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一章

13.元神子は焦っているようです

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 元々化身は瘴気に侵されやすい。普通に過ごしていても瘴気が溜まっていく。他にも、化身の精神状況が悪いと急激に瘴気が溜まることもある。
 今、なにかの理由でセルデアの精神状況が不安定だと想定しても、先程まで瘴気など視えなかったのに、ここまで濃くなるなんて有り得るのか。
 予想外の状況に動揺と混乱するが、昔一度だけ急激に瘴気が増したことがあったことを思い出した。
 ──それは、俺が王城のテラスで、元神様の操っていた瘴気を壊した時だ。
 逃げるように四散した瘴気は、そのままセルデアに引き寄せられていった。そして、神堕ち寸前まで瘴気が濃くなった。
 ……もしかしてセルデアは、瘴気を引き寄せやすいのか?
 はっと気付いて、先程頭と四肢を斬り捨てた狼を視る。すると、案の定その狼の死体からは瘴気が消えていた。
 まずい。肉体を操れない程に崩壊すると瘴気は一旦離れるのか。
 そして、離れた瘴気は……セルデアに引き寄せられている!

「……セルデア、今すぐここから離れるぞ」
「なにを」
「瘴気に侵され始めているって、自分でもわかっているだろ」
「……」

 セルデアは、眉を顰めながら唇をぎゅっと一文字に結んだ。
 騎士達も、獣達に慣れ始めている。先程まで狼狽えていた様子も消え、冷静に獣を撃退している。
 つまり、このままでは獣達はどんどん狩られていき、その度に瘴気はセルデアへ引き寄せられていく可能性がある。
 今の俺に神子の力は使えない。浄化もしてやれない状況で、取り返しのつかない程に瘴気が濃くなったらセルデアを助ける術がない。
 騎士達を置いて逃げるような形になってしまうが、この国の客人であるセルデアが退避するのは悪いことではないはずだ。
 腹部に回されている腕を強めに掴んで、紫水晶のような瞳を真っ直ぐ覗き込む。しかし、セルデアは瞳を逸らすことなく、頭を横に振った。

「駄目だ。今、彼らを置いてはいけない」
「お前っ!」

 半分予想していた返答ではあったが、俺の声は咎めるような口調になってしまう。ぐっと息を飲みこみ、荒げようとした声を寸前で止める。
 ダメだ。落ち着け。高ぶる感情を押し殺し、声量を小さくするよう意識する。

「だめな理由は、何だ?」
「私がこの場から去ることで、眷属の動きは鈍り、隊列も乱れる。そうすれば怪我する者もでるだろう」
「……このまま瘴気を取り込み続けたら、今のお前にどんな影響があるかわからないんだぞ」
「──それでも、今は彼らの身は優先されるべきだ」

 思った通りの言葉に、俺は奥歯をぐっと噛みしめる。
 知っていた、わかっていた。
 これはセルデアの悪癖だ。
 セルデアは自分自身に関する執着が限りなく薄い。
 基本的にセルデアは化身や公爵家の当主として、相応しく他者に接する。特別扱いはせず、常に平等だ。善人には優しく、悪人には厳しい。
 そうやって、平等であり続けるために自分の意思は殺して生きてきたからだろう。もしかしたら、生まれた時から両親に化身として崇められたせいもあるかもしれない。
 セルデアの自己価値は、取り返しがつかない程に歪んでしまっていた。
 セルデアの中では見知らぬ善人が、自分よりずっと価値のある存在なのだ。自分の首元に剣が迫っている状況でも、こいつが考えるのは他者の幸福だ。
 だからこそ、屋敷内で俺が役に立とうとする度にああ言った。

『──私のために、貴方が動くことはないんだ』

 決して卑屈な訳ではない。自分の価値がないと悲観している訳ではない。
 ただセルデアは純粋に心の底から、自分よりも他者が尊く価値あるものだと確信している。
 だからこそ、この状況で自分の身を守るために逃げるなんてことはしない。
 ああくそ、なんでこんな男が悪役顔なのかと八つ当たり気味に腹が立ってくる。

「それに彼らと離れてから、私に何かあった場合、貴方を守る者がいなくなる。それだけは絶対に避けなければならない」
「……」

 現状、この場にいる面子の中で一番の弱者は確かに俺だ。そして、セルデアが唯一特別扱いする相手でもある。
 自惚れているようで恥ずかしくはあるが、セルデアの全てを壊してしまうのが俺自身だということは自覚している。
 あれほど平等さを持つセルデアが、俺が関われば今守ろうとしている彼らを打ち倒しても俺を優先する。
 それが化身の性質だ。
 しかし、それでも俺はこいつに言いたいことがあった。

「……俺は」

 言葉を続けようとした、その時だ。
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