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夜空には、こんなにも

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 そして、時間は少し巻き戻る。
 光の一切存在せぬ闇の中で、イチカは閉じていた目をゆっくりと開いた。
 やはり、感知できる範囲には誰も居ない。
 この場所がどのような理屈で成り立っているのかは不明だが、ここで待っていても誰にも会えないのは確かだろう。
 ただでさえ、この場の濃い魔力は感知を著しく妨害している。
 此処から先、この魔力が更に濃くなれば短い距離での感知すらも出来るか不明だ。

「……仕方ありませんね」

 そう呟いて、イチカは歩き出す。
 目的地が分かっているわけではないが、とりあえず進まなければ何も始まらない。
 他のメンバーがどういう分け方をされたのかは不明確だが、そう簡単にどうにかなるような者達でも無い。
 ……まあ、ヴェルムドールの事はたとえ大丈夫であろうと駆けつけたくてたまらないのだが、この空間の中にあってはそれも叶わない。
 ならばヴェルムドールが試練を突破した先で会うしかなかろうとイチカは判断する。
 突破しない事などありえないのだから、現状ではそれが最善の対応であるのは間違いない。

 そうして一歩、二歩、三歩……とイチカは歩く。
 どういう仕組みになっているのか、ゆっくり歩こうと乱暴に歩こうと足音が一切立たない。
 そして歩みを進めて行く度に、空間に満ちる魔力が濃くなっていく。
 どう進めばいいか、何処へ向かえばいいか。
 何も分かりはしないが、とりあえず進む。
 これが試練であるならば、必ず何処かに何かのヒントがある。
 だからこそ、イチカは歩く。
 無音の空間の中を、ただ無言のまま歩く。
 自分の姿すら不明確な暗闇の中を歩いて……そして何かが視界の隅に「居る」のに気がついた。

「あれは……?」

 それは、小さな光の粒のようなもの。
 弱々しいソレは明滅しながらふらふらと闇の中を漂っている。
 しかし、この一寸先すら見えぬ闇の中で確かな輝きを放つ光が、ただの「弱々しい光」などであるはずがない。
 イチカは迷いなくその光へ近づき……しかし、光は歩いても走っても全く近づく気がしない。
 常にイチカの先をふらふらと飛び続ける光を捕まえるのは不可能であると判断し、イチカは走っていた足をゆっくりと徒歩に戻す。
 あの光が何かは分からないが、この闇の中の唯一の道標であるのは間違いない。
 そうして、光を見失わぬように……その弱々しい明滅を見逃さぬようにしながらイチカは歩き続ける。
 そうしているうちに、ふと思う。

 そういえば、自分は誰だっただろうか?
 此処は何処で、一体何をしている最中だっただろうか?
 いや、思い出せないなどありえない。
 しまった、と気付くもすでに遅い。
 この空間、あの光。そして、自分が一人であること。
 その全てが、試練の下準備であったのだ。
 そしてきっと、ここから始まる何かが本当の闇の神の試練。
 ならば、意識を強く持たなければ。
 そう考えながらも、意識は靄がかかったかのように不明確になっていく。
 
 そうして、視界は暗転する。
 そのまま意識すら奪われそうになって、必死に抵抗する。
 しかし身体はすでに言う事を聞きはしない。
 崩れ落ちるようにして倒れたその身体を、誰かが抱えあげているような……そんな感覚が、背中に伝わってくる。
 その「誰か」は、彼女を抱えて必死に走っている。
 少しでも速く、少しでも先へと。
 そんな焦りが伝わってくるかのようだ。

「……っ」

 口を開くも、声が出ない。
 それでも今の状況を把握しようと、少しでも何かを言おうと口を開いて。
 重たい瞼を開けようとして。
 頭上から、声が降ってくる。

「おい、出てこい! どうせ此処にも何人か待機してるんだろう! 治癒班がいるはずだ! この子を……リアをすぐ治せ!」

 懐かしい声が……焦燥感に満ちた声が、響く。
 その懐かしい声が、誰かに何かを命令し……それからすぐに、身体が急に軽くなるような感覚を味わう。
 重たかった瞼が開くようになり……開いた目に、眩い光が入り込んで思わず「うっ」と呻く。
 それは自然の光ではなく、誰かによって作り出された魔法の光。
 自分の上方で輝くそれをぼうっと見つめていると、その明かりと自分の間にいた何かから、熱い水滴のようなものがポタリと頬に落ちるのを感じた。
 それが、人の顔であると気付いて……そして、すぐにそれが「誰であるか」を理解する。

「ア、ルさん……?」
「リア……リア! 大丈夫か、俺が分かるな!?」
「え、あれ……?」

 いつの間にか地面に横たえられていた身体を起こし、ゆっくりと見回す。
 着ているものは、いつだったか母親が行商人から買ってきたシンプルながらも生地のいいワンピース。
 ぼうっと自分の小さな手を見つめ……そして、先程から自分に話しかけている男に目を向けようとして……勢いよく、抱きしめられる。

「よかった……! 助けられて、本当によかった……!」
「え……」

 あまりにも強く抱きしめられすぎて、その顔を見ることすら出来ない。
 不自由な身体で唯一動かせるのは首と手の先だけで、なんとか手の先を動かしながら男をパシパシと叩く。

「は、なして……くるし……」
「あ……す、すまん!」

 慌てたように離れた男の顔には、涙が滲んでいて。
 それでも、本当に嬉しそうに笑っている。

「は、ははは……。正直な、もうダメかと思った。こんなに怖かったのは初めてだよ……」

 本当によかった、リア……と。
 その男……「旅の剣士様」アルは、そう言って心の底から嬉しそうな顔で笑った。
************************************************
忘れがちな設定メモ

・「旅の剣士」アル
イチカの過去編で登場。
少女リアの住む「聖アルトリス王国東方第一〇五八開拓村」にふらりと現れた旅の剣士。
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