なにこの独特のテンポは。どうもこの人といると、調子が狂うのだ。

「ねえ、セーレ」
 今度はなに。
「俺たち婚約者だよね」
「……親が勝手に決めた、ですが」

 私は以前、アーカードの婚約者だった。それが破談になり、いまレイとの婚約が結ばれかけているのだ。しかし、これは無効になると思う。私とレイが結ばれるなんて、絶対にありえないのだから。だってレイは攻略対象キャラ。リディアを好きになるはずだ。

「チョコレートくれる?」
「はい?」
「恋人は、バレンタインにチョコレートをあげるんだよね」
「恋人ではないでしょう、私たちは」
「でも婚約者だよ」
 じりじり近づいてきたレイから、私は後ずさる。

「ち、チョコレートがほしいなら、ご自分で買われたらいかがですか」
「やだ、セーレがくれたのがいい」
 もう後ずされなくなって、私は本をかざした。その影から叫ぶ。
「わかりましたから!」
 チョコレート、用意します。そう言ったら、レイが目を輝かせた。
「ほんと?」
「はい、だから離れてください、強制力がっ……」
「なにそれ」

 彼は首を傾げ、身を引いた。私はほ、と息を吐く。考えてみたら、男の子にチョコレートあげるのなんて、初めてなんだけど。

「楽しみだな」
「レイさま、そんなにチョコレートがお好きだったんですか?」
「違うよ。チョコレートじゃなくて、セーレがすきなんだ」

 なぜ恥ずかしげもなく、そんなことが言えるのですかあなたは……私は真っ赤になって、本で顔を隠した。


 ☆


「ええと、おかし作り……と」
 私は図書室で、菓子作り用の本を探していた。これも将来のため──あれば──だ。
 あ、あった。手を伸ばし、冊子を取ろうとしたら、誰かの手とかち合う。赤いリボンがひらりと揺れた。

「あ、セーレさま」
「リディア」
「セーレさまも、どなたかにチョコレートを?」
「まさか。そんなわけないでしょう?」

 内心テンパりながら、私は悪役令嬢よろしく口元を緩める。私とリディアが一緒にいるだけで、図書室になんとなく緊張感が走った。私とリディアは、世間じゃ恋敵ということになっているのだ。じゃあ。そう言って歩き出そうとしたら、呼び止められる。
「あの!」

 あの娘、セーレさまを呼び止めたぞ。なんてことだ。そう言いたげに、図書室がざわつく。もう、なんなの? 
「なにかしら」
「あの……チョコレート、一緒に作りませんか?」

 まさかの申し出に、私はびくりとした。な、なんてことを言いだすのだ、この子は。また図書室内がざわつく。
「まさか……セーレさまと張り合おうっていうのか、あの子」
「セーレさまに勝てるわけがないのに」
「無謀だ。まさか死にたいのか……」
 だから、なんで生き死にの話になる!? しかも話が別方向にいってる。

 私は顔が引きつらないよう気をつけながら、リディアを見た。
「なんで私があなたと?」
「あなたは、悪い人に思えないから」

 その言葉に、胸が軋んだ。リディアに、話してしまおうか。私が、どうしてこんなふうに振舞っているか。この子なら、わかってくれそうな気がした。口を開きかけたとき、リディアの前に誰かが立った。

「あ、アーカードさま」
「リディアに何か用か、セーレ」
 アーカードは鋭い瞳でこちらをみていた。控えめに言って、彼は私を嫌っている。

「べつに、用なんてありませんわ。その子が話しかけてきたのよ」
「もう君は俺の婚約者じゃない。リディアには近づくな」

 アーカードはリディアの肩を抱いて、さあ、と促した。リディアがそれを押しのける。

「いまセーレさまと話してるんです、邪魔しないでくださいっ」
「り、リディア?」

 彼女は私の手を取り、行きましょう、と言った。え? ポカンとしている野次馬たちの視線を感じながら、私はリディアと共に図書室を出た。
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