故国の仇が可哀想すぎて殺せない~愛は世界を救う。たぶん、~

百花

文字の大きさ
42 / 77

第四十二話 嫉妬

しおりを挟む

 いよいよ閉じ込められる季節が近いので、保存食の最終確認をする。
 乳製品や塩漬けの肉に小麦粉、瓶詰めのピクルス。その他諸々の細々した物まで全て目を通し、これならば三人が一冬越せそうだと胸を撫でおろす。
 雪が降った後でも運が良ければ鹿や猪が手に入る事があり、そうなれば多少の余裕を持てるだろう。
 そんな事を考えながら無意識の内に自分の唇を指で弄っていると、不意にこの間の光景が鮮明に脳裏に蘇った。

『愛してる。恐らくは貴女が思うよりも遥かに』

 浮かんだカシュパルの顔を何度消しても、頭から離れない。
 幼かったあの時さえ、私は終ぞカシュパルの外貌に慣れ切る事は出来なかった。
 今や歩くだけでも神官にさえ道を踏み外させかねない凶悪さである。そんな彼に誘惑され、全く何も思わないでいられる訳がない。
 だからこれは普通の事で、私がおかしい訳ではないのだと自分を慰める。
 再会してからカシュパルが露わにしてくる私への恋情に心が揺れ動いてしまうのは、彼のその特異性故なのだと。
 玄関の扉が叩かれる音がして、丁度考えていた人の声がする。

「セレナ、俺だ。開けてくれ」

 胸の内を聞かれたような気がして、少し肩が跳ねてしまう。顔を急いで取り繕い、扉を開ければエリーを両手で抱きかかえた仮面姿のカシュパルが立っていた。
 ざわり、胸が不快に騒めく。

「足を捻ったらしくてな」
「……そこまで大した事じゃないのだけれど」

 カシュパルは申し訳なさそうにしているエリーを彼女の寝室へと運び込みに行く。
 私は扉を開けてやり、エリーが無事に柔らかなベッドに置かれた所で、また台所へと踵を返す。
 カウンターの中で隠れる様にしゃがみこんだ。
 散歩の為にエリーが近所を歩くのは良くする事で、偶然カシュパルが助けただけなのだろう。カシュパルの腕力ならばエリーを抱き上げる事に心配もない。
 私が変な誤解などしている筈もない。
 けれど目にしてしまった光景がまるで夫婦のようで、それが私を不快にさせたのだとは認めたくなかった。

 だってそれは、嫉妬じゃないか。

 一度だってカシュパルの思いに応えようとした事はないくせに。
 自分の醜さが嫌だ。向けてくる愛情に胡坐をかき、いざ自分の物ではなくなる可能性に気がついた途端、こんなにも不快だった。
 昔はこうではなかった。カシュパルに恋人が出来た時の事を考えてみても、祝福する気持ちしかなかった。
 変わったのはいつからか。
 腕を掴まれて私がカシュパルに敵わないと自覚した時。その時から既に異変は始まっていたのだ。
 とある日の朝、私の傷を知って肩を這った指先を振り払えなかった。どれだけ自分が彼にとって大事であるかを、思い知らされてしまったから。
 家族でさえなかった。それよりも、もっと深い感情があるのだと初めて気がついた。
 重ねる日々の中でカシュパルの存在がじわりと私を浸食する。
一人で立っていた私を、甘やかして一人でいられなくさせようとする。
 積極的に好きでもない人付き合いをするのだって、私が煩わしい雑事に関わらなくて済むように自分が好奇心の囮になってくれているのだろう。
 そしてカシュパルの無数の傷を見た時、ただ只管に甘やかしてやりたくなってしまった。彼が望むものならば、なんだって叶えてやりたくなった。
 それが例え、私自身を望むような如何なる願いであっても。

「セレナ」

 カシュパルの呼びかけに顔を上げる。立ち上がれば、私を心配する彼の姿があった。

「体調でも悪いのか?」
「いや……大丈夫だ」

 不自然に長時間しゃがみこむ姿を見ていたらしい。誤解を解く為に首を横に振ったが、カシュパルは眉間に皺を寄せた。

「今日は俺が作ろう。休んでいてくれ」

 そう言うと腕をまくり、私の居場所を奪ってしまう。ぼうっとしてその姿を眺めていると、強引に椅子に座らせられた。

「本当に大丈夫なのだが」
「俺がそうしたいだけだ」

 カシュパルは私の言葉をあっさりと受け流し、手際よく夕飯の支度を始める。
 二人暮らししていた時も良く作ってくれていたので、腕前は間違いなかった。
 私は少しだらけた格好で椅子に座り、カシュパルの作業をただ見守るだけの仕事をする。
 太い血管の浮き出た大きな手が、細かく繊細に野菜を切っていく。
 背中を向けて頭上の棚から物を取る時、肩甲骨の浮き出た大きな背中が何故だかとても触れたくなってしまった。
 味見をする仕草さえ煽情的だった。動作の一つ一つがどうにも目が離せない。
 いよいよ私は自分の頭がおかしくなったに違いない。
 私の不躾な視線に文句も言わず、淡々とカシュパルは調理を進めていく。

「カシュパル」
「何だ」
「私の何処が、そんなに良いんだ?」

 望めば誰でも恋人に出来るだろうに、こんな面倒で女らしくない私を態々選ぶ理由が分からなかった。
 カシュパルは笑い、視線は手先に向けたまま話した。

「何処が……、そうだな。語ろうとすればいくらでもあるだろうが、意味ある事とは思えないな」
「どういう意味だ?」
「例えばセレナの髪より鮮やかな赤髪の持ち主が現れたとしても、セレナよりも美しいとは思わないだろう。例えば全ての孤児を救う女がいたとしても、俺はその優しさに心打たれる事はないだろう。理由などあってないようなものだ」

 語る口調は淡々としているのに、底抜けに優しく耳に届く。

「セレナだから全てに意味があり。セレナでなければそこに意味はない。恐らく、俺はそういう生き物だった」

 それは何処か諦めさえ感じるような、突き抜けた感情の言葉だった。
 私は自分が聞いた事にも関わらずたじろいでしまって、熱くなった頬を隠そうと頬杖をついて視線を逸らす。
 でも、それならば。どうやったらカシュパルは私を諦めるのだろう。
 沈黙しながら気がついてしまった難題に思考を巡らせていると、カシュパルが話しかけてきた。

「……困らせたか?」

 カシュパルを見ると手を止めて、気遣うようにこちらを見ていた。
 どうにも返答がし難く口籠ってしまっていると、彼は苦笑しながら口を開いた。

「嫌わないのであれば、同じ思いを返さなくてもいい。勿論今でも欲しくて堪らない感情は変わらないのだが。それよりも今はただ、貴女の重荷を軽くしたい」

 見えない何かが私の胸を締め上げる。そんな殊勝な事を私に聞かせて良いのか。
 都合よく使い倒されるだけになるかもしれないのに。
 私はカシュパルに自分の人生を顧みて欲しくて、強い言葉だと自覚しながら酷い事を言った。

「それで、私が他の人を愛したらどうするんだ」

 急に彼の纏う空気が重くなった。口角が深く吊り上がり、不穏な笑みを形作る。

「悪いがそれは諦めてもらう他ない」

 その手に包丁を握っているのもあって、とてもカシュパルが恐ろしい。思わず唾を呑みこんだ。
 先程までの気遣う様子など完全に打ち消して、脅す様に私に言った。

「多分、酷い事が起きる」
「……私にか」
「そんな訳がないだろう」

 ああ、成程。相手に。

 これは当面、身辺に気をつけなければ。
 思わぬ大きな落とし穴を知り、私は思わず居住まいを正す。
 この村に青年はいるけれども、思い返せばカシュパルが来てから会う事は殆どなくなった。その理由を掘り下げる事はせず、ただ口を閉ざした。
 カシュパルの思いの深さを知る程に、安易に喜ぶ言葉を伝えてやりたくなる。
 けれど出会った日の剣の重さも忘れる事が出来なくて、私は正解を見失うのだ。
 そうしている内にカシュパルはすっかり夕飯の支度を終わらせてしまって、普段の空気が戻ってくる。

 その日の夕飯は昔と同じく、温かくて優しい味がした。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

【完結】異世界転移したら騎士団長と相思相愛になりました〜私の恋を父と兄が邪魔してくる〜

伽羅
恋愛
愛莉鈴(アリス)は幼馴染の健斗に片想いをしている。 ある朝、通学中の事故で道が塞がれた。 健斗はサボる口実が出来たと言って愛莉鈴を先に行かせる。 事故車で塞がれた道を電柱と塀の隙間から抜けようとすると妙な違和感が…。 気付いたら、まったく別の世界に佇んでいた。 そんな愛莉鈴を救ってくれた騎士団長を徐々に好きになっていくが、彼には想い人がいた。 やがて愛莉鈴には重大な秘密が判明して…。

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

無表情な黒豹騎士に懐かれたら、元の世界に戻れなくなった私の話を切実に聞いて欲しい!

カントリー
恋愛
「懐かれた時はネコちゃんみたいで可愛いなと思った時期がありました。」 でも懐かれたのは、獲物を狙う肉食獣そのものでした。by大空都子。 大空都子(おおぞら みやこ)。食べる事や料理をする事が大好きな小太した女子高校生。 今日も施設の仲間に料理を振るうため、買い出しに外を歩いていた所、暴走車両により交通事故に遭い異世界へ転移してしまう。 ダーク 「…美味そうだな…」ジュル… 都子「あっ…ありがとうございます!」 (えっ…作った料理の事だよね…) 元の世界に戻るまで、都子こと「ヨーグル・オオゾラ」はクモード城で料理人として働く事になるが… これは大空都子が黒豹騎士ダーク・スカイに懐かれ、最終的には逃げられなくなるお話。 小説の「異世界でお菓子屋さんを始めました!」から20年前の物語となります。

行き遅れにされた女騎士団長はやんごとなきお方に愛される

めもぐあい
恋愛
「ババアは、早く辞めたらいいのにな。辞めれる要素がないから無理か? ギャハハ」  ーーおーい。しっかり本人に聞こえてますからねー。今度の遠征の時、覚えてろよ!!  テレーズ・リヴィエ、31歳。騎士団の第4師団長で、テイム担当の魔物の騎士。 『テレーズを陰日向になって守る会』なる組織を、他の師団長達が作っていたらしく、お陰で恋愛経験0。  新人訓練に潜入していた、王弟のマクシムに外堀を埋められ、いつの間にか女性騎士団の団長に祭り上げられ、マクシムとは公認の仲に。  アラサー女騎士が、いつの間にかやんごとなきお方に愛されている話。

異世界に落ちて、溺愛されました。

恋愛
満月の月明かりの中、自宅への帰り道に、穴に落ちた私。 落ちた先は異世界。そこで、私を番と話す人に溺愛されました。

眺めるだけならよいでしょうか?〜美醜逆転世界に飛ばされた私〜

波間柏
恋愛
美醜逆転の世界に飛ばされた。普通ならウハウハである。だけど。 ✻読んで下さり、ありがとうございました。✻

神の子扱いされている優しい義兄に気を遣ってたら、なんか執着されていました

下菊みこと
恋愛
突然通り魔に殺されたと思ったら望んでもないのに記憶を持ったまま転生してしまう主人公。転生したは良いが見目が怪しいと実親に捨てられて、代わりにその怪しい見た目から宗教の教徒を名乗る人たちに拾ってもらう。 そこには自分と同い年で、神の子と崇められる兄がいた。 自分ははっきりと神の子なんかじゃないと拒否したので助かったが、兄は大人たちの期待に応えようと頑張っている。 そんな兄に気を遣っていたら、いつのまにやらかなり溺愛、執着されていたお話。 小説家になろう様でも投稿しています。 勝手ながら、タイトルとあらすじなんか違うなと思ってちょっと変えました。

【完結】身分を隠して恋文相談屋をしていたら、子犬系騎士様が毎日通ってくるんですが?

エス
恋愛
前世で日本の文房具好き書店員だった記憶を持つ伯爵令嬢ミリアンヌは、父との約束で、絶対に身分を明かさないことを条件に、変装してオリジナル文具を扱うお店《ことのは堂》を開店することに。  文具の販売はもちろん、手紙の代筆や添削を通して、ささやかながら誰かの想いを届ける手助けをしていた。  そんなある日、イケメン騎士レイが突然来店し、ミリアンヌにいきなり愛の告白!? 聞けば、以前ミリアンヌが代筆したラブレターに感動し、本当の筆者である彼女を探して、告白しに来たのだとか。  もちろんキッパリ断りましたが、それ以来、彼は毎日ミリアンヌ宛ての恋文を抱えてやって来るようになりまして。 「あなた宛の恋文の、添削お願いします!」  ......って言われましても、ねぇ?  レイの一途なアプローチに振り回されつつも、大好きな文房具に囲まれ、店主としての仕事を楽しむ日々。  お客様の相談にのったり、前世の知識を活かして、この世界にはない文房具を開発したり。  気づけば店は、騎士達から、果ては王城の使者までが買いに来る人気店に。お願いだから、身バレだけは勘弁してほしい!!  しかしついに、ミリアンヌの正体を知る者が、店にやって来て......!?  恋文から始まる、秘密だらけの恋とお仕事。果たしてその結末は!? ※ほかサイトで投稿していたものを、少し修正して投稿しています。

処理中です...