【完結】夜に駆けた一夏/春巡る縁

夢見 鯛

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第6話 『矢田絵梨花』act.1

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 私が生まれたのは、北海道の山間地にある小さな村でした。母と父、それから私、三人だけの小さな家で過ごしていた頃のことは、今でも鮮明に覚えています。家の周りには広大な自然が広がり、四季折々の風景がとても美しかった。春には雪解け水が流れる川、夏には青々と茂る木々と草花、秋には赤や黄色の葉が舞い散り、冬には一面の雪景色が広がっていました。私の幼少期は、そんな大自然に囲まれて、穏やかで静かな日々でした。

 私の家は、山の中腹に建てられていて、どこを見ても木々と山々が広がる景色で、森や山にはコウモリや、野鳥や、鹿や狸や時々狐も見ることがありました。ただ、小さな村で、人口も少なく、周りには親しい友達がいませんでしたが、家の中ではいつも笑い声が絶えませんでした。お父さんは大工として働き、家の修理や周囲の人々のために仕事をしていました。お母さんは家庭を大切にし、料理や洗濯、掃除などをしてくれていました。両親ともに、私にとってはとても優しく、温かい存在でした。

 お母さんはよく言っていました。

「エリカ、日傘は忘れないようにね。」
「うん、わかってるよ、お母さん。」

 私は6歳になり、小学校に通うようになりました。家から学校までは片道1時間ほどの道のりで、その道は険しい山道を越えていくため、毎日一人で歩くのは少し怖かったこともあります。でも、お母さんは必ず私が出かける前に、日傘を忘れないようにと心配してくれていました。

 山間地での日差しは、夏は特に強く、子供の私はすぐに肌が焼けてしまいました。だからこそ、日傘がとても大切でした。お母さんは、私が外に出るたびに必ず確認して、「忘れ物はない?」と聞いてくれました。私はその度に、「うん、ちゃんと持ったよ!」と言って、元気に学校に向かうのでした。

 山の中を歩きながら、日差しを遮る日傘の下で、周りの自然を楽しむことができました。ふと足を止めて、野花を摘んだり、川の水を触ったりしながら、私は毎日を楽しみにしていました。でも、途中で迷うこともあったり、道がわからなくなることもありました。その時は、家の近くの大きな木を目印にして歩いていました。大きな木が見えると、ああ、家が近いんだなと安心できました。

 学校では、最初は周りの子供たちと話すのが恥ずかしくて、なかなか打ち解けることができませんでした。それでも、時間が経つうちに少しずつ友達ができて、放課後に一緒に遊んだり、帰り道を一緒に歩くようになりました。でも、私はやっぱり、家に帰ることが一番楽しみでした。帰ってお母さんとお父さんの顔を見た時、安心した気持ちが広がったからです。

 今思えば、あの頃の私はとても幸せだったのだと思います。家族と過ごす穏やかな時間が何よりも大切で、どんなに遠くても、どんなに道が険しくても、家に帰るために頑張って歩いた日々が、私の心に強く残っています。

 ただ、人生観が変わるのはもう少し後のことです。歳を重ねるごとに体つきも変わっていき、何故か朝は気だるく、妙な暑さを感じるようになってきました。その違和感に気づいたのは中学生に上がった頃です。

 それまでは、元気に学校へ通い、山道を歩く日常が当たり前で、体調に関しても特に気にしていませんでした。けれど、ある日突然、私は体の中で何かが違うことに気づきました。寝起きのだるさや、なんとなく体が熱いと感じることが増えてきたのです。特に夏の終わりから秋にかけて、空気が涼しくなっても私の体はなぜか異常なほどに暑く感じ、汗が止まらないことがよくありました。

 最初は、ただの疲れや年齢のせいだと思っていました。でも、日に日にその異常さが増していくのがわかり、だんだんと不安が大きくなっていきました。学校に行くのもつらくなり、友達に遊びに誘われても、なんとなく遠慮するようになっていました。運動会の練習や体育の時間、すべてが重く感じるようになり、だんだんと体調が不安定になっていったのです。

 そんなある日、お母さんが私の顔をじっと見つめて言いました。

「エリカ、最近、顔が少し赤くない?」

 その一言が、私の心に大きな波を立てました。自分でも、どこかで気づいていたのかもしれません。急に顔が赤くなり、頭がぼーっとする感覚が続いていることを、誰かに話すのが怖かったから、私はそのまま黙っていたのです。

 でも、お母さんはすぐに私の顔を触り、深刻な顔で言いました。

「やっぱり、少し熱があるわね…」

 その時、私ははっとしました。まさか、お母さんが気づいてしまったのだろうか。それとも、この体調の変化が何かの兆しだったのか――。私はその後すぐに病院へ行くことになり、医師からは、特に異常がないという診断を受けました。けれど、私の心の中にはどこかで不安がくすぶっていました。

 そして、少しずつその違和感が強くなり、夏の強い日差しを避けることができないと感じるようになったのです。身体が異常に反応して、熱さに耐えられず、皮膚が焼けるような痛みを感じることが増えました。お母さんはその都度、私に注意をしてくれましたが、私はその原因がわからず、ただただ戸惑い、恐れていたのです。

 次第に、私の中でその違和感が膨らんでいきました。それは、単なる体調不良ではないと、どこかで感じていました。自分に何か秘密があること、それを知らず知らずのうちに、体が教えているような気がしてならなかったのです。

 それが明確になったのは、ある登校の時間でした。いつも通り、黒い日傘を差して山道を歩いていると、突然、後ろから押し倒されたのです。驚いて振り返ると、クラスメイトの何人かが私を囲んでいました。理由を聞くと、男子の注目を浴びているからだとか、日傘を差している仕草や、あまりにもお高く止まっているように思われたからだと、そんなことを言われました。

 正直、私はその時、何も言えませんでした。確かに、日傘を差していることも、ちょっと周囲と違っているのかもしれないと思ってはいました。でも、それがこんな風に批判されるとは思っていなかったので、呆然と立ち尽くすしかありませんでした。

 その時、背後からグッと押されて、足元が崩れて転倒したのです。何もできずにそのまま地面に倒れ込んでしまった私。痛みを感じる暇もなく、手に持っていた日傘が地面に落ちてしまいました。そしてその瞬間、陽の下に晒された私の肌が、まるで焼けるように激しく痛み始めました。

「痛っ…!」

 私は思わず叫びました。その痛みは、単なる日焼けの痛みを遥かに超えていました。日焼けという言葉で片付けるにはあまりにも酷い、焼け焦げたような感覚でした。腕や顔がひりひりと痛み、まるで皮膚が剥がれていくような感覚が広がります。急いで立ち上がろうとしましたが、足元がふらついて体を支えることすらできませんでした。

「な、なによ!そんな強く押して無いじゃん!」
「勝手に転んだんでしょ?」

 クラスメイトたちの声が聞こえましたが、私の頭はその痛みでいっぱいで、何も答えることができませんでした。焦って日傘を拾い、顔を覆おうとしましたが、その手が止まってしまいました。すでに日光を浴びてしまった肌は、予想以上にひどく荒れていて、その傷を他の誰にも見せたくないという恐怖が湧き上がってきました。

「矢田さん~大丈夫?」

 誰かが近づいてきて、私の肩に手を置きましたが、私はその手を振り払って一気に後ろに下がりました。顔を覆うように日傘を差し直し、必死に顔を隠して立ち上がろうとしました。

「エリカちゃん、大丈夫?」

 私の顔を見ようとする誰かの声を、無意識に遮るようにして振り返りもせず、ただただその場を離れようとしました。背中にじんわりと伝わる熱さ、焼けるような痛み。顔が見られることも、手の甲のあたりが晒されることも怖くてたまりませんでした。心の中で、誰にも気づかれずにその場を去りたいという思いだけが渦巻いていました。

 その後、すぐに家に帰り、鏡を見た時の衝撃は今でも忘れません。顔や手に広がった赤くただれた傷、まるで火傷をしたかのようなその姿を見て、私は初めて自分の体に何かが違うことを認識しました。顔の一部はひどく赤く腫れ、手の甲も皮がむけていたのです。それを見たお母さんが、心配そうに私を抱きしめながら言いました。

「ごめんなさい。本当にごめんなさい」

 お母さんはただただ私を抱きしめ、涙を浮かべながら謝っていました。私もその時はどうしていいか分からず、ただお母さんにしがみついていました。何も言葉を返せないまま、ただその温もりに包まれるしかなかったのです。

 その日の夜、いつもと違ってお父さんも一緒にリビングに来て、顔を見合わせながら深刻そうに話し始めました。お母さんは泣き続け、時折お父さんを見つめながら、何かを伝えようとするような表情をしていました。その時、私の胸には重苦しい空気が漂っていて、何か大切な話をされる予感がしていました。

「エリカ、少し大切な話をしなければならない」

 お父さんがゆっくりと口を開きました。その声のトーンがいつもと違うことに、私は身構えました。お母さんは黙って頷き、お父さんの言葉を待っているようでした。私はその二人の表情に不安を感じながらも、言葉を待っていました。

「実は、うちの家系には…ちょっと特別な血が流れているんだ」

 その言葉に、私は思わず息を呑みました。お父さんが何を言おうとしているのか、分かっているようで、分からないような、そんな気持ちになったのです。お父さんはゆっくりと続けました。

「何代も前のことだが、俺たちの先祖に吸血鬼がいたんだよ。その血はずっと薄まってきて、今ではほとんどわからないほどだが…それでも、まだ少しだけその血が流れている。」

 その言葉を聞いた瞬間、私は心の中で何かが崩れ落ちました。吸血鬼。そんな言葉、ただの空想の話だと思っていたのに…。お父さんの目を見て、言葉を続けることができませんでした。

「お母さんも俺も、正直言ってあまり気にしていなかった。でも、エリカが少しずつ変わってきたのは、きっとその血が目覚めてきたからだと思う。」

 その時、お母さんが静かに口を開きました。

「お父さんも言った通り、その血は本当に薄まっている。でも、確かに影響は出ているの。私たちは気づかなかったけれど、エリカ、あなたの体調やその異常な日焼け…それはその血が関係しているのよ。」

 お母さんは、私を見つめながら続けました。

「ただ、エリカがこのことを知るのは、もっと大きくなってからだと思っていたのだけど、」
「それで…この血は、どういうことなの?」

 私は思わず質問をしてしまいました。吸血鬼の血。そんなものが本当に自分の中にあるのか? お父さんとお母さんはしばらく黙っていましたが、やがてお父さんがゆっくりと話し始めました。

「エリカの体には、ほんのわずかだけど、吸血鬼の特性が残っているんだ。それは、太陽に弱かったり、非常に敏感になったり、血が急速に再生することがある。だけど、基本的には普通の人間と変わらないから…だから、無理に隠さなくてもいいんだ。ただ、無理をしてはいけないよ」

 その話を聞いて、私はその意味をすぐには理解できませんでした。ただ、父の言葉の中に、何か重い秘密が隠されているような気がして、胸が締めつけられる思いでした。私は何もかもが怖くて、怖くてたまりませんでした。

 でも、お母さんが優しく私の頭を撫でながら、静かに言いました。

「だから、エリカ。もし何かおかしいと思った時は、無理に頑張らないで、すぐにお父さんと私に言ってね。私たちはいつでも貴女の味方よ。」

 その言葉が、少しだけ私を落ち着かせてくれました。でも、心の中には依然として不安と恐怖が渦巻いていて、これからどうしていけばいいのか分からないままでした。

 その夜、私は静かに寝室に戻り、布団にくるまって目を閉じました。頭の中で、今日の出来事がぐるぐると回り続けていました。吸血鬼の末裔ということ。父の言葉。お母さんの優しさ。そのすべてが私の中で絡み合い、眠ることができませんでした。

 だが、これから先、私は自分の中に眠るその血とどう向き合っていけばいいのか、答えを出せる日は来るのだろうか、とぼんやりと考えながら、静かに眠りについたのでした。


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