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三十一羽 美しき刃①

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「──!」
「はあ? いきなり何よ、うるさいわねぇ」

 マトバが刃を振りかざした先には、自身をも映し出す氷の剣があった。

「わたくし、ちょっと機嫌がわるいの。冗談なら受け付けないわよ」

 氷晶を凝縮した刃。
 再びそれを欠片へと戻すと、手元にはまるで元々何もなかったかのように消えた。

「もちろん冗談ではない。それがしは、凍晶妃とうしょうひ──貴殿へと勝負を申し込みたいのだ!」
「いやよ。服が汚れるじゃない」

 即答するミララクラ。
 始まってもない恋路を邪魔され気が立っているものの、その心は一刻も早くカルナシオンの元へ向かいたいのであった。

「だいたい、いきなり押し掛けてなんなわけ? 相手の迷惑を考えたらどう?」

 自らの行いをかえりみることができないのが、彼女とカルナシオンを別つ原因なのかもしれない。

「……竜王の一角、『創炎そうえん』の名を冠する炎竜に挑んだとか」
「ああ、あいつ? まあね」
「ふむ、やはり。……生還しているのは、さすがと言うべきか」
「生還っていうか……」

 ミララクラは、二人してカルナシオンにボコされた時のことを思い出す。

「人間との大戦もない今、高みに挑むとは竜王のような存在に挑むことに他ならない。某は一介の武人として、貴殿の挑戦に深く感銘を受けた」
「あらそう。勝手に感銘とやらを受ければいいじゃない」
「その魔族たる姿、近年はなかなか見られぬものとなった。……某は、誠に残念に思う」
「……ふぅん?」

 ミララクラは、確かについ最近まで同様のことを思っていた。
 マトバの言い分も分からないでもないと感じる。

「……でも、わたくしと刃を交えたからといって、現状がどうなるわけでもないわ」
「そのとおりではある。だが、──分かるだろう?」

 きん、と一度刀をさやに納めるマトバ。
 しかしその眼にたぎる闘志は、いぜん熱く燃やしたままだ。

「高みを目指すことこそ、我らの……武人のさがなり!」
「……はあ」

 仕方ない、と言いたげにため息をつくと、ミララクラは自分の背後に氷塊ひょうかいを作り出した。

「……美しさって、いろいろあると思わない?」
「?」
「あなたにとって美しさとは──強さなのね」
「左様。そして、それは貴殿も同じこと」
「……仕方ないわねぇ、……新たな一面──見せてあげる!」

 ミララクラは人間であるカルナシオンと出会って、初めて知った。
 圧倒的な力量差を前にした時の絶望。それを映し出す自分の顔。

 かつて、強さこそ美しさであると信じていたミララクラは、今の姿からは想像もできないほど感情を表さない者だった。
 喜怒哀楽。それすらも手元を狂わせ、自らが思い描く剣閃の邪魔になると。
 氷のように澄んだ無我の境地へと至り、『自分』という存在を決して折れることのない刃に例えていた。

「はあ、これって結構疲れるのよね」

 ミララクラは、くるりと回り氷塊に自分を映し出す。
 そこにはいつもの自分の姿。
 喜び、悲しみ、怒り、悲しむこともある、武を極めた魔族とは思えない自分の姿。

「氷はたしかに砕け散る……けれど、また何度だって集えるの」

 言うと、ミララクラの全身が目の前の氷塊と同じものに包まれた。

「!」
「──よって、我が氷剣は誰にも折られぬ刃となる」

 ミララクラはカルナシオンに敗れたあと、一つ気付いたことがあった。
 それは、絶対に折れない刃を目指していた頃とは違う柔の気質を持つ。

 『折られても、また研ぎ澄ませばいい』。

 それは、自分が負けることなど考えない魔族らしからぬ考え方だった。
 カルナシオンは自分や炎竜を生かした。
 そして炎竜との再戦を、条件付きではあるが許している。
 絶対の力を持つ者は、敗者に再戦の機会をも与えるらしいのだ。

「さあ、はじめましょう?」

 氷塊は砕け、彼女に集う。
 柔らかな青色の髪は氷のかんざしに結い上げられ。
 晒していた肩や足には氷の装具。
 右手には、まるで水晶で出来たかのように透き通る氷剣。
 そして何より、頭部には前へと伸びる黒い両角が現れた。

「──絶冰鬼ぜっひょうきミララクラ、参る」

 かつてのその姿。
 階名を『凍晶妃』、通り名を『絶冰鬼』。
 一切の感情を排していたはずのその姿は、今や戦いを前にしても笑むほどの余裕をたたえる。
 氷のように閉ざしていた心は、炎竜よりもさらに猛き炎により溶かされていたのだった。

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